51話 今晩預からせてもらうよ!

 二人が入るには少し狭い浴槽に、僕と美柑はお互いに背をくっつけながら入っていた。シャワーヘッドから度々落ちる水滴の音が静かな浴室に小さく響く。


 僕は背を向けたまま、頭の中で何度も星の名前を繰り返し呟く。


(…………いや⁉ 集中できるか⁉)


 しかし、何度やってもすぐに集中は途切れ、そんなツッコミを何度もしてしまう。いくら美柑の方を向いていなくても、背がぴったりくっついているため、どうあがいても美柑の体温を直に感じてしまう。またそのことが、今美柑とともにお風呂に入っているということを意識させてしまう。


 体中がもう火照ってしまったように感じられる。このままだとのぼせてしまうし、ゾンビの体にもよくない。そう考え、僕は浴槽から出ようとした。


「……レンレン、今日はありがとうね」


 静かな浴室に美柑の声が響き、僕は上げようとした体を戻さざるをえなかった。


「ありがとう?」


「うん。あれから眠っちゃった私をおんぶしたまま家まで送ってくれたんだよね?」


 言われて、そのことかと思い当たる。僕は少し冷静さを取り戻す。


「そのことね。全然大丈夫だよ。けど、夜更かしはほどほどにね」


 僕が軽く注意も交えて言うと、美柑は笑いつつ「はーい」と言う。


「でも、レンレンの背中で眠ってる間、なんかいい夢たくさん見れたんだよね」


 夢の内容でも思い出しているのか、美柑は弾む声で語る。


「へえ、どんな夢?」


「うんとね、お菓子をたくさん食べてる夢とか、描いた絵が賞を取った夢とか色々だね! でも、一番はの背中で眠っている夢かな」


 最後の言葉に僕は首を傾げる。


「僕の背中?」


「うん。レンレンにおんぶされているんだけど、夢の中では先生、九重先生の体でおんぶされている夢だったんだ。大きな背中で、おんぶされている間はすっごい幸せだったな~」


 美柑がより背を僕に預けてくる。僕はそんな美柑の言葉に気恥ずかしい思いを抱いていた。同時に、言外に込められた僕に対する好意を肌で感じ取ってしまう。


(どうすればいいんだろう)


 無責任な言葉だなと自分でも思い、苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。


 美柑の告白を受けてからもう一か月ほどはたつだろう。僕は今日まで、告白に対する返事をしていない。寧がいるからという理由で答えを出すことを避けていたけど、いつまでそういうわけにもいかない。それに、寧だけを理由にするのも違う。これは、僕がどう思っているか、どうしたいのかの答えを出さないといけないことだ。


 わかってはいることだけど、美柑には申し訳ないとは思っているけど、僕にはまだその答えを出せそうにはなかった。



 お風呂から上がった後、僕は美柑に連れられリビングに来ていた。窓の外は未だに土砂降りの雨だ。テレビでも、今の天気について解説がされていた。


「今日はもう止みそうもないから、お前今日はうちに泊まっていきな」


 キッチンから出てきた美柑母がまたも僕にとっての爆弾発言をかましてくる。


「い、いえ⁉ さすがにそこまでしていただくわけには⁉」


「レンレン、遠慮しなくていいよ! それに、お母さんの言う通り雨止みそうにないし、何よりこんな外の状況でレンレン一人を帰らせられないよ」


 さっきのお風呂でもう吹っ切れたのか、美柑は全く物怖じせずに僕を誘ってくる。気持ちは嬉しいけど、泊まりなんて大丈夫だろうか。


「レンレン? そうか、お前が美柑がよく言う水城蓮だったんだな」


 美柑母が納得したような顔をする。


「は、はい。すいません、自己紹介が遅くなりました。美柑と同じクラスの水城蓮です。よろしくお願い致します」


「固い。そんなに畏まらなくていい。あたしは美柑の母、桐花だ、よろしく。で、泊まってくってことでいいな」


 自己紹介の流れから、そのまま僕が泊まることが決定する流れになる。


「あの、ご迷惑ではないですか?」


「いちいちそんなこと気にするな。なにより、美柑が嫌がってるようには見えないだろ」


 桐花さんは美柑を見やる。美柑はすっかり僕が泊まると思い、目をキラキラとさせている。尻尾でもあったら、犬のように振っていたかもしれない。


「わ、わかりました。ありがとうございます」


「おう。今夜飯作るから、それまで適当にくつろいでな」


 そう言うと、桐花さんはキッチンに戻っていた。


「やったね、レンレン! 前の温泉旅行に続いてまたお泊まりだよ!」


「はは、そうだね」


 僕は苦笑いを浮かべるしかない。まさか、送るだけのはずが泊まることになるなんて。けど、僕はすぐに懸念事項を思い出す。


「ま、待ってね。今、寧に連絡入れるね」


 流れで泊まることになったとはいえ、寧に何も言わずに決めるのはまずい。スマホを取り出し、寧にメールを送ろうとする……待って、これ美柑の家に泊まることを知られたらまずいんじゃないか? 寧は美柑のことを敵対視してるし。


 途端に汗がダラダラと流れてくる。まずい、言い訳しようにも、上手い言い訳が思いつかない。友達の家に泊まると伝えても、今の僕には友達なんて限られているから、バレるのも時間の問題だ。


 帰るべきか? 幸い、桐花さんは今から夕食を作り始めるみたいだから、今からならまだ間に合う。窓の外は、土砂降りに合わさって風も暴風のように吹きつけているけど、駅までなら何とか行けるか……。


「レンレン! 貸して!」


 僕が頭を悩ませていると、横から美柑が僕のスマホを奪い取ってしまう。そしてすぐに何かを打ち込み始めた。


「ちょ、何やってるの⁉」


 僕がそう言う間に打ち込みが終わったのか、美柑は満足げな顔で息をついた。


「はい。私から寧ちゃんに言っといてあげたよ!」


 美柑はスマホの画面を僕に見せ、そこには寧当てに『レンレンは今晩、私の家に預ったよ! by怪盗美柑』と書かれた送信済みのメールが表示されていた。


「いやいやいやいや! 何やってるの美柑⁉」


 何でそんなわざわざ挑発するような文章で送っちゃうの⁉ 寧の怒りを買っちゃうじゃないか⁉ それに、怪盗って何⁉


「ふふふっ! 寧ちゃんばかりにレンレンを独占させるわけにはいかないのだよ」


 まるでしてやったりといった顔をする美柑。僕はそんな美柑に目も暮れず、スマホを見てがくがくと震えてしまう。やばい、寧からの返信がすごく怖い。


 どんな返信が返ってくるのかとひやひやとするが、いくら待っても寧から返信が来なかった。


「あれ? 返信がこない?」


 思わずほっと息を吐きつつ、けど首を傾げてしまう。寧からすぐに返信が返ってこないことに戸惑ってしまうが、以前にも同じことは一度あった。その時は、確か用事があって見るのが遅れたんだっけか。なら、今回も同じような理由かもしれない。


 何はともあれ、今すぐにどうこうなることはないみたいだ。……まあ、後で絶対どうこうなるから、全然安心はできないけど。


「寧ちゃん、悔しさのあまり返信ができないみたいだね」


 楽観的に捉える美柑。そんな美柑に、僕は怖いもの知らずを感じずにはいられない。美柑は寧が怖くないんだろうか? そう思いつつ、そんな美柑を見習いとも思ってしまう僕だった。

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