第87話 阿曽の試練
くるり、と阿曽を振り返った少彦那は、その手に初めて出会った時に持っていた木の杖を掴んでいた。その杖を阿曽に向け、厳かな調子で話し出す。
「阿曽。これからお前の力を試す。――お前が天恵の酒を受け取るに相応しいか、
「はい」
阿曽は
少彦那の言葉通りならば、ここで阿曽が彼に認められなければ天恵の酒を手に入れることは出来なくなる。つまりそれは、人喰い鬼を倒す機会を失するということだ。
勿論酒がなくとも倒すことは出来ようが、堕鬼人たちの魂を来世へつなげることが出来なければ失敗したも同然である。
阿曽たちの目的は、堕鬼人を殺すことではない。彼らの魂を少しでも救うことにある。そして願わくは、人喰い鬼を正気に戻したい。
(絶対に、俺は負けない)
ごくりと喉を鳴らして唾液を呑み込むと、阿曽は戦いに集中した。
「参る」
そう言うが早いか、少彦那は一気に阿曽との距離を詰めた。
「!」
驚く阿曽に構うことなく、少彦那の杖が阿曽の鳩尾を突く。息が詰まり、阿曽は飛ばされた直後に激しく咳き込んだ。
「かっ……けほっ」
「これくらいで音を上げているのなら、お前はその程度ということだな」
「けほっ。音なんて上げてない」
ざっ。足下を整え、阿曽は深く息を吸い、吐いた。正直まだ鳩尾部分は痛みを訴えているが、そんなことはどうでもいい。
「阿曽!」
阿曽が奥歯を噛み締めていた時、二人を追って来た須佐男たち三人が現れた。
「阿曽、負けるなよ! オレも絶対追いつくからな」
「きみなら出来る。精一杯やり切るんだ」
「こんなところで立ち止まってたら、承知しないよ」
須佐男、温羅、大蛇が三人三様の応援をする。彼らの後ろには天照と月読もいて、無言で戦いを見守っていた。
「―――っ」
阿曽は三人に頷きで応じ、再び少彦那の動きを注視した。
相手は軽くその場で跳ぶと、タンッという音と共に阿曽目掛けて突っ込んで来る。阿曽は動きを見極めて間一髪で躱し、その勢いを利用して後ろに退いた。
少彦那は阿曽が逃げたのかと考え、後を追う。しかし、その判断は間違いだった。
「はあっ」
「つっ」
一気に頭の位置まで引き上げた剣を振り下ろされ、少彦那は杖で防ぐ。キンッという音を響かせ火花が散った。
(このまま、押し切るっ)
ギリギリと押し合いを続け、二人の距離が近付く。わずかに阿曽が力で押しているかに見えたが、少彦那とて負けてはいない。
――フォン
杖が金色に輝いた。それに驚き、わずかに阿曽の力が弱まる。その隙を、少彦那は逃しはしない。
「どけ」
「うわっ」
押し返され、阿曽は尻もちをついた。見上げれば、輝く杖をこちらに向ける少彦那が見下ろしている。
杖の光は弱まることなく、やがて杖のみならず腕を伝って少彦那自身にも及んだ。全身を輝かせながら、浅葱色の瞳を細めた。
「もっとだ。本気でかかってこい」
「くっ……」
足を踏ん張り立ち上がろうともがくが、阿曽の体は思うようにいかない。どうやら少彦那の力によって押さえつけられているらしい。
「う。うぅ……」
もがき、踏ん張り、意志の力で抗う。しかし、そう簡単なことではない。
「っ、くぁあっ!」
「そうだ、
浅葱色の瞳が閃く。ずんっと阿曽にかかる重みが増し、地面にめり込みそうな錯覚を覚える。
その実、阿曽は少しずつ地面に押し付けられていた。阿曽が潰れるのが先か、脱するのが先か。
「阿曽……」
顔を真っ赤にして耐える阿曽を見守り、温羅の手に汗が
「ちっ。こんなところでくたばんなよ、阿曽」
「須佐男。言葉遣い」
「……
手に汗握っているのは温羅だけではない。須佐男もまた、飛び出したい衝動を必死に耐えていた。
彼の隣には、天照のもとで保護されている櫛名田姫の姿がある。若草色の瞳が阿曽を見詰め、須佐男のこわばった手を握った。大丈夫、と安心させるように。
「阿曽、僕らを超えるんだろう? こんなところで立ち止まるなよ……」
二人の仲間の横で、大蛇もまた戦況を固唾を呑んで凝視していた。
己が八岐大蛇としての姿で仲間に襲い掛かった時、阿曽が心の中で『帰って来て、大蛇さん!』と叫んだ声が聞こえていた。その叫びが大蛇を引き戻したきっかけの一つであると言える。
だから、今度は大蛇は叫ぶのだ。まだ頼りないが、懸命に戦う仲間に。
(必ず認めさせろよ、阿曽!)
須佐男たちがそれぞれに固唾を呑む中、天照は無言で一方的な戦いを見詰めていた。普段お喋りでよく笑う天照がその状態であるためか、月読が様子を窺う。
「姉上、どうかしましたか?」
「ん? ああ、いえ。何でもないわ」
緩く
そうですか。と応じた月読だが、彼とて思うところがないわけではない。切れ長の目を真っ直ぐに足掻く阿曽に向け、ぽつりと呟く。
「……
「変わった? ……あなたはどのあたりが変わったと思う?」
天照に問い返され、月読は「そうですね」と顎に指をあてる。
「言うならば、覚悟のようなものが備わった。また、護りたいものを護るための強さを身につけようと足掻いている途中である、と言えましょうか」
「そう。わたくしも同様に思うわ。そして……彼の強さはまだまだ先がある」
「ええ。本当に、何があるかわかりませんね。この世界は」
月読の言葉に、天照は微笑をもって応じた。
正直なところ、天照は阿曽をそれほど重視していなかった。記憶を失った鬼の少年だとしか判ぜず、須佐男たちが連れ回すのを黙認していた。
しかし、自分たちの消えた兄である
「……あの子は中つ国のみならず、三つの国を変えてしまうのでしょうね」
隣にいる月読にすら聞こえないか細い声で、天照は呟き音もなく笑った。それはもう、楽しみで仕方がないではないか。
その時、天照の前にいた四人がざわついた。
「あ、阿曽……!?」
温羅の驚きに満ちた声を聞き、天照は意識を阿曽たちへと戻した。
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