第7話 わたしの名前はソフィー。よろしくね1

 名前を明かすのを渋ったせいで、わたしには新たな名前が与えられることになった。考えたのはエルレウムさんとジネブラさんで、何をどうやったものか、正式な書類とやらがエルレウムさんの手によりどこかの役所らしき場所に提出され、今やわたしはこの街の立派な市民である。


「ソフィー、肉団子を四人前と、揚げ芋を六人前、鳥焼きを三人前に、酒二杯をよろしく」


 お仕事中は腰巻きエプロンと、頭にはバンダナみたいな布がユニフォームだ。


 わたしはありがたく『大鷲亭』で働かせてもらうことにした。主な持ち場はカウンター。カウンター係の仕事内容は、ホールを歩き回る給仕の女の子たちから注文を受け、厨房でできた料理を提供することだ。


 この店では、というか高級なレストランを別とした、ほとんどの夜間営業の飲食店では、客は給仕係とのみ、金銭や料理のやり取りをする。レジがあって、そこに客が来るような形式ではない。

 給仕係は店主と商品である料理や酒のやり取りをする。どちらも退店時に支払う方式ではなく、先払い式みたいなやり方だ。


 わたしは手元の伝票にマリーの名前、メニューと注文数を記入した。手早く、そしてなるべく綺麗に、冷めないような仕掛けのしてある容器の中から、頼まれた料理を皿に盛り付ける。ゴロゴロとした大粒の、熱い肉汁を内包した肉団子は照りがあり、艶々としていた。熱々の揚げ芋にバターを添えると、すぐに溶け始める。そこにスパイスと塩を軽く振りかけた。じゅうじゅうと今にも音をあげそうな、香ばしい串焼きを取り、三本添える。

 今度はジョッキにお酒を注ぐ。ほとんどビールと同じお酒はここでは『酒』とだけ呼ばれている。他にワインやウォッカ、ウイスキーも存在するのだけれど、ここで『酒』と呼ばれたら、細かく泡立つこの酒のことを指す。ちなみに冷えてはいるものの、日本人としては少しぬるく感じる温度だ。


「マリー、二十キブディンね」


 全ての用意を済ませたわたしは、計算した金額をマリーに告げる。そう、単純にいうと、店から買い取った商品を、給仕は客に売り付けるシステムで飲食店は回っているのだ。店から給仕に商品を売る金額と、給仕が客に商品を売る金額には差額が出るように設定されていて、その差額はそのまま給仕の給料になる。


「ディン一枚、中途半端だから、まけてくれない?」


 マリーはとても人好きのする笑顔で言ってくるからそうしてあげたいけれど、ウインクもとっても魅力的なのだけれど、あとでそのディンの負担をするのはマリーでも、店長であるイーサンさんでもなく、カウンター係であるわたしだ。塵も積もれば山となる。ただ、少しでも利益をあげたいマリーの気持ちも理解できるので、不快だなんて思わない。わたしは笑顔で首を横に振った。


「ダメだよ、そんなことしたら、わたしの利益がゼロになっちゃう。マリーはこの注文だけで八キブディンも利益を出せてるはずなんだから、ちゃんと払ってね」


 パチパチと、マリーはつけまつ毛で彩られた目をまたたき、とても驚いたような顔をした。


「すごいのね、ソフィー………計算が早い………わかったわ、はい」


 そう言って、マリーはエプロンのポケットに手を入れ、そこからわたしに二十一キブ分のお金を差し出してきた。わたしはお釣りのディンを一枚、渡そうとしたけれど、それは受け取ってもらえなかった。


「わたしはチップとして余計に二キブ貰っているの。だから、そのディンはソフィーへのチップにするわ」

「………ありがとう」


 マリーはサッと料理の皿を片手で器用に持ち、もう片方の手でお酒のジョッキを二つ持つ。

 勢いよく振り返ったので、この辺りの人々より余程短い、膝が見えそうな丈のスカートのすそがふわっと広がった。膝上がチラリとだけ見えた。マリーなりの『サービス』らしい。


 店内の客に女性がいないわけじゃないけど、圧倒的に男性が多い。彼らの視線は一瞬だけ見えた、マリーのまぶしい太ももに釘付けとなっていた。こうしてマリーへ注文する客は増え、彼女は利益をあげていく。


「なんだかなぁ………」


 これだから男ってやつは。

 でも、それでも、まぁまぁここの客は紳士的なのだそうだ。

 聞いた話だけれど、ここ『大鷲亭』は、とても従業員にとって、理想的なお店らしい。

 他の店と比べればきちんと交渉が行われるのが当たり前だ(そもそも『交渉』っていったいなんなんだとわたしは言いたい)し、客が女の子に下ネタを振ったり、接触型のセクハラが発生したりすることだってほとんどない。わたしもカウンターの仕事をしているとき、客同士で注意しあっているのを何回か見かけていた。


 『大鷲亭』の給仕の中で人気があるのは当然、交渉次第によっては別室での『お相手』もできる女の子たちだ。そういう子は目印として、マリーみたいに丈の短いスカートを穿いている。

 ジネヴラのように『お相手』をする気のない子は長いスカートを穿いているので、一目瞭然だったりする。


 世間一般的な飲み屋の給仕には、スカートが短い女の子しかいないらしい。けれど『大鷲亭』では違う。なんなら男の子や、近所のおばさんが小遣い稼ぎに手伝ってくれたりしているくらいだ。おかげでこの『大鷲亭』は現代日本育ちのわたしにとって、ほとんど普通の飲食店のノリで働ける店だった。


 ただし、客とのやり取りのほぼない場所にわたしはいる。まぁ、キブを持った客がこのカウンターまでくれば、わたしだってアルコールを提供するし、最低限の会話をしない訳じゃないけれど。


 ほとんどのお客さんにはお気に入りの給仕係がいるので、そちらに頼む。席を立たなくても、近くにいる給仕に言えば運んで来てもらえるのだから、わざわざわたしのところに来る客なんていない。


 営業時間中、ホールに出ることを禁じられているわたしの収入は、給仕と一回のやり取りにつき、一ディンとかなり低い。

 それで最近は、事務所で帳簿の手伝いをすることでも収入を得ている(という設定で生活している)。


 この『大鷲亭』、飲み屋の割に閉まるのは案外早い。

 だいたい、おやつが食べたいかな?くらいの時間に開店して、お子ちゃまはおやすみなさい、まだまだ大人には宵の口、これからが本番!さあ街に繰り出そう!……と、大酒飲みたちが盛り上がる時間には閉店してしまう。


 飲み足りない客はもっと遅い時間まで開いている店に向かえばいい。食べ足りないのなら、広場に行けば屋台がかなり遅い時間までやっている。

 ホールに客がいなくなると、ちょっと数の減った給仕係と調理係がみんなで片付けをする。残ってしまった料理は従業員たちが格安で買えることになっている。この店で働く楽しみのうちのひとつだ。


 ………その頃を見計らったように、やってくる男がいる。


「今日もお疲れさま、ジネブラ、ソフィー。帰ろうか」


『閉店』の札は出していても、まだ施錠されていなかった正面入口が開き、背の高い男性が入ってきた。調理場担当や給仕担当の男性たちが、にやりと笑ってわたしを見た。スカートの短い女の子たちは見事に誰も残っていない。おばさまだったり、スカートの長い女の子たちはきゃっと短く、華やいだ声をあげた。


「エルレウム様、こんばんは」


 大歓迎だとばかりに、ジネブラがエルレウムさんに走り寄っていった。彼も仕事帰りらしく私服姿である。制服のときは軍服とスーツを足して割ったような服装だけれど、プライベートではどことなく、上品な金持ち風に見える。上流階級臭がぷんぷん漂ってくる。しかし今日も爽やかだ。彼には爽やかであり続けるという呪いでもかかっているのだろうか。


「エルレウム様もお仕事、お疲れ様でした。何か飲み物でもどうですか?」


 エルレウムさんとジネヴラは揃って店内を真っ直ぐ進み、カウンターの中で伝票の整理をしていたわたしの目の前まで来る。ジネヴラがカウンターの内側に手を伸ばし、コップを手に取った。本当にジネヴラがアルコールを注いだら、伝票に記載してやろうとわたしはペンを構えておく。もちろん代金はジネヴラからの徴収ではなく、請求先はエルレウムさんにするつもりだ。


「酔って君たちを守れなかったら困る。やめておくよ。さあ、ソフィーもこちらにおいで」


 だいたいいつも通りのやりとりなのだけれど、エルレウムさんはジネヴラの申し出を断った。カウンター脇の板をパタンと開いて、わたしをホールへと誘ってくる。まぁなんて爽やかなんでしょう。

 わたしは伝票とペンを所定のところに戻し、カウンターから二人のいるホールに向かうことにした。


 わたしが接客をさせてもらえないのは、だいたいこいつのせいだ。


 彼は、ほぼ毎日来る。

 最初はキャーキャーワイワイ言っていたみんなも、なんだか今ではもう当然のような顔をして受け入れているくらいに毎日来る。それでもやっぱり女性陣はどうしたってちょっと歓声を上げて浮わつくし、男性陣はニヤニヤするのだけれど、今日のこれは初期に比べてかなり落ち着いたほうだ。


 彼が来られないときは部下を寄越すくらいに、なんだか毎日エルレウムさんはわたしを護衛しに来る。彼はわたしが貴族かなにかと勘違いしているのではなかろうか。ジネヴラが休みでわたしが出勤の時は確実に来て、逆の時は送迎がないのだから、分かりやすさにも眉を潜めたくなる。


 それでも、エルレウムさんが大好きなジネブラは大喜びだ。ほとんど毎日憧れのエルレウム様に会えるのだ、おかげでにこにこ機嫌がいい。


 ちなみに、そんなジネヴラには、婚約者がいたりする。隣街の、親戚筋に紹介された男性だそうだ。

 エルレウムさんの送迎が明らかにわたし目的だったり、ジネヴラ自身に婚約者がいるっていうのに、他の男にキャーキャー言ったり、そんなんで良いのかと、ジネヴラには聞いてみたことがある。それとこれとは別なの、と真顔で言われた。きっと、アイドルのような感覚なのだろう、とジネヴラについてわたしは納得することにしている。


「だって、エルレウム様はお貴族様でしょう?わたしたちみたいな平民は愛人になれたら、それだけで身に余る光栄ってものよ。………わたしがエルレウム様の愛人になれるんだったら、すぐにでも婚約破棄してやるつもりだけどね」


 ジネヴラはそう笑っていた。結構本気じゃないか、と思わないでもない。そんなんでいいのか。アイドルだからいいのか………?


 わたしなら愛人扱いなんて、絶対お断りである。特にエルレウムさんは全くわたしの好みじゃないので。かすりもしないので。イケメンは寄ってこなくていいです。切実に。見た目ではなくまずは中身でわたしに勝負して来いとしか思えない。爽やかさで勝負を仕掛けられたら、全力で逃げるつもりではいるけれど。


「エルレウム、これ持ってけ」

「ありがとう」


『大鷲亭』の店主、イーサンさんがやってきて、エルレウムさんに残り物だと言って、つまみにちょうど良さそうな料理を包んで渡した。これもけっこう毎回のことだ。防犯上、街の警備に関係する人間が来ることは助かるからだろう、とわたしは考えている。


 カレンダーが手元にないからよくわからないけれど、たぶん、もう、この街に来て二ヶ月は経ったと、思う。こちらの人は『来月』『今月』『先月』のような言い回しを使わない。全て『◯日後』と表現する。

 それがこの街だけなのか、この国の常識なのかはちょっと、まだわからないでいる。ジネヴラの家にも、『大鷲亭』にも時計がないし。本当みんな、どうやって時間を割り出して生活しているんだろう?

わたし自身、なんとなく生活できてしまっていることが不思議でならない。


 何はともあれ、わたしは今、職も身分も家も知人も得て、無事に暮らせている。これはもう、エルレウムさんがわたしのサポート要員、お助けマンだったということで間違いないだろう。


「じゃあ、帰ろうか」


 そっと腰に手を回され、わたしたちは店を出る。道幅がそれなりに広くなったところでわたしはジネブラを真ん中にするようにして、エルレウムさんから距離を取った。


 なんでエルレウムさんはわたしを迎えに毎日来るんだろう。重い。うざい。関わらないでいただきたい。絶対わたし、自分が貴族の家系だなんて偽装はこれからもしない。そもそも貴族じゃないからその必要なんてないけど、《袋》を活用すれば身分の偽装も簡単にできてしまえそうな気がしている。

 今はここでお仕事があるから、身分の偽装なんてする必要がなくてよかった。由緒正しい平民なのだ、わたしは。永遠に平民でいようと今日も強く夜空に誓った。まかり間違って、エルレウムさんにふさわしい身分になんてなったら、どういう扱いをされるかわかったものじゃない。歩きながら、さっき触られた服を軽く払った。


 

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