EXTRA STORY 5.

 それから程なくしてサロンの扉が軽くノックされた。

 三人娘の長女、桜が現在の状況についての報告にやってきたのだ。だが、万次郎に深々と頭を下げた桜の顔はどこか浮かない。

 何かトラブルでも起きたのだろうか。少し不安になった俺を余所に、桜は手元のカルテを繰りながら報告する。

「もうすぐ彬さまの全ての準備が終了いたします。それはもう、咲き誇る百合の花のように愛らしくなられましたわ。ただ……」

「ただ?」

「お召し物が……」

 桜が言うには、この屋敷には御陵先生に合うようなサイズやデザインの服が無かったらしいのだ。確かに、この屋敷に住んで居るのは万次郎と三人娘くらいのもので、あとは日替わりで家政婦や警備員が派遣されて来るくらい。屋敷にある服は大抵が万次郎の好みとサイズに合わせられていて、あのちんまりとした先生にはサイズもデザインも合わないのだろう。

 でも。

「万次郎の服はともかく、三人娘おまえらの服なら着られるんじゃないのか?」

 俺は至極真っ当な意見を述べたつもりだった。三人娘は先生より背があるから、袖や裾は少し長いかも知れないが着られないことはないはずだ。だけど次の瞬間、万次郎や桜からは批難の声が降ってきた。

「あらやだ、絵のモデルにするのにサイズの合ってないお古を着せるつもり? 曲がりなりにも美容の魔女として、それは看過できないわね」

「本当に、鞍馬さまにはデリカシーというものが欠けておいでですね」

 万次郎の言葉はともかく、柔らかい笑顔を張り付かせたままの桜には体良ていよく貶されただけな気もするが、とにかく、どうやら美容に携わる者としてはサイズの合わない服を着せるのは見過ごせないらしい。

「えぇ、じゃあどうするんだよ」

「やり方はいくつかあるけど、そうねぇ……」

 万次郎は立てた人差し指を唇にあてて考えるような仕草をしたが、それはパフォーマンスだったようだ。すぐにうんと大きく頷いて俺を振り返る。

「鞍馬くん、車で来てるでしょ。最寄りのブティックまで行って買ってきてあげなさい。大体、貴方の絵のモデルになってもらうんだから、服くらいプレゼントしてあげて然るべきよ。さあさあ、行ってらっしゃい!」

「えっ……? ちょ、ま……!」

 余りに早い展開に思わず抵抗したのも束の間。俺は万次郎に強引に背を押されて、サロンからさっさと追い出されてしまったのだった。

「鞍馬さま」

 サロンの前で呆然と閉まりゆく扉を見ていた俺に、その隙間から声がかけられた。桜だ。

「信用は一切しておりませんが、マリアさまのお言いつけなのでお渡し致しますわ」

 扉の隙間から伸びてきた桜の手から俺に渡されたのは、でっかく「悪用禁止」と書かれた御陵先生の詳しいサイズが書かれているらしいメモだけだった。

 全く、悪用って何のことだよ。いや、解らない訳じゃないけど……。

 俺は不満を垂れながらも、仕方なく車を出して近くにあるブティックまで御陵先生に合いそうな服を見繕いに行った。

 万次郎が指定したブティックは、この界隈に住む富裕層の若い女性たち御用達の店らしい。店内はこぢんまりとしてはいたがどれも素材から縫製までこだわったであろうたくさんの衣料品が並んでいた。

 客は俺一人。そのことに何となくほっとしたのも束の間、俺は販売員として店頭に立っていた二人の女にしっかりとマークされてしまった。

「贈り物ですか?」

 少し年配の、笑顔が柔らかい印象を受ける販売員が優しく話しかけてくる。俺がぎこちなく頷くと、今度はもう片方の若い販売員が目を輝かせる。

「もしかして、彼女さんにですか?」

 丸出しの好奇心で、若干喰い気味に訊ねてくる若い販売員。年配の販売員が視線でやんわりと諫めようとしていたが、それにも気付かないようだ。

「え? ……あー、はい」

 込み入った事情を説明することもできず、さりとて各方面に配慮した作り話を考えるのも難しくて、俺はつい適当を言ってしまう。だけどその適当は随分と彼女たちに歓迎されたようだった。

 二人は慣れない手つきで女物の服を選ぶ俺にたくさんのアドバイスをしてくれた。その甲斐もあって、程なく俺はそれらしい服を一揃い選ぶことができたのだ。

 かくして、販売員が過剰に可愛らしくラッピングしてくれた大仰なプレゼントボックスを助手席に乗せてブティックを後にした俺は、まるで何かから解き放たれたかのようにはあと大きなため息をついた。

「ったく、どうして俺がこんなことを……」

 文句を言いながら、俺は既にすっかりと暗くなってしまった夜の道に車を走らせる。

 だけどその一方で、助手席に置かれたプレゼントボックスを見て俺はなんとなく、得も言われぬ気分になるのだった。

「……もし、加羅里からりが生きていたら……こんなのも珍しくない日常だったのかも知れない……な……」

 そこまで言ってから、俺は頭を軽く左右に振る。せんいことを考えてしまった。

 だってあの人はもう十一年も前に「死んでいる」のだから。

「……さ、急ごう」

 そうひとちて、俺はアクセルを強めに踏んだ。

 それは、今感じているこの気持ちが俺のスピードに追いついてこれないようにするためだった。

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