第60話 日常

『ほぉ……そんなことがなぁ。まぁ、いずれにしろ無事で何よりだ』


「無事で何より――じゃないですよ。こっちは満足に報酬を受け取れなかったんですから。これじゃあ商売あがったりですって」


『命が助かっただけでもマシだろうに、報酬の愚痴をこぼすとは、やっぱりお前らしいな』


 電話の受話口から聞こえてくる、馴染みの警官――東城とうじょうの笑いを含んだ声に、大河たいがは事務所の椅子に深く腰掛けながら、机の上に足をどんと置いた、大層行儀の悪い格好で、どこか嬉しそうに赤端あかはた村での出来事を語っていた。


「愚痴のひとつやふたつ、言いたくなりますよ。いくら死んでいたんだって説明しても、証拠がないなら認めない、報酬も半分しか払わないって、頑として譲らないんですよ?」


『そりゃ当然だろう。親ってのはそういうもんだ。まぁ、現に行方不明になっていた大学生の遺体も、見つかってないんだから、証明のしようもないしな』


「そりゃないですよ、東城さん。今はもう山の所有者も居ないんでしょ? 捜索かなんかできないんですか? 絶対あの山のどこかに死体があるはずなんですって」


『だから、管轄が違うから捜査はできないんだって言ってるだろう? それに、お前が経験したことをありのままに説明したとして、本当に県警が動くと思うか?』


 東城の核心を突く言葉に、大河はがっくりとうなだれながらも、なんとか頭を持ち上げ、力なく続けた。


「……まぁ、無理っすよね。あの大村おおむら誠吾せいごっていう当主も、一人暮らしだったみたいですし、警察の捜査が入るとしても、だいぶ先ってとこですかね」


『物分かりがいいじゃねぇか。ま、その辺は報酬の半分と、消えるはずだった二人分の命が拾えただけ、儲けだと思うんだな。それじゃあ、俺は次の事件があるから、これで切るぞ』


「あぁ、最後に一つだけいいですか、東城さん」


『――んっ? 何でも言ってみろ。答えるかは気分次第だけどな』


 東城の飾らない言い様に、大河は軽く笑いながら、より深く背もたれに寄り掛かる。


「もしかしてですけど、今回の件って、東城さん――犯人が人間じゃないって、最初からわかってたりしました?」


 大河の放った質問に、ほんの一瞬ではあるが、場の空気が凍る。


 時間にしたなら1秒にも満たないほどの、無言の間であったが、それまでの会話のテンポを考えれば、十分不自然に感じられた。


『……さあな。じゃあ、切るぞ』


 ガチャリと受話器を置く音を最後に、通話の切断を告げる音が大河の耳元に流れ続けた。


「……こいつは、東城さん。きっとわかってたな。その上で、こっちに命張らせるんだからよ……今度、飯でも奢ってもらわないとな」


 大河はそうつぶやくと、耳に当てていた携帯電話をそっと離し、通話を完全に切る。


 そして、頭を後部から支えるように手を組むと、そのまま椅子に寄り掛かるような体勢で、退屈そうにあくびをした。


 相変わらず机の上にはハズレの馬券であったり、食べかけのつまみであったりが散らかっており、自堕落な日常がそこには広がっていた。


「……いやぁ。でも、これでまた平凡な生活に逆戻りだな……」


 事務所の天井と、そこに備え付けられている蛍光灯をぼんやりと眺めながら、大河はゆっくりと目を閉じ、惰眠をむさぼろうとする。


「――んっ?」


 後は、目をつむり、意識を深淵へと引っ込めるだけの状態にあった大河であったが、何者かの視線を感じ、視線を動かす。


 誰かが近づいてくるような気配も、足音も、なかったはずだ。


 だとしたら、一体何がこちらを見ているというのだろうか。


 大河は、最悪の事態を脳内に描き、それを空想だと自らの意思で上塗りした後、恐る恐る目線だけを動かして、視線の正体を確認しようとする。


 そこは、普段静穂が使用している事務机の隣にあるスペースであり、背後には過去に携わった依頼に関する資料が納められている棚の前でもあった。


「――もう、大河さん。また仕事をサボろうとしてますね!」


 そこに居たのは、淡いピンクのブラウスに、これまた淡い藤色のスカートを合わせた格好をした、黒髪のロングヘアに丸眼鏡といった、いつものスタイルを貫く探偵助手――前原まえはら静穂しずほが、今にも噴火しそうな火山のように怒りを蓄え、大河の顔をじっとにらんでいる姿であった。


「……なんだ、静穂か」


 大河はチラッと脳裏をかすめた、最悪の事態を回避できていたことに対する安堵から、一気に脱力する。


「何をホッとしたような顔をしてるんですか。この前言ったレンタカーの修理費、全然足りてないんですけど、どうするつもりなんですか!」


「いや、どうするも何も。ない袖は振れないって」


 軽く手を振り、あしらおうとする大河であったが、この屋敷やしき探偵事務所の事務全般をこなしている静穂にとっては、まったくの逆効果であった。


 無論、静穂は今の大河の発言が相当に頭にきたらしく、額に青筋を浮かべるほどの作り笑顔を浮かべながら、冷酷にカウンターパンチを言い放つ。


「そうですか。それじゃあ、大河さんの名義で各方面に処理を通しておきますね」


「おい、各方面ってなんだよ! 俺だって一応生活あるんだぞ⁉」


 不穏な気配を察知したのか、大河は再び眠りに就こうとしていた身体を無理やりに飛び起こさせ、そのままバランスを崩して床の上へと転がり落ちた。


 ビタンという痛々しい音が響いたかと思えば、床の上では大河が、顔をゆがめながら痛打した腰を何度もさすっていた。


 対して静穂は自らの声がしっかりと聞き取れるようにと、しゃがみ込んで、当初の目的であった一言を言い放った。


「じゃあ、ちゃんと仕事の方、頑張ってくださいね。私の方でたくさん受けておいたので――」


 その顔は男子をからかう少女のようであったが、それをそのまま受け取るのも気恥しさを覚えたのか、大河は最後の抵抗を試みる。


「なっ、お前……仕事を受けるかどうかは俺が判断を――」


「じゃあ、事務所の備品と大河さんのを担保に――」


「わかった。受ける。受けるからやめてくれ」


「わかればいいんですよ。それじゃあ、今日のお仕事、頑張ってくださいね」


「え? 今日の?」


 静穂の放った言葉の意味を瞬時には理解できず、大河は床に転がった状態のまま、考え込む。


 瞬間、事務所のドア向こうから、カンカンカンと誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきた。


 そして、その人物はためらいなく、事務所のドアを開け、尋ねる。


「――すいません、こちらが屋敷探偵事務所でよろしかったでしょう……か?」


 依頼人と思われる女性は、事務所の床に寝そべった状態の大河と、その脇でしゃがみ込んでいる静穂を見て、眉をひそめたのだった。

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赤端村 一飛 由 @ippi

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