R3-2 疾走する夏

 荒谷 ちさめは、高鳴る胸の鼓動を抑えられない。転ぶ寸前で自分の身体を受け止めてくれた男性。優しく、柔らかな笑顔。細く、だけどどこかたくましい腕。がっしりとした胸板。

 このドキドキは止まらない。荒谷 ちさめ、13歳の夏。疾走し始めた彼女の夏は、もう、誰にも止められない!



「いやー、まさかろっこちゃんの友達だったなんてねー」


 楽器屋を後にしたろっこ達は、複合型施設内にあるスイーツ専門店に来ていた。当然、ちさめも一緒である。


「あの、はい。ファグさん、えっと、その、先程はありがとうございました」


 あのちさめが頬を赤らめている。信じ難い光景だ。しかも、ちゃっかりファグの隣の席をキープしている。ファグの提案により、ちさめも一緒にこのスイーツ店で休憩する事にしたのだ。


「でも、ちさめちゃん、用事、大丈夫なの?」


 ろっこが怖ず怖ずと問うと、一瞬ちさめから睨みの眼光が飛ぶ。


「用事あったの?」


 ファグが隣に座るちさめを気遣うように顔を向ける。


「いえいえ! ついさっき無くなりましたの! お気になさらずー!」


 我々が知っている荒谷 ちさめではない。ろっこと初めて会った時に近い気もするが、あの時よりも更に輪をかけて、偽りの清楚で固められている。これが荒谷 ちさめの素顔なのか、はたまた最終形態なのか。


 やがて、注文していたスイーツが到着する。ファグはフルーツタルトだが、ろっことちさめはパフェである。当初はアイスを食べるつもりでいたろっこだったが、心優しいファグがパフェを提案してくれたのだ。パフェを目の当たりにし、ろっこは目を輝かせる。


「ろ、ろっこ! な、何よこれ!? すっごい美味しそうじゃない! アイスもあるし!」


 ろっこの首元からガーベラが顔を出し、よだれを啜っている。


「パフェだよー! はい、ガーちゃん、あーん!」


「はむっ! んー! これは、たまらんじぇいっ!」


 初めて口にしたパフェに感動したガーベラは身悶えていた。ろっこも続いてパフェを口にし、そのひんやりとした甘さにポニーテールを揺らしながら嬉しそうにしている。


「はは、精霊も甘い物が好きなんだね」


 ファグはフルーツタルトと共に注文したアイスコーヒーを飲んでからそう言う。


「ファグさん、精霊を存じてらっしゃるのですか? という事は、もしかして魔法少女の事も?」


「あ、うん。そうなんだ。ちさめちゃん、だったかな? 君も魔法少女なんだね。魔力でわかるよ。そこに隠れてる精霊も。実は、ろっこちゃんを魔法少女に導いたのは俺なんだ」


 ファグはそう説明した。だが、ちさめの頭の中では花びらが舞っていた。ファグが自分の名前を呼んだ。「ちさめちゃん」と。ちさめの脳内は既にお祝いモードだ。嬉しすぎてここから逃げ出したい。一周まわって、もういっそ逃げてから帰ってきてまた更に逃げ出したい。そう思っていた。


「そんな、そんな、『ちさめちゃん』だなんて……あっあっ……え? ファグさんは、魔力を感じ取れるのですか? え? ろっこを導いた?」


 名前を呼ばれたその事実だけしか頭に入ってなかったちさめだったが、他の内容もタイムラグを生じながら脳内に届いていた。


「そうだよー! ファグさんは、わたしのギターの師匠なんだー!」


 嬉しそうに語ったろっこを、キッとちさめが睨む。


「ろっこ、てめぇ、こんな素敵なお兄さんとっ!?」


「ん?」


 素に戻りかけたちさめだったが、隣のファグが反応したため、慌てて止まる。


「アラ、おほほー。なんでもございませんわ!」


「そっか! ちさめちゃんも、ギターやっているんだよね? どんな音楽を聴くんだい?」


 再びファグに名前を呼ばれ、びくんと身体を震わせたちさめだったが、冷静に自分を鎮める。


「あたくしは、クラシックしか聴きませんの」


 ちさめは今日一番の、清楚全開にした笑顔をファグに振りまいた。


「え? ちさめちゃんは、スラッシュが好きなんだよね?」


 口を挟んだろっこを、ちさめは素早く睨む。怒りを押し殺して、「ろっこ、てめぇ、殺す」と小声で言う。


「スラッシュ、あっ! 君が、ろっこちゃんが話してた女の子だったんだね。若いのにスラッシュ聴くなんてすごいなーと思ってたんだよ」


 そう言ったファグに、ちさめはこの世の天国を感じた。この人は、自分の全てを受け入れてくれる天国そのものなんだと、そう確信した。

 この人なら自分は何でも許せる。何でも話せる。自分にはこの人しかいない。つまり、この人には自分しかいない。そう。ちさめは脳内で暴走していた。


「ファグさん……はい、あたくし、スラッシュが大好きなのです。毎朝、テスタメントを聴いて目覚めますの」


「ははは、テスタメントか。すごいね」


 ファグに褒めてもらい、ちさめは昇天しそうになっていた。色々な物が出てしまいそうになっていた。だが、実際のファグは少し引いていた。


「わかるわかる! わたしも、テストめんどって毎朝思ってるもん!」


 この状況で1人訳の分からない事を言ったろっこ。昇天しかけていたちさめは現実に引き戻され、拳を握りながらろっこを睨む。


「ちさめ様。先程からお顔色が激しく変動しておりますが、大丈夫でしょうか?」


 ちさめの精霊ネクロが、ちさめを心配して小声で問う。


「あたくしは至って平常ですわ」


 ちさめも小声で冷静に答える。


「でも……でもでもーっ! あのお方が素敵すぎて、もうあちらを見る事ができないんですのよー!」


 沸騰したちさめは、声を押し殺しながらもネクロに乙女の本心を打ち明けていた。

 ネクロは思った。「我が主もこんな顔をするんだな。ギターを狂ったように弾いてる時とは大違いだな。これが、乙女の恋心なのか。わからん」と、同じ女性でありながらも、主の恋心に戸惑っていた。


「あの女狐……スカした顔だし、いけ好かない精霊だわね」


 ちさめの影に隠れていたネクロを、ろっこの影からガーベラが睨んでいた。


「ガーちゃん、ちゃんとお友達に挨拶しなきゃダメでしょ」


 あのろっこが、ここぞとばかりに母親ぶった発言をしていた。


「失礼ながら、そちらの精霊と友達になった覚えはありませんが?」


 ろっこの言葉を耳聡みみざとく聞き付けたネクロが静かに発言する。冷静を装っているネクロだが、ガーベラに対しては密かに対抗心を燃やしていたりもする。


「スカした面しやがってこの女狐ぇ! あてぃしこそあんたとなんか友達じゃないわよ!」


 ガーベラが声を荒らげ、周囲の客の視線が集まってしまう。


「こらこら。2人とも、他の人達の迷惑になるから静かにして」


 その精霊2人をファグが注意する。そんなファグを隣からちさめが目を輝かせて見つめる。周囲にも気を配る事が出来るなんて、紳士の鑑ではないかと、感動している。


「ん? どうかしたちさめちゃん?」


 そんなちさめの熱い視線に気付かない訳もなく、ファグが不思議そうに問いかける。


「い、いえ! なんでもございません! うちのネクロにはきちんと言いつけておきますわ!」


 そう言いながら、不満そうにしているネクロの頬をちさめはつねっていた。


「あー、早く夏休み始まらないかなー?」


 ガーベラと一緒にパフェを食べ終えたろっこが不意に呟く。もうすぐ夏休みが始まるのだ。ろっこはそれが楽しみで仕方ないようだ。


「来週からだよね? ろっこちゃん、何かしたいことあるの?」


「うん! 毎日ギター練習するの! あとは、お祭り行ったり、海も行きたいなー」


 呑気に話すろっこを見下すように見ていたちさめだったが、その顔がハッとする。

 海。もしも、ファグと共に海に行く等という事になったらどうなってしまうのだろう。上手く泳げるだろうか。いや、逆にわざと溺れたら、先程のように助けてくれるのではないか? そして、夕陽をバックにしてファグに介抱してもらう。考えただけで血液が沸騰しそうだが、完璧な作戦だと頬を染めながらちさめは確信した。


「海かー。俺、海はあまり好きじゃないんだよねー」


「確かに、あんたみたいな優男に海は似合わないわね! ろっこ、あてぃし達だけで行こうじぇい!」


 苦笑混じりに言ったファグを、ガーベラが嘲笑う。


「駄目ですわ! ファグさん、海行きましょう!」


 そこでちさめが興奮気味に口を挟み、その後にハッとして口をつぐむ。


「ちさめちゃんも、海行きたいのかな? うーん、予定が合えば大丈夫だけど」


 そう言ったファグの隣で、ちさめは小刻みに首を縦に振る。


「合わせます。絶対に、いっそ毎日スケジュール空けておきますわ」


 それではまるで予定のない寂しい女子だが、ちさめはその事に気付かず、既に心ここに在らず。来る日に思いを馳せているようだ。


「ファグさんは、今日お買い物ないの?」


 ろっこにしては珍しくファグに気を利かせてそう問いかけた。


「あぁ、そうだった。工具をいくつか買って行きたいんだ。1階だったかな」


 ろっことファグの会話を聞きながら、ちさめは悟ってしまった。もうすぐ、自分はお別れなのだと。

 目の前にあったパフェはいつの間にか無くなり、残っていたのはさくらんぼが一つのみ。このさくらんぼを食べ終えたら、この人ともお別れの時間が来てしまう。そう思うと、とても寂しく、胸が締め付けられる。


「ちさめちゃんも、一緒に行く?」


 不意に投げかけられたろっこの言葉に、ちさめはハッと顔を上げる。偶然なのか、はたまた察していたのか、いや絶対に偶然なのだが、あのろっこがまさかのナイスパスをかましてくれたのだ。ろっこの事は憎たらしいが、この時ばかりはほんの少しだけ見直したようだ。


「え、えぇ……時間が空いてしまったし、せっかくなので、御一緒しますわ」


 と、問いかけたろっこではなくファグの方を向いて言った。


「じゃあ、一緒に行こうか」


 こうして、パフェを食べ終えたろっこ達は、1階にあるホームセンターのエリアへとやって来た。

 ちさめにとっては、家族以外の人間と買い物をするのも初めてであった。それは、彼女にとって少し不思議な気分である。

 そして、何より初めてときめいた異性。ちさめは今までの人生を音楽に費やしてきた。ひたすら音楽を聴き、ギターを弾いてきた。恋などする余地は、そこになかった。初めての感情に戸惑い、そして、ただただ抑えつける事が出来ない。

 工具や部品を真剣に見詰めるファグ。ちさめの視線は、そんなファグの横顔に釘付けになっていた。


「わーん、ちさめちゃーん! 助けてー!」


 そんなちさめの背後でろっこが声を上げる。ろっこは、ポニーテールを壁に釘付けされていた。


「って、てめぇは本気のバカでございますか!? 空気も読めないし、最低でございますわね! あたくしの時間を邪魔しないでくださいませ!」


 ちさめは勢いよく商品のバールで釘を引き抜き、ろっこのお尻を蹴った。


「ほわんっ! えへへ、ちさめちゃん、お尻蹴ってくれてありがとう……じゃなかった、釘抜いてくれてありがとう!」


 うんうん。お礼をちゃんと言えて偉いぞろっこ。


「『えへへ』じゃねぇ! だいたい、何がどうなって髪が釘で刺されて壁に固定されますの!?」


「いやさぁ、釘でダーツやったら楽しいかなーと思って遊んでたんだけど、投げる瞬間に髪に刺さっちゃったみたいで、気付いたらあのザマなんだよね。ちさめちゃんも気をつけてね」


 何が「気をつけて」だ。自分は絶対にそのような愚かな過ちを犯さない。ちさめは怒りと呆れで歯ぎしりをする。

 こんなにも非常識な女がファグと一緒にいていいのだろうかと心の中で問いかける。あの人の近くは自分こそが相応しい。いつか、自分がファグの一番弟子になってやると、ちさめは勝手に誓っていた。


「お待たせー。買い物終わったよー」


 いつの間にか買い物を済ませたファグがやって来る。


「ん? ろっこちゃん、髪が跳ねてるよ? 大丈夫?」


 そう言いながら、ファグはろっこのポニーテールを直してあげた。


「ちょっと釘が刺さっちゃったの! ありがとう、ファグさん!」


 ちさめは唖然とした。迂闊だった。そのような手があったのかと。髪を敢えて乱れさせれば、相手に触れてもらえる。その事を失念していた。そして、それを実践したろっこを憎む。なんてあざとい女なんだと。


「さ、俺の用事は終わったから行こうか。ちさめちゃんも、途中まで一緒に」


「は、はいっ!」


 ちさめの憎悪は、ファグの笑顔で容易く掻き消された。


 買い物を済ませたろっこ達は複合型施設から外に出る。その途端に夏の熱気が再び襲いかかる。ろっこは一瞬で汗だくになった。

 ちさめも、ろっこ程ではないが、汗をかく。こんなにも汗をかいてしまったら、ファグに嫌われてしまわないだろうか。そう思って、ついファグと距離をとってしまう。

 だが、もうすぐお別れの時間なのだ。そう思うと、少しでいいから、1cmでもいいから近付きたいと望んでしまう。何か、何でもいいから言葉を交わしたい。でも、何を話せばいいのかわからない。そんな葛藤をちさめは抱いていた。


 と、前を歩くファグが足を止める。


「ん? 何か、騒がしい。魔力の音が聴こえる」


 ファグはそう言った。ろっことちさめは、何もおかしな音など聴き取れなかったが、やがて重い音がどこからか響いてくる。


「キャー! 来ないでー!」


「逃げろー、怪物が出たぞー!」


 人々の悲鳴が街に響き、それが伝染していく。


「ほっわちょーっ!? 何あれー!?」


 ろっこは錯乱し、周囲を走り回る。

 木がいた。大きな木が道路を飛び跳ねている。車や建物を破壊し、周囲の人々は逃げ惑う。


「あれは、アクネンでございますか!?」


 突然の事態に困惑しながらも、ひさめは半ば反射的に前に出る。魔法少女である自分は戦わなければならない。そう思って、背負っているワーロックに手をかける。

 だがそこで、周囲にはまだたくさんの人がいる事に気付く。ここで変身してしまって、大丈夫なのだろうかと、冷静な心が問いかける。

 その冷静心が仇となった。踏みとどまっていたちさめの周囲では既に木の葉が舞っていた。その木の葉は建物を破壊する程の鋭利な刃となっていたのだ。

 このような木の葉の刃で切り裂かれたら、一溜りもないだろう。自分も切られたら血が飛び散るのだろうな、などという事まで冷静に考えていたのだ。


 気付いた時には、ちさめの瞳に無数に舞う木の葉の刃が映り込み、ちさめは思わずその目を閉じた。


「ふぅーっ。危ない危ない」


 ファグがちさめを抱きしめ、木の葉の刃を防御していた。


「トゥンクー!?」


 この日、ちさめは、ファグの腕の中でトゥンクを叫んでいた。

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