第9話 最近自分が副店長ポジなのではと思い始めている

 『大鷲亭』の給仕係たちの間で、カウンター係は人気がない。手当てが低いからだ。だからよほどのことがない限り、ここを担当するのは調理補助だったり、イーサンさんだった。最近はわたしがそこに入る事が多くなっている。


 ただ、やっぱり、わたしだってそれだけでは収入が心もとない。そこで前はイーサンさんがひとりで行っていた帳簿関係だとか、そういった裏方のような仕事もわたしがすることになった。


『大鷲亭』の事務所は、店舗の二階にある。


 わたしが事務所の仕事を担当するのは二日に一度。最初は五日に一度だったので、頻度は上がってきている。


 事務の日は早めに出勤することにしている。イーサンさんから預けられている鍵を使って、裏口から中に入った。この辺りは治安が良いほうだけれど、わたしはすぐに施錠する。これは地球にいたときからの癖なのかもしれない。


『大鷲亭』の一階は正面からだとホールがあって、奥がカウンターと配膳スペースになっている。その後ろが調理場で、調理場の奥に階段がある。裏口から階段を上れば、すぐ事務所に入ることができる造りだ。


 二階はイーサンさんの居住スペースに、事務所と従業員向けの休憩室。地下と三階が倉庫になっていて、四階は素泊まりのみ対応の宿泊施設になっていた。


 事務所についたらまず、わたしは前日分の伝票を箱から取り出す。これは前日の閉店後、イーサンさんがここに置いてくれるものだ。伝票をもとに、前日はどのくらいの料理が出たか、売り上げがいくらだったか、取引先への支払い、従業員のお給料、仕入れの手配などをあれこれ計算したり、金庫から取り出したお金を各従業員のお給料へと分けていく。


 計算に使うのはそろばんに似た道具で、名前をそのまま『計算器』という。謎の仕掛けのおかげで、ほとんど電卓のように使うことができる便利アイテムだ。使い方はイーサンさんから教えてもらった。

 そろばんなんて、日本にいたころは足し算がせいぜいしか使えなかったけれど、毎日いじっていればこの計算機にも慣れてくる。

 仕入れの手配なんかはイーサンさんが既にしていることもあるので、その辺は帳簿や控えを確認しながら発注書を作る。


 当然、時間はそれなりにかかる。


 わたしが机に向かっていると、リィン、と鈴が鳴った。

 昨日発注していた食材が届いたのだろう。

 四階にお泊まりのお客さんは料金先払いだし、階段は一階までの直通だ。部屋代その他もろもろの精算は担当した女の子か、イーサンさんと直接するものなので、ここでもわたしが客と関わることはない。


 計算を切り上げて、一階の裏口に向かう。

 細い覗き窓の外には知った顔がいた。


「こんにちは、エドモントさん」

「ソフィーさん、こんにちは」


 赤毛でちょっと優しい顔つきの男性は『大鷲亭』で主に食材などの注文を依頼している商店の配達員さんだ。

 わたしが出勤している日はこの人が来ることが多いので、そろそろ顔馴染みと言える間柄だ。名前を呼び合うくらいはする。


 このエドモントさんが来てくれる時は楽ができるので、今日も自然と笑顔になってしまう。


 配達員さんの仕事はお店まで食品を持ってくることだ。だから、事務所の外に食材を置いていくだけで、彼らは用件を満たしている。けれど、実は、配達員さんによってサービスが違うのだ。調理場の中まで運んでくれたり、食材置き場まで運んでくれたりする人がいたと思えば、裏口にどすどすと商品を置いて終わりの人もいる。


 なんと、このエドモントさん、調理場に運んでくれるどころか、調理場の地下にある、食材置き場にまで運び入れてくれるのです……!


 受け取った品物が発注書と合っているかの確認は必要だ。

 なので、一度調理場に置いてくれて、確認を取れたら食材置き場に……という流れになる。エドモントさんありがとう。今日も重い食材を運ばなくて済みました。わたしは楽をできてとてもラッキー。


「さ、最近、晴れが続いてますね」


 話しかけられれば、少しくらいの会話もする。


「そうですね、わたしは雨も嫌いじゃないですけど、配達してるエドモントさんは晴れのほうがいいですよね」

「え、そうですね、晴れのほうが俺は楽です、で、でも、雨でもここへの配達は楽しいから」

「お仕事が好きなんですね。今日もありがとうございました」


 エドモントさんにお礼を言って、すぐに施錠をした。扉を閉じる直前、何か言葉を遮ってしまったような気がしたけれど、覗き窓からは普通に立ち去るエドモントさんが見えた。気のせいだったのだろうと、わたしはさっさと事務所に戻ることにする。商店への支払いは、別の集金係が月一でやってくるので、今は必要ない。


 イーサンさんはときどきいい加減なところがあって、帳簿をつけていない日がある。今日もそうだった。早く事務室に戻って、さっきの続きをしてしまわないと、二日分の計算はとても時間がかかる。


「おはようございます」

「んぁあ………」


 階段の途中に、まだ眠たそうなイーサンさんが座っていた。寝起きなのが丸わかりなのは、無精髭なうえに部屋着でいるからだ。がっしりした体型のイーサンさんのことを、なんだかくまさんみたいだとわたしは思っている。


「今のは、エドモントか?」

「うん、そう」


 なんだかまだ目が開いていない様子のイーサンさんに熱いコーヒーでも出してやろうと、わたしは片足をかけていた階段から離れた。


 調理場にある棚のひとつから、もう挽いてある、缶に入ったコーヒー豆を取る。これは昨日の残りで、今日の分はこれからきっと誰かが挽く。お湯はすぐに出る機械というか、そういう便利道具がある。ジネブラの家には無いものなので、きっとこういう品物は業務用なのだろう。


 本当はもっと丁寧にやったほうが良いのかもしれないけれど、わたしにそこまでの拘りはない。

 インスタントなノリでドリップコーヒーを作ってしまい、二つ並べておいたマグカップに注いだ。わたしの分はミルクと、お砂糖もたっぷり。くまさんらしく甘党だったら面白いのに、と思いながら、ほんの少しだけ、お砂糖をイーサンさんの黒いコーヒーに入れた。お砂糖は脳みその燃料になる筈だ、確か。カフェインと糖分で頭をスッキリさせてほしい。


「はい、コーヒー」

「おお、ありがとうな」


 イーサンさんはコーヒーを受けとると、のそのそと階段を上っていった。やっぱりくまさんだ。クマミミのカチューシャとかどこかに売っていないだろうか。それともそういうアイテムって、獣人たちが不快に感じるのだろうか?


「さて、続きをやらないと」


 わたしはまた、帳簿やら伝票やらと向き合うことにする。


 やがてカップに残り少ないコーヒーが冷めきったころ、リィンとまた一階の鈴が鳴った。そろそろ誰かが出勤してきたのだろう。この時間だとマリーさんなんかはとっくに来ていて、休憩室でだらだらとしていることも多いけれど、今日はまだ誰も来ていなかった。


 わたしはまた裏口に向かう。来たのは給仕をする女性のうちの一人で、今日は客室の掃除当番らしかった。彼女は事務所で書類にサインをしてから、また一階に向かう。四階に上がるには、一階の外にしか階段がないのだから。


 客室掃除は希望者による当番制で、かなり良いお手当てがつく。そりゃそうだろうな、と思わなくもない。わたしはやらないようにと、どこかのエルレウムさんから言われてしまっているので、イーサンさんから参加の許可が下りない。


 その頃にはすっかり着替えを済ませ、キリッとした顔つきのイーサンさんがやってくる。先ほどののそのそした彼とはまるで別人のように、きびきびと動いている。イーサンさんは少しだけわたしの仕事を手伝ってから、厨房に降りていく。彼はこれから、残り物を活用した朝食兼昼食を従業員用に作ってくれる。


 次に出勤してくるのは、厨房の下ごしらえ組だ。料理人たちと、給仕係からやはりこれも希望者を募っている。

 その次が、ホールの準備担当。

 ホールと厨房は夜のうちに掃除を済ませてある。なので、椅子をテーブルに降ろしたり、目立つ汚れを拭いたりとか、作業としてはその程度だ。

 この辺りはわたしも参加を認めてもらっているので、たまに参加する。


 出勤した全員が書類にサインをするのは、給料の計算のためだ。この計算が早く終わるようであれば、わたしは開店から配膳及び記録の係としてカウンターにつくし、終わらなければイーサンさんか、他の誰かがそれをする。カウンター係は人気がない。給料を上げるように言ってみようか。


 イーサンさんからは、こちらの事務仕事に専念しないかと言われている。

 どうせ、それもエルレウムさんの希望なのだろう。あの爽やかな笑顔の男の言いなりになるのかと思うと、どうしても素直に頷きたくない。


 計算がなかなか終わらなかったので、今日は開店時間までに階下へ降りられなかった。仕方ないと割りきって、やるべき範囲の仕事をこなしてしまう。

 終わったのはかなり中途半端な時間だった。


 途中でカウンター係を交代してもいいのだけれど、どうしよう。


 お客さんたちの賑わう声が階下から聞こえてきている。なんだかいつもより楽しそうだ。商売繁盛なのは何よりだ。


『大鷲亭』では料理人や給仕が身につけるエプロンや、宿泊エリアのリネン類を毎日、洗濯屋に出している。布団も週に一回洗いに出す。かなり、衛生には気を使っていると思う。


 洗いたてのエプロンと、布を棚から取って、わたしは身につける。

 頭に布を巻くのも、わたしはこう………普通に三角巾を巻くやり方だけれど、凝る人は折り目だとか、ヘアピンのような飾りに手をかけている。指名のためにみんな、必死だ。


 トン、トン、と階段を降りる途中、普段よりも階下はやかましいと感じた。怒声、笑い声、食器が鳴る音。どうやら今日は、お客様がたが大騒ぎをしているらしい。厨房を覗くと普段よりも忙しそうに見えた。そこで調理見習いのブラムくんと目が合う。彼の顔がパッと輝いた。


「ソフィーさん!良いところに!」

「なに?どうしたの?」


 わたしはそちらに向かって調理場をすり抜けていく。普段はそこまで狭いと感じない調理場だけれど、今日はなんだか荒れていて、まるで戦場のようになっている。なぜか調理場にいたジネブラと、ブラムくんをわたしは交互に見た。


「料理が足りなくなったみたいなの」


 言いながら、ジネヴラはキャベツに似た野菜をつん、と指で押した。キャベツはどっしりとしたものだったけれど、ジャガイモに似た野菜といくつかの根菜が雪崩を起こした。


「それで、急いでこの辺の下拵えをしないといけないんス」


 慌ててブラムくんはそれを拾い、また積み上げていく。肉、野菜、卵、魚。厨房の隅っこにたくさんの食材が積まれていた。


「手伝うのはいいけど………ちょっと待ってて」


 わたしは厨房を抜け、カウンターに向かう。厨房では他の料理人に混じって、イーサンさんがいた。めちゃくちゃ怖い顔で鍋を振っている。違った、いつも通りの表情だった。

 なら、誰が代わりにカウンターにいるんだろう。


「モリーさん、お疲れ様」

「あら、ソフィーちゃん。お疲れ様。ここに入ってくれるの?」


 きっとモリーさんもホールに出たいのだろう。マリーさんほどの色気はなくても、なんというか、モリーさんはモリーさんで包容力というか、お母さん的な人気があるのだ。

 でも、交代する訳にはいかない。


「うーん、そうしたいんだけど………」


 言いながら、わたしは今日の分の伝票をざっと見る。いつも通り、揚げ肉が人気らしい。


 揚げ肉は唐揚げが似ているだろうか。ただし、お肉はどことなく牛っぽい。鶏肉の唐揚げをわたしは食べたい。

 次が揚げ芋。煮込みハンバーグなんかは今日も不人気そうだ。つくねみたいに串に刺したら食べやすいだろうか? 食べやすさだけが問題なのかどうかまでは、わたしは知らない。この時間の人気商品に偏りが出がちなのは、値段設定の都合が大きい気がしている。『大鷲亭』の煮込みハンバーグ、とても美味しいのに。


「ジネブラをここに回すから、モリーさんは厨房を手伝って貰えます?」


 モリーさんの眉が下がった。すかさずわたしは言葉を重ねる。


「半シルブ」

「半シルブ………」


 たぶん、半シルブなんて、普段のモリーさんの稼ぎよりもあるだろう。マリーさんならともかく、二十から三十キブがみんなの手取りのせいぜいだ。言われたモリーさんは驚いたように目を見開いている。


「特別混んでるみたいだし、今夜だけの特別です。それに、厨房にはイーサンさんがいるから、手抜きはできないと思ってくださいね」

「わかったわ。任せて頂戴」


 ホールは満席、カホトと思われる客が多い。怒声と思ったけれど、ケンカなどでは無いらしい。ホールの雰囲気はなんだか楽しそうである。肩を組んで歌う者、浴びるように酒をあおる者、大量に積み上げられた肉に食らいつく者、女の子を膝に乗せてにやついている者、ほくほく笑顔でキブを受けとる女の子と、とにかくやかましくというか、みんな楽しそうに飲んで食べて売り上げに貢献してくれている。


「やぁ、ソフィーちゃん。今日はいないのかと思ったよ。酒を貰えるかな」

「今日はわたし、裏方なんですよ」

「そうか、残念だなぁ」


 名前までは知らないけれど、わたしに『俺もカホトだからわかる。カホトには気を付けろ』と教えてくれた常連さんがキブを一枚差し出してくる。常連さんの、わざわざのご指名だ。にっこりと笑って、わたしはジョッキに入れたお酒を差し出した。


「わたし、これからお料理の下ごしらえを手伝うんです。頑張って来ますから、わたしが作ったお料理、たくさん食べていってくださいね」

「うん、もちろんだ」


 普段はほとんどお客様の寄り付かないカウンターに、二人くらいのお客様が並びだしたので、常連さんに手を振って、わたしは厨房に戻る。イーサンさんはゴロゴロとした大きな肉団子を茹でていた。


「イーサンさん、今日、煮込みハンバーグと豚の柔らか煮の値段下げていいですか? あと、調理場とカウンターに特別手当てみたいなものをつけさせて貰います」

「全部任せる!」

「任されました」


 煮物系や煮込み系のお料理は、早めの時間帯での人気商品だ。けれど、夜になってくると途端に売れ行きが悪くなる。理由は知らない。わたしなら、ビールか、ワイン片手に煮込み料理とか最高だと思うのだけれど、今の時間帯の主な客層である男性陣にはなぜか不人気だ。出来上がりの料理が置いてある場所を確認すれば、そこそこの量が残っている。十中八九、単価の問題だとは思うけれど。


 厨房の片隅では、ブラムくんがわたわたしながら、ジネブラに刃物の持ち方から説明していた。既に床には皮だか実だかわからないものが出来上がっている。ジネヴラ、なんてお約束ネタを。予想はついていたけれど。


「ブラムくん、ジネブラにお料理させようとするのは無謀だよ。ね、ジネブラ、ホールのみんなに今夜はお料理の値段を変えるって伝えてくれないかな?」


 言いながら、わたしは値段を書いたメモをジネブラに渡す。


「みんなに値段の変更を伝え終わったら、モリーさんの変わりにカウンターに入って。モリーさんにはこっちを手伝って貰いたいの」


 ジネブラはナイフを置いて、わたしの渡したメモを見た。あからさまにブラムくんがほっとしている。


「それはいいけど、モリーさん、嫌がるんじゃない?」

「半シルブつけるって言ったら、喜んでたから大丈夫だよ。きっと一生懸命やってくれるって」

「わたしにも半シルブ、つく?」


 わたしは期待を込めて目が輝きだしたジネブラににっこりと笑ってみせた。


「ジネブラの働き次第では、半シルブだけじゃなくて、わたしからもいくらかのキブをつける」

「まかせて」


 料理を値下げしたけれど、お客さんが払う金額に変わりはない。給仕のみんなの懐に入る金額が増えるだけだ。

 でも、利益が出る分、給仕のみんなは一生懸命、この時間帯の不人気料理を売り込んでくれるとわたしは期待している。特に、マリーさんを始めとしたスカートの短い子たちはこういうことが上手い。うまくやってくれることだろう。


 モリーさんとわたし、ブラムくんの三人で大量の食材を切ったり洗ったりして、その日は過ぎていった。













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