両面宿禰

第8話 両面宿禰の村

 朝を迎え、四人は昨夜の残りなどで腹を満たした。残しても、長く小屋を空けることになるから保存しておくことは出来ない。

 今日は、とうとう饒速日にぎはやひのもとを訪ねるために旅立つのだ。

「その饒速日っていう人は、何処にいるんですか?」

「ここからなら、山を一つ越えたところかな。幾つかの村を通り過ぎたところに、そいつが治める国の中心がある」

 阿曽が見たこともない布製の入れ物に食べ物や縄などを入れた須佐男が、窓から見える景色を指差して答えた。森を抜けて少し行ったところに、大きな山が見える。

 須佐男は後世で言うところの肩掛け鞄を肩にかけ、それから伸びをする。

「二、三日あれば着くんじゃないか? 狂暴な熊がいたり、天津神を嫌がる地祇くにつかみがいたり、堕鬼人が出たりしなけりゃ」

「……須佐男、若干楽しみにしてるだろ」

「あ、ばれたか」

 にしし、と笑った須佐男に温羅が苦笑を返す。彼らを横目に、大蛇は阿曽にも彼らが持つのと同じ入れ物(鞄)を持たせてくれた。

「この中に物を入れれば持ち運べるから。阿曽にあげる」

「あ、ありがとうございます」

「ぼくのおさがりで悪いけど」

 確かに少し汚れてはいたが、十分綺麗に使われている。阿曽は首を横に振り、大切にしようとそれを撫でた。

 全員の支度が出来たことを確かめ、須佐男が号令をかける。

「さあ、行こうぜ!」

 阿曽は長く世話になったであろう小屋を振り返り、感謝を込めて頭を下げた。それから須佐男たちの後を追う。




 記憶にある限り初めて森を出て、阿曽はそわそわと周囲を見回した。森の外にあったのは、何もない一本道。時折木が立っていて、そよそよと風に葉を遊ばせている。何かの指標のように立てられた石の意味を問えば、温羅が「この辺りの名を記してあるんだ」と答えた。

「ほら、書いてあるだろ?」

「本当だ。……えっと。かんなひ、やま?」

「すぐそこの山のことだろ。甘南備山かんなびやま。中つ国の人々が、神が舞い降りると信じた山だ」

 須佐男に従って見れば、大きくこちらを見下ろす山がある。うっそうと茂る木々は、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出す。

 思わず脇道はないかと見るが、幾つも連なった山々の一つであるその甘南備山に、逃げ場を与えてはもらえなかった。

 山道の過酷さを想像してげんなりしている阿曽の頭に、ぽんっと温羅が手を置いた。

「こんなところを行くのかって思ってる?」

「う……はい」

「まあ、かなり急な山であることは間違いないけど、わたしたちも一緒だから心配しないで」

「そうだよ。登ってしまえば、きっとよかったって思えるから」

「本当ですか? 大蛇さん」

 阿曽に疑いの目を向けられても、大蛇は大きな目を細めて微笑むだけだ。

 そこまで言われてしまえば、やるしかない。阿曽は「よし」と気合を入れて山へと向かって歩き出した。


 山の中は、四方八方好きなように枝や蔓が伸び、歩きにくいことこの上ない。そしてたくさんの木々のお蔭で潤沢な水が阿曽の足を滑らせる。一度は、小川に気付かずに落ちかけた。幸い、気付いた須佐男に救われたが。

 でも、襟首を掴むのは止めて欲しかった。

 何度か遠くに熊を見た。鹿も、狸も。森と似ていて、違う生き物たちがこちらを見ていた。あの森の生き物たちならば、ほぼ全員が友だ。

 でも、ここでは新参者だ。

 自分が知らない世界の一端が、ここにある。

 阿曽は緩急の激しい山道にぜいぜいと息を弾ませながら、必死に前を行く須佐男を追い、隣を歩く温羅に元気づけられ、後ろを守る大蛇に背を押されていた。

 木々の間を抜け、木の葉まみれ泥まみれになって、阿曽はようやく太陽の光を見た。

「はぁ、はぁ。……つ、着いた」

「頂上にね」

「……温羅さん、叩き落さないでください」

「あはは。ごめん。でも、見てごらんよ」

 温羅に促され、阿曽は目を上げた。

 すると、そこには目を疑うような光景がある。

「お……おおぉーーー」

 それしか言葉がなかった。

 目の前にあったのは、下界を臨む雲の景色。その雲に隠れるようにして、地上が見える。米粒より小さな木々や、家、時折見える人々の姿。生き物の歩く姿もある。

 そして何より、山と空、川と緑の美しさが胸を打つ。日の光が、少しずつ西の空へと傾く。そんなときだ。

 山の向こう側を見れば、阿曽にとって未踏の地が広がる。須佐男がその更に向こうへと指を差す。

「あそこに見えるか? あの家々。あの辺りが、今からオレたちが向かう場所だ。……饒速日の治める中心の地、『武海たけみ』の地だ」

「あそこが……」

 確かに、他と一線を画す場があった。幾つもの大きな建物が見える。高天原の神殿には敵わないが、立派な建物。あれは饒速日のやしきだという。

 阿曽の両隣に、須佐男と温羅、大蛇が立つ。三人に比べれば小柄な阿曽だが、言い知れない心の安らぎを感じていた。

(……俺はきっと、忘れないんだろうな)

 絶対に、口にはしない。言えば、からかわれるのは必定。だけど、とても嬉しい。

 この四人で、初めて見つめた景色だ。

「……大蛇さん」

「ん?」

 小首を傾げた大蛇に、阿曽は気恥ずかしげに微笑んだ。心から思ったことを口にする。

「言われた通りでした」

「……よかった」




 それからどうにかこうにか山を下り、最初の村に着いたのは日が落ちてからだった。

「ここで宿を借りられないか、聞いて来る」

 そう言って村に入って行った大蛇を、村の外で待つ。

 待つ間、ちりちりと感じる視線。阿曽は居心地が悪くてもぞもぞと動いた。

「何だ、阿曽。行って来ても良いぞ? その川の方で頼む」

「そっちじゃないですよ。何か、感じません?」

 ひそひそと声を潜め、阿曽は小さく村を指差した。須佐男と温羅が顔を寄せて来る。

「感じるって、こっちを見てる村人の目のことか?」

「……わかってるじゃないですか」

「わかってはいるけど、それは当然だと思うよ、阿曽。だってこんな奇異な格好をした四人組がいるんだから、そりゃあ怪しかろうよ」

 温羅は自分を指し、笑った。

「なんてのんきな……」

 呆れた阿曽は、小さな足音を聞いて顔を上げた。そこに立っていたのは、大蛇だ。

 大蛇は片手を軽く挙げ、にこりと微笑む。

「良いってさ。村長むらおさの邸に使っていない離れ屋があるらしい。そこを一晩使えって」

「そうか、助かった」

「ああ。それから……」

 大蛇は温羅と阿曽に視線を移すと、二枚の布を差し出した。

「これは?」

 温羅が尋ねると、大蛇は少し声を低めた。布と二人の瞳を見比べる。そして、少し痛みを堪えるような顔に歪めた。

「この村は、『両面宿禰りょうめんすくなを産んだ村』なんだとさ。だから、鬼を何よりも恐れてる」

 両面宿禰とは何なのか、阿曽はまだ知らなかった。



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