第三夜 真芽と尾隠
い
少女、いや女装少年は暗闇の中、ぱちぱちと目をしばたかせた。
それから重力に従って体を転がすと、ころりと
その勢いのままに、ころころころころと転がり続けると、勢いよく壁の端の方で眠っていた男の脛に頭を打つ。
「いたい……」
寝ぼけ頭のままで半身を起こし、ぶつけた所を手でさする女装少年。
ぽけっーとした半目で辺りを見渡すと、ここはどうやら家の中で、恵鬼が昨日の暮れ方(恵鬼にとっては寝起き、女装少年にとっては就寝前)に言っていた集落に着いていることを把握する。
やがて女装少年は、この家の中に見知らぬ男がいるのを発見し、『あ』と声を漏らした。
「知らない人がいる」
自分が先ほど思い切り頭をぶつけたのが、この男の脛であることにはまるで気付かず、女装少年は興味なさ気に男を観察した。
もじゃもじゃの黒髪に薄汚れた法衣、傍らにはごみと区別が付かない
普通ならば昨夜の牟鬼のように、大声を上げて驚きそうではあるが、未だに脳が完全に活動を開始していない状態の女装少年は、何を思ったのかその男の後ろに回って後頭部を見る。
後ろから見る限りにおいて、穴が貫通しているということはなさそうだ。
女装少年は再び男の正面に戻ると、その穴をじっーと見つめた。
底の見えない暗闇だけがそこにはあり、穴が空くほど眺めるも(穴は眺める前から空いているが)それ以上には何一つ分からない。
女装少年はそこからさらに男に近付くと、その細い指をそっーと男の右の穴に差し込もうと――
「おい」
突然、目の前の男が動き、女装少年はビクッと飛び上がると、そのまま後ろに倒れこみ先ほどよりも一際強烈に後頭部を床に打ち付けた。
「うぅ~、超いたい~……」
「大丈夫かい、女装少年?」
目のない男に心配され、女装少年は今度は軽く涙目を浮かべ、両手で頭を押さえながら起き上がった。
ひょっとすると、小さなたんこぶの一つでもできているかも知れない。
「あんまり痛むようなら、濡れ手ぬぐいかなんかで冷やすこったねぇ」
親切にも手ぬぐいまで手渡され、女装少年は多少当惑する。
「ありがとう。えっと……」
「あぁ、俺は
「あいぼう? ケイキの?」
女装少年の寝起きの頭では、それだけで全ての事情を察するのは至難だった。
陰玄は続ける。
「女装少年のことは、恵鬼の旦那に簡単だが聞かされてんだが……そういやぁお前さん、名前は何ていうんだい?」
名前も聞かされていないながらに聞かされた簡単なことというのは何なのかと、女装少年は思いつつも、とりあえず聞かれた手前名乗ることにした。
「わたし……いや、ぼくの名前は
一人称と語尾が若干不安定だったが、陰玄は特に気にすることもなく、
「そうかい、よろしくな」
とだけ言うと、あくびをしてもう一眠りしようと背中を壁に預ける。
しかし、真芽は子供らしく空気を読むことなく、その眠りを無邪気に妨げた。
「それでね、真芽って名前はわたし……いや、ぼくのお父さんが『小さいから』って理由で付けたらしいの……さ。
ひどいと思うでしょ……じゃないか?」
最初は聞き流していた陰玄だったが、延々としゃべりかけてくる真芽に対し、ついには
「ええぃ、やかましいねぇ! こちとら昨夜、妙な鬼と
もう少し寝かせてくれ!! それから、もう俺の目で遊ぶんじゃねぇぞ!」
「目?」
陰玄の最後の言葉に、真芽は今更のように陰玄の穴を見つめなおした。
「きゃああああああ――!!」
少女ならぬ女装少年の小柄な体のどこに、これほどの声量を出す力があるのかと思うほどの大きな悲鳴が、村中に響き渡った。
そのあまりの声の大きさに、恵鬼はもちろん、近くの家で寝ていた人間たちも飛び起きる。
『何だ、何だ? 今の悲鳴は?』
きょろきょろと辺りを見渡す恵鬼の言葉も家の外から聞こえてくる人間たちの言葉も、程度の差はあれ皆似たようなものだった。
――こりゃ、まずいかもしんねぇな。
陰玄は即座に現状の危うさを把握すると、恵鬼の臭いの方へと声を飛ばした。
「恵鬼さんよぉ。この場はとっととこの村を出たほうがいいぜぇ」
「陰玄、何故だ? それより、真芽はいつの間に起きて……」
真芽は部屋の隅の方で、背中を丸めてお化けでも見たかのようにブルブルと震えていた。
実際には、お化け以上に怖ろしいものを見たのだが。
「説明してる暇はねぇ。今はともかくこの場を離れるこった」
恵鬼は混乱しつつも陰玄の言葉に従い、縮こまる真芽を何とか外套の中に抱え入れると、急いで村の出口に向かって走り出した。
途中、
陰玄は恵鬼を急かしたが、それを無駄だと悟ると、仕方なく恵鬼に付き合った。
そんなことで多少時間を取ったが、恵鬼と陰玄、それに真芽は何とか無事に村から出ることに成功した。
陰玄が
何とか面倒ごとになる前に村を出た陰玄のとっさの判断に、恵鬼は思わず感心した。
「なるほどな。それですぐに村を出ようと……」
「まぁ、年の功ってやつさ。それよりもよぉ……」
陰玄は恵鬼の足元にへばり付き、隠れるようにして歩いている真芽の方を向いた。
陰玄と目が合うと、真芽はさっと恵鬼の体をよじ登り、外套の中に身を隠した。
「随分と嫌われたもんだねぇ」
「大丈夫さ、真芽。コイツは
「恵鬼の旦那、そいつは何の弁護にもなっちゃいねぇぞ」
――弁護しかねるようなテメエが悪い。
と恵鬼は思ったが、声に出して反論することはなかった。
理由は単純。疲れていたからだ。
恵鬼も陰玄も、昨夜の闘いの後から数刻しか眠っていない。正直な話、体はもっと多くの睡眠を欲していた。
恵鬼と陰玄は互いに確認するまでもなく、暗黙の了解で歩きながら寝床に最適の場所を探す。
やがて、木々が上手い具合に日光を隠してくれる林を見つけ、恵鬼たちは早々と体を横にした。
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