R2-2 怒る人

 ちさめが賛同してくれたため、2人は駅前のアイスクリームショップへと向かった。


「アイス、おいしー! たまらん! この為に今日も1日よくがんばった!」


 アイスを購入し、駅前にある噴水広場のベンチに座ったろっこはそう言って自身を褒めたたえた。だが、ギターの中ではガーベラがそれを羨ましがりながら耐えていた。そんなガーベラの事など忘れて、ろっこはアイスクリームを味わっていた。


「本当、美味しい! あたくし、こうやって友達と放課後を楽しむのも初めてなのでとても嬉しい。ろっこちゃん、よければこれからもまた御一緒してください」


 ろっこの隣に座るちさめもアイスを味わい、楽しそうに微笑んでいた。


「もっちろんだよ! また来ようね、ちさめちゃん!」


 そう言って、ろっこはぱくぱくアイスを食べる。あっという間にアイスは無くなり、ガーベラはギターの中で泣いていた。


「ろっこちゃんは、どんな音楽を聴くのですか?」


 ろっこに続いてアイスを食べ終えたちさめが質問してきた。


「わたし、昨日ギターやり始めたばかりで、今まで音楽なんてアイドルの曲くらいしか聴いてなかったんだ」


「アラアラー、そうなんですね。じゃあ、これから色々聴いていくのですか?」


 ちさめの言葉に、ろっこは少し間を置いて頷く。


「うん。これから音楽の事も知っていきたいから! ロックやりたいんだ!」


「ロック! そうなのですね! 最近はロックもジャンルが派生してますからねー。この辺りのバンドが王道ですわね。ビートルズ、クイーン、ローリング・ストーンズ」


 そう言って、ちさめはスマホでバンドを紹介してくれた。ろっこもバンド名は薄ら知っていたが、実際にどんな人達なのか、どんな音楽なのかは知らなかった。

 それを今目の前で見せてもらい、その音楽を耳にし、それはろっこにとってまた新たな扉が開かれたような経験だった。


「かっこいい! ありがとう、ちさめちゃん! わたし、これからロックいっぱい聴くよ!」


 そう言ってろっこはちさめの手を両手で握った。ろっこの手はアイスを食べた直後でベトベトしていたため、ちさめは苦笑いを浮かべる。


「ちさめちゃんも、ロック好きなんだよね?」


 ちさめの手を握りしめながらろっこが問うと、ちさめはオレンジ色の巻き髪サイドテールを揺らしながら首を振る。


「あたくしが好きなのは、ロックじゃありません。スラッシュ・メタルですわ!」


 目を輝かせて言ったちさめを、ろっこはぽかんと見詰める。


「すらっしゅ? めたる? なにそれ?」


「ご存知ない!? ウソですよね!?」


 ちさめは現実を受け止められなかった。慌ててスマホを操作する。


「この曲は!? この曲も、この曲も! 聴いた事くらいはあるでしょう?」


「うーん、知らない。なんだか、忙しそうな歌だね!」


「知ら……ない……? いそ、がしそう?」


 初めて聴いたスラッシュ。その感想を、ろっこはありのままに、思った事を口にした。


 しかし、それが、ちさめの気に障ってしまった。


「……ざけん、な。ふっざけんなでございましてよ、このクソ小娘がー!」


 ちさめはブチ切れた。


「ほわちょえー!?」


「変な声出してんじゃねぇぞ、このド素人! おめぇの血肉を引き裂いてやりますわよおらぁ!」


 先程まであれほどにこやかにしていたちさめ。今は、悪魔のような形相になり、サイドテールを振り乱してろっこを揺さぶっている。


「はへ、はへー!? ひぃ、ごめんなしゃいー!?」


「よくも、あたくしをたぶらかしやがりましたわねこのどさんぴんが! スラッシュ知らねーとか、初めに言えよアホンダラー!」


「それは、ちさめちゃんが勝手に勘違いしたから」


「うるせーでございますわボケナスがー!」


 そう言って、ちさめはろっこを投げ飛ばした。


「ほわーほわー、ちょっちょー!」


 投げ飛ばされたろっこは近くの植え込みにズボッと刺さった。フラフラしながら顔を出すと、既にちさめは背を向けて立ち去っていく所であった。ろっこには、何が起きたのか全く理解できなかった。




「それは、散々な目に合っちゃったねー」


 レティは憐憫の眼差しをろっこに向けながら言った。アトリエ「カシミール」に着き、ろっこは先程の出来事を語ったのだ。

 荒谷ちさめという友達が出来たと思って喜んでいたのも束の間、彼女の性格が一変した事には驚きを隠せなかった。


「ひっどい女だったのよ! 豹変女! 仮面女!」


 ガーベラはテーブルの上でスナック菓子を頬張りながら、鬱憤を晴らすようにそう罵った。


「でもー、わたしが無神経な事言っちゃったから、怒らせちゃったかもしんないし」


 そう言って、ろっこは弱々しく笑う。


「ヘラヘラしてんじゃないわよー!」


「ぶへーっ!」


 そんなろっこをガーベラが殴る。先程アイスクリームを食べさせてくれなかった事を根に持っているのだ。

 食べ物の恨みは深い。ろっこが今回の件で一番学習したのはその事だ。


「ごめんごめん。明日、絶対に食べさせてあげるから」


 ろっこが言うと、ガーベラはすぐに表情を明るくさせて上機嫌になる。現金な精霊だ。


「まー、音楽の趣味での衝突って、よくある事なんだ。人間同士、それはやむを得ないんだ」


 奥の作業スペースに座っていたファグはそう言った。ファグという人間は不思議だ。昨日知り合って、今日また顔を合わせた訳だが、ろっこも「不思議な人だ」と改めて思う。


「スラッシュが好きな女の子も珍しいよねー。いいセンスしてるねー。流石に、ろっこにスラッシュはまだ早いよねー」


 そう言ったレティも不思議な女性だ。ファグのようにギターは弾かないようだが、音楽に関してはそれなりに知識を持ち合わせているようだ。


「でもでも、ちさめちゃん、ロックのバンドも紹介してくれたんだ! これとかこれとか!」


 ろっこはちさめから紹介してもらったバンドを忘れないように、スマホに登録していたため、その画面を2人に見せる。


「ビートルズに、クイーン、ストーンズか。うん、このバンドはロックのお手本とも言われているからね。ただ、ツェッペリンが入ってないのは納得できないなー」


 ファグは落ち着いた口調でそう言う。


「ぺってりん? バンドなの?」


「ツェッペリン。レッド・ツェッペリンよ。もう伝説的なバンドなんだから。待ってて、今聴かせてあげる」


 レティはそう言いながら席を立ち、室内に置かれた大きなオーディオの前に行く。その上にある棚から1枚のCDを取り出す。老人が枝の束を担いでいるジャケットだ。そのCDをオーディオに挿入して再生する。

 軽快なギターとベースとドラムのイントロが鳴り響く。そしてハイトーンボイスのボーカル。

 ろっこは、そのサウンドから魂を感じ取った。なんてエネルギーに満ち溢れているんだと、身体中の鳥肌が止まない。


「ツェッペリンの代表曲の1つ。タイトルは『Rock and Roll』とまさにそのまんまで、お手本通りの王道ロックだ。しかし、彼らのサウンドは何十年経っても色褪せない。素晴らしいね」


 あのファグが、少し興奮気味に語った。


「かっこいい……これが、ロックなんだ。すごく、かっこいい」


 ろっこは全身が感動に包まれ、それしか言えなかった。今まで聴いた音楽とは全くの別物に感じ、ろっこはその衝撃を言葉で表す事が出来なかったのだ。


「ツェッペリンは最高にロックだじぇい!」


 ガーベラもテンションが上がってしまったようで、宙を舞っていた。


「わたし、弾いてみたい!」


「この曲のフレーズくらいなら出来るんじゃない? 練習にも良さそうでしょ」


 レティが提案すると、ファグも頷く。


「あぁ。ロックを目指すなら必ず練習すべきだね。ただ、まだちょっと早いから、もう少しコードを覚えてからかな」


 ファグは逸るろっこを抑えるようにそう言った。


「コード! わたし、ちょっとあのコード練習したよ! Eコード! じゃーん!」


 そう言って、ろっこはエアギターでEコードを弾いた。


「それじゃ、早速練習しようか」


 ファグはろっこのエアギターには敢えて触れず、コーヒーを飲み干して立ち上がった。


 ファグの指導はとても丁寧だ。まず準備運動と称して、ろっこに音階を5分程弾かせ、次はファグの優しい手拍子に合わせて音階を弾かせた。

 つまり、ひたすら音階なのだ。大抵の人間はこれでギターが嫌になる。ろっこもきっと投げ出すだろう。


「あひゃ、指痛い! つりそー! でも、なんだか気持ちいい!」


 皆さん薄々お気づきだろう。ろっこはMっ気があるのだ。


「ろっこちゃん、ちゃんと手拍子に合わせて」


 そんなろっこをファグは冷静に厳しく諌める。その言葉でろっこも再び姿勢を正す。だが、すぐにふにゃふにゃしてくる。

 指を動かす事にまだ慣れていないのだ。その事をファグに言うと、「挑戦する事、集中する事が大事」と教えられる。それを聞いて、少しずつろっこの表情は真剣になっていった。


「よし、次はコードの練習だね。じゃあ、Eコードを弾き続けてみて」


 30分程音階の練習をした後にそう言われ、ろっこはEコードを押さえる。まだ指を1本ずつ押さえていかないと弾く事ができない。

 再びファグの手拍子に合わせ、Eコードを弾き続ける。1つのコードを弾き続けるというのも、初心者にとっては飽きやすい練習だ。だが、ファグは容赦なくそれを10分程やらせた。


「ひー、指が痛い」


 ろっこは堪らず弱音を吐いた。だが、その顔に先程のような巫山戯た表情はない。ファグに言われた「集中する事」を素直に実践しているようだ。


「ろっこ、痛みを乗り越えるんだじぇい!」


 と、珍しくずっと静かにしていたガーベラだったが、そこでようやく言葉を発した。


「ガーベラの言う通りさ。痛みは直ぐに慣れてくるよ。さて、もう1つコードを教えよう。次はAコードだ。EコードとAコードはロックには欠かせない、双子みたいなコードなんだ」


 そう言って、ファグはホワイトボードにAコードの押さえ方を書く。ろっこはそれを見てAコードを弾く。ファグはそこで敢えて口を挟まず、ろっこがAコードに馴染むのを見守った。


「だいぶ、慣れてきたね。音もよくなってきた。じゃあ、次はEコードを4回やったらAコードを4回。その繰り返し。さんはい!」


 有無を言わさずにファグは手を叩く。慌て気味になりながらも、ろっこはコードを弾く。EコードからAコードへのコードチェンジ。このコードチェンジも最初の難関の1つだ。コードを覚えたばかりの頃は、どうしても指を1本ずつ配置してしまうが、コードチェンジをひたすら練習する事により、指にコードの形を覚えさせるのだ。


「うっ、うぅっ、むっずかしい」


 流石のろっこも苦戦しているようで、歯を食いしばりながら、自分の左手を凝視している。


「初めのうちは遅れてもいい。でも、それでも、食らいつくんだ。もがくんだ」


 手拍子をしながらファグは真剣な表情で口にし、ろっこはその言葉を噛み締めながら、必死に指を動かした。


 コードチェンジだけでも30分程練習しただろう。ようやく終了の声がファグの口から出ると、ろっこは疲れた手をぷらぷらと振った。


「どうだった?」


「すごい難しくて、頭が追いつかない。でも、すっごい楽しいの! これが、ギターなんだって実感できるのが、嬉しい!」


 緊張を解いたろっこはそう言って、満面の笑みになる。ろっこの左手の指先は真っ赤になっていたが、それを見たろっこは嬉しそうにその手を握る。自分が苦労した証を離さまいとするかのように。


 その後、数分休憩し、ろっこはアトリエ「カシミール」を後にした。


「今日のコード、家に帰ってからも練習しなきゃなー」


 線路沿いの道を歩きながら、ろっこはそう言った。夕方、帰宅する人々を乗せた電車がろっこの横を走り行く。この電車に乗る人達も、これから帰って何をしようかと考えているのかもしれないと、物思いに耽ける。

 そんなろっこの肩からガーベラが顔を出す。


「ファイトだじぇい、ろっこ! でも、あまり夜更かしすると、あてぃしが朝起こすの大変なんだから、ちゃんと時間通りに寝てよね?」


「わーかってるってー! あ……あの人、どうしたんだろ?」


 ろっこの足が止まった。前方から歩いてくるスーツ姿の男性はどこかフラフラとしている。その男性が次第に声を荒らげ始める。


「やってらんねーんだよ仕事なんか! 会社なんか、潰れちまえよ!」


 ろっこにもはっきり聞こえる大声でそう言った。大人の世界にも色々あるのだろう。


「ありゃ荒れてるわね。ろっこ、近寄っちゃダメだじぇい?」


「で、でも、なんだか、かわいそうだよ?」


「バカ、ほっときなさいよ! とばっちり食うだけよ! そっとしといてあげなさい」


 ろっことガーベラは小声で会話し、ガーベラの意見を聞いて、ろっこは道の端に寄って、男性に近付かないように、気にしないようにと努めた。

 男性とすれ違う瞬間、男性はろっこに気付き顔を上げ、今まで怒っていたその顔はどこか気まずそうになる。


「ふぅ。何事もなくてよかったわね」


 男性とすれ違った後にガーベラは息を吐く。


「でも、すごく悲しそうだった」


「世の中、楽しい事だけじゃないのね。つらい思いしている人間もいるのよ」


 ガーベラの言葉でろっこも考えさせられた。自分達が楽しい事を考えている時に、つらい思いをしている人もいる。その逆も然りなのだと。


「ちくしょーっ! くそが!」


 後方から先程の男性の怒声が再び響き、ろっこはびくんと震えて振り返る。男性は手に持っていた空き缶を投げ飛ばしていた。それは、「カーンッ」とどこか悲しみを帯びた音を立てて看板にぶつかり、道路をコロコロと転がっていた。



「人間てやつは、つくづく惨めだねー」


 男性が既にいなくなった後に、女性の声が聞こえ、ろっこはハッと目を見開く。


「だけども、この音はとても利用価値があるんだなー」


 道路に転がった空き缶を拾い上げたその女は、赤い髪をし、薄緑色の肌をしていた。薄らとした笑みは、どこか不気味で、ろっこは恐怖を感じた。

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