第60話 洗脳
彼女を納得させるのは骨が折れそうだと、ハーミスは思った。
これまでの幹部同様、ティアンナが凄まじく強い場合、きっとエルだけでは戦えない。そしてここで知り合った以上、奴らの手で死なせるなど、絶対にさせたくない。
「そう言うなよ。俺は聖伐隊の幹部をブチ殺したいんだ、そこは俺の勝手だろ?」
「知ったことではありません。第一、ここに来たのは解毒法を求めたからです。貴方達に毒を抜いて貰った以上、もうここには用はありません。回復次第、即刻立ち去ります」
エルはどうにかして立ち上がったが、まだ足元はおぼつかない。そんな様子を見て、単身聖伐隊に挑ませるほど、クレアはともかく、ハーミスは鬼ではない。
「立ち去るって、どこにだ? 言っとくが、あいつは諦めが悪いぜ」
「どういう意味です?」
ティアンナを知るハーミスは、警告じみた口調で、エルに告げた。
「あいつは自分の邪魔になるものどころか、興味のあるものはすべて支配してきた、『支配者』だ。そんな奴が、自分の手元から駒が転げ落ちて、はいそうですかとはしねえだろ? 賭けてもいい、あいつはまだ追ってくる」
こうとまで言われれば、エルも流石に尊大さを潜め、相手の未知数の長大さを警戒する。洗脳された身として、ティアンナの危険性は重々承知していたつもりだったが、まさかここまで注意を払えと言われるほどの相手とは。
「……では、どうしろと?」
彼女の六芒星の瞳と目が合ったのを感じ取って、ハーミスはにかっと笑った。
「エル、お前はまだ回復しきってねえだろ。どちらにせよ、俺達と一緒にいないと動けないわけだ。そんでもって、俺は一度母親に顔を見せといた方が良いと思ってるんだ」
「貴方には関係……このやり取りにも飽きましたね。つまり、私は貴方と一緒にいた方が安全で、おまけに私と母親が一度顔を見せあえば、満足するというわけですか?」
ハーミスは頷いた。
「その間だけ、共闘関係でもできりゃあ最高だな」
エルにとっては、何のメリットが相手にあるのかさっぱりだった。一度死んで、常人としての感覚をあの世に於いてきたかのような相手を前に、疲れすら感じていた。
「結構です。魔女の隠れ家までは案内します……本当に、おかしな人ですね」
直球で悪口を言われても、ハーミスは銀髪を掻いて笑うだけだった。
「言われ慣れてるよ、ここの二人に」
「だから言ったでしょ? こいつのお節介は並じゃないって」
ようやく落ち着いたらしいクレアが肩をすくめ、ルビーはにこにこと笑った。
こうして一行の進むべき道は、獣人街からフィルミナの滝へと変わった。
◇◇◇◇◇◇
その頃、聖伐隊の一団は、馬に乗って平原を駆けていた。
白い馬に乗るのは先頭の九人。うち七人はフードを被った虚ろな目の女性――魔女。残りの二人は、それぞれ巨大な剣と盾を背負った、黒髪の男性。誰がどう見ても、戦士やそれに属する職業であると窺える。
その後ろには、四つの馬車に乗る聖伐隊の隊員が三十名以上。
たった一人を追うには過剰ともいえる人員を率いるのは、魔女でも、戦士達でもない。その人物は、剣を背負った戦士の脳に、直接語り掛けてきた。
「
遠く離れた部屋で椅子に腰かけて、フルーツを食むティアンナだ。
いつもと同じ静かな部屋で、彼女は『洗脳』によって支配した人間を向かわせている。自分はただ、ここで結果を待っているだけでいい。
「目的は変更、厄介事になる前に魔女もハーミスも始末するように、ですって。マリオ、ヴィッツ、アンテナ役としてしっかり皆を纏めてね」
「「はい、ティアンナ様」」
「そう急いで動いていなかった様子から、ハーミスは視界が同期できるスキルの能力には気づいていない可能性があるわ。まだ近くにいるでしょうし、ボンズ川から……フィルミナの滝を探してみて。お願いね」
彼女とて、ずっと視界を共有したり、命令したりするわけではない。必要な時だけ指示を送り、体を操り、非情な命令を下せばいい。
「……さて、姉妹を相手に、あの魔女は手を出せるかしら? それとも、非情になったところで私の『洗脳』で強化された兵隊に敗れるだけかしら?」
特に、今のような状況では、下す命令が面白い状況を作り上げる。
七人の魔女のうち、彼女達を先導する二人は、桃色の髪と六芒星の瞳が似合う、歳が互いに近い姉妹同士。今回逃げ出したのは、ポウ、アミタの姉妹だ。
そんな相手に、エルはどんな判断を下すだろうか。どうあってもティアンナの洗脳が解けない、自分を明確に殺しにかかる相手に対して、エルは何をするだろうか。隣にいるかもしれないハーミスは、どんな顔をするだろうか。
「どちらにしても面白いわ。姉妹同士の殺し合いを、視界を共有して見られるなんて!」
想像するだけで面白い。彼らがどれだけ憎もうとも、何もできない優越感に勝るものはない。相手が募らせる憎しみすら、彼女からすればスパイスに過ぎない。
「私を愉しませる為に創られた――世界はこんなにも素晴らしいのね」
彼女は――ティアンナは、『支配者』なのだから。
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