漫画の日


 ~ 七月十七日(金) 漫画の日 ~


 ※起承転結きしょうてんけつ

  漢詩、絶句における構成法



「ほ、補習辛かった……」

「先生に、ちゃんとお礼言ったか?」

「うん。……保坂君も、待っててくれてありがと……、ね?」

「いや、家でやってもここでやっても一緒だからな」


 補習は木、金の放課後二時間。

 追試は月、火の放課後一時間。


 普通の人なら。

 それで十分事足りるのに。


 特別枠を作ってもらわないと消化しきれない赤点王。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 昨日も今日も。

 五時間授業の後、補習三時間。


 ようやく八時間目の授業を終えて。

 ふらふらしながら教室に戻って来た。


「補習後の小テスト、全部合格したか?」

「だ、大丈夫だった……。最後、マンツーマンの補習だったから、ほとんど答え教えてもらったし……」

「それ、先生が早く帰りたかったせいだろうな」

「た、多分……」


 教科書とノートを机に放りだして。

 引いた椅子にどっかと腰かけて。

 おでこから机にダイブした舞浜。


 珍しく、雑な動きのお嬢様。

 よっぽど疲れたんだろうな。

 

 飴色の髪を机から落として。

 のれんみたいにさせたまま。


 ピクリとも動かねえ。


 そんな舞浜の顔の横に。

 酷とは思いながらも。

 追試対策ノートを三冊置くと。


 ギリギリに開いた薄目の端に。

 栗色の瞳を移しながら。


 舞浜は。

 髪の御簾の向こうでぽつりとつぶやいた。


「…………ひどい」

「ひどいのはお前の点。補習はともかく、追試に情状酌量はねえ。しっかりやれ」

「はい……」


 先に勉強するか。

 後に勉強するか。


 そんな違いだけだというのに。


 片や、勉強熱心と称えられ。

 片や、自業自得と叩かれる。


 ……だったら先に勉強すれば済む話。

 誰にだってそんな答え、簡単にわかると思うんだが。


 舞浜見てると。

 そう簡単な話でもねえような気がしてきた。


 分かっちゃいるけど勉強したくねえ。

 愛する春姫ちゃんのせいにしてまで逃げようとする。


 そんなにまでして勉強したがらねえ理由。

 何かあるのかもしれん。


「しょうがねえな。こんなのしかねえけど、ご褒美だ」


 ……ご褒美って言葉。

 お前にとってなんなんだよ。


 勢いよく起き上がって。

 ちょっと充血した目を見開いて。


「ご、ご褒美……。くれる、の?」


 両手を差し出して。

 貰う気満々。


「ほれ。疲れた頭がすっきりするぞ?」

「……スースーするガム?」

「お前、苦手かもしれねえから。ちょっとずつ口に入れろよ?」


 勉強のお供に。

 いつもボトルで買うんだが。


 今日は、連日の睡眠不足のせいで。

 授業中に眠くなるんじゃねえかと思って。

 鞄に入れて来たんだ。


 結構強力なやつだから。

 予め釘刺したんだが……。


「って。言ってるそばから二粒も口に入れて……。平気か?」

「爽快……!」


 人の忠告も聞かずに。

 渡した二粒とも一度に口に放り込んだ舞浜は。


 口をモゴモゴさせながら。

 幸せそうに、鼻から息をつくと。


「は、鼻を通すと強烈……! 一気に目が覚めた……、ね?」

「そうか、よかった。これで今夜も勉強を……」

「目が覚めたから、一コマ漫画だって描けちゃう」

「どうしてそうなる」


 どうにかして遊びてえようだが。

 まあ、今日はしょうがねえか。


 明日、明後日としっかり準備すれば。

 三教科分の追試も何とかなるだろ。


 せいぜい十分程度だろうし。

 頭のリフレッシュにはちょうどいいかもな。


「……か、描けた、よ?」

「はええよ準備でもしてたのかよ」


 相変わらず。

 自分の好きなことには。

 すげえ能力発揮しやがるな。


「勉強もそれくらい集中しろっての。まあいいや、どんなの書いたんだ?」


 呆れながら、舞浜が書いた一コマ漫画を。

 逆さ向きに覗き込むと。


 そこに描かれていたものは。

 


 板ガムを噛んだ子が。

 口を広げると。

 水色の息が口から洩れて。


 荒れ果てた土地が。

 あっという間にお花畑に変わ……、おいこら。



「どこが一コマなんだよ。これじゃ、枠線がない四コマ漫画だ」

「……だって、それじゃ起承転結が描けない」

「全部同居してるから一コマ漫画なんだろうが」

「……どう、描くの?」


 いやいや。

 自分で描くって言い出したんじゃねえか。

 俺にだって描けねえよ。


 でも、舞浜画伯の作品を否定した以上。

 何か描かなきゃいけねえような気がする。


 ちょっと首をひねった俺は。

 同じ少年に。

 十枚ほどの板ガムを咥えさせると。


 口から青い息がジェットのごとく噴き出して成層圏突破。


「……………………えっと」

「みなまで言うな」


 二コマになっとる。

 どうやったら一コマで面白くなるんだろう?


「あの、ね?」

「だから分かってるって。ちょっと待ってろ、今すぐ……」

「絵。へた」

「そっちかよ!!! いや、絵は苦手なんだって……」


 すっかり暗くなり始めた六月の雲さえ。

 俺の絵に吹き出したらしい。


 口から噴き出した飛沫が窓を叩き始めたかと思うと。

 あっという間に校庭を梅雨色に染め上げる。


「ああ、降り出したか……。続きは帰りながら考えるぞ」


 俺は教科書を鞄に詰め込んで。

 体よく逃げ出そうと思ったんだが。


 舞浜は、何か思いついたのか。

 俺が描いた二コマ漫画の隣に。

 三枚の板ガムを咥えた少年を描きだした。


 ……少年は、目と耳と口から青い息を出していたんだが。

 目と口を閉じて、耳をふさぐと。


 鼻からジェット噴射で月に突き刺さる。


「…………三コマじゃねえか」

「む、難しい……、ね」

「ほら、もうそれしまえって。帰るぞ」

「うん。……あ。ガム、もう一粒、くれる?」

「いいけど」


 帰り支度を済ませた舞浜が。

 広げた手の平。


 俺はガムを一粒乗せてやると。


「……ひとつ、分かったことがあるの」

「一コマ漫画は難しいってことか?」


 俺の言葉に。

 舞浜は、首を左右に振って。


 ……嫌味な顔で笑いながら。


「保坂君の絵。……へた」


 人が気にしてること言って。

 俺が怒りだす前に。

 ガムを口へ放り込んで。


 鼻と口と耳を塞いで。

 へっぴり腰になると。

 弾かれるような勢いで廊下に飛び出したんだが……。



「うはははははははははははは!!! おげれつっ!!!」



 まあ。

 そこまで塞いだら。


 出るとこは一つ。


 ジェットの推進力があれば。

 走るのも早くなるよね。



 …………って、違う!!!



「女子がそんなギャグすんな!!!」


 俺は、逃げ出した舞浜に追いついて。

 説教するために。



 ……ガムを十粒、口に入れた。

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