83話 幸せにしろ!
美柑の家に到着したものの、僕と美柑は中には入らず、ドアを見つめたまま突っ立っていた。僕も、美柑も、共に緊張が顔に表れている。
「お母さん、どう思うかな」
美柑が至極不安げな声を漏らす。その気持ちは当然のもので、親に自分が一度は死んでいることを告げる不安なんて、普通経験することのないものだ。どんな反応をされるのかも、全くわからない。
「大丈夫、僕もついてるよ」
美柑の不安を和らげるため、繋いだ手に力をこめる。美柑のお母さん、桐花さんと話をしなければならないのは、僕も一緒だ。美柑の正体を告白し、そんな美柑とともに一緒に歩んでいくことを認めてもらわないといけない。
美柑に告白すると決めた時から、覚悟していたことだ。僕は心にある勇気を抱え直し、繋いだ美柑の手を引き家に入った。
「……えっ⁉」
入って早々に驚いてしまう。玄関には、腕を組んで仁王立ちしている桐花さんが待ち受けていたのだ。
「お、お母さん⁉」
僕の影から遅れるようにして入ってきた美柑が桐花さんを見て驚く。
「やっと入ってきたな、お前たち。ずっとドアの前で立ち往生してるから、いつ入ってくるんだと呆れてたぞ」
桐花さんは僕たちを見てため息を吐く。
気づかれてたんだ。でも、何でわざわざ待ってくれてたんだ?
「とりあえず、入れ。話はそれからだ」
「えっ。話って……」
もしかして、気づかれてる? そんなはずはないと思うも、桐花さんは何も言わずリビングに行ってしまう。
「レンレン、行こうか」
「う、うん」
美柑の意を決したような目に押され、僕は桐花さんを追った。
椅子に座り、桐花さんも向かい側に座る。少しばかり、リビングに重苦しい空気が張り詰める。
「さて、お前たちの様子から、あたしに何か話したいことがあるのは何となくわかってる。その話を聞こうじゃないか」
桐花さんが僕たちを見据える。さっき、僕たちが家に入ることを躊躇っていたから、必然的にそう感じていたんだ。
「はい。桐花さんに話さなければならないことがあり、夜分遅くではありますが伺いに参りました」
僕は桐花さんの眼力に負けないように、声を強める。相手の親に結婚の報告をするカップルの気持ちが、今なら痛いほどわかる。生半可な気持ち・覚悟でこの場にきてたら、ちゃんと喋れていた自信がない。
「レンレン、待って。自分のことだけは、私から言わせて」
「美柑。わかった」
美柑がそう決めたのなら、ここは僕が口出しすべきじゃないだろう。美柑は深呼吸し、桐花さんを真っ直ぐ見つめた。
「お母さん、信じられないことかもしれないけど、聞いてほしいの。私、――実は一度死んでるの」
美柑が告げた衝撃の事実。桐花さんの眉が一瞬動いて見えたけど、まだ口を挟まない。
「でもね、お母さんもこの前会ったことあるけど、レンレンの妹、寧ちゃんに私は生き返らせてもらったの。ゾンビの体として」
美柑の表情は真剣そのものだ。それを見て、美柑の告げた事実を聞いて、桐花さんはどんな反応をするのだろうか。
「…………っ」
美柑の口元はわずかに震え、息を漏らす。桐花さんはそんな美柑を見つめ――ため息をこぼした。
「そういう事情だったのか」
何かを納得するような口振りに、僕も美柑も呆気に取られる。桐花さんはそんな僕たちを見て、訝しむ。
「去年の10月頃からおかしいとは思っていたんだ。豹変したみたいに性格が変わるわ、家のものを度々壊すようになるわ。しまいには、風呂に入って頻繁にのぼせたみたいな状態になりやがる。そんな娘のことを、何かあったと思わないほうが無理だってのに、このバカときたら。一向に口を割ろうとしない」
桐花さんは心底呆れたようなため息を盛大にこぼす。僕も、美柑がしてきたまさかの危なげな行動の数々に、別の意味で呆気に取られてしまった。そりゃあ、怪しまれても仕方ないよ、美柑。
「そ、そんな⁉ まさか疑われてたなんて……⁉」
美柑は仰天している。むしろ、何で何とも思われてないと思っていたの?
「ただまあ、さすがに死んでいたってのは、驚きを通り越してショックだな……」
桐花さんはさっきまでの声音を潜め、悲しげな声を漏らす。
「あっ……ご、ごめん、お母さん」
桐花さんの様子に、美柑も申し訳ないといったように顔を俯かせる。
「ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。それに、お前は今、生きているんだよな?」
「う、うん! ゾンビだけど、私の心はお母さんがこれまで見てきた私のまま、変わらないよ! 私はお母さんの子供で、私のお母さんはお母さんだけだよ!」
美柑の言葉を聞き、桐花さんは安心したように顔を弛緩させる。
「それが確認できればいい。で、話はまだ残っているんだよな?」
桐花さんが、今度は僕だけを見てくる。次は、僕が話す番だ。
「はい。……僕は美柑と同じく、一度死んでいます。元の名前は九重蓮。去年水鏡高校に着任した教師です」
「教師、いや、九重? ……って、まさかお前⁉」
桐花さんが何かを思い出したかのように身を乗り出してくる。美柑の時には見せなかった驚きように、僕は焦ってしまう。
「あたしの記憶が正しければ、九重は男だったよな?」
「は、はい、そうです……」
尻すぼみになる声で肯定する。すると、桐花さんは衝撃にでもあったかのように椅子にもたれかかった。
「お、お母さん、えっとね。レンレンは、その、儀式の際に必要なものが足りなくて、それで女の子になっちゃったんだよ!」
美柑が必死にフォローをしてくれるけど、桐花さんの驚愕が冷める様子はなかった。
「わ、悪い、取り乱して。ただ、そうなのか……」
桐花さんが僕に疑いの眼差しを向けてくる。うっ、視線が痛い……。
「俄かには信じ難いが、お前が本当に九重なら、美柑の変わりよう、それと、今のお前への距離間も納得できちまう。お前が死ぬまで、美柑は帰ってくる度によくお前のことを嬉々とした顔で話していたもんだよ」
「ちょっ⁉ お母さん、それは言わないでよ⁉」
美柑が顔を赤くして抗議を入れている。けど、赤くなるのは僕の方だよ。美柑の好意が嬉しくて頬が緩んでしまいそうになる気持ちを押さえ、僕は途中になってしまった先を続ける。
「桐花さん。僕たちゾンビの体は、光や温度によって死ぬこともあります。けど、年だけは取りません。これは、僕の両親が2年もの期間ゾンビとして生きてきた中で得た、確かな事実です」
本題とばかりに、僕はゾンビの体について説明していく。美柑には、ここに来るまでの間に話してあるため、美柑はその事実をもう一度確かめるように頷いている。
桐花さんは反応を示すことはなく、無言で先を促してくる。
「僕は美柑のことが好きです! ここに来る前、告白しました。先の事情を抜きにしても、僕は美柑が大好きで、これから先の未来を美柑とともに歩いていきたいと、本気で思っています。――だから、娘さんを僕にください!」
僕は途中で席を立ち、桐花さんに向かって頭を下げた。桐花さんから伝わってくる緊張感が遠慮なく肌に突き刺さる。
「私からもお願い、お母さん! 私もレンレンが大好きで、レンレンとだから、この先も一緒にいたいと思えるの!」
美柑が立ち上がり、僕と同じように頭を下げる。
「…………二人とも、顔を上げろ」
桐花さんに言われた通り、僕たちは顔を上げる。その瞬間、桐花さんの鋭い針のような視線が僕を射抜いた。
「……⁉」
「九重、お前に聞く。美柑はあたしの大事な一人娘だ。お前は、そんな娘をくれと言った」
視線を外すことを許さないような目と声に、体が強張るのを感じる。震え出しそうになる体に必死に耐える。
「お前は、美柑が好きなんだな? この世の他の誰でもない、美柑だけが好きなんだな? 美柑を幸せにできるのは、お前しかいないんだな?」
再三に渡る本気の問いかけ。嘘が通じないことはわかっている。けど、それを心配する必要なんてわずかばかりもない。
「はい! 僕が好きなのは美柑だけで、その気持ちはこれから先何があっても変わりません! 僕が、美柑を幸せにします‼」
だって、僕の気持ちは変わらないんだ。桐花さんが本気で問いかけてくるなら、当然僕も本気の気持ちで返す、それだけのことだ。
「…………ふっ、そこまで言えるなら、もうあたしからは何も言えないな」
突然、桐花さんが笑みを浮かべ、緊張感漂う雰囲気を弛緩させた。
「九重、そこまで言い切ってみせたのなら、美柑のことは任せるぞ。絶対、幸せにしろ!」
「……⁉ はい!」
僕の返事と同時に、隣で美柑が椅子に崩れ落ちた。
「ふひゃあぁぁ、き、緊張したよ~」
煙でも出すんじゃないかとばかりに、美柑が安堵の表情を浮かべている。それにつられ、僕の方まで椅子に座り込んでしまった。
「ははははっ! お前たち、お疲れ様だな!」
桐花さんが疲れ切った僕たちを見て盛大に笑って見せる。そこに、さっきまでの圧は感じなかった。
「お母さんがあんな態度取るからだよ⁉ 私、本気でドキドキしてたもん!」
「そりゃあ、こいつの覚悟を見極めるためなんだ、あれくらい、当たり前だ」
美柑はそれでも納得いかない顔をしつつも、やがてその顔に笑みを浮かべる。
「でも、ありがとう。お母さんの想いが聞けて、嬉しかったよ」
「想っていることをそのまま言っただけだ。お前も、良かったじゃないか。ずっと片想いしていた相手に振り向いてもらえたんだからな」
桐花さんはにかっと笑って見せる。僕はそのお互いを想う二人の親子の形を見て、嬉しく感じてしまうのだった。
あの後、そのまま夕食をご馳走してもらうことになった。今はベランダで美柑とともにココアを飲んでいる。
「本当によかったよ、お母さんが認めてくれて。今日は今まで最高の日だよ!」
美柑がカップを掲げ、喜びの声を上げる。
「だね。けど、あの時は本当にひやひやしたよ。本人の前で言ったら怒られるけど、桐花さんって怖いね」
僕は桐花さんの圧を思い出し、苦笑交じりに言う。
「あはは、お母さんは怒るともっと怖いよ。昔は、お父さんがよくお母さんにビクビクしてたよ」
「ははっ、やっぱり母は強し、だね。僕の母さんも、普段はおっとりしているのに、怒る時はすごく怖いんだ」
「そうなんだ! あ、そうだ。ねえ、レンレン? 私も今度、レンレンの両親に会ってもいいかな?」
美柑が僕の顔を覗き込んで聞いてくる。
「もちろん。ちょっと遠い場所にいるけど、いつでも会いにいけるよ」
「やった! でも、いざ会うってなると緊張しそう」
緊張というわりに、美柑は嬉しそうな顔をする。僕はそんな美柑を見て、父さんと母さんがどんな反応をするのか気になった。驚くだろうし、こんな可愛い子どうやって見つけてきたのって言われるかもしれない。いや、それよりも、僕が恋人を連れてきたことに狼狽する様子が目に浮かぶかな。
どれにしろ、二人の反応はある意味で楽しみだ。
「ねえ、レンレン。私、今が幸せすぎて、夢みたいに感じるよ」
美柑がカップを置き、困ったような顔で笑いかけてくる。
「夢じゃないよ。僕は美柑が好きで告白もして、恋人同士になったんだ。幸せを感じすぎるくらいが、今の僕たちにはちょうどいいよ」
「うん、私もレンレンが大好き! でも、それなら、もうちょっと欲張ってもいいかな?」
美柑が最後にそう問いかけた後、そっと瞼を閉じた。それが何を意味するのか、わからないほど僕も鈍くない。
僕はゆっくり美柑に近づき、顔を近づける。そして、美柑が幸せを実感できるように、僕も幸せを実感できるように、美柑にキスをした。
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