R1-2 初陣

 青く美しい海。その海を臨む湾岸部に存在する街。綺麗な空と海に包まれたその街は、「ミズイロ」という名で呼ばれていた。

 その街の1区画に、危機が訪れていた。突如現れた巨大な犬の魔物。その大きな存在に、立ち向かおうとする少女が1人。


「魔法少女のおでましってわけかい。でも、見ない顔だなー」


 巨大な犬がいる地点から少し離れたビルの上に座る女。人間ではない。薄緑色の肌をし、赤い髪を伸ばしている。


「まさか、新人? フフッ、面白くなってきたじゃん」


 手に持つチュロスを食べながら異形の女は呟いた。




「どどどど、どうしよー!? わたし、魔法少女なの本当に!? 戦えるの!?」


 一方、現場では魔法少女に変身を遂げたばかりの三日月 ろっこが慌てふためいている。


「戦えるに決まってるじゃない! 魔法の音楽を使いこなす魔法少女、『マギロク』なのよあんたは!」


 ジタバタするろっこの頭を、ポカリと精霊ガーベラが殴る。猫のマスコットのような見た目をしたピンク色の精霊は、荒々しい性格だが、それでも自分の主人になったろっこを信用しているようだ。


「魔法の音楽? マギロク? ガーちゃん、わたし、怖いよ。だから、一緒にいてほしい」


 涙目で言ったろっこに、ガーベラは小さな親指を立てる。


「あったぼーよ! さぁ、行くわよろっこ! あてぃし達のロックを見せつけてやろうじぇい!」


 ガーベラの言葉に安心したろっこは頷き、走り出す。

 身体が軽い。走りながらろっこは驚いていた。普段とは比べ物にならないくらいに、身体が動く。その事に嬉しくなり、ろっこの口は自然と緩む。


 巨大な黒い犬を目前にし、ろっこは地を蹴り、そして跳んだ。軽々と5mの高さを越え、巨大な犬の顔の高さに辿り着く。そして、その顔を殴る。


「グルン!」


「ほわわ! 本当に、殴れちゃったよ!」


 戸惑いを隠せずにろっこは口にする。だが、直後に巨大な犬は尻尾を伸ばし、目の前の小さな敵を殴打した。


「ふぎゃー!? んぎゃっ! ぽきゅー!」


 尻尾で全身を打たれたろっこは近くのビルに激突し、更に道路に激突し、バウンドしてレストランの窓に頭から突っ込んだ。これでは魔法少女になる前と変わらない有様だ。

 店内では避難をしようとしていた客と店員がいたが、突然飛来した少女を見て呆気にとられていた。


「あ、あははー、お邪魔してすみません。わっ、ハンバーグ! 美味しそう!」


 目の前のテーブルに置かれたハンバーグが視界に入り、ろっこはまたしてもよだれを垂らす。


「そんな事して場合じゃないわよっ!」


 そんなろっこのポニーテールをガーベラが引っ張る。


「そうだったー! でも、あんなにぶつかったのに全然痛くない」


 いそいそと退店し、ろっこは再び路上に出る。少し離れた所にはあの大きな犬がいる。


「魔法の力で守られているのよ! 当たり前じゃない!」


 ガーベラの言葉を聞いて顔を明るくしたろっこだったが、すぐにその顔が強張る。


「あの犬さん、痛かったかな」


 巨大な犬を殴った事を気にしているのか、どこか悲しげに呟く。


「あーもう、そんな事気にしてるの? あれは、アクネン! いい? 世の中にはあらゆる音が存在するの。中には、悲しみや怒りや恐怖とか、負の感情が込められた音があるのよ。その音を悪音アクネたちは利用するのよ!」


 ガーベラが捲し立てると、ろっこはふと思い出す。先程下校中に見た犬。もしや、あの巨大な黒い犬の正体は、あの時の犬なのではないのかと。


「じゃ、じゃあ、あの大きな犬を倒すと、元の犬さんも死んじゃうの?」


「それはないから安心しな! その犬は今もどこかで元気にしてるわよ。悪音アクネ達が利用するのは、音の残留思念。音ってのは、消えたようで消えていないの。負の感情を帯びた音の残留思念に魔力を注いで、そうやってあのアクネンを生み出しているのよ! だから、倒してもあんたが悲しむ事はない! むしろ倒すべきなのよ! わかった?」


 ガーベラの説明を聞いて、ろっこは納得し、再び走り出す。


「ほわっちょーい!」


 奇声を発しながらろっこは再び跳躍する。道路から建物の屋根へ、更にそこから跳んで、犬型アクネンの頭上にまでやって来た。


「暴れる悪い子は許さないんだからー! 大人しくしなさーい!」


 そう叫びながら落下の勢いを乗せた蹴りを犬型アクネンの脳天に直撃させた。


「グヌオッ!」


 呻いた犬型アクネンだったが、その顔を怒りに歪ませ、宙返りする。大きな尻尾を鞭のようにしならせ、ろっこを弾き飛ばす。

 犬型アクネンにもプライドがあるのだ。生意気な小娘になどやられるわけにはいかないのだ。何より、生みの親である悪音アクネ様に怒られるのが怖いのだ。


「痛くないけど、いったーい! ふえーん!」


 ろっこは叫ぶ。だが、吹き飛ばされながらも、魔法によって強化された身体能力により、宙で体勢を持ち直す。

 ろっこも負ける訳にはいかないのだ。大好きな街を壊されたくない。何より、今日は帰ってマンガを読んで、動画を見て、寝るのだ。いや、ギターの練習もしなくちゃいけないのだ。そのためにも、あのアクネンを倒さなくてはいけないのだ。


 だが、戦意を固めたろっこに脅威がふりかかる。前方の犬型アクネンは、大きく息を吸い込む。弾き飛ばして宙を舞うろっこに向かって、吠えた。


『グルガガワワァーンヌ!』


 犬型アクネンが放ったバインドボイス。音による振動波は、周囲の建物を巻き添えにする程の破壊力を伴い、ろっこに直撃しようとしていた。

 宙に投げ出されたままのろっこは顔が強張り、襲い来る脅威をどうすればいいのか判断が出来なかった。


「ろっこ! ムスタングを使うのよ!」


 ろっこのポニーテールに掴まっていたガーベラが叫ぶ。考える余裕を失っていたろっこはその言葉を耳にし、反射的に動く。

 自身の腰の位置にあるギターを掲げる。ストラップは自然に伸び、左手でネック部分、右手でボディ部分を持つ。


『ギュリララッディーダリダリラ!』


 既にアンプとは繋がれていない筈のムスタングから爆音が発せられ、襲い来る破壊的なバインドボイスを、ムスタングが見事に防御してくれた。


「しゅ、しゅごい! ムスタングが、わたしを守ってくれた!」


 未だ吹き飛ばされ中でありながらも、ろっこは感嘆の声を上げて目を輝かせていた。


「これが、マギロクが持つギターの力よ! ムスタングも、あてぃし達と一緒に戦ってくれるってさ!」


 ガーベラのその言葉で、ろっこは顔を綻ばせ、嬉しくなってしまう。自分は、心細くなんかないのだと、はっきりわかったのだ。


「ありがとう。わたし、勝つよ!」


 ろっこはガーベラとムスタングに誓う。後方には河にかかる大きな橋があった。吹き飛ばされたろっこは、宙でくるりと回転して体勢を整え、橋の欄干に足をつける。

 そして、顔を上げ、前方を向く。橋の欄干を思い切り蹴って前方に向かって飛ぶ。


「あいつはなかなか頑丈だから、殴ってもあまりダメージはないわね。ろっこ、ムスタングで殴りなさい!」


 前方の犬型アクネンに向かって突撃しながらガーベラが指示した。


「わかった! って、えぇー!? ムスタングで殴ったら壊れちゃわない!?」


 宙を飛びながらろっこは慌て出す。だが、ろっこのポニーテールに掴まったガーベラは、チッチッと指を振る。


「魔法少女になった今のムスタングは無敵! 絶対壊れないじぇい! さっきだって、ろっこを守ったじゃない!」


 ガーベラに指摘され、ろっこは「あ、そっか」と納得する。

 そして、標的の犬型アクネンは目前に迫っていた。目の前に飛来したろっこ達を迎え撃つため、再び大きな口を開けてバインドボイスを放つつもりだ。


「さぁ、ろっこ! 思い切りぶちかましなさい!」


「まかせて! うおーりゃー!」


 アクネンの顔面を目前にし、ろっこはムスタングのネックを両手で持ち、空中でムスタングを横に1回転振り回し、勢いをつけてから犬型アクネンの横顔を殴打した。


『ダッダダッゴガーン!』


 ギターは楽器です。実際に振り回したら壊れます。やめましょう。どうしても振り回したくなってみたら、周りに物や人がいない事をきちんと確認してから振り回しましょう。


「ンググオー!?」


 ろっこのムスタングで殴打された犬型アクネンは、叫び声を上げて吹き飛ばされ、ビルに激突した。

 あの巨大な犬が、小さな魔法少女によって殴り飛ばされてしまった。道路に降り立ったろっこは、その事実に実感がなく、呆然としていた。


「ほ、ほわ、ほわわちょちょー!? すごいよ、ガーちゃん! これが、魔法少女の力なの!?」


「そうよ、ろっこ! 魔法少女の、そして、あんたの力よ!」


 ガーベラはウインクしながら言い、その事を実感したろっこは自身の手とムスタングを見つめる。

 ドジで、失敗ばかりだった自分が、今はこんなにすごい事が出来てしまう。自分にだって、何かが出来るんだという事実が、不思議で、そしてどこか嬉しかった。


「ろっこ! まだ戦いは終わってないわよ!」


 ガーベラの言葉にハッとし、ろっこは顔を上げる。ビルに衝突した犬型アクネンは、尻尾を振り回しながら跳躍する。その際に周囲の瓦礫を四方に撒き散らしてきた。


「ぐっうぅ!」


 勢いよく飛ばされた大きな瓦礫に対処が間に合わず、ろっこはその衝撃を正面から受けて吹き飛ばされた。


「ろっこ、あんた大丈夫!?」


「う、うん。ちょっと、痛いかも」


 魔法少女の加護を持ってしても、衝撃を全て緩和する事は出来なかったようだ。犬型アクネンが魔力を込めて瓦礫を飛ばしたのだろう。


「あいつも、弱ってきてんだわ。焦ってるのよ! ろっこ、ここで一気にカタをつけるのよ!」


 ガーベラの言葉に頷き、ろっこは立ち上がる。だが、犬型アクネンは透かさずバインドボイスを放ってきた。


『グオォオオンッ! ガルルォオー!』


 先程とは比べ物にならないバインドボイスが発生し、周囲の建物を破壊していく。


「ぐっ! きっついよー! これ、じゃ、動けない!」


 魔法少女であるろっこも身動きが出来ない程の凄まじさ。バインドボイスの嵐である。そのバインドボイスにより、次第にろっこの魔法少女衣装も傷ついていく。このまま衣装が破壊されれば、元の人間の状態に戻ってしまう。そうなれば、命がある保証などない。


「ろっこー! ムスタングを弾きなさーい!」


 ガーベラは吹き飛ばされそうになりながらも、ろっこのポニーテールに必死にしがみつきながらそう叫んだ。


「弾くって、わたし、ギター、全然、弾けないんだよぉ」


 ろっこは泣きながらそう言っていた。自分が死んでしまうかもしれないと思い始め、戦意が徐々に薄れていたのだ。


「バカ! ムスタングは、あんたの味方よ! まだ、あんたには魔力が残ってる! あんたは、弾ける! ろっこー、魔法と、ロックを、信じるんだじぇーい!」


 この不利な状況でも、ガーベラは苦し紛れに笑みを浮かべながら親指を立てる。


 ろっこは自信がなく、「でも」と言いかける。自分は今まで、音楽の授業でも楽器をまともに扱えなかった。歌も音痴。リズム感もない。そんな自分が、今日初めてギターに触れた。まだ何も弾けない。

 そう思った後で、再び「でも」と心の中で呟く。


「わたし、負けないから。ガーちゃんとムスタングがいるから。わたし、やる!」


 そう言って、ろっこはギターを構える。ファグもガーベラも教えてくれた、「ギターが答えてくれる」というその言葉を胸に。



「これが、わたしの、ロックだー!」


 そう叫び、ろっこはムスタングをかき鳴らした。

 左手でどこを押さえているのかもわからない。

 右手でどの弦を弾いているのかもわからない。

 それでも、ろっこは自分の魂を音に込めた。


『ギュラリラギラッディーガギガディラー!』


 そのろっこの音に、魔法が重なる。魔法が音を強化していく。魔法が音を拡げていく。それだけで、あの犬型アクネンのバインドボイスを容易く押し返していく。


「ろっこ、あんた……!? いけ……そのまま、いくんだじぇー!」


「うん! いっけぇー!」


 ろっこの身体は輝く魔法の音に包まれていく。

 そして、ムスタングが教えてくれる。


「マギロック・ブリリアント・ロアー!」


 ろっこがその言葉を放つと、ムスタングから轟音と共に光の束が放出され、犬型アクネンを包み込む。


「ガルルルーン……」


 荒々しく、優しい生命力に満ちた音によって、アクネンは霧のように薄れて消えていった。


「はぁはぁ……おわ、ったの?」


 周囲を静寂が包んでいた。先程の巨大な犬の姿は跡形もない。


「ろっこー! あんた、やったじゃなーい! 倒したのよ!」


 呆然と立ち尽くすろっこの背中を、ガーベラが勢いよくパシーンと叩き、ろっこは蹌踉めく。


「本当に? わたし、倒したの? わたし、勝ったんだ? よかったよー! うえーん!」


 漸く勝利を実感し、ろっこは号泣し出した。


「何、泣いてんのよ! あてぃし達の戦いはまだ始まったばかりなのよ!」


 そう言ったガーベラも涙を浮かべていた。


「うん、うん。ガーちゃんありがとー! ムスタングもありがとー!」


 泣きながらろっこはガーベラに抱きついていた。


「お疲れ様、ろっこちゃん」


 そこへファグとレティがやって来た。2人とも安全な場所で見守っていたのだ。


「ろっこ、でかしたわ! 最高のデビューだった!」


 拳を握って言ったレティだったが、ろっこの顔を見て固まる。ろっこは涙と鼻水とよだれを垂れ流して顔がぐちゃぐちゃだったからだ。


「大変だったね。さ、戻ろうか。晩御飯、レティがご馳走してくれるから」


 ファグがそう伝えると、ろっこの涙は止まる。そして、急激に空腹感が増す。


「本当れしゅかー!?」


 鼻水をぷらんと揺らしてろっこはレティに駆け寄った。


「お祝いね。今日は、ハンバーグよー!」


「ほわちょー! ハンバーグ!」


 ろっこは飛び跳ねて喜び、ガーベラも目を輝かせる。ガーベラも実は先程のハンバーグが食べたかったのである。

 4人はアトリエ「カシミール」へと、楽しそうに帰っていくのであった。




「ふーん。まぁ、まだまだ甘ちゃんだね。大した事はないかなー。さ、帰ろ」


 戦いを遠巻きに見ていた異形の女は呟き、チュロスを食べ終えて立ち上がる。


「こんな場所で高みの見物たぁー、随分余裕こいてんなー、悪音アクネさんよ?」


 立ち上がった悪音の女の背後に、少女がいた。


「あぁ、アンタね。私、今日はもう帰るから」


「おう。いつかぶっ潰して挽き肉にしてやるから覚えとけよ」


 少女の言葉を背で聞きながら悪音の女は消えていった。


「新しい魔法少女、か。うざってえ。せいぜい頑張れよ」


 そう呟き、紫色の髪の少女はビルを飛び渡って、夕闇に溶け込むように消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます