第77話 井戸


 翌日、四人は『鶏の歌亭』の玄関から外に出てきた。

 テントでの生活は『通販』オーダースキルのおかげで決して不便ではなかったが、やはり宿に勝る安心と快適さはない。その証拠に、四人とも肌艶が心なしかよくなっている。

 おまけに宿の食事は、夕食も朝食も非常に美味だった。豪華とまではいかず、しかし女将さんの愛情が詰まった料理は、ルビーが二食分も平らげてしまうほどだった。


「――かーっ! 美味し、夕食も朝食も美味しっ!」


「ルビー、お腹いっぱい食べちゃった! ほら、お腹がこんなに膨れてるよ!」


「人前で晒さないでください、はしたないですよ」


 丸々と大きくなったお腹を突き出して擦るルビーを、エルが窘める。その隣で、同じく食事を堪能したクレアが、ハーミスに聞いた。


「ところでハーミス、散策ってどこに行くの? 観光地ってわけでもないわよ、ここ」


 空を眺め、何だか楽しそうな調子でハーミスは答える。


「ぶらぶらするのもたまにはいいだろ。俺達、目的はあっても目的地はねえんだからさ。最近はずっと戦い続けだったし、のんびりするのもいいんじゃねえかな」


「あんたのお人好しが半分くらい原因でしょうが。ま、悪くはないけど……」


「だろ? こんな明るい街、ぶらつかない方が失礼ってもんだ」


 ジュエイル村の風景しか知らなかったハーミスにとっては、この街の風景はとても新鮮で、それでいて何よりも興味深い。そしてそれは、ルビーも同様だった。


「こんなに楽しそうなところ、ルビー、初めてだよ! ねえねえ、空から色んなところを眺めてきてもいい?」


「いいわよ。でも、はぐれないようにね」


「やった! それじゃあいってきまーす!」


 周囲の目も気にせず、クレアの許可を得たルビーは、翼を広げて空に飛んでいった。

 彼女のこれほどまでに嬉しそうな、楽しそうな顔はまず見たことがなかった。昨日と同じように、奇異の視線に晒されると分かっていても、クレアは彼女を止めなかった。


「ルビーの奴、すっかりはしゃいで……ん、あれは……?」


 クレアだけでなく、ハーミスやエルまでもが飛んで行くルビーを見て笑顔になっていると、少しだけ坂になっている道の先に、人だかりができているのに気付いた。

 家屋が集まった、やや狭い場所に十人ほど。どうしたのかと、三人は近寄ってみる。


「広場ってわけじゃないけど、随分な人だかりね。何かあったのかしら?」


「かもしれねえな……なあ、どうしたんだ、こんなに人が集まって?」


 ハーミスに声をかけられて、一同は彼らを見た。


「ん? ああ、昨日来たハーミスとかいうのか」


 侮蔑の目線ではなかったが、当然ながらそこには余所者への感情があるようで、言葉の中には、お前には関係ないという意味合いが詰まっているように聞こえた。

 男女、老若合さって十人だが、誰もがそう言っているように見えた。


「なんてことねえよ、井戸が詰まっただけだ。桶が下まで降りないんだけだよ」


 というより、直球でこう言われるのだ。

 三人はむっとするどころか、トラブルの方に関心を向けた。


「……それっておかしくない? 間に何か挟まったか、埋まったかだろうけど、井戸が塞がるって相当でっかいものがつっかえてないとそうはならないでしょ」


「だろうな。まあ、街のもんで何とかするさ」


「どうにもならないから人が集まってるんでしょ。ほら、あたしが確かめてやるわ」


 街の住人をずい、と押しのけて、クレアが井戸を覗いた。迷惑そうにする彼らが言う通り、確かに桶が何かに乗っかっていて、奥まで届いていない。

 普段はトラブルを避けたい、面倒事は嫌いだと言いつつ、人が困っていると動かずにはいられないクレアを、ハーミスとエルは微笑ましく見つめている。


「お人好しでお節介焼きはどちらですかね」


「そこがクレアのいいところなんだよ、エル」


 根の人の良さを指摘され、クレアが怒鳴る。


「うっさいわよ、そこの二人! これくらいはちょちょいと……それっ!」


 二人を睨みながら、クレアは右腕の『射出装置内蔵型刺突籠手』を突き出し、ボタンを押してナイフを射出した。ロープ付きのナイフで、刺さればロープを巻きとって手元に刺さった対象を引き寄せられる優れものだ。

 人間一人、二人くらいなら軽く引き寄せる力があるが、今回は違った。ナイフは確かに何かに刺さったのだが、その刺さった相手が異様に重く、ナイフが動かないのだ。


「…………あ、あら? 何これ、すっごく重くて――」


 ボタンを押してもびくともしないのに痺れを切らした彼女が、ぐっとロープを手で引っ張った時、それに変化が起きた。

 ぐっと地面が揺れ、ロープがたわむ。井戸が、地面がみしみしと音を立てて。


「キュオオオオオオ――ッ!」


 『それ』が、姿を現した。

 井戸を塞いでいた者の正体は、ここに来るまでの路の半分くらいの幅がある、太いワームだった。目のない、どどめ色の蚯蚓のような魔物は、先端に人一人は容易く呑み込めそうな、巨大な歯のない口がある。そこから、奇怪な鳴き声を奏でているのだ。


「な、なな、なんじゃこりゃあああッ!?」


 住人の声が引き金となり、砕けた路や井戸の破片が散乱する中、パニックが生じた。


「クレア、お前なんてもん釣り上げてんだよ……って、おい、どこ行くんだよ!?」


 逃げ惑う住民の中、ハーミスがとんでもない相手を釣り上げたクレアを探すと、なんと彼女はロープを切れずに、びったんばったんと暴れるワームに振り回されている。大きなリュックを必死に掴んでいる彼女の様は、どこか滑稽でもある。


「ちょっと、誰か助けてよおおぉ――っ!」


 とにかく、こんな相手を放っておけば家屋が破壊され、人が圧し潰される。主食が何かはさっぱりだが、肉食性なら人が丸呑みにされかねない。


「やべえ、やべえぞ! 『ティターン』を呼んで来い!」


「誰か、『オリンポス』の連中に声をかけてくれ!」


 住民達は誰か、或いは何かに助けを求めているようだったが、そんな余裕はない。

 ポーチの中からハーミスが魔導拳銃と散弾銃を一丁ずつ取り出し、エルが桃色の光を両腕に纏わせる。ワームの全長は人間の何倍もあるが、二人は動じない。


「ったく、釣り上げちまったもんは仕方ねえ――きっちり締めてやるか!」


「そうですね、さっさと始末しましょう」


「はやぐだずげでええぇ――っ!」


 拳銃に弾を込めたハーミスの声と、クレアの悲鳴が重なった。

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