第55話 狂乱

 

 ハーミスやルビーが取り押さえるより先に、瞳を開けた彼女はマントを翻した。

 視界をマントで遮られた三人が、宙を舞うそれを剥ぐより先に、謎の女性はハーミス達と距離を取り、両手を突き出し、掌を翳して、妙な構えを取った。


「何者ですか! 私を追ってきた、聖伐隊の者ですか!」


 聖伐隊の一員だとしても、彼女の姿はよくよく見れば異様だった。

 背はハーミスと同じくらい。髪型は首筋までの長さのポニーテールで、色はピンク。細く吊り上がった瞳も同じ色で、両眼に六芒星の文様があり、左目の下に三本の青い太い線の刺青が入っている。全体的に細身で、眉は細く、唇はやや青い。

 聖伐隊の薄汚れた服の内側には、首元まで覆う薄手のインナーを着用している。そんな、聖伐隊ともどうとも知れない相手は、一向を奇怪な瞳で見つめて叫んだのだ。

 丁寧な言葉遣いだが、口調は荒い。こちらを敵視しているからだろうか、それとも生来からこんな話し方なのだろうか。


「どう見たって、そうは見えないでしょうに」


 呆れるクレアとは対照的に、ハーミスは努めて彼女を刺激しないよう、声をかけた。


「待て、待てって! 俺は『ハーミス』だ、聖伐隊なら名前くらい聞いてるだろ!?」


 ハーミス。聖伐隊ではある意味特別な名を聞き、女性は手の力を緩める。しかし、未だに瞳はしっかりと一行を捉えたままで、双方に油断は許されない。


「……ハーミス? ハーミス・タナーですか?」


「そうだ、正確にはハーミス・タナー・プライムだけどな」


「幹部や隊員が話しているのを聞いたことがあります、聖伐隊を倒そうとする人間だと。私を聖伐隊だと思い、攻撃を仕掛けに来たのですか?」


「たまたま遠くに見えたからだよ。お前が聖伐隊に追われてるのを見つけたから、助けに来たんだ。なあ、どうして聖伐隊が、同じ仲間から逃げてたんだ?」


 ゆっくりと近寄ってくる彼を睨み、威圧するように、女性は言った。


「……貴方には関係ありません。それに私は、聖伐隊では――」


 言った、その途端だった。


「――あっ、あっがあああああああ!?」


 突然、彼女は自分の掌を首にあてがい、その場に倒れ込んだのだ。

 しかも、殺気のように気絶しているのではない。体調の悪さを閉める白い肌や黒い髪が土で汚れるのも構わず、目を血走らせ、口を引き攣らせてのたうち回っている。

 そのうち、口から泡まで吹き始めて、体を重力に逆らわせて痙攣まで起こす始末。


「お、おい、どうしたんだよ急に!?」


「離れなさい、ハーミス! あの様子、なんかおかしいわよ!」


 クレアに言われずとも、ハーミスはそれ以上近寄らなかった。なんと、泡を吹きながら、女性が立ち上がり、焦点の合っていない目で――矛盾するが――こちらを見た。


「う、ぐうう……貴方達、聖伐隊ですね! これだけの軍隊を率いて、私を襲いに来たのですか私は捕まりません従属もしません絶対に隠れ家まで逃げきってみせますよ!」


 しかも、呂律の回らない舌で無理矢理言葉を紡いで、一気に解き放ったかのような、奇怪極まりない声まで発しながら。その間も、体は震え、目はぎょろぎょろと動いている。


「……ハーミス、この人、おかしいよ……?」


 流石のドラゴンですら恐れを感じ、一歩退く。

 これ以上、この女性に関わらない方が良いのではないかとハーミス達が考え始めた時には、もう遅かった。喉を捻じるような声を絞り出しながら、女性がしっかと睨んだのだ。


「ふっぎゅぐいいいいい! やだ、やだ、薬がないよ、芥子薬がない! 貴方達が奪ったんですか返してくださいあの芥子がないと話を聞かない人ですね力ずくでも!」


 痙攣する両手を彼女が翳すと、途端にハーミス達は体を大きく震わせた。

 自らの意志ではない。彼らは体中に桃色の光を纏わりつかされ、それに束縛されているかのように、自由を奪われているのだ。

 しかも、その光――オーラは、女性の手と繋がっている。彼女が開いた掌を閉じていくのにつれて、体が動かないのではなく、締め付けられている感触に変わっていく。

 もし、このまま骨や筋肉の構造を無視して、締め付けられればどうなるか。


「な、何よこれ!? 体の自由が利かない!?」


「まずい、何だか知らねえけど絶対にまずい!」


 ハーミスとクレアは慌てて体を動かそうとするが、手遅れらしく、指先から髪の毛の一本に至るまで、一切命令を聞かない。寧ろ抵抗すればするほど、締め付けが強くなる。

 そんな二人を、泡と涎を垂れ流し、ぐねぐねと手を動かす女性は本気で殺そうとしている。何を言っているのかさっぱりだが、こんな理不尽でやられてよいものか。


「私達魔女を侮辱した罪を命で償ってもらいます行きますよ手加減は――」


 いや、いいはずがない。


「グルアゥッ!」


 女性は気が動転、或いは倒錯していたからか、ルビーが既に視界にいないのに気付いていなかった。だからこそ、直ぐ真上から聞こえた唸り声に、反応できなかった。

 そんな彼女に与えられるのは、一回転からの尾を用いた攻撃。当然、直撃。


「ぎッ……!」


 当然、卒倒。顔面から地面に叩きつけられ、大きく跳ね上がった。

 殺されなかったのは、ルビーが力を緩めていたからだ。


「……ナイスだ、ルビー」


 桃色のオーラが剥がれ、自由を取り戻したハーミスは、心底安心した様子で言った。振り返ったルビーは、口に火を溜め込みながら、はにかんだ笑顔を見せた。


「えへへ、ハーミスに褒められるの、ルビー、すっごく嬉しい! この聖伐隊を焼いたら、もっと褒めてくれる?」


「それはちょっと待ってくれ……クレア、何か分かったみたいだけど、どうだ?」


 ハーミスはルビーの頭を撫でながら、仰向けになった女性の顔を覗き込むクレアに声をかけた。彼女はどこか、興味深そうにそれを見つめていた。

 目を閉じて、恐らく気を失っているはずなのに、まだ痙攣が収まらず泡まで吹き続けている。死に近づいているのは、誰の目にも明らかだ。

 少しばかり考え込み、結論が出たのか、クレアが振り返って言った。


「確定は出来ないけど、これに似た症状を見たことがあるわ」


 アンダーグラウンドに住む彼女の知識が告げていた。

 これが――彼女を蝕むそれが、どれだけ危険な存在であるかを。


「禁断症状よ。『髑髏芥子』っていう、めちゃくちゃ危険な薬物のね」

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