15.温故知新

 しょうけら。

 佐脇さわき嵩之すうしの「百怪図巻ひゃっかいずかん」や鳥山とりやま石燕せきえんの「画図百鬼夜行がずひゃっきやこう」などの江戸時代の妖怪画集に収められて今に伝わる日本の妖怪だ。百怪図巻、画図百鬼夜行、ともに絵だけの掲載で説明文が付けられていないため、どんな妖怪であるのかは判然としないが、民間信仰においては庚申待こうしんまちの行事に関係があるとされている。

 庚申かのえさるの日の夜には、人間の体内にいる三尸さんしという三匹の虫が体から抜け出して天へと昇り、天帝てんていにその人の罪を告げるのだという。天帝に罪を知られた人間は寿命を縮められたり、命を奪われたりすると言われている。三尸を体外に出さないようにするには六十日に一度やってくる庚申の夜を眠らずに明かす必要があるため、人々は夜を徹してにぎやかにうたげもよおした。それが庚申待の行事だ。

 しょうけらはその庚申待において人間に害をもたらす妖怪らしく、「しょうけらはわたとてまたか我宿へ、ねぬぞねたかぞねたかぞねぬば」という厄除やくよけの呪文も伝わっている。一説にはしょうけらは三尸と同一の存在とも言われている――。




「………………」

 そこまで説明を読んで、私は手にしていた本をぱたんと閉じた。

 今日の顔合わせで草壁氏にもらったお題は「しょうけら」。勿論私には聞いたことのない言葉だったため、帰る足で図書館に寄って関連書籍を漁ってきたのだ。図書館の閉館時刻が近かったこともあって家でじっくり読もうと何冊か借りてきたのだが、どれも内容は驚くほど薄かった。 

 一番詳しく記述されていたその本のまんだ説明を見ただけではしょうけらがどんな妖怪なのか全容ぜんようははっきりしない。本には江戸時代の絵師が描いたというしょうけらの姿も載せられていたけれど、それらの絵にはどうしても草壁氏の絵から感じたようなじわりと現実に浸透してくるような実感が湧いてこなかった。

 これではいくらなんでもどう恐怖を感じていいのか解らない。

 私はふうとため息をついてから、借りてきた本をパソコンの置いてある折りたたみ机の上に全て積み上げた。酷い徒労感とろうかんに、体はともかく気分がとても疲れていた。足を引きずるようにベッドまで戻り、ばたり、とうつ伏せに寝転がる。

「あーあ、幻想小説なら全部想像で書いてしまうのになぁ」

 そう独り言を言ってころんと寝返りをうち仰向けになると、部屋を薄明るくしているものの細かい明滅めいめつの目立ってきた蛍光灯と埃でうっすらと黒くなったそのシェードを見上げた。

 だらしない格好で寝転んだ私は、しかしその瞬間、何かがちらりと脳裏をよぎったのを感じた。

「……あれ?」

 むくりと起き上がり、私は考え直す。

「そっか、別にノンフィクションなわけじゃないんだし、足りない分は想像と脚色でいいのかな……?」

 それは気づきだった。

 妖怪は何も現実に存在するわけではない。ならば大体のアウトラインさえ保っていれば想像でいくらでも補完ほかんしていいのではないか。

 そうだ、それは幻想小説に登場するものたちと変わらない。要は自分が「怖い」と思う設定姿を付けていけばいいのだ。

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