9 嫁力が素晴らしい

 バイトが終わって家に帰った風呂上がり、


 俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲む。


「ぷはっ……美味いなぁ」


 すると、安藤さんがジッと見つめていることに気が付く。


「ん? どうしたの?」


「あっ、ごめんなさい。松尾さん、普段はあまりお酒を飲んでいる所を見ないので」


「まあ、たまにはね。安藤さんも一緒にどう?」


 俺は言う。


「ご、ごめんなさい。私まだ、20歳じゃないので……」


「あ、そうなんだ。ちなみに、誕生日っていつ?」


「えっと……6月21日です」


「って、もうすぐじゃんか」


「そ、そうですね」


「じゃあ、お祝いしようね」


 俺は何気なく言ったつもりだったけど……


 安藤さんの目に、ジワリと涙が浮かぶ。


「……あっ、ごめんなさい」


 安藤さんは涙を拭いながら言う。


「今まで、誕生日を祝ってもらったことが無かったので」


 切なそうに微笑む彼女を見ると、俺も胸がズキリと痛む。


 自然と、彼女を抱き締めていた。


「ま、松尾さん?」


「……絶対に、楽しい誕生日にしよう」


 俺は優しく、力を込めて言う。


「はい……ありがとうございます」


 それからしばらく、彼女が泣き止むまで、俺はそっと抱き締めていた。




      ◇




 そして、迎えた誕生日の当日。


「おっじゃま~!」


 俺ん家の玄関先で威勢の良い声を響かせるのは、


「よう、小柴。よく来てくれたな」


「へっへ~ん。だって、ひよりんの誕生日っしょ? それはもう、お祝いしないと」


 小柴が言う。


「あ、ありがとう、小柴さん」


 安藤さんが言う。


「もう、準備はだいたい出来ているから。あとは飲んで食うだけだ」


「お酒を?」


「お前は高校生だろうが」


「バレないよ、ちょっとくらい」


「ダメだ」


「もう~、ツグツグはケチなんだから~。そんなんじゃ、モテないぞ?」


「うるさいよ」


「てかてか、この料理ってみんな、ひよりんが作ったの?」


「うん。でも、松尾さんも手伝ってくれたよ」


「やだ、すごーい! ひよりんって、女子力が超高いね~!」


 小柴は安藤さんに抱き付いて言う。


「あはは、そんなことないよ」


「小柴。コーラとオレンジジュース、どっちが良い?」


「ビール!」


「そうか、そうか。水で良いのか。殊勝しゅしょうな奴め」


「わ~ん! ツグツグの鬼畜ぅ~!」


「むしろ、優しいだろ」


「どこがよ、バカ~!」




      ◇




 薄暗い部屋の中で、ろうそくが灯る。


「じゃあ、安藤さん。どうぞ」


 俺が言うと、


「は、はい」


 彼女は少し緊張した面持ちで、ろうそくを吹き消す。


「イエーイ! おめでとう~!」


 小柴がクラッカーを鳴らすと同時に、俺は電気を点けた。


「安藤さん、誕生日おめでとう」


 すると、彼女は目に涙を浮かべながら、


「ありがとうございます」


 笑ってくれた。


「じゃあ、安藤さん」


 俺は彼女のそばに寄ると、彼女のコップにチューハイを注ぐ。


「ツグツグ、それ美味しそうだから、あたしにもちょうだい!」


「小柴、うるさい」


「ひどい~!」


 注ぎ終えると、


「飲んでみて」


「は、はい」


「イエーイ! ひよりんのお酒デビューだぜ~!」


「小柴、うるさい」


「ひどい~!」


 喚く小柴をよそに、


「で、では、いただきます」


 安藤さんはまた緊張した面持ちになり、両手でコップを持つ。


 コクコク、と白くほっそりした喉を鳴らして、チューハイを飲む。


「どう?」


 俺が尋ねると、


「……美味しいです」


 口元に手を添えて、そう言ってくれた。


「じゃあ、今度から。家の冷蔵庫にチューハイもストックしておくね」


「そ、そんな、贅沢ですから……」


「良いんだよ。俺は君の笑う顔が嬉しいんだから」


「ま、松尾さん……」


 俺と安藤さんは自然と見つめ合ってしまう。


「え? キスするの? これ完全にキスする流れだよね? きゃ~!」


「……小柴」


 俺が低い声を出して睨むと、小柴はビクッとする。


「ご、ごめんって。邪魔をしちゃって」


「いや、違うよ。ありがとう」


「へっ?」


「安藤さんの誕生日を一緒に祝ってくれて」


「わ、私からも、ありがとう」


 俺と安藤さんが言うと、


「や、やだ、ちょっと……メイク直して来る」


「いや、大丈夫だよ。そのままで、大して変わってないし」


「もう、ツグツグの鬼畜ぅ!」


 小柴はぷくっと頬を膨らませて、バクバクと安藤さんの手料理を食べ始める。


「てか、美味っ! 何これ、ひよりんお店を開けるよ!」


「そ、そんな、大げさだよ」


「いやいや、マジで。あたし、ひよりんが定食屋とか開いたら、毎日通っちゃうよ~」


「あ、ありがとう……」


 安藤さんは照れながら言う。


「そうだ! あたし、ひよりんにプレゼントを持って来たの!」


 小柴が言う。


「はい、コレ」


 小柴は小さな包みを安藤さんに渡す。


「ありがとう。開けても良いかな?」


「どうぞ、どうぞ」


 安藤さんはその封を開ける。


「これは……ヘアピン」


「そう。可愛いっしょ? ひよりんはそんなに髪が長くないけど、お料理する時に前髪とか留めたらどうかなって」


「う、嬉しい……本当にありがとう」


「どういたしまして~」


 小柴はニコッと笑う。


「じゃあ、俺もプレゼントを渡そうかな」


「へっ?」


「よっ、待っていました、真打ちの登場です!」


「小柴、うるさい」


 俺はそう言いつつ、クローゼットから紙袋を取り出す。


「わっ、おっきぃ。何が入っているの?」


 小柴が言う。


「それはお楽しみだよ。ということで、安藤さん」


 俺は彼女に渡す。


「あ、ありがとうございます」


 そして、彼女は紙袋から中身を取り出す。


 包みを解くと……


「……あっ」


 安藤さんが小さく声を漏らす。


 彼女が手に持っているのは、エプロンだった。


「ま、松尾さん、これって……」


「いや、安藤さんはいつも料理を作ってくれるからさ。必要だなって思って。それに……似合うと思ったし」


 俺は照れくさく思いながらも、そう言った。


「ツグツグ~、これもうプロポーズでしょ?」


「は? 何でだよ?」


「だって、エプロン=嫁っしょ? ひよりんは女子力じゃなくて、嫁力が高いんだ」


 小柴は合点が言ったように、ポンと手の平を打つ。


「まあ、そうだな」


「あれ、いつもみたいに否定しないんだ?」


「いや、まあ……一緒に暮らしていて、それは十分に分かっていることだからさ」


「松尾さん……」


「ねえねえ、ひよりん。せっかくだから、エプロン着てみなよ。あ、ついでにあたしがあげたヘアピンも付けて」


「う、うん」


 安藤さんは立ち上がると、俺たちに背中を向けて、その場でエプロンを身に纏った。


 仕上げに、ヘアピンをして……


「……ど、どうかな?」


 振り向いた彼女を見て、俺は言葉を失う。


「ご、ごめんなさい。似合いませんでしたか?」


 安藤さんは言う。


「い、いや、そうじゃなくて……似合い過ぎて困る」


「へっ? あ、ありがとうございます……」


 俺と安藤さんは互いに頬を赤らめて、うつむいてしまう。


「あ~、ラブいね~」


 小柴がしみじみと言う。


「……って、おい! 勝手に酒を飲もうとするな! 逮捕するぞ!」


「えっ? やだ、あたしを逮捕してどうするの? ツグツグの鬼畜ぅ~!」


「うるせえよ!」


 俺は興奮のあまり、つい大きな声を出してしまう。


 ハッとして振り向くと、安藤さんは笑ってくれていた。


「良かったね~、ツグツグ。素敵なお嫁さんが出来て」


「あのな……」


 俺はニシシと笑う小柴に一言、文句を言ってやろうかと思ったけど。


「……俺には出来過ぎた嫁さんだよ」


「おや?」


「何だよ、その顔は?」


「ツグツグ、早く結婚しな」


「意味わからん」


 そう言いつつ、俺はエプロン姿の彼女をずっと見つめていた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る