第130話 そんな風に自分の生まれた神社の歴史に
そんな風に自分の生まれた神社の歴史に驚いたりしているうちに、「妙見神呪」が空で唱えられるようになり、気が付けばいつの間にか口遊(くちずさ)んでいるようになっていた。
兄の方は益々野球に打ち込み、起きている間は全ての時間を野球に打ち込んでいるといってもいいくらいだ。いつの間にか社務所の裏にはバッティングゲージができていて、夜遅くまでティバッティングの音が聞こえていた。
その音はやがて軟式ボールから硬式ボールを打つ音に変わっていた。それに伴い神社の跡取りと云うのに修行の方はお座なりになっていた。
私の方は相変わらず神社の結界の中で引きこもりをやっているし、そのおかげで、私の護衛だった人たちは、父に用事を言いつけられてあちこちに出掛けているようで、神社ではすっかり姿を見なくなっていた。
そんなこと以外は特に何事もなく、月日が流れていく。
.◇◇◇
そしてあれから三年近くが経ち、私は小学六年生、兄は高校二年生になっていた。
そして私は「妙見神呪」を唱え始めてからもう数万回は唱えているはずなのに、私の霊力の質には変化がなかったし、霊力が上がった実感もなかった。少し私の自信も崩れかけていた。「石の上にも三年」ということわざがあるけれど、我慢強く継続してやり続ければいつかは目が出るということのはずだけど、私は凡人でどれだけ努力しても目が出ないタイプ? いやそれ以前に書かれている意味が分からないから今までやってきたことは全て無駄だった? そんなことを考えながらグダグダの自尊心を抱えていた。
しかし、兄の方は頑張っていた。練習だけでなく生活指導も厳しい最近の高校生だと敬遠するこの地区では古豪になりつつある岡島商業に進学し、一年生の内からレギュラーで、今年の春の大会ではサードで四番を打ち県大会でチームを優勝に導いている。そりゃああれだけの努力に加えて霊力さえコントロールできるのだ。地元では有名なスラッガーで、気力、体力とも死角無しと相手校から恐怖の対象になっている。
両親の評価は別として、引きこもりと超高校球児、周りの評価は完全に逆転していたことも私の焦りを助長していた。
そんな時だった、あの事件が起こったのは……。
そんな七月初めの梅雨の季節、しとしととした雨が降り続き、肌に纏わりつくじめじめとした湿気に私の不愉快指数はうなぎ上りだ。そんな昼下がりに、いつも部活で遅くなる兄が血相を変えて家に帰ってきたのだ。いや早いなんてもんじゃない。きっと学校を早退して帰ってきたのだろう。
まだ、昼過ぎなのになんで? 私は不思議に思い兄の後を付いていく。兄は興奮したようにまっすぐに父の書斎へと飛び込んでいく。あまりに慌てたのだろう。兄は書斎の扉を閉め忘れていた。私は扉に隠れて兄と父の話をこっそりと聞いていた。
兄は今日あったことをマシンガンのように父に向かってまくし立てていた。
私はこっそりと中の様子を伺った。最初に目に付いたのは左手に巻かれた血が滲んでいる包帯、そして父に向かって突き出した右手に持っている幾何学的な模様が奇麗な寄せ木細工の一〇センチほどの正方体の箱。兄は私が聞いたことがない単語を興奮気味に連発していた。
(チッポウ?)
私は兄の話を聞き洩らさないように全神経を集中する。そして分かったことは次のようなことだった。
今日の昼休み、兄の同級生の杉井ミクさんが「面白い物を見つけたの。でも開け方が分からないのよ。誰か開けられる人いる?」とそんなことを言いながら木目が幾何学的になった美しい箱を持ってきた。その箱は寄せ木細工が施され、まるでパズルのように寄せ木が組み合わされて開けることができない。珍しそうに見ていた何人かの同級生たちのうち、そういったパズルに強そうな男子が箱を突っついたりひっくり返したりしていたが、結局は無理だった。ミクさん自身は少し誇らし気になっていたらしい。
しかし、兄はその箱に見覚えがあったらしい。
「ばか! 開けるな!!」
怒気を含んだ兄の声に周りはあっけに取られたらしい。さらに兄はミクさんから箱を取り上げ、厳しい眼つきで問い正したみたいだ。
「杉井さん。この箱はどこに在った?!」
「えっと、うちの納屋にあったの。お爺さんが死んで七回忌が昨日あって、そろそろ遺品を整理しようって、納屋を開けてお爺さんの物を出していたら、ガラクタや骨とう品に混じってこの箱が出て来たの」
「なるほどな。お爺さんからこの箱について何か聞いていないか?」
「特に何も……。そういえば、生前は私が納屋に近づくとすごく怒られた」
「やっぱり、だとしたらこの箱に触れたのは初めてか?」
「うん。昨日の夕方からかな」
「まだ、間に合うか……。いや、かなり厳しいぞ。この場でやるしかないか!」
「何なのよ一体。沢登君?」
「これからとんでもないことをするけど、受け入れろよ。命に係わることだから!」
鬼気迫る兄の言葉に、その杉井ミクさんは頷くしかできなかったみたいだ。
そして、兄のやったことは本当に飛んでも無いことだった。兄はカバンからカッターナイフを取り出すと自分の左の掌をざっくりと切り付け、その手から滴る血を机の上に置いた箱に垂らし、さらに「ごめん」と宣言すると、杉井さんの口の中に無理やり手を突っ込み、手から流れ落ちる血を杉井さんに飲ませたらしい。
「うぐぐぐぐっ」
口の中に広がっただろう錆の味、杉井さんは盛大にえずいたらしい。そこでお昼に食べたお弁当と兄の血が混ざった嘔吐物が床にまき散らかる。その嘔吐物の中には、ゴキブリのような様態の半透明な物体が二、三匹蠢いている。もっともそれが見えたのは兄とミクさんだけだったらしい。恐怖に顔を歪ませるミクさんをしり目に、兄はその物体を霊気を纏ったカッターで刺し殺してとどめをさしたらしい。
「これで大丈夫」
兄はそう呟いて、ほっと周りを見回したみたいだ。それでようやく今までの出来事に金縛りになっていたクラスメートたちは口々に叫んだらしい。いや口が開けたのはほんの一部、後はただ異様な風景にかたずを飲んで見守っていたみたいだ。
「な、なにをしているのよ!!」
「はやく傷の手当てを!!」
何人かが叫ぶ声が、教室の流れる時間を取り戻した。その後は大変だったらしい。兄とミクさんは直ぐに保健室に連れて行かれ、兄は手当を受けたけれどもかなり傷は深かったみたいで、甲子園の予選は絶望的。ミクさんもショックが大きく茫然自失状態。とりあえず二人とも今日は早退するように言われて帰ってきたらしい。そのミクさんが持ってきた箱こそ、今兄が持っているチッポウと呼ばれたものだった。
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