第44話 扇動


「どうしたの、まだ逃げないの?」


「このまま逃げたって、地上で人間達に見つかって引きずり戻されるだけでしょ。見てなさい、一番安全で楽しい策を披露してあげるわ」


 そわそわと落ち着かない調子の子供達に、クレアが答えた。

 子供達としては、いつジョゴが下りてくるか分からない状況で、ここに長居はしたくないのだが、自分達だけではどうしようもないので、クレアとルビーに従う他なかった。

 一方でクレアは、魔物が犇めく檻の前に立ち、隣のルビーに言った。


「ルビー、あたしの言う通りに話すのよ……『ここから出たくないか、出してやる』」


「ガガウ、グウアウ」


 ドラゴンは、人間だけでなく魔物とも話せる。クレアには判別不能の言語でルビーが魔物に声をかけると、檻の中からくぐもった声が返ってきた。

 何度か頷いてから、ルビーがクレアに、魔物語の翻訳をしてあげた。


「……どうせ人間に捕まるだけだから、出たくないって」


 その返答は予定通り。クレアにとっては、ここからが交渉の醍醐味だ。


「ふうん……『実は今、この街に魔物達の救世主が来てる』」


 ぴくりと、中の魔物が動いたのに二人は気づいた。


「『彼はお前達を捕らえた連中を何百人も殺し、ここに来るまでに何回も亜人や魔物を解放してきた。人間は彼を恐れ、彼の仲間をも恐れている。そして我々は救世主の仲間だ。昨日もまた、沢山の魔物を助け、多くの人間を殺してきた』」


「クレア、嘘言っちゃいけないよ「つべこべ言わずに翻訳しなさい」」


「『彼は敵を滅ぼし、森の正当な所有者を救いに来た、我々にとっての救世主だ。今ここで、エルフを背に乗せ、共に街を出ると言うなら、ここから出してやる』」


 子供達も、その話を聞いて一層目を輝かせる。やはり、シャスティがとても強い魔物と亜人の味方を連れてきたのだと、僅かな疑心すら吹き飛んで確信になったのだ。

 そしてそれは、魔物達も同様だった。重い枷を引きずりながらも、彼らは四つの脚で立ち上がり、轡の中でフガフガと声を放った。

 声を聞いたルビーの顔が、ぱっと明るくなった。


「……檻を開けてほしいって、枷と轡を外してくれって!」


「ベリィグッドよ、その返事。皆、手伝って! 魔物の轡と枷を外すのよ!」


 最大級の悪い笑顔を浮かべたクレアの命令に逆らう者は、もう誰もいなかった。

 エルフの子供達も魔物は怖いが、今は助け出すべき同志だと思ったのだろうか、クレアの周りに集まってきた。ルビーは再び格子を掴み、思い切り力を込める。


「もう一度……ウグルルアアァッ!」


 今度は手慣れた様子で、ハーミスの渡したアイテムの力を使い、檻をこじ開けた。そのまま入って行ったルビーとクレアを筆頭に、子供達も中に入る。

 轡や枷には、幸い専用の鍵はなかった。轡は子供達でも接合部をパズルの要領で外せば簡単に解除できたし、枷はクレアが、『射出装置内蔵型刺突籠手』からせり出したナイフで斬り落とした。かなり硬い素材のはずだが、ナイフは簡単に切断した。

 ハーミスが渡したアイテムだ、きっと並のナイフとはあらゆる点が違うのだろう。彼に内心感謝しながら、手際よく全ての枷を壊してゆく。

 そうして、最後の魔物の枷が壊れた。魔物はいずれも四足歩行で、毛色も大きさも様々だったが、ゆっくりと檻から出てくるそれらの目的は決まっていた。


「クレアさん、全部外れたよ……って、うわぁ! 食べられちゃう!?」


 子供達をひょい、と背中に乗せたのだ。怯える彼女達に、クレアは笑いかける。


「そんなわけないでしょ、森まで皆を乗せてってくれるのよ。振り落とされないように気を付けなさい、こいつらに乗ってロアンナの街を出るのよ!」


 一人、また一人と魔物に乗っていく。最後にクレアが、一際大きな黄土色の、ライオンのような魔物に跨って、全員に大きな声で聴いた。


「皆、準備はいいわね!?」


「ルビー、準備万端だよ!」「はい!」「行けます!」「ガウゥ!」


 ならば、もう怖れる必要はない。


「よーし、それじゃあ――全軍、進撃ぃーッ!」


「「うおおおおおぉぉぉ――ッ!」」


 クレアの鬨の声と共に、皆を乗せた魔物達が我先にと階段を上り、地上へと爆走した。

 その勢いは、濁流どころではない。遥か海がある地方では、海水が一切合切何もかもを破壊し尽くす津波、とやらがあるらしいが、それよりも凄まじい。

 地下に繋がる階段を塞ぐ木の扉など、そんな猛進の前には何の意味もない。


「な、なななななんだあああ!?」


 豪勢な屋敷の召使、メイド、客。ありとあらゆる人間がたちまち悲鳴を上げる中、魔物達は装飾品を、床を、壁を、屋敷の全てを破壊しながら爆進するのだ。

 中には抵抗を試みた者もいた。エルフを再度捕まえようとした従者もいた。


「逃げろ、逃げろおおおびゃあッ!?」


「落ち着け、ガキどもを魔物から引きずりおろしてぶぎゅる!」


 いずれも無意味だった。一人は魔物達と一緒に飛ぶルビーによって頭をもぎ取られ、もう一人はクレアがすれ違いざまにナイフで斬りつけ、血の雨を降らせた。

 群れの先頭は既に屋敷を飛び出し、外に出ている。外からの悲鳴を聞き、ルビーがこれ以上ないくらい楽しそうな顔を見せた。


「クレア、クレア! 皆大慌てだよ、たのしーよ、すっごくたのしーっ!」


「あははははーっ! でしょう、でしょう、これからはあたしのことを天才美少女軍師と呼びなさい! なーははは……おっと、あれは」


 最後尾で高笑いするクレアは、跳ね飛ばされ、轢き殺される人間達の中に、逃げ遅れた人間を見つけた。ぶくぶくと肥えたその顔を、忘れるわけがない。

 ジョゴだ。どうにか退避しようとしたジョゴに向かって、クレアはナイフを射出した。


「ど、どうなっておる! 奴隷達がどうして逃げ出して……うぐッ!?」


 細い糸を後部に付けたナイフは、勢いをそのままに、ジョゴの右足を貫通した。しかもしれだけでなく、高速で糸を巻き取り、クレアの乗る魔物の背中に叩きつけた。


「ぎぎ、ひぎいいい! なん、なんじゃ、お前は!」


 足の激痛に悶えるジョゴに振り向き、クレアは眉を顰めて言った。


「さあ、あたしのことはどうでもいいんじゃない? あんたが気にするのは一つだけよ、あたしと一緒にいるこの子達が、あんたを許すかどうかってだけ」


「ひっ……!」


「ねえ、どうする? こいつを許すか、それとも……」


 彼女の問いに答えたのは、彼女に並走する、最初に逃げ出したエルフだった。


「クレアさん、エルフの掟で裁くよ。里まで連れて行きたい」


「……決まりね」


 答えは決まった。

 ジョゴは逃げられない。飛び降りても、ナイフが刺さったままで、きっと引きずってでも一行は彼をエルフの森へと連れてゆくだろう。

 もう、決まっているのだ。奴隷商人の未来は、絶望だと。


「だ、誰か、だれがだずげでええええええッ!」


 捕らえられた豚の悲鳴を聞きながら、クレアは目的を果たしていないような気がした。


(あれ、何か忘れてるような……まあいいか、後はあんたが頑張るだけよ、ハーミス)


 だが、この高揚感の前では関係ない。

 街を、聖伐隊を、家屋を破壊し尽くす暴走の前では。

 聖伐隊の妨害などまるで意味のない珍走団の爆走は、ロアンナの街を出て行き、集合場所であるバイクの置かれた川のほとりまで続いた。

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