第19話 目的地

「……ふぅ」


 資料を粗方読み終えた大河たいがは、ファイルを閉じつつも、目を閉じて疲労しかけた目を休める。


 ただ、その表情は決して明るいとはいえない。


 それも当然で、伝承についての資料という点では、大河が既に入手してあるものと大差なく、有用な情報も大して得られなかったからだ。


 唯一の新情報も、伝承の跡地を巡るという予定が、丸い可愛らしい文字で書き込まれている程度で、具体的な場所までは記されておらず、彼らの足跡をたどるのは困難としか言いようがない。


「――あの、どうでしたか? 何か、わかりました?」


 一通り精読が終わったと察したのであろう、女性警察官――益川ますかわの気遣う声が大河にかけられる。


「ははっ、いやぁ……特にこれといっては。スマホのひとつでもあれば助かったんですけどね」


 大河は目を開くと、苦笑いを浮かべながら、手にしたファイルを益川へと返した。


「そうですよね……すいません、あまり力になれなくて」


 そう言うと益川は申し訳なさそうに頭を下げる。


 対して大河は、やんわりとフォローを入れながら、手袋を脱いだ。


「いえいえ。ここにある物品から、手がかりになる情報がないということがわかっただけでも、十分ですよ。調べないことと、調べた上で何もないということは、まったく別物ですから」


「そう、ですよね。すいません、それじゃあ荷物の方は片付けておきますので、屋敷やしきさんは外に出ていただいて結構ですよ」


 そう言って片づけを始める益川を視界に収めつつ、大河はあごに手を当て、これからの自身の行動について考えを巡らせていた。


 そして、ふと一つの素朴な疑問に行き当たった大河は、有益な情報を得られる確証はなかったが、確認という意味も込めて、丁寧に中味のチェックを行う益川に声をかけた。


「あの、益川さんにおうかがいしたいのですが――」


「はい、なんでしょう?」


「益川さんは赤端あかはた村の伝承についてはご存じですか?」


「詳しくは知らないですけど、確か、恋人を殺された男性が復讐鬼になってしまったっていうお話ですよね。最後は退治されたんだったかな?」


 作業の手を止め、視線を上向けて記憶を思い返しながら語る益川。


 そんな彼女に、大河は畳みかけるように次の質問を放る。


「ちなみに、その舞台になった場所ってどの辺になるか、わかりますか? 大村おおむらさんの家にも行ったんですが、聞きそびれてしまって――」


 うっかりしていたとばかりに、露骨に照れ笑いを浮かべ、頭を掻いてみせる大河。


 正直なところ、その舞台とやらが禁足地と呼ばれる場所なのだろうという予測はついていたが、この若い警察官であれば、もしかしたら具体的な場所を教えてくれるかもしれないという期待も絡んでのことであった。


 そういった大河の表には出さない言葉の真意に、益川は疑う様子も見せず、素直に口を開いた。


「私も行ったことはないですけど、確か大村さんの家の裏にある山の、その裏側にそういう集落があったはずです。ただ、山は大村さんの土地ですので、勝手に入るのはダメですよ。見るだけというのなら、山を迂回するように道路が走っているので、そこから遠目に見ることはできますが、結構な距離があるのであまりお勧めできませんね」


「そうですか……もしかしたら跡地で調査をしているのかもしれないと思ったんですがね。見るのも大変となると、参ったなぁ……警察の権限で、捜査とかできないんですか?」


 大河の提案に、益川は一度目を伏せた後、寂しそうな眼差しで答える。


「そういった声もあったのですが、残念ながら……大村さんも頑なに立ち入りを許可してくれなくて。明確な証拠があるわけでもないですし、強引に捜査もできないとの決定が下りまして、残念ながら……」


「そうでしたか。いえ、理由があるのであれば仕方ないですよ。それでは、俺はこれで失礼します。本日は協力していただき、ありがとうございました」


 両膝に手を置き、深々と頭を下げると、大河は帽子を手に立ち上がる。


「はい、お帰りの際はお気をつけて。都会とは違って、この辺りは外灯もないので、日が暮れると何も見えなくなりますから」


「お気遣い、感謝します」


「いえ、人々の平和を守ることが、警察官の職務ですから」


「……えぇ。益川さんも、お仕事大変でしょうが、頑張ってください」


「はい」


 益川から向けられた、太陽のように明るく、まぶしい笑顔に、大河は目を丸くするも、すぐに微笑みを返し、背を向ける。


 そして、そのまま段差の先にある靴へと両足をつっこむと、スタスタと外へ向けて歩き始めた。


「うぉっ、外は相変わらずだな」


 交番を出るなり、容赦なく襲い掛かってくるなる強い日差しとじっとりとした空気に、大河は思わず目を細め、眉間にしわを寄せる。


 しかし、その瞳に迷いはまったく感じられず、何かを企んでいるような、不敵な雰囲気すら漂わせる力強さがあった。


「大村家の山の裏……ね」


 まだ日の高い、夕方の気配をほのかに感じる程度の時間帯。


 風と小鳥と草木の奏でる環境音が、存在感を誇示してくるのを耳で感じつつ、大河はこれから目指すべき場所を、じっと無機質に見つめる。


 大河の放った冷たい視線のその先には、淡い青空の下で、黒い森林に覆われた山が、不気味に佇んでいた。

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