第49話 過去世
天地がひっくり返ったような、妙な感覚が阿曽を襲った。この男は今、何と言ったか。
「……
「今、覚えていないのも無理はない。生き物は、過去世など忘れて生きるものなのだから。しかし、これは事実だ」
目を見開いて硬直する阿曽に、
「……何を言っている。阿曽媛は、わたしが封じられた後にその封印を守り、時が来て死んだはず。なのに、ここにいるわけがないだろう」
力のなく揺れる声は、温羅のものだ。須佐男と大蛇も二の句が継げずに三人を見つめている。
常に穏和で冷静な温羅には珍しく、目が泳いでいる。困惑が顔に出ている。
目に見えて動揺する温羅の様子を見て、五十狭斧彦はほくそ笑む。楽しげに、己の剣の切っ先を温羅に向けた。
「驚いただろう? 俺も何故、彼女が生まれ変わったのかは知らない。だがこの事実を話せば、お前に幾らでも隙が出来ることは目に見えていたさ」
さあ、
五十狭斧彦は電光石火の勢いで温羅に接近し、彼に剣撃を打ち据える。辛うじて剣で受け止めた温羅だが、その耳に五十狭斧彦の声が忍び込んでくる。
「俺がお前の部下だった頃から、お前はあの
「……うる、さいっ」
ギリッと奥歯を噛み締め、温羅は五十狭斧彦の剣撃を跳ね返す。しかし精彩を欠いて、ひらりと躱されてしまった。
「照れるなよ。まさか鬼の想いに人間が応えるとは思っていなかったが……あの時から、お前は変わった」
五十狭斧彦の表情が変わる。人をおちょくる顔から、人を憎む顔へと。
「それまで俺たちが何をしようと見てみぬふりだったのに、急に言い出したよな? 『人間の村を襲うな』、『女子どもを傷付けるな』。こっちもやりにくくなっちまった」
「……わたしは、間違っているとは思わない」
苦しげに、温羅は返す。その瞬間、再び五十狭斧彦の十六夜剣舞が飛び、温羅を吹き飛ばした。
「がっ」
「その瞳、気に食わねぇ。真っ直ぐ、己の信じると決めたものを信じ抜く目だ。……あの時より更に、揺らがなくなってやがる」
瓦礫に埋められ体を圧迫され、温羅は息を詰めた。自由に息を継ぐことも出来ず、腕を伸ばして脱出を試みる。
頭上の大きな割れ石を退かせた時、温羅は殺気を感じて瞬発的に飛び退いた。温羅がいた瓦礫の穴には、五十狭斧彦の斬撃が撃ち込まれていた。
(あそこに棒立ちだったら、終わってたね)
少し離れた塀の上で、温羅は苦笑を漏らした。そして、決して負けるわけにはいかないという強い思いを新たにする。
阿曽が阿曽媛の生まれ変わりであろうとなかろうと、彼が今の温羅にとってかけがえのない仲間であることには違いない。そしてそれは、須佐男と大蛇に対しても言えることだ。
彼らと共に、人喰い鬼を討つ。そのために、温羅は城の何処かに眠るもう一つの自分に呼び掛けた。少し、力を貸してほしいと。
土煙の中、鈍く光る双眸がある。それが五十狭斧彦のものだと気付くと同時に、温羅は制御なしの剣撃を放った。体が熱く燃える感覚が湧き上がる。
「───
それは、温羅が力を分かつ前に使っていた剣の技だった。自らの鬼の力を剣にまとわせ、敵を両断する。
攻撃を繰り出す直前、阿曽の目には温羅が色彩を持った空気をまとっているように見えた。その気配は本気だが、力の波動は温かい。
紅蓮の炎を思わせる闘気が舞い上がり、真っ赤な瞳を一際輝かせる。
「なっ―――!」
失ったと思っていた温羅本来の力の解放。それは、五十狭斧彦に驚愕と共に隙を生んでしまった。炎の奔流が五十狭斧彦を襲う。既に、彼の抵抗は間に合わない。
「くそがあぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
まるで竜巻のような炎の嵐。それに覆われ
燃え盛る火に消し飛ばされ、
温羅と五十狭斧彦の死闘を見届けた阿曽の耳に、何者かの声が聞こえた。
『……て。ここ……』
「誰?」
問えども、答える者はいない。
「阿曽……?」
「温羅さん」
阿曽の前には、傷だらけの温羅の姿がある。何度も壁に打ち付けられた体は血がにじみ、五十狭斧彦につけられた傷は全身にある。特に両腕にまたがる一文字の傷は深く、未だに血を流していた。
剣を鞘に納め、温羅はガクンと膝をついた。息は荒く、彼がぎりぎりの状態であったことがわかる。
「ふふっ。流石に久し振りに力を使うと削られるな……」
苦しげながら、温羅の表情からは先程までの険しさが消えている。
阿曽は呆然としたが、はっと気を取り戻して荷物の中を探り始めた。確か、まだ傷に効く薬が残っていたはずだ。
「待っててください。今薬を……」
「いや、まだいいよ」
温羅は阿曽を制し、再び気力で立ち上がった。どう見ても
「少しでいい、休め」
「そうだよ、温羅。きみは傷つき過ぎた。休んでからでも遅くはないよ」
「……ありがとう。須佐男、大蛇」
仲間たちに微笑み、それでも温羅は一歩を踏み出す。倒れそうになりながら、足を前に出す。
「温羅さ……」
「わたしは、会いに行かないといけない。今しか、ないんだ」
温羅の切実な言葉に、阿曽たちは言葉を失った。背の近い須佐男が温羅に肩を貸し、尋ねる。
「『何に』会いに行くつもりだ?」
「決まっているだろう? ……半身だよ」
温羅の半身は、この廃城の地下に眠らされているという。
「そこに、あの人もいるはずだから」
『あの人』が誰を指すのか、誰も問いはしない。わずかに優しくなった温羅の目元が、正体を物語っていたから。
「……わかった。探そうぜ」
須佐男の号令で、四人はゆっくりと地下へと続く階段を探し始めた。
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