第61話 母親


 川を伝った先にあるフィルミナの滝は、苔むした岩場にあり、傍から見ればとても細い谷のようになっていた。さっきまでの長閑な風景は消え失せ、空気が湿っている。

 そんな岩場を降りて行くように、ハーミス一行は歩いていた。バイクを岩場の入り口に置いて、先導するエルについて行く中、ルビーは怯えた様子でハーミスに寄る。


「凄く暗いね、なんだか怖いよ……」


「ルビーの言う通り、ボンズ川と繋がってるとは思えないくらい、暗いところね」


「魔女はこういった土地に隠れ家を作ります。世間と離れて、魔法を熟達させ、後世に残す。発想としては立派ですが、実用の機会もない愚かな風習です」


 つんと尖った言葉遣いを続けるエルに、これまたクレアが顔を顰めた。


「あんた、一々何かを馬鹿にしないと会話できないわけ?」


「至極真っ当な意見です。一族の発想が遅れているだけです」


 どうやらこの二人は、水と油の関係のようだ。


「よせよ、こんなところで喧嘩なんて。エル、体調は大丈夫か?」


「体調は順調に回復しています。なのにまだ、貴方達はついてくるのですか?」


「お前について行くと、幹部に会える確率が高いからな」


 相変わらず、ハーミスは自分の考えの先を行っているような気がする。

 それがどうにも気に喰わなくて、彼女は目を細めた。どうあっても彼の思い通りになってたまるものかと思いつつ、道は一つしか残されていないのも、癪だ。


「……まあ、好きにすればいいでしょう」


 そうこう話しながら、どんどん岩肌に沿って、彼らは進んでゆく。このままいけば、滝壺の周辺に到着するだろうが、その辺りに隠れ家と呼べるものがあると思えない。


「ところで、どこまで下りていくの? 地上がすっかり遠いじゃない」


 クレアがそう聞いたのは、もうすっかり下り切って、さっきまでいた地上が遠く上方に見えるところだった。つまり、滝壺の隣で、辺りにはごつごつした岩肌しかない。


「もうじき到着します……ここです」


 なのに、岩の一部を指差して、エルはここが終着点であると言った。


「ここ? 岩と滝しかないよ?」


「……まさかと思うけど、まだ幻覚が見えてるとか言わないわよね」


 またもクレアの悪口が炸裂したが、エルは凡俗を嘲笑うように言った。


「魔法に精通していない人間には、隠れた真の姿は見えないでしょう。この岩肌は、凡人から見ればただの壁ですが、魔女にとっては違います」


 そう言って、エルは桃色の光を右手に宿らせながら、壁に触れた。すると、触れた部位から岩が少しずつ動き出し、オーラに包まれて勝手に退き始めたのだ。

 岩がどかされていくと、そこには段々と洞穴が見えてくる。中には明かりもあるようで、これが所謂隠れ家なのだと、一行は直感した。


「お、おおお……!?」


 そうして、エルが魔法を使い終わった頃には、完全に岩はどかされ、洞穴が目の前に広がっていた。これならば、並の人間では見つけられないだろう。


「すげえな、入り口を魔法でしか解除できないようにカモフラージュしてるのか……」


「魔法の種類にもよりますが、入り口の封鎖くらいはできて当然です。では、私は母に顔を見せてきます。それで満足するんですね?」


 エルがじとっと睨むと、ハーミスはにやりと笑った。


「ん、ああ。久々に会うんだろ、積もる話はあると思うぜ」


「ありません。では、少しお待ちください」


 軽く首を横に振って、エルはすたすたと洞穴の中へ入って行った。

 ここでふと、ハーミスは思った。彼女は自分の魔法が稀有な存在であると豪語していた。ならばどうして、その魔法でしか動かせなさそうなカモフラージュをしているのか。

 もしかすると、残った母親も岩を動かせる他の魔法が使えるのか。少しだけ気になって、隠れ家の中で答えを聞こうとした時だった。


「――この親不孝者がああああッ! どの面下げて帰ってきたんだい!」


 洞穴の奥から、何かが割れる音と、女性のとてつもない怒声が響いてきた。

 その叫び声はとんでもなく大きく、クレアとルビーが思わず耳を塞いでしまうほどだ。ハーミスはというと、耳を塞ぐのも忘れるほど驚いてしまった。

 二、三度、物を投げつけ、割れる音が聞こえてから、エルの言い返す声も聞こえた。


「い、いきなり物を投げつけるなんて非常識にもほどがあります! これだから先時代的な、野蛮な魔女は困ります!」


「五年前に勝手に家を出ておきながら何て言い草だい! 魔法の才能があるだのなんだのってたわけたことを言いながら、のこのこ返ってきたってかい!?」


「わ、私には才能があります! 貴女とは違うんです!」


 声が近くなってくる。一人はエルで、もう一人は怒った女性。恐らく、母親だ。


「なーにを言ってんだい、あんたは……」


「ちょ、ちょっと今は言わないでください、この人達が――」


 そんな彼女は、エルが洞穴から焦った様子で出てきたのと同時に怒鳴り散らした。


「あんたは私と同じ魔法しか使えない、凡才の魔女でしょうが! 天才ってのも自称だけで、他の誰も言ってなかっただろう!」


 母親がエルと一緒に姿を現すのと同時に、彼女の虚像は剥がれ始めた。

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