第129話 麗の回想録(メモワーズ)2
部活の帰り、たまたま兄は私が妖魔に襲われているところに出くわしたみたいなのだ。
兄に手を取られ引き摺られるように鳥居まで走った時間。実際には三分にも満たなかったに違いないけれど、その時間は永遠に続くように私には感じられた。
兄に薙ぎ払われてもすぐに体制を整え追ってくる妖獣たち。兄はその牙で、その爪で、行く手を阻まれ傷だらけになりながら、口元に祝詞を唱え、やっと神社の鳥居に二人で飛び込んだのだ。
大きく安堵の息を吐いた私たち。
妖獣は、私たちの思った通り、鳥居から中には入ってこられないようだった。それでも何とかできないかと鳥居の周りをうろつき私たちを威嚇する妖魔たち。
そんな妖魔たちに業を煮やしたのか、鳥居の両側に鎮座している狛犬から、突然、力強い威圧を感じた。その威圧は妖魔に向かって放たれているようだった。
その証拠に、いままで喉を鳴らし私たちを威嚇していた妖魔たちは、途端に尻尾を丸めてまるでキャンキャンと鳴くように、頭を低くひれ伏したかと思うとどこかに逃げ出してしまったのだ。
「ちぇ、俺の霊力じゃ追い払えもしないのに、さすが神社を守護する狛犬だな。しかも麗にかなり懐いている」
不貞腐れるように呟く兄に対して、私は不思議に思い兄の方を見た。
「あれっ、麗。お前、気が付いていないのか? お前なら狛犬のオーラが見える筈だろ?」
兄に指摘され、私は霊視を試みる。確かに狛犬は暖かい藤色のオーラに包まれ私を慈しむように存在している。私はこの狛犬たちと心を通わせ、出来ればお話をしたいとすごく感じた。だったらこの力をもっとつけないと……。それにさっきみたいに妖魔に襲われた時、自分でも戦えるようにならないと。
「お兄ちゃん、私に神呪の法を教えて?」
「でも、麗にはまだ早いと思うよ。俺だって修行を始めたのは中学に入ってからだし……。それに危険だよ。中途半端に習得するのは、麗にとっても周りの人にとっても……」
「それでも知りたい。だって今日みたいなことがまた遭ったら……、それに、この狛犬さんたちとも心を通わせみたい。私、お友達がいないから……」
私は兄ににじり寄り、上目遣いで兄を見つめる。兄はそっぽを向くようにあらぬ方向を向いているけれども……。当時の私は兄に腕力も体力も敵わないのに、霊力は私が上だと思いあがっていた勘違い野郎だ。何とか兄を出し抜きたい。でも一方、兄の方は私のそんな考えを見抜けないダダ甘ちゃんだ。
そして上目遣いの瞳をさらにウルウルさせたのだ。
「しょうがないなあ。いいか、さっき俺が口の中で唱えていた神呪。あれを毎日唱え続けるんだ。そうだな……、数千回いや数万回。そうすることでいつか体内の霊力が活性され、霊力を意識的に扱うことができるようになる。そうなれば後は早い。麗ならすぐに俺を超えるんじゃないか?」
「そんな……」
一瞬私の考えが兄に読まれたかと、ひきつったような笑顔を兄に向ける。でも、兄はそんなことには気が付かないようでさらに言葉を続けている。助かった野球バカで……。
「俺の経典をやるからそれで修行しろよ。俺はもう暗唱できるから必要ないしな」
そんなふうに兄と約束を交わして、社務所の裏にある家に二人して入っていった。
その晩、食事中に兄が今日のことを話してしまった。母親はもう泣きだしそうなくらい私を心配していた。そして、父親はすごく難しい顔をしている。余計なことをと思ったが、さすがに制服をボロボロにして、あちこちに切り傷や擦り傷を作り、そのことを聞かれて兄もごまかし切れなかった。
私もなぜ遅くなったのかを聞かれて、色々誤魔化そうとしたけど、学校でいじめに遭っていることまで話すはめになってしまった。
それを聞いたお父さんが一言「学校には行かなくていい。お前には家庭教師を付けるから」と宣(のたま)い、母親は直ぐに学校に長期欠席の連絡をして、私の小学校生活は引きこもることが決定したのだ。確かにいじめが原因?で危うく命を落としそうになったのだ。親にとってはやりきれないことだったとは思う。
私が小学三年生、兄が中学二年生の晩秋の時だった。
そうして私の修行はこっそりと親に隠れて始まった。私は日長家にいて、兄から貰った教典を唱えていた。兄から貰った経典は難解で意味も分からなかった。経典の表紙には「妙見神呪(みょうけんしんじゅ)」と書いてある。中身はまるで意味の分からない漢字の羅列だ。漢字にはルビが振ってあって、引っ掛かりながら、一字一字読み解くようにゆっくりと馴染むように読んでいった。文字数でいうと千文字ぐらい、最初は一回上げるのに一五分は掛かっていたのが、やがて一〇分程度になり、自然にどこで区切ればいいのか分かり、リズムよく唱えることができるようになると、三分であげられるようになっていた。
そして、気になったのでうちの神社の御神体である妙見菩薩についても調べてみて、色々なことも分かった。
妙見菩薩は北極星を神格化したもので、元々はインドの菩薩信仰が中国の道教の北極星や北斗七星信仰と融合し、菩薩といわれながら、大黒天や毘沙門天、弁財天と同格の天部に所属している。さらに古代には北極星(北辰)は天帝とみなされていた。
さらに、妙見菩薩信仰には星宿信仰、道教、密教それに陰陽道などが混交して、像容も一定していない。うちの神社は甲冑を身に着け、一振りの神剣持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った像だ。なるほど、岡島神社にいる神官たちの恰好が甲冑を付け、私の護衛に就く人たちが、密教のバジュラを使ったり、陰陽道みたいにお札を使う意味が初めて分かった。
さらに私が唱えている妙見神呪は、唱えることで国家護持の利益を得られるとされているのだが、現存しているのはこの岡島神社だけ。後は焚書として処分され歴史的には幻の神呪らしい。
なぜ、そんなことが起こったかというと、明治維新で神仏分離令によって神社では「菩薩」を公然と祀れなくなったためみたいだ。この岡島神社は唯一その明治政府に逆らった神社だったということだ。
うちの神社凄い。素直に尊敬してしまう。あの勢いのあった明治政府の高官相手に逆らったとは、私の曾々じいちゃんはなかなかの豪傑だったらしい。それに後で知ったことだけど、当時の政府と密約さえ交わしていたらしい。
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