第80話 人喰い鬼の正体

 力なく嗤う犬飼の胸倉を掴み、大蛇は激しく尋ねた。

「答えろ。人喰い鬼とは何者だ!?」

「大蛇、どうした!?」

 二人の元へ、須佐男と温羅が駆けつける。彼らもまた楽々森と留玉との死闘を経た後で、体はボロボロだ。

 大蛇は仲間たちの無事に安堵しつつも、犬飼を手放さない。

「こいつが言ったんだ。『お前たちは、知らぬのだろう? 人喰い鬼の正体を』ってな」

「正体、だと?」

 瞠目した須佐男が、犬飼の前に大股で進む。そして、ずいっと距離を詰めた。

「人喰い鬼の正体、教えろ。もうお前は終わりだ。楽々森たちと同様にな。……置き土産置いて行け」

「それは……。ああ、彼も来たか」

「彼?」

 須佐男と温羅、大蛇が犬飼の視線の先を追うと、丁度結界の中から阿曽が飛び出して来るところだった。

「阿曽……」

「俺も、混ぜて下さい、よ」

「きみは何故……ああ、今はいい」

 はぁはぁと荒い息を整えつつ、阿曽が強い光を瞳に宿して言う。温羅は言いたいことがあったが、今はそれどころではないと犬飼に目を戻した。

 犬飼の足が崩落を始めた。もう時間は残されていない。

 大蛇は手を犬飼から離し、彼が最期に話しやすいようにした。「はぁ」と大きなため息をつき、犬飼はわずかに残った目の光を阿曽たちの向けた。

「これが、最期の言葉となろうとはな。――くくっ。何が起こるかわからないものだな」

「御託は良い。さっさと教えろ」

「教えてやるさ」

 せっつく須佐男に苦笑し、犬飼は片手を挙げた。それを目の前まで持って来ると、微笑する。

「この身に命を与え、堕鬼人を創り出された方は、伊邪那岐尊いざなぎのみこと様と申される」

「いざなぎ……だ、と!」

 須佐男がひくつく喉を押さえ、眉間のしわを深くする。そんな彼に、犬飼は面白そうに頷いた。

「そうだ。お前は、よく知っているだろう?」

「知っているも何もあるもんか。……オレたちの父上だ」

「ふふ。最期にお前たちのそんな顔を見れた……か」

 犬飼は目を閉じ、体が砂塵と化した。それを呆然と見詰め、須佐男はやり場のない怒りを込めてガンッと一度だけ足を踏み鳴らした。

「ふざけんなよ。オレたちの父親が、全ての元凶だって? ……こんなこと、あるのか?」

「須佐男……」

「まさか、だな」

 温羅と大蛇も口々に沈痛な面持ちになる。彼らの反応に、阿曽は戸惑いを覚えて口を開いた。

「あの、どうしてそんなに驚いているんですか?」

「ああ、お前は知らなかったよな」

 未だ興奮冷めやらぬ様子の須佐男を見ていた大蛇が苦笑し、阿曽に教えてくれる。

「伊邪那岐さんは、伊邪那美さんの夫で、須佐男と天照さん、月読さんの父上でもある神なんだ。そして、随分前から行方不明になっていた。……そんな父親が、実は全ての元凶でした、なんて受け入れがたいと思わないか?」

「そう、ですね……」

 阿曽には今、日子ひるこという父親と一緒にいた記憶がようやく戻って来たところだ。以前まではその記憶すらなかったが、戻って来た今考えると、親が敵だというのは精神的にきついものがある気がする。

「須佐男さん、大丈夫ですか……?」

 他にも言いたいことはあるはずなのに、適切な言葉が見つからない。阿曽がそう尋ねると、須佐男はハッとした表情で彼を振り向いた。そして、温羅と大蛇にも目を向けて後頭部をかく。

「ああ。……ごめん、取り乱した」

「構わないよ、混乱するのは当然だ。な、温羅」

「そうだよ、気にしないでくれ。……だがこうなると」

 温羅は三将が全て消えた戦場を顧みて、眉をひそめた。

「三将を名乗る犬飼たちとの決着はついた。元凶が誰かもわかった。……だけどもう一人、わたしたちが戦わなくちゃいけない人物がいるんじゃないか?」

 彼女がまだいない。温羅の言葉に、阿曽は目を見開いた。

「――桃太郎」

「そう、桃太郎。……だが、今は来て欲しくないね」

「同意、だな」

「ちょっと全力でやり過ぎた」

 裏の言葉に、須佐男と大蛇が賛同する。

 彼らは三将と死闘を繰り広げ、まだ手負いの状態だ。自己治癒力が通常の何倍も強い三人とは言え、全くの休憩なしに強敵と連戦することは出来なかった。それこそ、命の危険にさらされてしまいかねない。

「まあ、だとしてもやるけどな」

 剣を担ぎ、須佐男はにやりと笑う。

「父上とのことは、その時に考えることにする。今は、堕鬼人を生み出す元凶を倒すことだけを考えるんだ」

 そして元凶にたどり着く前に、桃太郎を倒すことは必須条件だ。彼女は犬飼たちとと共に阿曽たちの前に現れ、何度も鬼と名のつく者たちを殺してきたのだから。

 須佐男の言葉に、温羅と大蛇も同意する。彼らの傷や顔色を見ていた阿曽は、それが危険なことだと直感した。三人が前線に出て戦えば、彼らの命が危うい。

 阿曽はごくりと唾を飲み込み、息を吸い込む。

「――俺が、行きます」

「え?」

「阿曽?」

「お前、何言って……」

「俺が、桃太郎を倒します」

 日月剣を握り締め、阿曽はそう宣言した。




 中つ国のとある場所で、藍色の長い髪を振り乱して武骨な剣を振るう少女の姿があった。彼女の目の前では血飛沫が舞い、新たな死体が生まれていた。

「……、……」

 浅くなった息を整え、少女は血振りをする。そして初めて、ぶるっと体を震わせた。

「……」

 その瞳には、光がない。まるでガラス玉のようだ。

 彼女には感情がなく、痛覚もない。だから自分が今、左腕の骨を折っていることにも気付かない。

 ただ、鬼を殺す者としてそこにある。それが桃太郎だ。

 ――ぴくっ

 桃太郎は何かに気付き、空を見上げた。

「……ぁ」

 初めて言葉が唇から漏れる。彼女を縛り付けていた太い紐のうち、三本が切れた音がしたのだ。

 残るは、最も太い一本のみ。それを切らない限り、桃太郎は殺戮をやめない。止めるという選択肢は存在しない。

『桃太郎、黄泉国へと向かえ』

 謎の声が桃太郎の頭の中で響く。その言葉を聞き、彼女は武骨な剣を片手で掴んで地を蹴った。

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