霊の謳

白黒飴

#0 終わりと始まり

Prologue/第1話 産声は上がる

 人が死ぬときに、伏線やきっかけがあるなんて言うことはなく、いとも容易く簡単に消えていく。

 悲しむ暇もなく、後悔をするような暇もなく、気づいた時に「死」というものは、眼前で仁王立ちをしているものだ。

 人々は、それに悲しむことさえ許されず、飲み込まれる。


 とても無力だと思う。


 そして、鈴が、鳴った。


「な……なんだ?」


 ぐったりとした身体を、無理やり起こす青年。騒がしいほどの喧騒と、救急車の音がその場に反芻している。

 周りの人々はただただ群がるだけで、その行動に生産性はない。無暗矢鱈に騒ぎ立てる者と、無言で写真を撮るもの、それを取り締まろうとする警察官と、渦中の人物を助けようと必死になって、額に汗を流しながら心臓マッサージを続ける救助隊員で、辺りは混沌としていた。


「交通事故でもあったんですか?」

「……」


 青年は周りに群がっている有象無象の中の一人に事情を聴こうと試みる。しかし、喧騒に阻まれてか、比較的小さな青年の声が有象無象に届くことはなく、答えは返ってこない。

 だが、喧騒の脇で、電柱に激突して煙を出しているトラックを確認すると、青年は有象無象からの答えを貰う前に交通事故が起きたということを察した。


「……死んでんじゃねえの?」


 喧騒の真っただ中で、幾度も繰り返される上下運動。もう、倒れている男性は息をしていないのか、事故による体の損傷で、白かったであろう上着は鈍い赤で染まっていた。


「……?」


 青年は、意味も分からず歩みを進めていく。早くこんなところ離れればいいのに、自分には関係ないのに……と思いつつも、止められなさそうな歩みに、足に引きずられるように、渦中に入っていく。

 だんだんと見えてくる暫定死体の体。紺色のジーパンも、黒く比較的短い髪の毛も、彼のものによる血液で色を変えている。それ以前に、脚があり得ない方向に曲がっていた。


「うっ……!?」


 彼のものであろう鞄は、彼の体から半ば無理やり引きちぎられていて、中からは大学生なのか、難しそうな教材が散乱していた。

 しかし、青年にそれを気にする余裕はない。急に呼吸が荒くなり、口内から唾液が漏れてくる。止まらない焦りに、一縷の希望を持ちながら、有象無象の中を這う。


「こりゃあ……死んでんな……」

「はあっ……!!」


 過呼吸気味になりかけていた青年に、まるでトドメを刺すかのように発せられた有象無象の言葉は、青年をどん底に引きずり落とすものだった。


「お……れ……?」


 そう、そこで寝ていて、血を吹き出しながら救急隊員による施術を受けていたのは、紛れもなく、青年、ひいらぎ 劉兎りゅうとだったのだ。

 先程まで何とも思ってなかったのに、突然絶望感が劉兎を襲う。同時に涙が彼の頬を伝った。

 まだ彼は齢二十であるのだ。大学二年生になり、順調に前期の授業をこなし、後期も難なく進み、友人と少し早めに年末の予定を考えていたりしていた。

 ここで、奇しくも辻褄が合ってしまった。何故自分はこんなところに横たわっていたのか、何故有象無象は自分の言葉に反応をくれなかったのか……


「うぐっ!! おえっ!!」


 その場で、ひざまずいて物を吐こうとする劉兎に、吐けるものなど何もなかった。手を差し伸べる者も、ましてや背中をさすったり、心配して話しかけてくれる者だって、居やしなかったのだ。


「はあっ……はあっ……?」


 しかし、一人だけいた。

 劉兎を見て、静かに心配そうな顔をしている者がいたのだ。後ろを向く劉兎。だが、予想通り見えるのは有象無象の脚の大群だけであった。


 静かにもう一度その人の方向に向き変える。先程と同じように、劉兎を心配そうに見つめていた。

 女子高校生だろうか、華々しい制服を纏い、シンプルなストレートを後ろで束ねたその姿は、その辺で歩いている女子高生と何ら遜色はない。

 しかし、状況が状況である。劉兎には、今この場で自分の存在を確認できる人間は、こぞって天使のように見えたのである。


 次第に、喧騒が遠くなっていく。救急車に劉兎の体は持っていかれ、人々は興味をなくしたかのように日常に帰っていった。

 それにもかかわらず、劉兎と少女の邂逅は、まるで時間が止まったかのようだった。

 痺れを切らしたのか、少女は硬直している劉兎に向かって迫ってくる。真っ直ぐな歩みに、劉兎はゆっくり唾を飲み込んだ。


 そして少女は、跪いている劉兎の前まで来ると、静かにしゃがみ込んだ。


「お兄さん……死んじゃったんですか?」

「……うんっ」


 自分を認識してくれたこと、自分が死んだこと。この二つを同時に投げかけられた劉兎は、複雑な気持ちの中、涙を流しつつ、最低限の返答のみを返す。

 それを聞いた少女は静かに立ち上がった。彼女の脚が、太陽の光に照らされて、劉兎に陰を作り出す。


 一時の沈黙の中、少女はひとりでに頷いて、言った。


「実は私もなんですよ」

「へ……?」


 急なカミングアウトに、涙を流しながら顔を上げる劉兎に、少女は微笑んで、そして────


「でっ!!」

「あれ? 外した?」


 突如伸びた鋭い爪で、劉兎の頬を削り取った。血を吹き出した自身の頬を庇いながら、まだ震えている脚に鞭を打ち、立ち上がろうと試みる。少女は、劉兎の首めがけて振ったはずの爪が外れたことに違和感を持ちつつ、ニヤリと笑う。


「いいじゃないですかぁ……私の一部になりましょう?」


 光悦とした笑みを崩さないまま、ゆらりと迫る少女に、身体全体の危険察知能力が警鐘を鳴らす中、未だに震える足を叩き、踵を返した。


「ああああああっ!!」

「逃げてどうするんですかぁ? 申し訳ないですが、もまともに使えない貴方なんか、簡単に捕まえられちゃいますよ?」


 劉兎の慟哭に反応するものは一人もいない。その状況は、否が応にも、劉兎が死んでいるという事実を突き付けた。

 対する少女は、伸ばした爪をそのままに、笑みを直すことすらせずに劉兎を追いかける。劉兎の必死の逃走も虚しく、その間の距離は小さくも狭まっていった。


 曲がり角を二つ左右に曲がり、小さな脇道に入る。すると、人気がなくなったからなのか、急に劉兎のまだ傷がついていない頬を何かが掠めた。


「っう!」


 その衝撃で転んでしまう劉兎。結構な速度で走っていたからなのか、スピードを抑えきれなかった劉兎の身体は、二転三転して、やっとこさ停止する。


「鬼ごっこは終わりですよぉ?」

「ひっ!」

「あはは……爪を飛ばしたんですよ」


 よく見てみると、少女の伸びていた筈の右手の爪が短くなっていて、ふと自身の背中に痛みを感じた劉兎は背中を触る。そこには、四本、先程の伸びていた爪そっくりのものが刺さっていた。

 同時に、今まで感じていなかった疲労が劉兎を襲う。肩で息をする劉兎を、哀れそうに睨んだ少女は、身体の周りに黒いオーラを纏った。すると、短かった右手の爪がまた伸びる。


「なんでこんなことするんだよぉお!!」


 震えた声で叫ぶ劉兎。対する少女の目には、光が灯っていない。


「なんでってそりゃあ……」


 劉兎の目と鼻の先まで来た少女は、劉兎の首筋に爪を当てながら話す。


「私がだからですかねえ」

「なんだよそれぇ!」

「貴方は別に知らなくてもいい世界ですよ」


 すると、少女の目に赤色の光が灯る。先程まで艶があった黒髪に艶はなく、ただの漆黒であった。


「もう死ぬんですから!」

「ぐえっ!」


 少女が力一杯に劉兎を押し倒し、おもむろに腹に爪を刺す。


「嫌だあああ! 死にたくないいい!」

「あははははは! もう死んでるんだからいいじゃん!」


 腹部を抉られ、吹き出す血液。それは何処からどう見ても生きているものと酷似している。

 腹を搔き回す少女の狂笑きょうしょうと、劉兎の叫びが反響する。しかし、突如劉兎の右手が黄色く光りだした。


「なっ!!」


 劉兎の光る手を見て、一瞬動きを止める少女。


「あああああっ!!」


 居ても立っても居られない劉兎は、その拳に全体重を入れて振るった。


「がっ!」

「え?」


 鈍い音と共に、短くえた少女は天高く押し上げられる。腹部の痛みも忘れるほどの衝撃に、劉兎はゆっくり起き上がった。

 数秒後、何故か全身がぐちゃぐちゃになった少女だったものが地上に落ちる。そして、何かをぐちぐち言いながら、霧散した。


「……」


 急な出来事で、見ていることしかできなかった劉兎だったが、すぐに腹部の痛みがぶり返し、その場に倒れこんだ。

 涙を流しながら、遠のく意識を手放したのだった。


そして、鈴の音を聴いた劉兎は起き上がる。


「うっ」

「起きた?」

「えっ……誰?」


 しかし、意外にも起きた場所はモダンな一室。劉兎より年上そうな女性が、起きたばかりで覚醒しきってない劉兎を覗き込む。先程襲われていた少女とは違い、艶はあるものの、傷んだ灰色の髪が、劉兎の頬に優しく触れていた。


「一命は取り留めたようだね」

「??」


 女性の奥から出てきたのは老けた白髪の男性。左目に眼帯をしている。

 状況がまだ飲み込めない劉兎だが、腹部の痛みが治っていることもあり、不思議と警戒しなかった。


「単刀直入に悪いがいいかな? 私は香納かのう 幸太郎こうたろう悪霊退散会あくりょうたいさんかいの会長をしている。こっちの女性は羽根野はねの 萌葱もえぎ。君をここまで運んでくれた」


 幸太郎の紹介で、萌葱が会釈をする。劉兎も釣られるように会釈をし、自己紹介をした。


「劉兎くんか……いい名前だね」

「な、なんでしょうか?」

「君に、折り入って頼みがあるんだ」


 首をかしげる劉兎を見て微笑みながら、幸太郎は一拍置いて、言った。


「君に、この悪霊退散会に入ってほしい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る