第112話 激戦⑨


 思わずびくりと震えるリオノーレに、ハーミスがくぐもった声で言った。


「そういえばさっきステータスって言ったな、一応説明しといてやる」


 彼の声に応じて、ステータス画面が現出する。様々な数字が羅列し、性能を表示するバーが映し出されたそれが、何と常に変動していたのだ。

 とてつもなく大きな数字になった体力と防御力が、減ってゆく。代わりに下がっていた筋力や瞬発力が上がっていき、平均的な数字となる。数値が増えることはあっても、減ることはないのが常識の世界で、ハーミスは簡単に常識を破壊した。


「このスーツの能力は『ステータス変動』だ。スーツ着用で与えられたステータスを、攻防に応じて割り振れるんだよ……さしずめ今みたいに、魔力の防壁を張らなくても何のダメージも負わないくらいにな」


 つまり、彼は最高の防御力も、最強の攻撃力も手に入れられる。

 スキルとしても、それ以外の何かとしても常識から離れすぎた力を前に、リオノーレは足の震えが止まらなくなる。気づいていないのは、本人だけだ。


「有り得ない、有り得ないわよ! ステータスを自在に変えるなんて!」


「現実を受け止めろよ。とりあえず今は、攻撃にステータスをありったけ振った俺の、怒りの篭った拳ってやつをよッ!」


 彼の言葉よりも先に、ステータスの数値が異常な速さで変動した。それと同時に、歩いていた彼の足の動きが急に早くなり、一気に駆け出してきた。

 ガシャン、という音が無数に重なり、リオノーレが出せる最高速を容易に上回る。だとしても直線的な一撃だ、剣士のスキルがあれば見切れると、彼女はそう思った。

 正面に届く、腹を狙った拳。スローモーションに見える、一発。


(そんな一撃、『見切り』パススルーがあれば――いや、速……)


 そうはいかなかった。

 彼女がスローモーションに攻撃を感じ取った瞬間、拳がとてつもない速度で、リオノーレの腹に叩き込まれたのだ。まるで、途中でスピードが増したかのように。

 腹の鎧が割れて、拳がめり込む。彼女の目が大きく見開き、頬が膨らむ。


「ぶ、ぎゅっぐいいいぃぃ!?」


 そして、ハーミスが勢いよく拳を振り抜くと、リオノーレは回転しながら後方に吹っ飛ばされた。剣は最早手から離れ、鎧は腹部を中心にひびが入った。何度も何度も地面に顔と体を擦り、どうにか止まった瞬間、彼女は腹を抱え、吐瀉物を吐き出した。


「が、がは、ごおおえぇ! うっぶ、おえぇッ!」


 昨晩食べた物を全て吐き出すほどの勢いで口から吐き続ける彼女を、ハーミスが嘲笑う。それが勇者なのかと、無機質な瞳の奥で笑っているように見える。


「ゲロ吐いてんじゃねえよ、まだ終わってねえぞ」


 無能が。あの、無能で魔物の味方なんかするハーミスが、自分を見下している。

 そう思った途端、リオノーレの中で、痛みを怒りが上回った。嘔吐したものを拭いすらせずに、彼女は両腕に炎を溜め込み、勢いよく振りかぶる。


「ご、ごのぉ! 焼け死ね、燃え死ね! 『極大火球』ビッグデスフレイムッ!」


 そうして絶叫と共に、巨大な火の球を投擲した。今度の火球は、殺気よりも何倍も大きく、それでいて数はさっきよりもずっと多い。これこそ、掠るだけでも大やけどは免れないし、命中したなら火だるまどころか骨も残らないはず。

 ステータス画面が変動するのにも気づかず、ハーミスの姿が見えなくなってもまだ、リオノーレは炎の球を投げ続ける。狂ったように、きっとずっと投げ続けるはずだ。


「さっさと! さっさと死ね死ね死ね死ね――」


 炎の中から飛び出してくる、白銀の鎧が。


「――てめぇが死ね」


 攻撃力と俊敏性にステータスを振り分けたハーミスの拳が、顔面に突き刺さるまでは。

 リオノーレの鼻の骨が、完全に砕けた。ほんの少しだけ眼球が飛び出し、頬骨が内側で砕ける嫌な音が、彼女の耳に、確かに聞こえた。


「ぶじゅ、が、ばあぁッ!?」


 血を鼻の穴と口、擦り切れた頬から噴き出すリオノーレに、彼は容赦しない。


「攻撃だけじゃねえぞ、スピードにも割り振ってる。『見切り』程度じゃ避けられねえし、避ける余裕なんて与えてやらねえからよッ!」


 もう一発、今度は顎を打ち抜く一撃。

 骨が砕けながらも、リオノーレは辛うじて体勢を整える。尤も、反撃の為ではなく、自分がいかに正しいかを叫ぶ為という、何とも情けない理由であるが。


「どうして、どうしてッ! どうして私の復讐の邪魔をするんぎゅぐいい!?」


 そんなたわごとを聞いて同情してやるほど、今のハーミスは優しくはない。


「決まってんだろ――それが俺の、復讐だからだぁッ!」


 抵抗できなくなったリオノーレの体に、拳を叩き込む。

 倒れそうになれば、顔を殴る。揺らめけば腹を、腕を、足を。背後に押し込むように殴り続けられ、その度に体中に電流を流されたような、凄まじい激痛が迸る。


(倒れられない、まるで無理やり立ち上がらされているように殴られる! 騎士のスキル『防壁』も意味がない、逃げ場がない、痛い、痛い、痛いいいいいいッ!)


 気を失うことも許されない。地獄の苦しみが続き、しかも軽減すら許されない。ただただひたすら、ハーミスに殴られること、体中から血を噴き出し、骨を砕かれ、筋肉を潰されることだけが、リオノーレに許された自由だ。

 魔物達の自由を奪い、散々殺してきた勇者は今、自由を奪われ、死すら許されていない。砕ける鎧、腫れ上がる顔と体が醜くなってゆく中、彼女は思う。


(なんで、どうして! 私は勇者なのに、『選ばれし者』なのに!)


 自分は悪くないのに、襲われ、トラウマを刻まれた方なのに。


(悪いのは魔物で、亜人で! 私は正しい方にいるのに、こんな目に遭うなんておかしいでしょうがああああッ!)


 心の中の絶叫は、ハーミスには響かない。

 復讐するばかりで、される側に立ったこともない者の妄言など、届くはずがない。

 ただ、唯一変化はあった。ただただひたすら殴られ、後方に押し込まれていたリオノーレだったが、ふと、背中に違和感を覚えた。何かがぶつかったのだ。


「――はッ!?」


 僅かに振り返ると、後ろにあったのは岩壁。森の中に聳え立つ、大きな壁だ。

 今までは、後ろに倒れ込もうとしてほんの少しだけだがダメージを軽減できた。しかし、ここまで追い込まれればただのサンドバッグ状態。その事実に気付き、ボロボロに膨れ上がったリオノーレは恐怖に満ちた目で、ハーミスを見る。

 しろがねの装甲、白銀の拳。両拳を握り締めたハーミスに、もう言葉は通じない。


「壁だな。もう逃げられねえな……これで思い切りやれる、ぜえぇッ!」


 怒声と共に、ハーミスの拳が見えなくなるほどの凄まじいラッシュが叩き込まれた。


「んぎゅうがががあばああばあっばあああああぁぁぁ――ッ!?」


 頭、顔、胴体、腕、足、全身。

 ありとあらゆる部位に、骨を破壊し、筋肉を千切るほどの超絶的威力を有するラッシュが直撃する。防御など出来ないし、したところで意味がない。岩壁にひびが入るほどの攻撃力は、リオノーレを人間の姿から、スライムのように変形してゆく。

 十発。二十発。三十発。四十、五十、六十と。

 音すらおいて行きかねないほどの連撃、連打、殴打の豪雨。肉を砕く音がいい加減聞こえなくなってきた頃、ようやくハーミスは手を止めた。


「……あ、あ――……」


 リオノーレの顔は、肉体は、半分以上が潰れていた。

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