壁に囲まれた街

第5話 第一村人ならぬ第一現地民

 この街がかなり広いということだけは理解した。


 わたしが出現したらしい場所からかなり歩いている。


 どうやら、街のぐるりを高い壁が囲っているようだ。壁の高さは十階建てマンションくらいあるんじゃないだろうか。さすがにマンション二十階の高さは無いだろう。あの高さで五階建て………も無いと思う。たぶん。


 ゲームだの漫画だので、高い壁で街を囲むとかいう設定はよく出てくる。皆さん壁が随分お好きなのねと思っていた。本当に目の前にそういう環境があると、気になってしかたない。


 どうやって建てたのだろう。クレーンというか、建設用重機がここにはあるのだろうか。なんのために建てたのだろう。建材はどこから運んで来たのだろう。ヘルメットやハーネスのようなものがなさそうな世界で、事故はなかったのだろうか。街の中の住人が溢れたときは、また一回り大きな壁で土地を囲むのだろうか。昔の街はどうなっていたのだろう。補修や改築とかはするのだろうか。


 大きな通りをずんずんとわたしは歩いていく。道は比較的真っ直ぐで、たまに妙なカーブや脇道がある。放射状だか格子状だかはちょっとわからないけれど、計画的に造られた街並みらしさを感じる。たまに訳のわからないところに道があるようだけど。


 前方に馬が繋がれているのが見えた。駐車場か、駐輪場の感覚なのだろうか。あのスペースに馬車は停められそうにないから、馬車のときは他の場所に停めるのだろうか。

 ………と、そんなことを考えていたら、馬がしっぽを持ち上げた。排泄をする瞬間を見てしまった。生きてるんだもの、しかたない。けれど、誰かが早く気付いて掃除しないと、建物の前に排泄物なんて悲惨だ。


 現場までたどり着き、その建物が何なのかをチラリと確認してみる。香水ボトルのような、素敵で美しい瓶が沢山並んでいる店だった。悲惨さが増した。


 ふいに、色のついた石を中心に、石畳がふわっと光りだす。スッと排泄物が消えていった。こうしてこの街は清潔に保たれているらしい。あれが魔法でなければ、ものすごい科学の進んだ世界になってしまう。この世界には魔法があるのだと確信した。


「まさか」


 わたしははっとして立ち止まり、顔を上に向ける。建物は二階建てや三階建てばかりだ。綺麗な石畳、透き通った窓ガラス………まさか、これだけ文化が進んでいる世界で、各住宅に御手洗いが無いだなんて、ないよね? 窓の外にバシャーンすれば綺麗になるっていう発想を持ってしまった人、いないよね?


 わたしはさっきよりもちょっと警戒しつつ、壁を目指して歩いていく。


 あれだけの高さの壁がずっとあるのだから、壁際は日陰になって暮らしにくいんじゃ……と思っていた。しかし、いざ壁まで近づいてみれば、日陰になる部分はだだっ広い空間だったり、撤去の簡単そうな市場だったりと、家らしいものがないようになっている。上手くできている。どうせなら、街中にも延焼防止の空き地とかも作ればいいのに。わたしならこの辺りは地価を下げて何かを建てると思う。


 ただ、こんな高い壁があるってことは、やっぱり外に何かがあるのだろう。戦争だとかの危険があったりなかったりしてしまうのかもしれない。『あいつ』みたいな存在がいて、魔法らしきものもあって、獣人がいるのだから、魔族との争いみたいなものがある可能性も考えたほうがいいだろう。

 少なくとも、魔物みたいなものはいるにちがいない。できるだけ街の外には行かないほうが良さそうだ、と心の中にメモをした。


 わたしの格好はいつの間にやらこちらでも浮かない、無難な格好になっている。とても地味で、動きやすくて、着心地も悪くはない。大きなポケットのあるところが好評価だ。すれ違ったおじさんがにっこり笑いかけてくれたので、わたしも笑顔を返しておく。


 ついに、わたしは壁の真下にたどり着いた。


「お助けマン、どこよ……」


 ここに来るまで、かなりの距離を歩いた。時間だってかなり経っている。さすがに喉が渇いて、疲れた。少し休みたい。

 わたしのサポート要員とやらには、どこでどうやったら巡り会えるのだろう。


 魔法の《袋》からコップ入りの飲み物……は、出せるのだろうか。この辺りは人通りが少ないものの、皆無じゃない。ペットボトルはちょっとまずいだろう。街中を歩いたときにそんなものは見かけなかった。それもそうだろうな、とは思う。


『何でも出る』んだから、ここで持っていても不自然じゃない、何かを取り出して使うべきだろう。


 コップか、水筒か、それとも………。


 わたしは手に持った袋をじっと見てしまう。

『何でも出せる』。


 ……お助けマンもここから出せない?


 いやいや、やっぱり、生物はだめだ。なんとなく倫理的にアウトな気がする。何がダメかわからないけれど、やっちゃダメな気がする。


 お助けマンはいったんあきらめよう。飲み物、できれば軽食も欲しいな、とわたしが袋に片手を入れた時のことだった。


「ねぇ」


 いきなり、真横から声をかけられた。いつの間にこんな近くに人がいたんだろう。それにしても現地民から声をかけられるのはこれが初めてだ。


 さてはついにお助けマンの登場か!? と、わたしは期待した。どきどきしながら真横に現れた男性を伺う。


「今、暇? よかったら、俺とお茶でもどうかな? 奢るよ?」


 これは……なかなかにキラキラしい……。


 そこにいたのは金茶の髪に、灰色がかった青い瞳の、どこかの金持ちお坊ちゃんのような身なりをした、優しげな顔立ちの男性だ。十代後半から、二十代前半くらいに見える。しかし過去の経験を踏まえると、わたしの認識はあまりあてにならない。コンビニではお会計のときに年齢ボタンを押すという都市伝説があったけれど、あれが事実ならわたしは絶対にコンビニ店員にはなれない。

 ついでにここは異世界だ。犬や猫、その他動物たちのように数年で成人する生き物が、人間の形をしていてもわたしは驚かない。


 ………ごめんなさい、そんな人間がいたら驚きます。異世界、ミラクル過ぎる。


「ダメかな?」


 ダメかな? て、そんな、あざとめな感じに言われてもねぇ……。

 この人がわたしの生活をお助けしてくれるマンだというのなら、お茶くらいであればホイホイ着いていってもいい。けれど、この人がお助けマンことわたしのサポート要員、導き手なのか、単なる強盗やその他犯罪紛いの存在なのか、そんなもの、ヒント無しでいきなり判断できるわけがない。


 いや、見分け、つくんだっけ? どうだろう。………ただ、取り立てて際立つ容姿でもなんでもない、それこそナンパなんてされたことないアラフォーのわたしに向かって、こんな誘い方をする若い子ってちょっと、どうだろう。胡散臭いとしか言いようがない。


「……あの」


 わたしはそのとき、ベンチの代わりにと、ちょうどよい高さの、花壇の植え込みの縁に腰かけていた。お尻の位置をずらすことで、距離感のおかしいキラキライケメンから、わたしは少し離れてみる。


「わたし、けっこうな世間知らずでして」

「うん?」


 男性はにこにこと笑っている。害の無さそうな、けれどだからこそ、軽薄な印象も受ける。人は見た目で判断できないのだ。彼は首を傾げている。


「貴方が、わたしに対してイイ人なのか、悪い人なのか、判断がつかなくて困ってます」


 改めて言いたい。若い頃を含めても、こんな風に知らない人に声をかけられたことなんて無かった。

 これが、キャッチセールス的なものだったり、夜のお店のスカウト的なものだったら困る。ものすごく困る。ほとんど知らないような相手と上手く会話をこなす能力なんて、わたしには無い。わたしは接待強めな夜の飲食店の従業員をとても尊敬している。


「その辺はさ、試してみればわかるんじゃないかな?」


 やたらとキラキラした、容姿の整ったその男性は、せっかく開けた距離を無視した。わたしに向かって手を伸ばしてくる。『あいつ』のことがある、イケメンという生き物は信用ならない。

 反射的にわたしはのけぞった。いつでも大声スタンバイオーケーだ。


 だいたい、試すって、何を? 七日以内の返品は可能ですか!?


「そこ、何をしているっ!」

「やべっ」


 タイミングよく、少し離れたところから鋭い声がかけられた。途端にキラキラしい男性は走って逃げていく。複数の男性がそのままキラキラしい男性を追いかけていった。その中にうさ耳のゴツいおじさんが居たことに、なんかこう、微妙な気持ちになった。


 ……てことは、こっちが本命?


 ピンチの場面に正義の味方が現れるなんて、よくありそうな展開じゃないだろうか。今のがピンチかどうかはあやふやだけれど。

 駆け足でわたしの近くにやって来てくれたのは、制服のような服装に、軍帽めいた物を頭に載せた男性だ。


 これまたやたらとお顔の整ってらっしゃることで。なんだろう。『あいつ』からわたしに対する嫌がらせに思えてきた。これだからイケメンというものは。


 後から来たほうのイケメンは、逃げていったキラキライケメン御一行様を見送ってから、わたしに爽やかな笑顔を向けてきた。申し合わせたように爽やかな風が吹き、どこからか花びらが一枚、飛んできた。なんだろう、この爽やか。


「何もされていませんね?」

「……ええ、まぁ、お茶に誘われただけです」

「それは良かった」


 たぶん、服装からみて、衛兵とか、警備員とか、そういう役職の人なのだろう。お巡りさん的なきっちりとした雰囲気がある。


「この通りは治安があまり良くないんです。どこに行く予定だったのかな?送りますよ」


 それにしてもずいぶんな爽やかボイス。爽やかな笑顔。


 さて、わたし、どこに行ったらいいんだろう。


「えーと……」


 とりあえず、どこか、腰を落ち着けたい。

 例えばあまりお高くない、かつ治安が悪くはない場所にあるホテル、とか。いやいやホテルはまずいか。こういう世界では『宿』とかになるのだろうか。

 でもわたし、今夜、どこに泊まろう。………野宿? はしたくない。でも、いきなり宿泊施設を聞くのもどうなんだろう。


「えーと…………」


 わたしは激しく困っている。


「何か、事情がおありのようですね。よろしければ、俺がお伺いしても?」


 これ、もしかしなくても不審者扱いされてる………?


 いや、でも、さっきのキラキラしい男性よりはこのいかにもお巡りさんか、軍人さん的な雰囲気のあるこの人の方が信頼度は高い。ついていくなら俄然断然こちらだろう。

 でも、いくら信頼度が高そうだからって、そんな簡単に見知らぬ人にほいほい着いていってもいいの? とりあえず警察手帳見せてって言ってみたい。警察手帳はあるのだろうか。あ、わたし、もしかして不法入国者じゃない? どうしよう、事情を詳しく話したら、逮捕されたりしないだろうか。


 めちゃくちゃ悩んでいるわたしに、男性は爽やかに、爽やか オブ 爽やかに、爽やかナイズドされた爽やかな微笑みを向けてくる。


「ここでは落ち着いて話せないでしょう。どこか、人目のあるところに行って、ゆっくり飲み物でも飲みながら、どうですか?」


 爽やかに言ってるけど……やっぱりナンパ?


 いやここまで疑ってかかってごめんね本当に! でも何を信じたらいいのかわからないのだよ本当に!


 とりあえず、話を聞いてもらう……のはともかく、『どこか安全な場所』には落ち着きたい。それに、このままでは、何も始まらないままわたしは不審者としてある意味『終わった』状況になりかねない。


 この男性の言うところというか、そもそもこの男性が安全かどうかはわからないけれど、連れていかれる先が危険を感じたらすぐに走って逃げられそうな場所ならいいなと思った。幸運値みたいなものがあればそちらさん、よろしくお願いします。




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