からしの日


 ~ 七月十六日(木) からしの日 ~


 ※翦草除根せんそうじょこん

  災いの原因を根こそぎ取り除く



 窓際席の利点は数あれど。

 弱点もまた、いくつもあるわけで。


 その最たる例が。

 これ。


「あちい……」

「保坂ちゃん、ここしばらくの晴れ続きの間に焼けたんじゃない?」

「まじか……。図書室にでも行って涼みてえから、メシ、先に食っていいか?」

「も、もうちょっと待ってよう……、ね?」


 日向の中で呆然とする俺を諭す。

 友達第一優先主義なこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 そんなこいつが待ってあげてる相手は。

 パラガスなんだが。


 お前、あいつに冷てえのか優しいのか。

 まるで分からん。


 ……まあ。

 どれだけ仲の悪い相手でも。


 ご飯を一緒に食べなきゃいけないってのが。

 女子ルールなんだって聞いたことあるから。


 あいつのことを友達と思っていてもそうじゃなくても。

 同じことするって訳か。


「おまたせ~」


 ……そんな、舞浜の親友かもしれねえ男。

 パラガスが戻ってくると。


 きけ子が、鼻をクンクンさせた。


「どうだ~? 匂い取れた~?」

「そうね、そんくらいならOKよん!」

「まったくてめえは。面白がって香水つけまくりやがって」

「でも、そんなに匂う~? なんだかこの香水、かけてもかけてもすぐ香りが消えるんだけど~」


 初めての香水。

 そんなものを学校に持ってきて。

 朝から体に吹き付けまくってたパラガス。


 こいつの香りに。

 一日中苦しめられた俺たちなんだが。


 さすがに、メシの間もこの匂いは勘弁と。

 体を洗って来るように命じたわけだ。


「やっぱ、安もんだから匂い消えちゃうのか~?」

「ちげえわよ。本人は、一瞬で鼻が慣れちゃうからそう感じるのよん!」

「ああ、なるほど~。……じゃあ、俺、すげえ匂いになってたってわけ~?」

「だから洗ってこねえと一緒に飯食ってやらねえって言ったんだ」

「……なんだか気になってきた~。まだ匂ってるの~?」


 そう言いながら、腕をクンクンしてっけど。

 そこまでしなきゃわからねえのか。


「はっきりくっきり香るわよん?」

「マジか……。いつまで匂い続くんだ~?」

「し、四、五時間くらい……、かな?」

「そんなに~!?」


 弁当箱広げながら叫ぶパラガス。

 でも、女子二人が盛り上がりだすと。

 その表情がどんどん色を失っていく。


「香水はね? トップノートからミドルノート、そんでラストノートって香りが変わるんだけど、この最後のやつが長いのよ」

「だ、だから、自分のイメージフレグランスにしたい場合はラストノートで選ぶの……」

「……はあ」


 惚けた顔するパラガスだが。

 気持ちは分かるぜ。

 俺にもピンと来ねえ。


 それより予想外なことに。

 舞浜のやつ。

 ちゃんと女子なトークが出来んのな。


 実験とか工作とかばっかりなんだと思ってたが。

 さすがは女子。

 こういう事には詳しいみてえだ。



 ……二人の乙女トーク。

 いくら待っても終わらねえから。


 俺とパラガスは。

 黙って飯を食い始めることにした。


 と、言っても。

 いつもの砲丸お結びにかじりつくパラガスと違って。

 俺のメシは、すぐには食えん。


 連日登場のキャンプ用ガスバーナーに。

 スキレットをセットして。

 ロールパンを焼き始めると。


 パラガスだけが笑いだす。


「ぶふぉっ!? ぎゃはははは! 自然に料理し始めるなよ~!」


 …………だよなあ。

 おもしれえよな。


 でも、女子トークで盛り上がる二人は無反応。

 これくらいで笑う舞浜じゃねえ事は分かってるんだが。

 きけ子まで笑わねえとか、ちょっと寂しい。


「そっか、舞浜ちゃん、意外と高級品使ってんのね……、って! 毎日毎日なんで料理し始めんのよあんたは!」

「ようやくかよ。でも、なんでって言われてもなあ」

「わ、私が、お料理見せてってお願いしてるから……」

「そうじゃねえ。お前がおかず欲しがるからだろうが」

「そ、そうね。いつもご褒美ありがと……、ね?」


 やれやれ。

 俺はこいつのこと。

 甘やかしすぎなのかもしれん。


 連日倒れそうになりながら資料と例題作ってやってるのに。

 なんでこっちがご褒美くれてやらなきゃならんのだ。



 ……もともとは。

 笑い取るために持って来てた野外料理セット。


 そうだったはずなのに。

 気付けば連日、温かいおかずを提供する俺。


 しかも、肝心の笑いネタについては。

 例題作りに必死になって、まるで寝てねえから。

 なんにも仕込んでねえ。


「パ、パン作ってるの?」

「あっためてるだけだ。メインはこっち」


 そして、パンが香ばしい感じになったとこで取り出して。

 代わりにソーセージを投入。


「ホットドッグ! それ、良いわね! 今度作ってみよっかな?」

「おお~。俺、ケチャップたっぷり目で~」

「誰があんたに作んのよ! 甲斐君に決まってんじゃ……、あれ? バスケ部、ランチミーティングじゃないの?」

「自主休業~」

「あんたね……」


 さて、そろそろソーセージがいい感じ。

 ロールパンにこいつを挟んで……、ん?


「うお、しまった」

「どしたの?」

「パンに包丁入れるの忘れてた。切ってから焼かねえと……」


 どれだけ慎重に包丁当てても。

 押しつけねえと切れ目がつかなくて。


 こうなるんだ。


「ありゃりゃ。ぺちゃんこなのよん」

「…………ちょっと、しょんぼり……、ね」

「わりいな。二個とも失敗した」

「ううん? そこに挟んでくれればいいよ?」


 偉そうに文句つけられたら腹立ててたろうが。

 こうまで殊勝にされても辛いものがある。


 それなりへこみながら。

 レタスとソーセージ。

 ケチャップとマスタード付けて。


「ほれ。お前の分」

「あ、ありがと……」


 そして自分の分にはレタス無し。

 マスタードましましにしてかじりつく。


「おほっ! この辛さが堪らん……っ!」

「ひええ! 保坂ちゃん、真っ黄色じゃん!」

「これがな? 病みつきになるんだ」


 マスタードもまた。

 香水と同じなのかもしれん。


 前はもっと辛かったはずって。

 食う都度に、使う量が増えていって。


 いまじゃ、これぐらいかけなきゃ気が済まん。


「舞浜も、もっと使うか?」


 そう言いながら。

 黄色いボトルを差し出すと。


 返って来たのは。

 涙目になった悲しそうな顔。


「…………からい…………」

「あ、わりい」


 え? でもさ。

 俺、一往復分しかかけてねえぞ?


「うわ~。いじめだいじめ~」

「酷いのよん、こんなにかけて……」

「そ、そうか。俺の感覚がマヒしてたのか」


 まいったな。

 これじゃ、香水かけ過ぎたパラガスの事笑えねえ。


 俺は、スプーン取り出して。

 翦草除根せんそうじょこん


 黄色と赤のマーブル模様を。

 俺のホットドッグへ移植する。


「悪かったな。ケチャップまで取っちまったから、加減見ながらかけて食え」


 赤いボトルを舞浜の机に置いてから。

 さすがにかけすぎたせいだよな。

 マスタードが、手の甲を伝って机に垂れ始めた自分のホットドッグを。

 慌てて口に押し込むと。


「マスタード、辛いけど……、香りは、好き」


 そんなこと言い出した舞浜が。

 俺に向けた鼻を。

 クンクンさせだした。


「こら。俺から匂いがするみたいじゃねえか、やめろ」

「ううん? これ、保坂君のラストノート……、ね」


 ラストノート。

 イメージフレグランスだったっけ?


 それがマスタードって。

 すげえやだ。


 ……でも。

 言われてみれば、確かに体からマスタードの臭いがするような気がする。


 さっき慌てて口に押し込んだせいか?


 俺は、口と鼻の下を。

 手の甲でごしごしこすってみたんだが。


「……あれ? マスタードの香り、消えねえ?」


 こいつが匂ってるのかなと。

 机に零れたマスタード拭いてみたけど。


 消えるどころか。

 より、はっきりマスタードの香りがするようになった。


「おかしい。やっぱ俺、食べ過ぎてマスタードの香りしてるのか?」


 不安に駆られながら顔を上げてみたら。


 どういう訳か。


「ぎゃははははは!!!」

「きゃははははは!!!」

「あはははははは!!!」


 一斉に。

 三人に笑われた。


「何が可笑しい!」


 むきになって怒る俺に。

 舞浜が、鏡を向けると。



 俺の鼻の下。



 マスタードでカイゼル髭。



「うはははははははははははは!!! どうしてこんな形に!?」



 しかし。

 そりゃ匂うわ。

 ああ笑った。


 だが、勘違いすんなよ?

 今日のはお前に笑わされたわけじゃねえ。


 俺がおもしれえから笑ったんだ。



 ……ほらみろ。

 俺はやっぱりおもしれえ。

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