第72話 四人


 暗い、暗い闇の中。


「……ここは……?」


 エルは、暗黒の中に立っていた。暗い世界なのに、自分の周りはなんとなく見えているおかしな光景に、彼女はそこがすぐに、夢の世界であると気づいた。


「私、確か眠っていて……これは、夢……?」


 だからこそ、向こうからゆっくりと歩いてくる影にも気づいた。


「……お母さん。ポウ、アミタ……」


 ミン、ポウ、アミタ。エルの家族が、彼女の前で立ち止まった。

 これは間違いなく夢であると、エルは確信した。分かった上で、それでも伝えなければならないと、彼女は聖伐隊隊服の裾を握り締め、涙をこらえて言った。


「……ごめんなさい。私の我儘に、皆を巻き込んで、ごめんなさい」


 自らの過ちを。二十二年も生きてきて、一度も認めなかった過ちを。


「ずっと認めたくなかった、私が凡才だって。自分を肯定し続けて、間違ったところなんて見たくないって、目を逸らし続けて。そのせいで、皆を死なせてしまったんです……だから、だから私は……」


「――生きなさい、エル。生きていれば、何回でもやり直せる」


 言葉に詰まったエルの代わりに、ミンが口を開いた。

 顔を上げた彼女の前には、笑顔の家族がいた。自分が殺したのも同然の家族なのに、其れでも笑顔を向けてくれることが、嬉しくて、辛くて、彼女はぽろぽろと涙を零した。


「自分を認めて、強くなって。お姉ちゃんを信じてくれた、仲間の為にもね」


「目を背けた道じゃない、自分で見つめた道を生きていれば、きっと、きっと――」


 止まらない涙で歪む視界で、姉妹も彼女への想いを伝える。目の前で死なせてしまった相手が、背中を押してくれていると思うと、家族が前にいるのに、涙が溢れて止まらなかった。もっと、もっと見ていたいのに。

 遠く、届かない存在になってしまう前に、もっと――。


「……ん……あれ……?」


 再び目を開けた時、彼女の視界に映ったのは、テントの天井だった。

 寝袋の中に入って、仰向けになって、彼女は眠っていたのだ。外は少しだけ明るい。黒のインナー一枚しか着ておらず、寒くはないが、このままでは外には出られない。

 幸い、衣服なら昨日洗った。妙な装置に入れておくと、ほんのわずかな間に服が洗われ、乾燥するのだ。全くおかしな装置だと、夜は驚いたものだ。

 桃色の髪を結び、畳んでおいた聖伐隊のジャケットを羽織る。背中に刻まれた聖伐隊のマークは、上から赤い絵の具でバツマークを刻み込んだ。これを身に纏い続けることが、己の罪だと知っている彼女は、テントの外に出た。


「おう、起きたか。スープ、飲むか?」


 そこには、火を囲むハーミスとクレア、ルビーがいた。それでようやく、思い出した。

 昨日――フィルミナの滝の一件以降、エルはハーミス一行の仲間になったのだ。

 行く当てもない彼女を誘ってくれたのは、ハーミスだった。自分に手を差し伸べてくれた彼は、あの時と同じように微笑んで、スープの入ったカップを手渡した。


「……頂きます。すみません、朝食の手伝いもできずに」


 テントの中からでてそう言うエルに、クレアが朝からキンキン声で怒鳴りつける。


「そうよ、新人は朝昼晩の食事を作るのがルールなのよ! 破ったあんたには一回につき罰金五千ウル待って待ってルビー、おニューのリュックに傷つけないで!」


「だったら、嘘なんかついちゃだめだよ、クレア。エル、気にしなくていいよ」


 岩の下敷きになった背嚢の代わりに調達した淡い黄色の大きなリュックを、ルビーの爪で人質に取られて、ようやくクレアは静かになった。相変わらずカーテン製のマントを体に巻いたルビーの笑顔に、エルは慣れない様子で答えた。


「あ、ありがとうございます……」


 クレアは口を尖らせ、折り畳み椅子にどっかりと座り込む。


「ルビーってば、変な知恵ばっかりつけちゃって……とにかく、あんたの為にサイドカーを二人乗りにリニューアルしたんだから、その分しっかり働きなさいよ!」


 そう言って指差した先には、いつものバイクと、隣には以前のよりも一回り大きなサイドカー。椅子が二つあり、クレアとエルの座席だと分かる。

 改めて自分が仲間なのだと認識した彼女は、少し微笑んでから、これまでの調子で言った。いつもの調子とはつまり、クレアの言っていた通り、尊大で、鼻につく態度で。


「……はい、期待には応えてみせます。私は魔女ですから」


 そんな彼女を見て、三人は笑顔を見せた。

 あの時と同じエルが――自分達の知るエルが、戻ってきたのだと思えたのだ。


「――よし、それじゃあ朝食を食べ終わったら、準備して出発だ。獣人街まであと二日、今度こそ到着するとしようぜ」


「勿論よ!」「ガウ!」「はい!」


 食事が終われば、荷物を纏めて、バイクのエンジンをかける。

 ドラゴンが翼をはためかせ、地面に跡をつけ、空を駆け、目的地へと向かう。サイドカーの中で揺られながら、クレアとハーミスが地図を見せあって会議をしているのを見つめながら、エルは思った。


(お母さん。私の進むべき道は、まだ分かりません。ただ、一つだけ確信があります)


 分からないことだらけの、新たな道。今までなら、闇にしか見えなかった。

 今は違う。もしも闇だったとしても、一筋の光がある。


(ハーミスと――彼と歩む道を、信じてみたいと、今はそう思うのです)


 ハーミス、クレア、ルビーという、仲間が。


 ◇◇◇◇◇◇


 軍事大国レギンリオル。

 その首都にそびえたつ巨大な純白の塔、通称『聖女の塔』。

 聖伐隊が本部として使う塔の中には、聖女と『選ばれし者達』だけが入れる部屋がある。幼馴染だけの、荘厳な部屋だ。

 そこにいるのは、麗しき聖女ローラ。大きな椅子に腰かけ、紅茶を飲む。


「……そう、ティアンナが死んだのね」


 それから、仲間への哀悼の意を告げる。

 これまでで三人、幹部が死んだ。聖伐隊の結成から一度だってあり得なかった事態――有り得てはならない事態が、ここまで起きているのに、危機感を募らせる者がいた。


「ローラ、もういい加減、ハーミスなんかの勝手にさせるのは我慢できないわ!」


 ローラの幼馴染にして最も親しい友人、リオノーレだ。

 深い青緑の髪を揺らして怒る彼女の横には、双子の妹のサンが座っている。いずれも珍しい職業の天啓を受け、その通りに育った、人類からすれば英雄だ。

 そして二人とも、当然のように聖伐隊の隊服を身に纏っている。姉はショートパンツ、妹はロングスカート。どちらも幹部にのみ許された、オーダーメイド。


「聖女である貴女の為すべきことを阻害するのは、全人類への宣戦布告よ。だったら、聖伐隊が滅してこそ、真に正しい未来が待っているの! そうよね、サン?」


 かつて前髪で隠していた右目、左目はそれぞれもう隠していない。青と緑のオッドアイがサンを見据えると、逆の色の瞳をした妹はおずおずと答えた。


「う、うん……私も、ハーミスのやってることは迷惑、かな……」


「決まりね。それじゃあ次は、私が作戦を実行するわ」


 鼻を鳴らして笑うリオノーレは、腰に手を当て、ローラの前で宣言した。

 大切な聖女の、幼馴染の夢を阻ませない。必ず、邪悪な存在を滅する。


「予定通り、『獣人街』への襲撃作戦をね」


 それが、『勇者』の天啓を受けたリオノーレの使命なのだ。

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