第53話 旅路
数日前、レギンリオル帝国のとある屋敷。
「……あら、何人か死んだのね」
ゆったりとした椅子に腰かけ、空が透けた天蓋を眺める少女がいた。
絵画、彫刻といった芸術品を並べたてた部屋は静かで、且つ豪奢な造り。中央にある小さな円形のテーブルと、彼女が座る椅子以外は、何もない。
彼女は何かの死を察知して、テーブルの上にある、黄土色の粉が詰まった小瓶を手にし、軽く振った。塵の揺らめきを眺めてから、彼女は誰にでもなく言った。
「あの子のように使える子は貴重だから、早々に生け捕りにしたかったのだけれども。仕方ないわ、こちらも『特務隊』を導入しましょう」
いや、ここには誰かがいる。
彫刻の隣に並び立つ、二人の男性と、七人の女性。いずれも聖伐隊の服を身に纏い、瞬きの一つすら許されていないかのように、直立不動の姿勢を取っている。微動だにしないのに、顔色は末期の病人のように青白い。
「マリオ、ヴィッツ。彼女達と隊員を率いて、エルを始末してきて頂戴」
彼女の言葉に、男性二人が頷いた。屈強な体つきの二人が扉を開け、外に出て行くと、女性達もそれに追従して部屋を出て行き、今度こそ完全な静寂となった。
「……さて、あの『魔女』はどう出るかしら」
紫の髪。膝まで届くほど長い裾の隊服。真っ黒な瞳。
受けた天啓は『支配者』。またの名を『選ばれし者』。
ローラと共に聖伐隊の幹部となり十八歳にもなったティアンナは、相変わらず自分に支配されるしか能のない世界を愉しんでいるようにも見えた。
◇◇◇◇◇◇
「なーんにもないね、クレア」
「なんにもないのがいいのよ、街でも見えようもんなら即迂回ルートよ」
バイクと並走するルビーが欠伸をしながら呟くと、クレアが答えた。
出発してからバイクを走らせ続けているうち、太陽は真上に昇っていた。道中で小動物を見ることはあっても、人間や魔物はおらず、退屈といえば退屈な旅路が続いている。
ただ、三人の旅にはこの退屈こそが必要なのだ。サイドカーの中で地図を開き、赤い丸で囲んだ獣人街までの道のりを確認するクレアにとっては、特にそうだ。
「つい最近駐屯所をぶっ壊したばっかりのお尋ね者が、平原を縦断できるなんてそうそうないわ。出来るうちに獣人街までの距離を稼いでおくに越したことはないわね」
「そうだな。資金は余裕があるし、どこかに立ち寄る必要はなさそうだ」
「今回こそ、何事もないといいんだけどね……」
ただ、その何事もなく、がルビーにはどうにも我慢ならないようである。両手足を重力に従わせてだらしなく揺らし、口から小さな火を吹く。
「ルビーは退屈だよーっ」
「退屈であるうちが一番幸せよ。あたしくらいの大人になれば、あんたも分かるわ」
「クレアだって、ルビーと変わらない……あれ、なんだろ」
ふと、ルビーはクレアとの小さな口喧嘩を止め、遠くをじっと見据えた。
「どうした、ルビー?」
手足に力を入れ、地面と平行にした彼女の目は、ドラゴンの瞳で何かを見ているようだった。ハーミスとクレアの人間二人には見えない光景が、彼女には見えている。
じっと凝らし、細めた目で、ようやくルビーは何を捉えたのかを告げた。
「遠くで馬が走ってる。一、二、三……全部で六頭もいるよ、人も乗ってる」
「人が乗った馬が群れてる。嫌な予感がするな」
顎に指をあてがうハーミスの嫌な予感は、ルビーの大きな声と共に的中した。
「……ハーミスの言う通りだ! 一人はマントを着てるけど、後の五人は聖伐隊の服を着てる! 誰かが追いかけられてるんだよ!」
どうやら、馬に乗っている人間らしい影のうち半分以上が聖伐隊であるらしい。もしもこちらに気付けば、彼らも立派な敵になり得るだろう。
「ったく、向こうからトラブルが舞い込んでくるなんて!」
クレアは地図を仕舞いながら愚痴をこぼすが、道を遮る障害物ならば仕方ない。
「ルビー、先に行って出来るだけ敵を倒してくれ!」
「うん、分かった!」
ハーミスがルビーに指示すると、彼女は赤い翼をはためかせ、体を一直線にして、バイクよりも早く飛翔した。彼もまた、バイクを一層加速させながら、ポーチの中から黒い拳銃を取り出し、クレアに手渡した。
「クレア、これを! 『魔導弾発射低反動回転式拳銃』リボルバーだ、使い方は昨日、一昨日で教えた通りだが、いけるか!?」
ゴーグルを装着したクレアは、歯を見せてにやりと笑った。
「しっかり覚えてるわよ! 敵になるべく近づいてちょうだい、仕留めるわ!」
リボルバーを構える姿が様になる少女を見たハーミスは、ルビーを追いかけるように、アクセルを思い切り握り締めた。
「よし、そんじゃ――行くぞ!」
平原に二つの跡を作る一行と謎の敵の会戦は、間もなくだ。
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