第108話 激戦⑤


 街の中に戻っていたリヴィオは、自分の怪我も忘れて、門の辺りを歩き回っていた。

 白い布で臨時テントが張られた周辺は、医者や救護班の補助として参加した女性、怪我をした男達が寝かされている。ニコがいるならばきっとここだと、リヴィオは大声で彼の名前を呼ぶ。


「――ニコ、ニコはどこじゃ!?」


 すると、彼女の正面から、自分の背中を押してくれた声が聞こえた。


「リヴィオ!? あんた、戦場は!?」


 こちらに駆け寄ってくるのは、クレアだ。彼女ならば事情を知っているだろうと、居場所を聞こうとしたが、最早その必要はなかった。


「もう殆ど勝ったも同然じゃ、それよりもニコは……っ!」


 クレアの後ろに、年老いた医者と補助の女性が数人、人の姿になったルビーとエル。

 そして、胸に包帯を巻き、寝かされたニコがいた。


「……そんな、まさか、まさか!」


 自分の傷口が疼くのも構わず、彼女はニコに近づいた。青ざめた顔色の彼を見て、がっしと肩を掴み、揺さぶろうとするリヴィオをエルが制する。


「落ち着いてください、リヴィオさん。ニコさんはですね……」


「これが落ち着いていられるか! 医者よ、どうじゃ、どうなんじゃ! ニコは無事なんか、このまま駄目なんてこたぁないじゃろう!?」


 希望を紡ごうとした彼女の切なる願いに対し、医者は汗を拭いながら、静かに告げた。


「……私には、どうすることもできませんでして……」


 医者にも、どうすることもできない。

 彼の発言がどういう意味を齎すか、錯乱したリヴィオでも知っていた。死ぬはずがない、ずっとどこかにいると思っていた相手が二度と目を開かないと思った途端、彼女はエルの手を振りほどき、ニコの力ない掌を握り、ただ叫んだ。


「ニコよ、死ぬな、死なんでくれ! わしにできることなら何でもする、わしの命も代わりにやる、だから生き返ってくれ!」


 大頭の時も、叔父叔母の時も、死を嘆いた。だが、自分が代わりに死んででも死を認めたくないと思ったのは、今この瞬間が初めてだった。


「わしはお前にずっと冷たい態度をとってきた! わしと違って何でもできるお前が羨ましかったからじゃ、でかい態度を取らんと人がついてこんと知ってたわしと違って、誰もが後ろについて来ていたからじゃ! わしはお前を妬んどった!」


 何かを伝えたそうにしている後ろの三人も無視して、彼女は思いの丈をぶつける。


「リヴィオ、あのですね……」


「そんなお前が死んでどうする、わし一人では何もできん! お前が必要なんじゃ、ニコ……だから頼む……!」


「えっとね、リヴィオ、ニコはね?」


 そのうち、リヴィオはきっと三人を睨み、死の悲しみにすら浸らせない相手に怒りをぶつけた。こんな時まで、ボスの矜持を見せろと言うのかと。


「さっきからなんじゃ、お前らは! ニコが亡くなったっちゅうに――」


 ただ、この場合、正しいのは彼女達だ。


「――ニコ、死んでないよ?」


 ルビーの言う通り、ニコは死んでいないのだから。

 リヴィオは一瞬だけ、ルビーの言葉の意味が理解できなかった。咀嚼するように口をぱくぱくと動かしてから、たっぷり数秒かけて目を丸くした後、口を開いた。


「…………は? いや、医者は何もできんと……」


「医者はね。でも、ハーミスが置いていったアイテムは別よ」


 クレアがそう言って取り出したのは、いつぞやの箱。


「『万能型緊急医療キット』、ハーミスから使い方を教えてもらってたの。もしもの為に『鶏の歌亭』に設置していたこれで、命に別条がない状態まで治療できたわ」


 エルから麻薬成分と毒を抽出したこのキットは、本来であれば戦闘中に重傷を負った兵士を治療する為のアイテムだ。ニコの胸の傷は、医者にはどうしようもなかったが、このアイテムであれば、指示に従えばクレアでも治療ができたのだ。

 信じがたいが、よくよく聞けば、ニコは小さく息をしている。

 涙を目に湛えながら、リヴィオは震える口で、周りを囲む仲間達に聞いた。


「……本当か? ニコは死なんのか、生きとるのか?」


「呼吸をしているでしょう。観察は必要ですが、問題ありません」


「良かったね、リヴィオ!」


「…………うむ、良かった、良かった……!」


 友の無事を知り、堰を切ったように涙が溢れ、零れた。ルビーもエルも微笑み、クレアは少しだけ浮かんだ涙を指で拭いながら、茶化すようにリヴィオの背中を叩いた。


「あら、強がると思ってたのに。結構涙もろいのね、あんたって」


 ただ、ただリヴィオは頷くばかり。

 無事を喜ぶ一同の耳に、戦いの終わりを告げる声が聞こえてきた。


「俺達の勝ちだーッ!」


「「えい、えい、お――ッ!」」


 獣人街の圧勝を意味する、高らかな勝鬨だった。

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