第124話 人魚
一方その頃、海を渡って連れ去られたハーミスは、ようやく地に落とされた。
「――ぐあ、痛でっ!」
そう長い間飛んでいたわけではないが、鉤爪で動きを拘束されていた分、肩がひりひりと痛む。おまけに落とされた場所は、ごつごつした岩ばかりが続くどこかの海岸。波が押し寄せる岩の奥には、入り口が半分ほど沈んだ洞穴がある。
肩を擦りながら、ハーミスはゆっくり立ち上がる。ここがどこか、冷静に把握する。
(あいつらの足を掴んでたおかげでまだ痛みはマシだが、随分と遠くに連れて来られたな……というかこの状況、ヤバくねえか!?)
だが、そう長くは冷静ではいられなかった。
ハーミスが、自分の置かれた状況を把握するのと同時に、彼をここまで連れてきたセイレーン達が舞い降りて、彼を取り囲んだからだ。
誰も彼もがにやにやと笑い、濡れた髪と翼をしならせている。併せて十匹は下らない魔物は、血の付いたギザギザの歯をキリキリと鳴らし、嘲るような声で鳴く。
「――キャハハ、怖い、怖い!?」「逃げられないわよ、アハハ!」
しかも、人間の言葉まで話せるようだ。
「喋られるのかよ、お前ら! どっちにしても安心しろ、逃げやしねえからな!」
このまま喰われてなるものかと、ハーミスはポーチを漁ろうとしたが、彼の挙動に気付いたセイレーン達は顔を見合わせ、一斉に喉を鳴らし、歌を奏でた。
『アアア――……』
その途端、ハーミスの手はポーチから離れ、体に力が入らなくなった。がくん、と膝が崩れ落ち、セイレーンに首を垂れるように、手を水浸しの岩に付いてしまう。
「生意気な男ね、食べがいがあるわ、アハ!」「美味そうね、キャハ!」
(力が入らねえ、思考も鈍くなる……まずい、このままじゃマジで喰われる……!)
これでは、復讐を果たす前に、セイレーンに貪り食われる。
どうにか抵抗をしようとする彼に、セイレーン達が覆い被さろうとした時だった。
「――待って、やめて!」
洞窟の中から、美しい声が聞こえてきた。
セイレーンの声や歌とは比べ物にならない、紛れもない女性の声。その声を聞いた途端、彼女達はハーミスを攻撃するのを止めて、すっと彼から離れた。岩壁の間をすり抜けるように泳いできて、ハーミスのいる岩場に身を乗り上げたそれは、人間ではなかった。
髪はウェーブのかかった金のロングヘアー、やせ細った、胸元を鱗で覆われている点以外は人間の上半身だが、下半身は胸元と同じく七色の鱗を持つ魚の姿をしている。肌は絵に描いたような白色で、瞳の色は橙色。
呆然とするハーミスの前で、彼女は憂いを帯びた目で一喝した。
「人を連れてきて殺さないと、約束したでしょう!? 貴女達が人を食うのは島の外だけとも約束したわ! なのに人間を連れてきて、どうやって返すつもり!?」
魚の下半身で岩を叩く彼女に対し、セイレーンはどこか気怠そうだ。母親に叱られた子供のように、不貞腐れているようにも見える。
「……忘れてた、アハ」「起きてたのね、ハハ」
「嘘つき、この島を汚さないようにするって約束していたのも、忘れているくせに」
「いつか男は連れて返すわよ、キャハハ!」「覚えてたらね、アハ!」
守りそうもない約束をして、セイレーンはその場を離れて、バサバサと洞窟の中へと潜っていってしまった。きっと、そこが彼女達の棲み処なのだろう。
呆気にとられるハーミスの体に力が戻ってくるのを見つめながら、彼女はぺたん、ぺたんと岩場を這って、塩水で濡れたハーミスに申し訳なさそうな声で言った。
「……ごめんなさい、人間さん。セイレーン達が悪さをして、ここまで連れてきてしまって。彼女達の昔からの盟友として代わりに詫びるわ、本当にごめんなさい」
髪に滴る水を手で払いながら、ハーミスが答える。
「まあ、トラブルは慣れてるからいいんだけどよ。あんたもセイレーンってやつか?」
「いいえ、私はクラリッサ……『霧の島』に住む、人魚よ」
人魚。マーメイド。過去に少しだけ、聞き齧ったことのある程度の存在。
「人魚……足が魚になってる亜人って、それだけは昔聞いたことがあるな。あんたもセイレーンみたいに歌を歌って、誘惑するのか?」
ハーミスが聞くと、クラリッサと名乗る人魚は首を横に振った。
「そんな力はないわ……ただ、私を食べた者は不老不死になるくらいね」
代わりに、とんでもない力が備わっていることを明かした。
不老不死なら、ハーミスだって知っている。決して老いず、決して死なない。どのような怪我を負っても死なず、何百年経っても食べた時の年齢のまま。想像上の能力だと思っていたが、こんなにあっさりと見つかるとは。
「不老不死!? いやいや、冗談だろ、それ!?」
ハーミスがおどけた調子で聞くが、クラリッサはいたって真面目だ。
「真実よ。私を食べれば、老いず、死ななくなる。だから私を守る為に、セイレーンはこの島に住み着いているの。近頃は聖伐隊、という組織も私を狙っていて……」
「聖伐隊が、あんたを?」
「セイレーン達が、話しているのを聞いたらしいわ。貴方、聖伐隊ではないの?」
聖伐隊の格好を知らない辺り、どうやら彼女は聖伐隊を見たことがないようだ。
「ああ、違うな……俺は聖伐隊じゃない、ただの旅人だよ」
ただ、ハーミスの思考は、自分が聖伐隊扱いされた点への怒りにも、不老不死への驚きにも向いていなかった。彼らがここを襲撃した理由について、考えを巡らせていた。
(どういうことだ? 聖伐隊は偶然ここを襲ったわけでも、港の整備の為にセイレーンを倒しているわけでもねえのか? この人魚を、手に入れる為に?)
これまで聖伐隊は、無差別に魔物や亜人を殺して回っているのだと思っていた。事実、エルフやドラゴンはそういったケースに当てはまるだろう。
だが、今回は違う。恐らくではあるが、『選ばれし者達』も聖伐隊も、こっちを目当てに活動している。セイレーンを倒すのは、そのおまけだ。だとすれば、聖伐隊が掲げている目標とズレが生じることになる。
(不老不死になる……シャロンの、いや、ローラの目的は、そっちなのか?)
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