第85話 分断


 ニコの希望通り、コーヒーは直ぐにテーブルに並べられた。


「……お待たせしました、フンコーヒーでございます」


 ルビーを除いて、緊張した面持ちで座る一行に対し、ニコは穏やかな笑顔を見せている。こういった脅しをするのに慣れているのか、それとも。


「さあ、どうぞ。安心して、お代は僕が持とう」


「……いただきます」


 クレアとエルはコーヒーに口をつけたが、味がしなかった。


「うえー、にがーい! ルビー、これきらーい!」


 唯一緊張感のないルビーが、コーヒーを舐めた途端、渋い顔をしてカップをテーブルに置いた。どうやら子供舌の彼女には、フンコーヒーは苦すぎたようだ。

 あどけない表情で舌を突き出すルビーを見て、ニコは笑った。


「ははは、だったらジュースにしようか。マスター、紫リンゴのジュースを一つだ」


 マスターが紫リンゴを絞るのを見ながら、灰色の耳を動かし、ニコが語り出した。


「……さて、ギャングが分断した話だったね。前提として、君達はこの獣人街が、元は『ゼウス』というギャングによって統治されているのを知っていたかい?」


 三人同時に首を振った。この街の事情など、彼女達が知る由がない。


「いいえ、全く。ギャングが二つあるというのも、私達は初耳でした」


「そうか。聖伐隊の襲撃があるまでは、『ゼウス』がこの街唯一のギャングだった。歴史ある厳格なギャングで、僕も……あのリヴィオも、ゼウスの一員だったんだ」


 若輩者と呼ばれても反論できないほどの歳であるニコですら、この屈強な男達に紛れてギャングを名乗っていたのだ。よほど、この地域に根付いたものなのだろう。


「僕達には両親がいなかったけど、叔父、叔母が面倒を見てくれて。元より慕ってくれる者も多くいて、大頭であるバルディードさんにも可愛がってもらって、僕としてはゼウスの頭になるより、あの人の下で生きたかった……けど」


「けど?」


 眼鏡の奥のニコの瞳が細くなって、悲しみで歪んだ。


「聖伐隊を退けてから間もなく、大頭が亡くなったんだ。死因は医者に聞いたけど、持病の急な悪化が原因ではないかと言われたよ。七十を超えていたし、有り得る話だ」


 外来種とも呼べる危険な組織との戦いが、持病を一層悪化させてしまったのか。ニコだけでなく、後ろの部下達も神妙な面持ちを隠せないでいる。


「こうなれば、僕達に残された課題は、ゼウスをどうやって維持していくかだ。他薦の末に僕とリヴィオが抜擢され……僕としては辞退するつもりだったけど、正直な話、あのリヴィオにだけは任せられないと直感したよ」


「あー、あのくるくるパーみたいな格好を見りゃあね……」


 クレアが納得するのも当然だ。

 片や、若すぎるがきっちりとして物静かで落ち着いた少年。片や、クレアと同年代らしいがとんでもない格好で、大声で騒ぎ立てて乱暴な手段を取る女性。街の将来をどちらに任せたいかと言われれば、クレアとエルは必ず前者を選ぶ。


「格好もそうだけど、とにかく粗雑で、事あるごとに怒鳴り散らし、今日のような乱暴な手段を取る女性だ。彼女が獣人街のトップに君臨すれば、必ず治安が乱れる。だからこそ、僕がボスとなる必要があったんだ」


 だが、そんなに話が簡単に進めば、今のような事態は起きていないはずだ。


「彼女が容認するとは思えませんが」


「正しく、その通りだよ。僕がそう宣言した次の日、感情に任せてリヴィオがアジトに乗り込んできて、その日を境に、小競り合いが起き始めたんだ。こちらとしては穏便に済ませたかったんだが……連中は……」


 エルの予想は当たっていた。ただ、彼女は、双方の衝突が単なる小競り合いやちょっとした喧嘩だけでは終わらなかったのだとも思えた。

 理由は簡単で、ニコの表情が、今度は怒りで歪んだからだ。冷静さの皮が剥がれ、子供特有の純粋な怒りを、彼は確かに発露していた。


「……連中は、僕を支えてくれた叔母を殺した。夜闇に紛れ、歩いているところを背後から一突き……目撃者は、派手な刺青を見たと言っていたんだ」


 その光景を、ニコは今でも思い出す。

 どんな時でも自分達、オリンポスを支えてくれた優しい叔母。お小遣いをくれて、獣人街について沢山のことを教えてくれた叔母。ニコが見たのは、そんな叔母が背中にナイフを突き立てられ、最期の言葉すら残せずに命を絶たれた現場だった。

 過去を思い返しているのか、彼の拳が振るえているのを、クレアは見逃さなかった。


「僕達は我慢ならず、ティターンのアジトに乗り込んだよ。すると連中は、自分達の叔父が、僕達の暗殺者に殺されたと喚いた。そんな根も葉もない噂を信じて、ティターンの奴らは僕達を敵視して……今に至る、というわけさ」


 ほんの少しだけ、沈黙が流れた。マスターがおずおずと、リンゴジュースを置いた。

 重い空気をどうにかして和らげようとしたかのように、ルビーがリンゴジュースをがぶがぶと飲み始めてから、クレアが申し訳なさそうに聞いた。


「……怒らないでちょうだいね。あんた達は、本当にリヴィオの叔父を――」


 彼女の話を遮るようにして、ニコは答えた。


「殺したってかい? そんなわけないだろう、僕も彼に恩があるんだ。ギャングは義を守る、恩も返す。リヴィオだって、僕の叔母には世話になったはずなのに!」


 声の最後には、表情では抑えきれない怒りが混じっていた。

 クレアも、エルも気づいた。彼は冷静であろうとしているのだと。

 確かに冷静ではある。若しくは冷酷でもある。そうでないとギャングのボスなど到底務まらないのだろうが、中身は十代前半か、もしかすると至っていないかくらいの子供なのだ。そんな子供を愛した叔母が死んだのだ、怒るのは当然だろう。

 すっかりリンゴジュースを飲み干したルビーがジョッキを置く。何とも言えない感情、感傷を秘めながら、エルはその後のことをニコに尋ねた。


「……それ以降、話し合いは?」


「していないよ。こちらからの提案は全て撥ね退けられた。このままでは抗争の果てに街が荒れてしまう。だけど、残っているのは、彼らを倒して街をオリンポスが統べ、再び平和を取り戻す道だけだ」


 彼としては話を終えたと思ったのか、ゆっくりと席を立った。


「だから、ハーミスにはこう伝えておいてほしい。平和の可能性は、君が僕に協力してくれることにある、とね。それじゃあ、また」


 そして、飲み物の代金として銀貨を何枚か置いていくと、静かにそうとだけ告げ、部下に囲まれて帰っていった。

 残された三人と、やや破壊された喫茶店。

 とんだトラブルに巻き込まれたと後悔するクレア達は、三日目にして獣人街へやってきたことを後悔した。まさかこんな、街の内側で戦いが起きているとは。

 おまけに、ニコは自分が正しいと言っていたが、そうは思えなかった。これだけの事態が起きているのが日常茶飯事なら、もう手遅れと言っても過言ではない。


「……この状況が、もう危険な事態じゃないの」


「……言えてます」


 どちらが勝とうと、この街に未来はない。

 勝手に戦えと言ってやりたかったと、クレアは心底思った。

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