これは甘いカップルの話




あきらくん」


 後ろから声をかけられ、返事代わりにゆっくり振り返ると、松下まつしたさんがふわっと微笑んで手を伸ばしてきた。そのまま腕を俺の首に回し、ギュッと抱き着いてくる松下さんに、顔が急激に熱くなってくる。


「……な、なに?」


 読んでいた雑誌で顔を隠し、平然を装いながら声を絞り出す。松下さんは頬を少し赤く染めて恥ずかしそうにはにかんで俺を見上げると、ゆっくりと顔を近付けてきた。


「好き」


「……は」


 顔の近さに思わず目を瞑ると、耳元で吐息と共に小さく、いつもの松下さんじゃあり得ない言葉が吐き出されて、俺は目を見開いた。


「……な、ななななな」


「大好き晃くん」


 俺の首筋に顔をぐりぐりと押し付け、甘えてくる松下さんに完璧に力が抜けて、手から雑誌がスルッと滑り落ちた。

 一体どうしたんだいきなり。


「……え、えっと……」


 考えても考えてもわけがわからずに、頭の中をハテナマークがぐるぐる回る。


「……リ、リンゴジュースなら買いに行かねーからな!」


「……は?」


 テンパった末、意味不明な言葉を叫ぶと、今まで笑顔だった松下さんの顔から表情が無くなり、周りの空気が冷えていった。


「……ま、松下さん?」


 下を向き、黙ってしまった松下さんにおそるおそる声をかける。松下さんはバッと急に顔を上げると、俺を睨み付けた。


「――え、……ちょっ」


 いきなりドンッと押されて俺は体を支えきれずに、ボスッと音を立て松下さんと二人でベッドに倒れてしまった。松下さんはそのまま俺に馬乗りになると、ふわっと微笑み、俺の眼鏡を外した。


「な、なにす――いってぇええ!」


 俺の眼鏡を枕元に置くと、松下さんはまたゆっくりと顔を近付けて――頭突きをしてきた。


「いくら面倒だからって彼氏使い走りしようと甘えるかぁああ! 私は一体どこの極悪人ですか!」


「ちょっ、待っ……痛い痛い痛い!」


 頭突きの体勢のまま、ぐりぐりと額を擦り合わせる松下さんに「痛い」と叫びながら肩を押す。すると不満そうだけどなんとか離れてくれた。


「……あの」


「なに?」


 しかし俺の上からは退く気配が無く、おそるおそる声をかけてみるとジト目と共に冷たい声が降ってきた。

 ビクッと肩を震わせ、しどろもどろになりながらも何か言おうと口を開くが……出てくるのは声にならない声ばかりで。

 俺の様子に松下さんはため息を吐くと手を伸ばし、俺のマスクを剥ぎ取った。


「ちょっ、ちょっと止め――」


「聞こえないの」


 口元が冷気に晒され、非難の声を上げようとすると相変わらずの冷たい声と目で一掃された。

 何なんだよこえぇよ。さっきまであんなかわいかったのに何なんだお前。


「……で、なに?」


「…………い、いや、その」


 答えに詰まっていると、松下さんは俺の顔の横に手を置いて、座っていた体を前のめりに倒して覆い被さるように近付いてきた。


「晃くん」


 ジッと目を見つめられ、顔がまた熱くなった。慌てて目線を反らすが手で押し戻され、無理矢理目線を合わされる。


「さっさと言えやこら」


 こえぇよ! なにこの状況! 何で俺好きな女に押し倒されてこんな恐怖感じなくちゃいけねぇんだよ!


「……分かった」


 心の中で今の状況についてツッコミを入れていると、さっきまでと真逆の不安そうな声が降ってきた。意識を戻すと頬を膨らませ、拗ねたような顔をしている松下さんが視界に写った。


「じゃあ言わなくてもいい」


 その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。

 あの状況で「退かないのか?」とか言ったら口聞いてくれなくなりそうだし。

 松下さんは俺の様子に眉をひそめると「ただし」と付け加えた。


「……ちゅーしていい?」


「……は?」


 小首を傾げ、頬を染める松下さんに思考が停止した。松下さんは固まる俺の鼻先にピッと人指し指を突きつけ、「だから」と言ってもう一度、同じ言葉を吐いた。


「ちゅーしていい?」


 鼻先にあった松下さんの指が、口元に移動して、俺の唇をつつく。


「……はあああ!?」


 そこでようやく、松下さんの言葉の意味を理解した。


「や、なん、ちょっ、ななななん、で」


 顔どころか全身が熱くなる。

 俺の言葉に松下さんは「だって」と拗ねたように口を尖らせた。その仕草にさえ、意識してますます熱くなる。


「せっかく久しぶりに一緒にいるのに晃くん構ってくれないんだもん。だから甘えてみたのに」


「……いつもは構わなくても平気そうじゃねぇか」


 松下さんの言葉に、もしかしてと少しの期待が生まれる。いつもは平気そうなだけで、ほんとは構ってほしい、とか?


「――うん、いつもは平気。むしろベタベタすんのバカップルみたいでちょっと嫌」


 しかし松下さんは俺の期待を裏切ってあっさりと頷いた。


「……んだよ」


 期待して、損した。

 ハアッと息を吐くと松下さんは不思議そうに首を傾げた。


「っていうか晃くんが隣に居たら別に話さなくても安心するじゃん? ベタベタする意味が分からない」


「なっ」


「でも今日はなんかすっごい寂しいんだ。自分で引くくらいイチャイチャしたい気分なの。……ちゅーしていい?」


「……どうぞ」


 なんかもう、負けた。

 へたにベタベタ甘えられるよりもよっぽど効果のある可愛い可愛いその言葉に、俺は黙って彼女をギュッと抱き締めた。



  *  *  *  *



 赤くなった顔と共にギュッと抱き締められて、緩む頬を必死に抑えながら顔を近付けていく。目を少し閉じたところで、晃くんがあれ?とでも言いたげな顔をして口を開いた。


「……そういや、お前がするの?」


「え、へたれの晃くんに出来るの?」


 反射的に答えた私の言葉に晃くんはムッとしたような顔をした。――しまった、プライドを傷付けたか。拗ねたら意外と長いしな晃くん。


「ッ!?」


 手遅れになる前に謝ろうかと考えていると、晃くんはうちの腰に回していた手を片方、頭にスライドさせた。そのままうちの頭を掴むとぐいっと押されて、晃くんとの距離が一気に近付く。


「……目、瞑れ」


 突然の行動に呆気に取られていると、相変わらずぶすっとして不機嫌そうな顔の晃くんが口を開いた。


「……へ、」


 しばらく考えて意味を理解した途端、顔が熱くなっていった。


「い、いや……あの……」


「早く」


 ジッと見つめられてなんか急に恥ずかしくなってきた私は、なんとか逃げようと曲げていた腕を伸ばして晃くんから離れようとした。……けど、頭を後ろから押されて離れられない。


「さっ・さ・と・つ・ぶ・れ!」


「晃くん顔! 顔が凶悪になってる! ただでさえ目付き悪いのに!」


「誰のせいだ誰の!」


「……え、私?」


「……よく分かってんじゃねぇか」


「あはは~、それほどでもな、い――っ!」


 やっといつものテンポに戻ってきて、これでなんとかうやむやになるかなぁ、と安心して息を吐くと頭をぐいっと押され、晃くんの目が視界いっぱいに写った。


「いたっ」


 瞬間、ガチッと何かがぶつかる音と感触に思わず声を上げ、仰け反るように動くと頭の固定をパッと離された。


「………」


「………」


 沈黙が続く。

 唇に残った感触とじわりと滲んできた鉄の味に、私は苦笑いを浮かべた。


「……えっと」


 沈黙を遮り、おそるおそる声を出してみると晃くんは私からバッと顔を背けた。


「……ごめん」


 気まずそうな声と、青いのか赤いのかよく分からなくなった晃くんの顔に、思わずふっと笑い声が溢れる。


「だーっ!笑うな!」


 晃くんの肩に顔を埋めて笑い声を抑えていると、晃くんの怒ったような、拗ねたような恥ずかしいような複雑な声が聞こえてきてますます笑えてきた。


「……いやだって……く……っはは……へたれって言われてムッとしたから勢いでキスして歯ぁぶつけるとか意味分かんない……晃くんかっこ悪──痛っ!? 痛い痛い痛いよ晃くん!」


 笑いすぎて痛くなってきたお腹を抱えてゲラゲラ笑っていると、晃くんはさっき私がしたように自分のおでこを私のおでこに当ててグリグリしてきた。

 悲鳴をあげる私に、晃くんはべ。と舌を出して悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「お返し」


 ……ああ、もう。

 私の彼氏、なんでこんなに可愛いんだろう。

 私はクラクラと目眩がするのを防ぐために、必死で顔を隠した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます