第22話「フォールド後の世界」

胸の辺りに感じる圧迫感で、僕は目を覚ました。全力さんがしゃべってる変な夢を見てた気がするが、内容はよく思い出せない。圧迫感の正体を掴もうと目を開けると、全力さんが、僕の上に思いっきり乗っていた。


 全力さんは不安げなまなざしで、僕の顔をのぞき込んでいる。僕が死んだのかと思ったのかもしれない。


 自分が生きていることを証明しようと思ったが、体中の痛みがひどくて、起き上がることが出来なかった。手だけは何とか動いたから、僕は全力さんの体を優しく撫でた。全力さんに怪我がなくて、本当に良かったと思った。


 体の節々が痛むが、どこからも出血はしてないようだった。何で死ななかったのか不思議で仕様がないけれども、五体満足であることは、とにかく喜ぶべきことだ。辺りを見回すと、屋根から落ちたとばかり思っていたのに、窓からはちゃんと空が見えた。これは一体どういう事だろう??


「もしかして、ここは天国なのかな……?」


 僕がそう呟くと、全力さんは僕の顎ひげに何度も頭をこすりつけてきた。風呂上がりとか、外で仕事をして帰ってきた後なんかに、全力さんがよくする行動だ。「ああ、いつもの全力さんだなあ……」と思った瞬間、まったく予想もしなかった事が起こった。全力さんが、いきなりしゃべりだしたのだ。しかもその声は、ユキさんの声ではなかった。


「ねえ、ここどこ? オレ、ボチボチ、腹減ってきたんやけど……」


 やっぱり、ここは天国なのかもしれない。ユキさんならともかく、全力さんが自分の意志で話す訳がないもの。


「全力さん、いつからそんなに賢くなったの?」

「そんな、ボンクラみたいに言わんといてくれる? こうみえてボク、結構ナイーブな精神しとるんよ」 

「なんだよ、そのインチキ関西弁みたいな話し方」

「赤瀬川のオヤジが、『仁義なき戦い』と『じゃりン子チエ』ばっかり見とるけぇ、自然に覚えたんよ。ボクもあのホルモンとか言う奴、食いたい」


 その語り口には、確かに少し仁義っぽさを感じたが、まだ頭が朦朧としていて、第何部だか思い出せなかった。多分、山守義雄かねこのぶおの奥さんのしゃべり方だ。いや、そんな事を思い出したって仕方ない。そもそも、ここはどこなんだろう?


「ねえ、全力さん。ここがどこだかわかる?」

「わからへんなぁ……。ちょっと辺りを散歩してきたけど、すごい田舎やったよ。スズメとか、ようさんおったし」

「スズメ取ればいいじゃん」

「ちょ! こう見えて、ボクはノーブルな生まれなんよ。生き物を殺すとか、そういうのはちょっと……」

「全力さん、捨て猫じゃん。つーか、拾ってもらった赤瀬川さんからも、絶賛放置プレイ中じゃん」

「あの人って、ホント人間のクズやんなぁ……。この前とか、エサをねだったら、猫缶投げつけてきよったんよ。ボク、こんな手足なのに、どないせーっちゅうねん」


 全力さんはそういって、僕の目の前で、両手をプラプラさせながら笑った。全力さんは猫のくせに表情が豊かで、本当によく笑う。『灰皿をぶつけられなかっただけ、まだマシだったんじゃないかな』と僕は思ったが、赤瀬川さんは僕の恩人なので黙っていた。師匠おやの兄弟は、親同然だ。逆らう事は、僕らの世界では許されない。


 全力さんと話して心の安静を取り戻した僕は、もう一度起き上がろうと試みたが、どうにも体が動かなかった。


 ダメだ。ひどく眠い。全力さんが何でしゃべれるようになったのかは分からないが、二人ともちゃんと生きている。今はそれだけで十分だ。出血はないんだから、このまま寝たって別に死にはしないだろう。


「ごめん、全力さん。もう一回寝るね。起きたらなんか作ってあげるから……」

「えー!」


 僕は再び瞼を閉じ、そのままストンと眠りに落ちた。


 ここが昭和四十年、五月の東京ではなく、昭和二十一年、四月の長岡市である事を知るのは、僕がもう一度目覚めた後の事だ。史実では、田中角栄が始めての衆議院選挙に向けて、虎視眈々と準備を進めている頃だった。


第二章『仙台死闘編』完

第三章『誰よりも大切な人』編に続く。

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