第13話 宿と痕跡

 関東近郊の山間部に位置する、自然あふれるのどかな田舎町。


 艶やかな草木に小川のせせらぎ、そして突き抜けるような青空は、まさに絵に描いたような美しさで、都会の喧騒に疲れた者たちの心を癒すにはうってつけの場所ともいえる。


 凶悪事件とは無縁そうな、そんな集落にある、唯一の民宿施設の駐車場に、擦り傷や泥のはねつけで無残な姿をさらす小型のレンタカーがあった。


「やっと着いたか。結構時間がかかったな」


 車を降りると、ここぞとばかりに身体を伸ばしつつ、自然あふれる開放的な雰囲気にもあてられて、大河たいがは正直な気持ちを漏らす。


「あんな道を通るからですよ。それに、普通の道路を使ってても1時間くらいしか違いませんでしたよ、ほら!」


 一方の静穂しずほも車を降りるなり、スマホの画面を突き出し、大河へと自らの不満を容赦なくぶつける。


「一時間って、さすがに大げさだろ」


 そう言いつつ、大河はスマホの画面から目をそらす。


「んっ? この車……」


 大河が視線を逃がした先にあったのは、小さな駐車スペースに置かれた、一台の軽自動車であった。


 静穂の運転してきたレンタカーほどではないが、紺色をした車体には泥が跳ね、擦り傷や小さなへこみなどが随所に見られ、かなりの悪路を進んできたことが容易にうかがえる。


「なぁ、ここの宿、他に宿泊者っていたか?」


「え? いえ、そこまでは聞いてませんけど……それだったら聞いてみたらどうですか?」


 いきなりマジメなトーンで話し出した大河に、静穂も一瞬間を置くも、すぐに頭を切り替え、返答した。


「でも、どうしてそんなことを聞くんです?」


 至極当然な静穂の問いかけに、大河は親指で目についた軽自動車を指さし、説明を始める。


「まずこの車のナンバーからして、この宿の人間のものとは考え難い。車体も結構な傷がついているが、運転慣れをしていないというよりも、俺たちが通ってきたような道を進んできたと考える方が自然だろう。元々ぼろっちい車を使ってたっていう可能性は否定できないが、そもそもそういう輩はここまで遠出してくるかっていうと疑問だろうがな」


 大河の考察に、静穂はいつになく素直に感心した様子で、手元で作った拍手を送る。


「確かにナンバーは品川ですし、普通に旅行するためにやってきたのであれば、車体の汚れは説明しづらいですね。となると、やっぱりこれは大河さんが探していた?」


「あぁ、大西おおにしあやかや泉山いずみやまさとしが乗っていた車に違いないだろう。ただ、今でもここに置いてあるってのが気になるところだが……」


 そうぼやきながら、大河はポケットに手を入れつつ、紺色の軽自動車の周りを歩きながら、内部の様子をうかがう。


 しかし、車内には身元がわかりそうな荷物はなく、大河は深いため息を吐くと、自動車を離れた。


「何か見つかりましたか?」


「いや、なんにも」


「でも、着いたばかりですから。ひとまず宿の方に荷物を置いて、それから考えましょうよ」


 そう述べると、静穂はレンタカーの後部座席から大き目のショルダーバッグを取り出し、民宿の玄関へと向かう。


 一人屋外に取り残されそうになった大河は、数秒ほど間を置いた後、背中を曲げながら、哀愁を漂わせるようなとぼとぼとした足取りで、助手の後に続いた。



「どうも、遠いところをはるばる来ていただきまして。何もないところですが、どうぞごゆっくりしていってくださいませ」


 宿の女将に案内された先は、広々とした和室で、テーブルや座椅子、テレビに掛け軸などが完備されており、ちょっとした旅館を思い起こさせる一室だった。


 また、窓から見える風景は、空と山間部が絶妙なコントラストを描きだしており、今にも緑のにおいが鼻腔に伝わってきそうなほど。


 しかし大河は、そんな絶景を一瞥するにとどめると、自分の荷物をテーブルの脇へと下ろし、齢は六十はあろうかという女将へと語り掛ける。


「広さもあるし、景色もいい。値段以上のいいお部屋ですね」


 宿を褒められてか、女将は上機嫌に大河の言葉に礼を述べる。


「ふふっ、ありがとうございます。でも、本当に別々のお部屋でよろしかったのでしょうか? こちらとしては今からでも同室にすることもできますが」


「いや、このままで。部屋で仕事をしないといけないこともあるので」


「そうですか。こんなところにまできてお仕事とは、大変ですねぇ」


「えぇ、そうなんですよ。そういえば、外に車が置いてありましたが、他にもお客さんがいるんですか?」


 世間話をするような調子で尋ねられた大河の質問。


 ただ、その内容が悪かったのか、それまで柔和だった女将の表情が一瞬固まる。


 そして若干ぎこちない笑みを浮かべながら、大河へとその理由を尋ねた。


「現在は泊っておられませんが、どうか致しましたか?」


 女将の言動に変化を感じた大河は、目を鋭く細め、攻め時は今だとばかりに追撃を開始する。


「実は、私の仕事はこういうものでして――」


 そう口にしながら、大河は名刺を取り出し、有無を言わさぬ強気な手付きで女将へと手渡す。


「探偵さん……でしたか」


「はい、それで人探しに来たわけなんですが、どうにもその人物があの車に乗っていたのではないかと思いまして……」


 大河の放つ声には出ない圧力に、女将は名刺を手にしたまま、視線を泳がせ、迷うも、ついには隠匿を諦めた様子で口を割る。


「こういうことは、お店の評判に関わるので、できれば言いたくはないのですけど、外部に言いふらさないと約束してくださいますか?」


「えぇ、約束しますとも。口の堅さは弁護士にも負けません」


 誠実さをアピールするように、大河は帽子を取り、まっすぐに女将の顔を見据えた。


 すると、女将は幾分安堵したのか、小さく息を吐くと、声のボリュームをわずかに下げて、事情を語り始めた。


「あれは確か先週のことだったんですけど、うちに泊まっていた大学生が行方不明になりまして。お代の方は大丈夫だったのですけど、車を撤去しようにも、この山奥ですし、牽引も難儀で……警察の方にも言ってみたんですが、今月中には移動させるから待っていて欲しいと――」


「行方不明ということは、荷物も部屋に残っていたりするんですか?」


「いえ、最初は取っておこうかとも思ったのですが、警察の捜査もありましたので、荷物は交番の方へと預けてあります」


「交番、ですか?」


「はい、この集落の入り口付近に、小さいですが。留守でなければ表に自転車があるのですぐわかると思います」


「なるほど、ありがとうございます。ちなみにですが、女将さんはこの地に伝わる赤端村の伝承について、何かご存じですか?」


 あわよくばと、話の終わりに尋ねた大河であったが、赤端村の名前を聞いた途端に女将の顔がより如実に嫌悪に染まる。


 しかし、客前ということもあってか、女将は感情を押し殺したような顔で答える。


「知ってはいますが、詳しくは存じません。大学生の方々にも同じことを問われましたが、それに関しては、集落一の古参である大村おおむら様の御宅にうかがってはどうでしょうか」


「大村さん、ですね」


「はい、この辺りで一番大きな家ですのですぐわかると思いますよ。場所も向こうの山の麓なので、迷うこともないでしょう」


 とっさに手帳を取り出し、メモを取り始める大河に対し、女将は早口に情報を伝えると、そのまま踵を返す。


「ありがとうございます」


 礼を言う大河の声が聞こえなかったのか、それとも返事すらもしたくなかったのか、女将は何も言わずに部屋の外へと消えていった。


 その様子に、大河は呆れと戸惑いの溶け合ったような顔をしながら、頬をペンの尻で掻く。


 すると、そこへドタドタとやかましい足音が近づいてくる。


 女将は先ほど出ていったばかりであるし、従業員が走るような緊急事態があるとも到底思えない。


 結果、大河の頭に近づいてくる人物が、明確に映し出される。


「それじゃあ、大河さん、私、村の中見てきますので、お仕事がんばってください」


「あぁ、はしゃぎすぎて迷子になるんじゃねぇぞ」


「大河さんの方こそ、捜査に集中しすぎて迷子にならないでくださいよ」


「おぅ、わかってるって」


 予想通りの人物の登場に頬を緩めながら、大河は朗らかな声で笑う。


 一方の静穂は、大河の意図がわからず、一度首を傾げてみせるが、すぐに思考を諦めて、当初の目的を遂行するために、宿の外へと向かって飛び出していった。


 その後、部屋に一人残された大河は改めて、自らが記したメモへと視線を落とす。


「大村家……行ってみるか」


 そう一言を漏らして、大河は手帳をパタンと閉じた。

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