第4章 九重寧ーローダンセー
61話 寝て起きて、夢は覚めない
目を覚ました瞬間、自室の天井が目に映った。カーテン越しにわずかに差し込む光が、朝が来たのだと伝えてくる。
「…………あー」
開口一番、そんなアホな言葉が出てしまった。僕は目覚めた瞬間、ある期待をしていたのだが、その期待は儚くも散ってしまったから。
天井を呆然と見つめたまま、昨日の出来事が脳裏に蘇る。迷惑メールの送り主が保科先輩であるとわかり、そのことを本人に問い詰めた結果、素直に認めてくれ、問題は無事に解決したかに思えた。けど、送り主はもう一人いることがわかり、その正体がまさかのましろだった。それだけでももうお腹いっぱいだが、なぜかそこから、美柑を交えたましろと美柑による僕へのアプローチ宣言がなされてしまった。
(……何でこうなった)
まさか僕の元教え子である二人から、好意を持たれているなんて夢にも思わなかった。ましてや、死んでゾンビとして蘇った後に告白されるなんて尚思わなかった。
現実味が薄すぎて、今でも夢なんじゃないかと思えてならない。まあ結局、寝て起きても夢は覚めなかったけど。
ゾンビとして蘇ってからというもの、まだ2か月も経っていないくらいなのに、波乱万丈なことが起き過ぎじゃないかな……。そう思わずにはいられなかった。
(とりあえず、起きないと)
昨日の一件があっても、今日は平日のため学校は通常通りある。正直、休んでしまいたい気持ちがあるけど、ズル休みな気がして気が引ける。何より、今日休んでしまうと、より二人に会いづらくなってしまいそうで怖い。
それに、昨日いきなり天文部を休んでしまったから、今日もまた休むのは美羽に悪いしね。
僕はそれらの思いから、ベッドから体を起こすのだった。
リビングに降り、テーブルに座って朝から紅茶を優雅に嗜む寧の姿を見つける。
「おはよう、寧」
僕が挨拶すると、寧はカップを置き僕を見る。その目から、どことなく不機嫌さが窺えた。何で?
「おはよう。……お兄様、寧に何か言うことがあるんじゃないかしら?」
「え?」
意味がわからず、素で疑問を返してしまった。けど、これがいけなかった。
「え? じゃないわよ。昨日、帰ってきた後、何も言わずに部屋に閉じこもったじゃない」
言われて思い当たる。そういえば、昨日はあの後、家に帰ってそのまま部屋のベッドまで直行した気がする。疲れていたから、記憶はかなり曖昧だけど。
「ご、ごめん⁉ 昨日はその、本当に疲れていたから……っ」
寧が不機嫌な理由がわかり、途端に焦ってしまう。そんな僕に、寧はため息を吐く。
「まあいいわ。話なら今聞かせてもらうわ。紅茶でいいかしら?」
「う、うん」
寧が僕の分の紅茶を用意してくれる。僕はテーブルに座りつつ、寧と同じようにため息を吐く。
「憂鬱そうね、お兄様」
寧が紅茶を僕の前に差し出す。カップから立ち上る湯気を見つつ、僕は口を開く。
「色々とあってね。そういえば、寧は『ヒマワリ』の正体がましろだって気づいていたの?」
僕は疑問に思っていたことを聞く。ましろの推測では、寧はすでに『ヒマワリ』がましろであることを見抜いているとのことだった。
「ええ」
さらりと言ってのける寧。そんな寧に僕は非難の目を向ける。
「それなら昨日、言ってくれればよかったのに。というか、いつ気づいたの?」
「どうせすぐにわかることだから、わざわざ言う必要もないと思ったのよ。寧が気づいたのは、温泉旅行の時ね」
「え? 温泉旅行?」
僕は疑問を覚える。温泉旅行で、寧とましろは直接会っていないはずなのに。
「深夜、お兄様と一緒にお風呂に入る前、あの時に笹倉ましろが『ヒマワリ』であることはわかったわ。だって、脱衣所で彼女の衣服とともに送信元のスマホを見つけたからね。かなり巧妙に隠されてはいたけど」
寧の口からで出た衝撃な事実に、僕は呆気に取られた。ましろに気づいていないと思っていたら、実は気づいていたのか。でも、それじゃ別の疑問が出てくる。
「でも寧、あの時、普通に僕のこと姉じゃなく兄呼びしていたよね?」
ましろがいる手前で、その呼び方は僕の正体がばれる危険があるはずだ。寧は『unknown』と『ヒマワリ』が別の人物であるとすでにわかっていた。それなら、『ヒマワリ』兼ましろはまだ僕の正体に気づいていないことを、寧は知っていたはずだ(結果的には、ましろは僕の正体をすでに知っていたけど)。
つまり、寧はあの場で意図的に自分からましろに僕の正体を話したことになる。
「カマをかけたのよ。お兄様の正体、元が男であることだけを話して、彼女がどこまで知っているのか、どういった行動をとるのかを見たかったの」
なるほど。寧は寧で、ましろの真意を探ろうとしていたのか。
「でも、結構危ない橋を渡ったね。もしましろが何も知らずにあのメールを送ったのだとしていたら、僕の正体だけがばれる危険もあったのに」
「それはないわよ。わざわざ意味深なメールを、彼女が無駄なことで送る人間とは思えないもの。何より彼女、ずっとお兄様に疑いの眼差しを向けていたしね」
僕は寧の一言に面喰らう。
「疑い? え、寧はましろの僕に対する態度に気づいていたの?」
「ええ。忘れたのかしら? 初めの頃、真倉につけた監視カメラ越しに、寧はお兄様の周りの光景を見ていたのよ。それで時々目にする、笹倉のお兄様に向ける目、あれは間違いなくお兄様に何かしらの疑いを向けている目だったわ」
監視カメラ越しに、そこまで見ていたのか⁉ 寧の洞察眼に驚かされる。というか、これって何も気づいていなかった僕がしょぼいのかな? そう考えると何か悲しくなってきた。
「すごいね、寧は」
「たいしたことないわよ。それより、昨日は他に何があったのかしら? お兄様の様子からしたら、他にも絶対何かあったわよね?」
寧の強い口調で追及してくる。けど、美柑だけでなく、ましろからも告白を受けたなんて知られた暁には、僕の身の保証ができない。なので、このことは伝えられないと考え、もう一つのことを話すことにした。むしろ、こっちは話さないといけないことだ。
「実は、ましろに僕がゾンビであること、伝えちゃったんだ」
寧の許可なしに、ゾンビのことを話してしまった。きつく言われるかと身構えたけど、寧の反応は違った。
「そう」
淡白なその返事に僕は困惑する。
「そうって、え、何も言わないの?」
「真倉を救援に寄こした時点で、そうなる可能性は視野に入れていたわ。まあだから、予想通りといったところかしら」
予想通りって。ますます困惑してしまう。何でましろには、知られても大丈夫だと考えているんだ?
「それより、他に話すことあるでしょう? お兄様から話してくれるのなら、鞭は止めてあげるわよ」
寧が片隅に置かれている鞭を横目で見る。うわ、鞭が置いてあること、全然気づかなかったよ。
何で寧はこんなにも追及してくるんだ? 何があったか知っているような口ぶりに、僕は焦りつつも鞭は嫌だったため、昨日の出来事をありのままに話すことにした。どっちにしろ、早いうちにばれるだろうし。
「その、ましろから、告白されました。け、けど! 受けてはいないからね⁉ 返事もしていないけど……」
尻すぼみになりながら、自身を擁護するように話す。寧は僕の告白を聞き、その顔に明らかに不機嫌さが増した。
「……そっちに転んだのね。ゾンビ程度じゃ怯まないってわけね」
寧が呪詛を吐くような口調で呟く。
「転んだ?」
言葉の意味がわからず首を傾げてしまう。寧は何かに期待していた?
「彼女にゾンビのことをあえてばらすようにしたのは、彼女にお兄様のことを諦めてもらう意図があったのよ。彼女がお兄様に好意を寄せていることは、予想ついていたからね」
……そんなことまで考えていたの? ちょっと怖いよ。
「本当、困ったことになったわね。彼女、どうしようかしら……」
寧が思案顔をして、恐ろしいことを口にする。
「ちょ、ちょっと⁉ 迷惑メールみたいに、また何かするつもり⁉」
僕は焦って止めに入る。あんな心臓に悪いこと、もう勘弁してほしかった。
「あんなの、ちょっとしたいたずらじゃない」
あれでちょっとなの⁉ あれ以上のことがこの先も起こること考えたら、今から心臓がもたないよ⁉
寧がこれからどんなことをしてくるのか、僕には全く予想がつかず不安を抱えてしまうのだった。
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