第41話 別れの言葉
それは、自らの雇い主であり、ある種仕事のパートナーでもある男――
先ほど電話を掛けた時は、大河自身に危険が及んでいるといった印象はなかった。
ただ、大河がこちらの調査結果を求めてきたことから考えて、近い将来危険に遭遇する可能性は否定できない。
幸い、
「大河さん、大丈夫かな……」
スマートフォンを手に取り、画面をのぞき込む静穂。
だが、あと一歩のところで通話ボタンに手を触れるまでは届かない。
というのも、大河自身が電話をあまり好まないということもあるが、静穂自身が気にかけているということを、露骨にしすぎて気付かれたくはないという思いがあったからでもあった。
フェミニンなブラウスにスカートという出で立ちが、吹き抜ける風によってわずかに膨らみ、黒い長髪をもなびかせる。
思わず髪と裾を押さえる静穂であったが、それでもすべては押さえきれず、まるで自身の心情をそのまま表しているかのようであった。
風が治まったところで、静穂は身なりを整える。
今視界に広がっている世界は、どこまでも平和なのに、心は今でも強くざわつき、不安が治まることがない。
今までも、大河が一人で捜査を進めることは度々あったが、虫の知らせとでもいうのだろうか、何とも表現しがたい不安に突如として襲われるという経験は、これまでの仕事において初めてのことであった。
「……手遅れになる前に、電話はしておいた方がいいわよね」
見えない何かに突き動かされるように、静穂は大河の携帯電話に電話をかける。
万が一、出なかったらどうしよう……そんな、もしもの未来を一瞬脳裏に思い描くが、幸いにも大河は5コールほどかけたタイミングで通話に出た。
『静穂か。何かわかったか?』
受話口から聞こえる緊迫した大河の声。
その声色だけで、大河が安全な状態にないということがわかる。
しかしながら、電話のタイミングが手遅れではなかったということに、不謹慎ながらも安心している自分がいた。
静穂は、はやる気持ちを抑えて、電話口の先にいる大河へと、用意していた言葉を差し向ける。
「はい。さっき大村さんの家にも行って確認したんですけど、
『何っ、どういうわけだ⁉』
食いつくように大河は聞き返してくる。
恐らく、状況は芳しくはないのであろうことは容易に想像がつくが、大河に余計な気をつかわせまいと、静穂はそのことには触れずに言葉を続けようとする。
なるべく早口にならないよう、細心の注意を払いながら、静穂は自分の手に入れた情報を語り始めた。
「解読した資料の方にも書かれてたんですが、多分あやかちゃんを襲ったと思われる怪物は、暗闇の中までは追ってこないみたいなんです」
『……なるほど。だから部屋の中があれだけ暗かったわけか。そう言うってことは、その過程まで静穂はわかってるんだろ?』
「はい。大村さんが逃げてきたあやかちゃんに、教えたそうです。ただ、怪物を追い払う方法については、わからなくて……」
『まぁ、そうだろうな。そんな方法がわかっていたのなら、ここまで被害が広がったりするわけはないはずだしな』
「すいません。力不足で……もし、大河さんがよければ、私もそっちに行って捜査に協力を――」
『――ダメだ!』
そこまで静穂が口にしたところで、暴風でも吹いたかのように大河の大声が響き、それ以上の動きを制した。
「大河……さん?」
『大声を出して悪かった。大丈夫だから、こっちは俺に任せるんだ。だから静穂はこっちには来るな。絶対にだ。恐らく、この場所は――』
「……足を踏み入れたら、無事では済まない。最悪、命を落とす可能性もある……そうですよね?」
静穂の返答に、大河は一瞬言葉を詰まらせる。
だが、すぐに大河は状況を察したらしく、続きの言葉を紡いだ。
『……知ってたのか?』
「えぇ。大村さんも、そう言ってました」
『じゃあ、何でこっちに来るだなんてそんなことを――』
目には見えないものの、大河が呆れた顔をしている様子が、静穂には見えていた。
「……何でですかね。仕事のし過ぎで頭でも疲れちゃったんでしょうか」
『すまなかった。静穂、仕事はいいから、ゆっくり宿で休め。そして明日にでも東京に帰って依頼者へ結果を報告するんだ』
「報告って……それだと、大河さんはどうするんですか」
『そうだな。しばらくサバイバル生活でもしてみるさ』
「サバイバルって、大河さん一人じゃ何もできないじゃないですか」
『ひでぇ言いようだな。俺だって、一応は一人暮らししてるんだぞ?』
「そうでしたっけ」
『そうだよ』
本当は大河は安全な場所にいて、静穂をからかっているのではないかと思えるような、他愛なくもくだらない会話のやり取りが続く。
それなのに、静穂にはそれがどうしようもなく、貴重な時間に思えて、意図せず感情が噴き出てくる。
しかし、それでも現実は思い通りにならないもので、聞きたくはない言葉というものも、大河の口からは容赦なく吐き出されてしまう。
『まぁ、俺が帰らなかったら、その時は事務所の方、よろしく頼むわ』
無理に強がって放たれた言葉だとはわかっているのに、その破壊力は想像以上に強力で、静穂は胸を銃弾で撃ち抜かれたかのようなショックを受けてしまう。
それでも、静穂は気丈に、最後まで助手として、探偵――屋敷大河のパートナーとして振る舞うべく、笑って答えた。
「わかりました。でも、絶対帰ってきてくださいよ」
『……それじゃ、そろそろ切るぞ』
そう言うと、大河は静穂の返事を待たずして通話を切った。
「……大河さん、嘘ですよね。冗談、なんですよね?」
瞳を潤ませながら、静穂は呼び掛けるが、その言葉に返事をしてくれる者は、もうどこにもいない。
一人その場に残された静穂は、曇り模様になりつつある空の下、スマートフォンを握りしめる手に力を込めつつ、行き場のない感情をこらえるように、ただ俯き、静かに肩を震わせていた。
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