第50話 3分ほど歩いただろうか?
3分ほど歩いただろうか? 目の前には年季の入ったアパートが見えて来た。看板にはコーポアスカとなっている。
「このアパートの二階だから」
階段を上がり、廊下の一番奥の扉にカギを差し込み、カギを開ける。
「入って、汚いところだけど」
「お邪魔します」
1DKの部屋は入ったところに流し台があり、その奥が6畳ほどの和室がある。外観のきたなさとは違って部屋の中は奇麗に整頓されていた。というかほとんどなにもなかった。
「ごめんね。必要な物だけ残して後は全部売っちゃった」
そう答えた留萌さんの部屋には、段ボール箱が5つほどあるだけだった。
「冷蔵庫も売っちゃったし、あとあるのは着替えと布団だけかな。段ボールの中は実家に送り返す教科書や家財道具、ごめんね。お茶も出せなくて」
そう笑う留萌さんの顔色は大分よくなっていて、刺青も消えてかけている。
「お構いなく。それより布団は? 早く寝て元気になってまた明日、バイトに来てください」
「ありがと、布団はそこの押し入れにあるから、敷いてくれる? 体に力が入らなくて」
「いいんですか? 俺が開けても?」
「大丈夫よ。もうほとんど片付けているから。それにこんな格好まで見られているしね」
そうだった。留萌さんは服を破られて半裸状態だったので俺はなるべく見ないようにしていたのだ。
俺は押入れから布団を出して敷いてあげた。そして、帰ろうと玄関に買うところで呼び止められた。
「待って。ほほの傷、手当てをしないと」
そういうと俺を追いかけてきて、ハンカチで血の跡をぬぐう。
「そんなに深く切れてないわ。これなら絆創膏で大丈夫よね」
そう言って大きめの絆創膏を貼ってくれる。
「すみません。これでほほ傷でもできたら、俺ますます人相が悪くなりそうですから」
「そうね。沢井さんにどやされるかな?」
「留萌さんって、美優のことを知っているんですか?」
「だっていつも一緒にいるじゃない。お似合いのカップルね」
俺は留萌さんが俺と美優の関係を知っていたことに、なぜかがっかりしたような気持ちを持ってしまった
「いや、まあ……。とにかく元気だしてください。俺帰りますから」
そういって俺は留萌さんに背中を向ける。
「沢村君、いえ錬君、お願い、服を脱がせて、自転車を転ばされたときに体中を打ったみたいで、痛くて服が脱げないの……。それにどこかケガしてないかも見てほしい……」
後ろで布の触れあう音がしたかを思うと、パサっと何かが落ちる音がした。そして俺は後ろから留萌さんに抱きしめられた。留萌さんの体は暖かくその胸の質感は何も着ていないのがTシャツを通して分かった。
「錬君、私のあの姿を見て逃げ出さなかったのはあなただけ。だから、あなたとなら子作りができると思う。あなたとの子どもが欲しい」
「な、なにを言っているんですか?」
「私は錬君と付き合いたいわけじゃない。あなたに迷惑は掛けない。沢井さんにも黙っていてあげる。私は子どもと一緒にひっそりと暮らすだけ……」
そういうと、俺を振り向かせ、背伸びをすると唇を重ねてくる。ファンデーションの匂いが鼻に衝く。そして半開きになった唇に舌を絡ませ、甘い吐息を吐くと唇を離し、濡れたような潤んだ瞳を俺に向け、俺のシャツに手を掛けまくり上げる。思考が甘美な感覚にとらわれる。五感すべてが留萌さんを感じたいと牙を剥く。しかし、チラッと見た胸元には、4筋の大きなカギ爪で抉られた跡。なんなんだこれは? かろうじて残っている理性が美優を脳裏に映し出す。
気が動転する俺。何かの気の迷いだ、絶対に! 俺はしがみ付いている留萌さんを引き剥がし、まっすぐに目を見て言う。
「自分を大切にしてください!!」
それだけ言うのが精一杯だ。俺は逃げるように留萌さんの部屋を飛び出した。
********BY留萌瑠衣*********
私は心臓を鷲掴みされたような痛みにいよいよ耐え切れなくなっていた。
何度も自分の境遇を打ち明けようとした罰だ。しかも打ち明けようとした相手からは
「自分を大切にしてください」
と言って逃げられてしまった。自分を大切にしているわよ。私が生き残る道はこれしかないと思うから。
私はあの日からアイヌと女人島について色々な文献を調べていた。
それであの日行った勿来の関が、弥生文化の流れをくむ大和朝廷と縄文文化の流れをくむアイヌとが文化の生き残りをかけた武力衝突の最前線で、アイヌ側の砦のあった場所であることを知った。
それに、最大の激戦区と言われながらも、未だにどこにあったのかを特定できない幻の関であることのおまけつきです。
結局、アイヌの大酋長であったアテルイが、大和朝廷の征夷大将軍、坂上田村麻呂と戦い、最終的に和睦と称した奸計(かんけい)に嵌(は)まり、命を助けると捕虜になったアテルイは京都で処刑されたのだ。大和朝廷は、日本書紀で蝦夷征討として、この先住民に対する略奪を正当化しているが、所詮勝てば官軍、その歴史は大和朝廷に捻じ曲げられた歴史なのでしょう。
でも、あの巨大熊が何者かはどんな文献を読んでも分からなかった。それでもあの洞窟から出て来た女戦士(アマゾネス)の集団は、女人島の出身なんだということはあの時の熊の発言で分かっている。
女人島は別名女護ヶ島(にょごがしま)と云って、御伽草紙の御曹司島渡に出てくる話で、義経が蝦夷ヶ島を目指して船出して途中さまざまな島を通り過ぎ、最後に至った島と言われている。義経が平泉で生き延びて蝦夷地に逃げ延びたという義経伝説が作り上げた与太話だ。その義経は北海道で、アイヌのオキクルミという大王にさえなっている。
その女人島が実在したかどうかは分からないが、あの熊の口ぶりだと実在したのは間違いないだろう。そして、大和朝廷との武力衝突に蝦夷側として参加していたに違いない。そうなるとお伽草子に書かれているより、お父さんが残した自栄書房の方が真実味を帯びている。
彼女らは男をさらってきて子作りをする。そして役目が終われば、男の首を切り落として祭壇に飾り、体の方は海に流して弔うのだ。まるで首狩り族の風習だが、男の子が生まれればその赤子の血で祭壇を染め、女の子が生まれれば育て上げ戦士にする。その戦闘力はすさまじく一騎当千の実力者ばかりだという。
だとしたら私の生き残る道は一つ。あの時あの巨大熊も言ったはず。
「本来ならここで育てるべきものであるが、ここにいるのは肉体が滅び、魂がこの場に縛られた者たちだけ。だからお前を元の場所に返してやろう」とそれにあの時にお父さんに向かって言った「死ぬ前に天国を見せてやれるのに」、あの時は意味がわからなかったけど今なら分かる。そしてあの女戦士たちが身ごもることができない体であったことも……。
だとしたら彼女たちは仲間を増やせない?
もし私が二十歳の時に女の子を身ごもっていれば、私はあそこにいた女戦士(アマゾネス)に殺されずに、その子を育てるようになるかもしれない。もちろんこれは私の仮説。妊娠したとして本当に助かるかどうかはわからない。
でも、一縷の望みを持って、色々な男に抱かれようとしてきた。でも興奮すると浮き上がる呪われた刺青。強姦しようとした男でさえ、畏れ慄く化け物じみた姿。
でも、彼だけはそんな私の姿を知っても支えてくれた。しかもこんな私の体を大切にしろって言ってくれた。そんな彼を犠牲にして私は生き延びようとしていたんだ。伝説では女戦士の相手は葬られる可能性が高いというのに……。
あんな世間知らずで女の子の気持ちだってわからない童貞に……。
私は何が正しいのかわからなくなって、久しぶりに自分の運命に怯えて枕に顔をうずめて声を殺して泣いた。
今まで涙が枯れるほど泣いて、もう自分の運命を悟り切ったはずだったのに……。
部屋の中に着信音が鳴り響く。時間は午後12時前、私はいつの間にか少し気を失っていたようだった。携帯を見ると電話の相手は錬だった。きっと今日のことを色々聞かれるんだろう。でも、肉体的にも精神的にもとても話す気にはなれない。着信音をしばらく無視すると電話は切れてしまった。
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