第6話 恋する乙女と爽やか男子

 男性に連れて行かれたのは、大通りの一本奥にある、分類としては飲食店だと思われる場所だった。


 入り口は両開きの扉。下半分が木製、上半分は透明ガラスから磨りガラスへのグラデーションになっていて、店内は見えない。灯りがついてないところがわたしの不安をかきたてた。

 店の両隣、正面、斜向かい共に夜間営業の飲食店らしく、どこも開いていない。通りに人の姿がそれなりにあり、道路はそこそこ綺麗で治安の悪さを感じさせないところだけは救いだろうか。いざとなれば大声を上げれば良心的な誰かの目には止まるだろう。


「イーサン!おい、イーサン!」


 男性が、だんだんと拳で入り口を叩く。若い女性が通りすがりにこちらを見ていた。その顔に嫌悪や恐怖などはなく、単に何が起きたのだろうという好奇心だけを感じた。


 やがて鍵を開けるような音がして、扉が開けられる。顔を覗かせたのは大きな身体の、ちょっと険しい顔つきの男性だった。


「ちょっと場所を借りたいんだ、いいかな?」

「あー?まだ開店前だぞ?」

「少しだけだよ、いいだろ」

「はぁ、好きにしろ」


 二人は親しいのか、そんなやりとりをしている。爽やかイケメンオーラをまとった爽やかさんはわたしを店内に案内してくれた。


 たぶん、ここは飲みを主体とした定食屋のようなお店なのだろう。天井は高くて、どことなくログハウス風。太い梁が印象的だ。飾ってある絵、貼ってあるポスターに、料理名の書かれた紙。吊るされたランプだか何かの、とても味のある照明。

 やはり、飲み屋的な空気をひしひしと感じる。中ジョッキにウインナーとか、おつまみには肉系がこの風景によく似合う。


 ただ、店の奥の男が言うように、開店前なのは明らかだ。

 テーブルの上に乗っていた椅子を爽やかに下ろし、男性はわたしに座るよう爽やかな語調で促してきた。


「すぐに軽食と、飲み物が来るからね」


 うさんくさ……っ!


 やっぱり、着いてくるんじゃなかった。今のうちに逃げ道……というか出入口を確認する。施錠はされていなかった。

 見知らぬ人間に連れ込まれた場所で、提供されたものを飲み食いするのは危険なやつじゃなかろうか。わたしにとってはあくまでネットの知識だけれど、こんな明るい昼間から睡眠薬とかであれこれなんて犯罪的なことはまさかと思っていたい。お願い、起きないで。


「おはようございまーす」


 そこに、若い女の子らしい声がした。


 女の子!!


 それだけでつい、ほっとしてしまう。自分の容姿的なことを計算に加えると、結局大丈夫なんじゃないだろうか、とは思ってしまうのだけれど、『そういう』輩って、老若男女問わないっていうから……。

 でも、女の子がいてくれるなら、どんな最悪時でもワンクッションは置かれるだろう。ていうかそうであってください。


「あら、 エルレウム様!……その子は?」


 癖の強い赤毛の、ちょっとつり目でなかなかの美人なその子は、満面の笑顔でいそいそとこちらにやって来た。


 そして、このミスター爽やかさんはエルレウム、という名前らしい。いかにもそんな感じだ。とってもエルレウムって感じがする。


「やぁ、ジネヴラ。彼女、不審な男に絡まれていてね。なんだか困っていたようだから、とりあえず保護したんだ」


 ジネヴラさんがチラリ、と横目でわたしを見た。なんだか何かのチェックをされたような気分になった。


「おい、ちょうど良かった。ジネヴラ、これ、運んでくれ」


 店の奥から声がしたのは先ほどの男性だろう。恐らく、彼はイーサンという名前だ。


「はぁい」


 ジネヴラさんは愛想よく、そして可愛らしい声で返事をしながら、店の奥に向かう。

 でも、ちょっとだけ、ジネヴラさんからは睨み付けられたような気がした。


 ジネヴラさんが運んできたのは飲み物だ。コトリ、とエルレウムさんの前に陶器のコップが置かれ、ガッと同じようにわたしの前にもコップが置かれる。わかりやすい。とてもわかりやすい。


 わたしはどうも、初対面にして既に、ジネヴラさんから嫌われているようだ。


 原因はこの人だろうな、と目の前にいるミスター爽やかこと、爽やかオーラをまとったエルレウムさんに、わたしは先ほどからずっと愛想笑いを向けている。あちらさんはずっと爽やかスマイルだ。


「さっきは大変だったね」

「いえ………」


 大変というか、大変なのは今のほうではなかろうか。

 エルレウムさんからはなんとなく、王子オーラが漂ってくる。とても爽やかだ。笑顔がとてもとても爽やかなのだ。お顔も整ってらっしゃることだし、さぞかしおモテになることだろう。これでモテないとか言い出したら、世界中の男性が憤死すると思うくらいの爽やかイケメンだ。わたしもとりあえず殴ってみてもいいだろうか。


 ………さて、出されたこの飲み物、飲んでも大丈夫なのだろうか。こんなイケメンが、こんな平々凡々な容姿の、しかも若くもない女を、わざわざ飲食店に連れてこようなんて、怪しすぎじゃなかろうか。

 かわいらしくて簡単になびきそうな女の子ならすぐそこで椅子をテーブルから下ろす作業をしているというのに、エルレウムさんはわたしを一体どうしようというのだろう。


「少しは落ち着いたかな。それで君、名前はなんて言うんだい?」


 名前の聞き出し方も爽やかかつ自然だ。同じ台詞を口にしても、わたしではここまで爽やかかつ自然には到底言えそうにない。胡散臭く不審な言葉となったことだろう。さすが王子オーラ。爽やか国のプリンスの爽やかさは我々庶民などとは格が違う。


「わたしの名前は」


 その時ふと、おかしなことを思ってしまった。名前って、素直に名乗ってもいいのだろうか……?


 もはや、何もかもが疑わしい。地動説から疑ってかかってもいいような気がしている。わたしは今、とても世界の全てに対してびくびくしている。


 例えばだ。

 彼と彼女が使っていたのが、本名ではない可能性。

 ここではニックネームを名乗るのが普通で、本名は隠しておかなければいけないなんてルールが、世界によっては普通にあってもおかしくはないだろう。

『あいつ』はここが異世界だと言っていた。景色や歩く人々は確かに地球とは違う様相だった。こちらと日本とではありとあらゆる常識が違うかもしれない。

 実際、昔の日本は本名を明かすのはプロポーズのようなものだったとかなんとかを、漫画で見たことがあるような気がする。あれ?小説だったっけ?それともアニメ?


「まさか、あなたったら自分の名前も言えないの?」


 黙り込むわたしに向かってちょっと険のある言い方をしたのは、わたしたちが借りているテーブルの、隣のテーブルの上から椅子を下ろしていたジネヴラさんだ。わたしたちの会話を聞いていたらしい。そりゃ、これだけ近ければ聞くだろう。


「えっと……」


 なんて答えたもんかなぁ……。


「まさか」


 いきなり、はっとエルレウムさんが息をのむのがわかった。


「記憶喪失……?」


 あ!? いいね、いいねそれ!そういうことにしちゃいたい、ぜひそういうことにしちゃおう!


「記憶喪失?」


 ジネブラさんが首を傾げる。うん、なかなかの美少女っぷりだ。そして何かの通販番組みたいだ。


 エルレウムさんはわたしに向かい、真面目な顔をずいっと寄せてきた。


 やめてーまぶしいからやめてー。きゃーめちゃくちゃイケメンだわー。っていうかマジでやめてほしい。顔を近づけないでいただきたい。

 わたしは今、『あいつ』のせいでイケメンというものに不信感しか持てないでいるのだ。

 エルレウムさん、さぞかしあなたはご自分に自信がおありなのね、と内心で毒を吐く。女性から好意を拒絶されたことなんて、きっとないに違いない。


「君の、名前は?」


 再度の確認がきた。ここぞとばかりにわたしは首を傾げておいた。エルレウムさんが眉を潜め、ジネヴラさんは手を止めてこちらを見ている。


「家は、何区?」


 どこだったかな、と反対側に首を傾げておく。わたしが住んでいたのは政令指定都市でなかったので、何区だなんて存在しない。それにわたしが住んでいた町名をここで言っても、絶対通じないだろう。


「ご両親……か連れは?」


 最初のほうに首を傾げ直しておく。


 でも……そっかぁ……元の世界の両親にとって、わたしは最初っから存在しないことになっちゃってたんだった……嫌なこと思いだしちゃった。きっついなぁ……。


「ご両親の記憶はあるようだね」

「え?」


 心臓が嫌な軋みをあげた気がする。

 なにそれこっわ!! めっちゃこっわ!! なんでわかったの!?

 両親のことを考えた途端、すかさずエルレウムさんから言われたことにわたしはドン引きだ。なに?心を読んだ?それともわたしの表情ってそんなにわかりやすい?


「名前を失い、出身地は明かせず、ご両親を慕ってはいるけれど、何かの事情でもう二度と会うことはかなわない……といったところかな」

「なんでわかったの……」


 賢いとそこまでわかるもの? それともわたし、そんなにわかりやすい?


「君、犯罪歴は?」

「ないです」


 そんなこと、疑われてはかなわない。速度違反どころか、駐禁だって切られたことないし、税金関係や支払い関係の滞納だってしたことがない。わたしは良心的優良市民なのです。


 ふうむ、とエルレウムさんは腕を組んで、何か考えだした。


「住民登録、衣食住の手配、仕事の斡旋……住民登録のほうは、上にかけあってみよう」

「お………?」


 彼こそやっぱり神の手配せしお助けマンだった?

 住民登録してくれるとか、ありがたいね?

 

 どうやら、住民票的なものがここにはあるらしい。現代地球上でも住民票がない国やら、住民票はあれども戸籍がない国があるとかなんとか。もしかして、ここはゲーム的ヨーロッパ風世界なんかよりも遥かに進んだ世界なのかもしれない。いや、租庸調の時代の日本にだって戸籍らしきものはあった。であればわたしが知らないだけで、戸籍や住民票に近いものはあったのかもしれない。知らないけど。


「住むところは……そうだ、我が屋敷に」

「数日ならあたしの家とかどうでしょう!?女同士のほうがその子も安心だと思うんですっ!ちょうど兄さんの部屋が空いたままだし!!」


 ジネブラさんがエルレウムさんの言葉を遮り、会話どころか物理的にも割り込んでくる。彼女はだんっとテーブルに強く手をついた。ぐりん、とわたしの顔の方を向いてくる。目力、めぢからがすごい。圧がものすごくてのけぞりそうになる。


「ねえ、エルレウム様のお宅よりも、女の子の家のほうがいいわよね? わたしたち、仲良くできると思うの!」


 これ、同意しないと刺されるやつなんじゃ……。

 わたしは頷いた。怖かった。めっちゃ怖かった。でも正直、エルレウムさん(男)の家よりもジネヴラさん(女)の家のほうが安心できそうな気がする。刺されなければだけど。


「おい、エルレウム。仕事の斡旋も必要なら、うちで働かせてもいいぞ」


 強面の男性がいつの間にか近くに来ていた。手には料理の乗ったトレイがあって、彼はわたしとエルレウムさんの前に並べてくれる。料理のお皿は三つあった。それを見て、ジネブラさんも席に着く。


 がっしりとした体格の………いや、おじさん呼ばわりはやめておこう。その男性は、テーブルの横に立って腕組みをしている。お皿に乗っているのは拳大のパンが二つに漬物?ピクルス?っぽいもの、ウインナーが二本。量はそこそこあるけれど、内容としては軽食の部類だろう。

 並べられたテーブルの上にカトラリーはないので、手づかみスタイルで豪快に行く感じでいいだろう。


「イーサン、いいのか?」

「ああ。見た目には問題ないだろ。ジネブラみたいに給仕だけの子もうちにはいるからな、安心だろ」


 こうして、わたしは収入の当てと当座の住むところを確保できたのだった。

 体格のよいおじさんは店長というか、『マスター』だった。


 ……そうか、このミスター爽やかがお助けマンこと、わたしを助けてくれる導き手になるのかそうか。


 ちっとも好みじゃないんだけどっっっ!!


 脳内で激しく文句を『あいつ』に投げつけながら、わたしは陶器製のコップに口をつける。何やらアルコールを感じるけれど、薄めたリンゴジュースっぽい味がする。

 ………あ、飲んじゃった。


 ジネブラさんはどこかから取り出したナイフでパンを切り、漬物……?ピクルス?葉っぱとも、キュウリやセロリとも違うものをパンに挟みだした。それからウインナーも。エルレウムさんも同じようにしている。どうやらそれがお作法らしい。それならはじめから切れ目を入れておいてくれよってわたしは思った。


「もしかして、ナイフも持ってないのかな」


 言いながら、流れるような手つきでエルレウムさんはわたしの分もパンを切り、サンドイッチを作ってくれる。それを見ているジネブラさんの目力がすごい。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 差し出されたサンドイッチをわたしは受け取ろうとした。それがす、と引かれてしまう。なんだ、くれないのか。けちんぼか。


「どうぞ」


 え?なぜ、やりなお……理解したぞ!?

 これは、『あーん』をしろってことですか!?え、エルレウムさん、ミスター爽やかのくせにそんなことしてみたいお年頃なんですか!?じっジネブラさんっ!!うわ何!?目から何か出すの!?光線とか出すの!?わたし焼かれるの??なにこの状態!?カオスなの!?混沌なの!?助けてこの状況!!

 ……え、やだ、エルレウムさんからも何かの圧を感じる……だと……!?


 もうやだ。軽食いらない。まだお腹空いてないもん。魔法の袋から、きっと食べ物出せるもん。


 わたしは諦めた。ぐいぐい差し出されるサンドイッチをスルーすることにした。


「住民票がないと、処罰対象になるよ?」


 鬼だ……鬼がここにいる……。


 後日知ったことだけれど、パンに切れ目がなかったのはイーサンさんのうっかりでしかなかった。あんまり愉快な光景に「切れ目入れてくる」と言い出せず、ずっと笑いを堪えていたそうだ。

 わたしとジネヴラがイーサンさんにどんな仕返しをしたのかは内緒と言っておく。












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