12 『凱旋と約束』

 「……外だな」

 「ええ、無事に抜けられたわね」


 ルシーが指し示した方向に歩くこと五分。

 翔太達の目の前には中央にぽっかりと大きな穴が開いた美しい草原――東の平原が広がっていた。

 その平原の向こうには、十分前には戻る事敵わないと思っていたナリスの街が見える。


 「私達、ずっと森の浅い所にいたのね」

 「……ああ。そんなところで絶望していたとは、な」


 なんなら、うっかり森の最深部まで来ちまったぜ具体のノリで会話をしていた自分たちを思い出すと、恥ずかしくて顔から火を噴きそうだ。


 「えへへ。ルシー役に立った?」

 「ああ。勿論だ」

 

 顔を抑えて羞恥に耐える翔太とサラの様子には気付かないルシーは、自分が役に立ったのがよっぽどうれしいのかにこにこと笑っていた。


 ――まあ、ルシーに教えてもらわなければあんなところで遭難していたかもな


 翔太はそんなお礼も込めて、ルシーの柔らかい銀髪を優しく撫でた。

 嬉しそうに目を閉じてそれを受け入れるルシー。


 いやほんと、森の入り口付近で冒険者パーティが餓死したという、無駄にミステリアスな事件にならずによかった。本当。


 「それで、サラ。今からルシーを連れて街に戻るのでいいな?」

 「しょうがないわね。最初の依頼を完遂できないのは残念だけど」


 こんなに簡単な採集ミッションすら失敗したことは間違いなく翔太とサラの株を下げることになる。

 冒険者として名を上げるという当初の目的を考えると、いささかマイナスだが……。


 「今から薬草採取に戻っても、また道に迷うだけだ。おとなしく帰って、受付のお姉さんには謝ろう」

 「……はーい」


 しぶしぶ、と言った様子でサラが返事をした。

 幸いなことに、翔太達はサラが謎に金持ちなおかげで資金には困っていない。


 ――俺も嵐竜退治の賞金をエステルから貰っているしな


 翔太は膨らんだ懐をさりげなく撫でる。


 そうなると、依頼に失敗した時のリスクはせいぜい名誉の棄損と、あとは受付のお姉さんに叱られるくらいか。


 ――どうせ名誉なんて元々ないし、薬草採取なんて誰でもできる仕事に失敗したところで冒険者ギルドへの損害は小さい。受付のお姉さんにもそんなには怒られないだろう


 以前そこそこ大きな依頼に失敗したパーティに受付のお姉さんが雷を落とすところを見た翔太としては、そうあって欲しかった。


 「よし、それじゃあ街に向かって――どうした? ルシー」


 ナリスに向かって歩き出そうとした翔太の袖を、ルシーが控えめに引っ張っていた。


 「ショータとサラは、薬草を探していたの?」

 「ああ。でも、見つからなかったし今回は諦めて――」

 「ルシー、薬草の場所知ってるよ?」

 「マジで!?」


 驚きの声を上げる翔太に、ルシーはにっこりと笑って森を指さした。


 「ほら、あそこに生えてるでしょ」


 ルシーの指は、翔太達が脱出した地点から少しだけ森の縁に沿って離れたところを指している。


 「ルシー、気持ちはうれしいがあんなところに薬草なんて――」


 森の縁に沿って密集していた黄色い花は、確かに最初ギルドで見た見本の薬草と同じように見える。

 近づくと、確かにそれは薬草だった。


 「これは間違いなく薬草だな。ルシー、ありがとう」

 「えへへ」


 再びルシーの頭を撫でてやりながら、翔太はサラに話しかけた。


 「サラ、不思議なこともあるもんだな。森の奥の方にしかない薬草が、こんなところに生えてるとは」

 「そうね。森の奥の方――あっ」


 おい。

 『あっ』ってなんだ。


 じとっ、とした翔太の視線に、サラの額を冷たい汗が流れた。

 両者が見つめあうこと暫く。サラは観念したのか口を開いた。


 「そのー、薬草は確か森の奥の方に生えるのよ」

 「ほう、普通は」

 「え、ええ。でもね、ドゥンケル大森林は特殊で――」

 「何が特殊なんだ? 言ってみろ」


 翔太に促され、サラはバツが悪そうに舌を出した。


 「森の周辺にも薬草がたくさん生えてるって……、その、依頼書に書いてあったような」

 「おい」


 それを先に言えぇぇえええええ!

 どうやら、元々依頼書に書いてあった大事な一文を、サラはすっかり忘れていたようだった。


 「し、仕方ないじゃない! 最初の依頼よ? 華々しく森の奥に行くものとばかり……」

 「華々しく迷子になったけどな」


 なんなら森に入る必要すらなかったじゃないか。


 「で、でも可愛い小鳥さんを見られたし――」


 俺は見てないぞ。


 「ルシーを助けられたわ!」

 「うっ」


 それを言われてしまうと、苦しい。

 確かに、勘違いして森に入ることが無ければルシーを見つけることは出来なかった。

 いくら森の浅い所とはいえ、あそこでルシーを放置していたらどうなったか分からない。


 「?」


 当のルシーは、翔太達の会話の意味が分からないのかきょとんとした顔をしている。

 その頭を再び撫でてから、翔太は大きくため息をついた。


 「まあ、今回はそういうことにしておこう」


***


 ナリス冒険者ギルドには、大きく二つの機能がある。


 一つは依頼の受注や達成報告等の冒険者に必要な各種手続き。中央奥に位置する受付カウンターや壁際に置かれた依頼の貼られた掲示板等がその機能を担う。


 そしてもう一つは、冒険者同士の交流だ。

 日々危険と隣り合わせのこの職業に就く者にとっては、情報が何よりも大事になる。

 どこそこに強いモンスターが現れただの、どこそこで新しい道が出来ただのと言った情報は、日々の冒険者同士の情報交換の中で入手していくのだ。

 もちろん、場合によってはここで新たな仲間を募ることもある。


 そのために、冒険者ギルドは一種の酒場としても機能していた。

 

 ドゥンケル大森林から戻った翔太達は、薬草を納品するとそんなギルドの一角にあるテーブルを囲っていた。


 「さて――」

 「まずは飲みましょう!」


 翔太の言葉を遮って、サラが勢いよく手を挙げた。


 「すみませーん! 葡萄酒を二つくださーい! あと、この子に何か果実水を」

 「ちょっと!」


 てきぱきと店員に注文するサラを、翔太は慌てて呼び止めた。


 「確かに、飲食しながらルシーの話を聞くのは賛成だ。でもお前に酒はまだ早いだろ」

 「何言ってるの、ショータ? 私はもう十六よ。当然お酒だって飲めるわ」


 あー、なるほど。そこらへんも翔太が元いた日本とは違っているのか。


 「ルシーも飲む」

 

 翔太の袖をそっと引っ張りながら、ルシーが主張してきた。


 「いくら何でも、ルシーにはまだ早いな。大きくなったら飲めるようになるから、今日のところは果実水で我慢しよう、な?」

 「むぅ……、わかった」


 ルシーは一瞬だけ逡巡したが、すぐに素直になって頷いた。

 物分かりが良くて助かる。

 ちなみに翔太がルシーをなだめている隙に、サラはさりげなく食事として焼いた肉やらスープやらを注文した。


 ――頼み方を見てもサラってやっぱり金持ちの出身だよな


 薬草採取の報酬を優に超えるような注文量は、駆けだし冒険者としては部不相応なので、若干ギルドの視線を集めている。

 ただでさえ薬草採取に行ったと思ったら銀髪少女を拾ってきたのだ。いよいよ、このパーティが変人の集まりだという評判が広まっていくことだろう。

 はぁ。


 「さあ、ショータとルシーも飲み物を持って!」


 いつの間にか、翔太の前には葡萄酒が運ばれてきていた。それも、特大ジョッキだ。

 そこまでお酒に強いわけでもない翔太にとって、正直飲み切れるか不安な量である。


 「乾杯!」

 

 楽しそうなサラの掛け声に合わせて、三つのグラスが音を立てた。


 「くぅー! 染みるわね!」

 

 おっさん臭いことを言ったサラのジョッキをちらりと見ると、既に半分ほどになっている。

 流石、現代日本人の翔太とは生まれ持ったアルコール分解酵素の出来が違うらしい。

 ちなみに、翔太のジョッキがほとんど減っていないのは言うまでもないだろう。


 「私ね、冒険者になるって決めてからこういうのにあこがれてたのよ! むぐっ、むぐっ。おいしいわね!」


 串焼きを口いっぱいにほおばるサラは、それはそれは幸せそうだった。


 「ルシーもおいしいか?」

 「うん! すごくおいしい!」

 「よかったな」


 ちびちびと大事そうに肉を食べるルシーとはまるで対照的だった。

 

 「ルシー、ちょっと聞いてもいいか?」

 「なに?」


 葡萄酒を飲み干していつの間にか店員に追加注文し始めたサラは役に立たないと判断し、翔太はルシーから事情を聴きだすことにした。


 「さっき森で聞いたことの続きなんだけど、ルシーは自分の家がどこにあるか覚えているか?」

 「うーん……、わかんない」


 ルシーは今度も一生懸命首を捻るが、答えは同じだった。


 「ルシーも早く家族のところに帰りたいだろ? 覚えている知り合いの名前はあるか?」

 「ううん、ルシーは何にも覚えてないの。それに――」

 「それに?」

 「ルシーはショータとサラと一緒にいたい!」


 やれやれ、すっかり懐かれてしまったようだ。


 「ショータは、ルシーがいるのヤダ?」

 「そんなことないさ」


 不安そうなルシーを励ますように、翔太は精一杯の笑顔を見せた。


 サラ曰く、ルシーは何らかの政争に巻き込まれている可能性もある。そのため、直ちに家族の下に返すのが彼女の幸せになるとは限らない。


 ――暫くは預かって、どこの子なのかギルドや教会で情報収集した方がいいな


 本当はサラに相談したいが、


 「ふぇ? しょーた、どういたお?」


 すっかり出来上がっているサラに今相談するのはやめておこう。

 まあ、素面だからと言って――ゲフンゲフン。


 「心配しなくていいぞ、ルシー。ルシーが思い出すまで、俺たちが傍にいてやる」

 「本当!?」


 ルシーの顔がぱぁっと明るくなる。


 「本当だとも」

 「約束してくれる?」

 「勿論だ」


 その言葉を聞いて、ルシーは勢いよく翔太の胸に飛び込んできた。


 「ショータ、ありがとう!」

 「うおっ! はは、ルシーは元気だな」


 こんな風になつかれるのも悪くない。昔親戚の小さいこと遊んだことを少しだけ思い出した翔太だった。


 「しょーた! ぜんれんのんれないじゃない!」


 うわ、酔っ払いが絡んできたぞ。


 「俺は俺のペースで飲むんだ。そっとしといてくれ」

 「うるやい!」

 「おい、やめろ! むぐぅ!」


 驚きの絡み酒だ。

 サラは左腕で翔太の頭をがっちりホールドすると、右手に握った翔太のジョッキを無理やり口に突っ込んできた。

 翔太が口をつぐんでいるのにもお構いなしにジョッキを傾けるので葡萄酒がダラダラと翔太の服を赤紫色に染めていく。


 「ショータ、楽しそう!」

 「むぐっ、ぷはぁ! ルシー、助けてくれ!」

 「わかった!」


 元気にそう返事をすると、ルシーは


 「はい、あーん」


 と翔太の口を無理やり開けようとしてきた。

 こいつ、裏切ったぞ。

 

 それにしても、サラもそうだったがルシーの力もその細腕からは信じられないほどの物だった。

 この世界の女子は筋肉密度がすごいことになってそうだ。


 「あーい、しょーた! いっき!いっい!」

 「ショータ、口を開けてあげるね!」

 「むぐぅ、むぅうう!」


 まさに地獄絵図だった。

 強引にジョッキを突っ込んでくるサラに、くすぐりを交えながら口を開けさせようとするルシーに翔太がついに負けて口を開こうとした時。



 「何してるんですか?」


 それは、一日ぶりに聞く声だった。


 「エステル!」


 サラとルシーの腕の隙間から見える冒険者ギルドの入口、そこに夕日を浴びて立っているのはエステル・ブリジット・アメリー・ランジュレその人だ。


 エステルは翔太達のテーブルまで近づくと、状況を一目見てにやりと笑ってからこう言った。


 「ショータ、出番ですよ。私と一緒に吸血鬼ヴァンパイア退治に行きましょう」

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