第38話 プロローグ 瑠衣の悪夢1

 かなり険しい山道を私はお父さんの後について汗だくになって登っている。夏の日差しは強く、木々は隆盛を誇り、鬱蒼と葉が生い茂り、足元には腐葉土が堆積している。ふわふわいた地面は足裏に不安定な感覚を伝えていて、凄く滑りやすくなっている。

 先ほどから登山道からは外れ、今歩いている道は獣道と言うのに相応しい。

 時折、私を気にして振り返るお父さんが、滑りそうになった私に手を差し伸べて、「大丈夫か?」と微笑みかけてくれる。

 ああっ幸せだ! 今日は無理を言って連れてきてもらってよかった。

 本当に幸せそうな二人だ。でも私はなぜかその様子を客観的に観ている。そうだ、これは夢だ! だったらこの先に行っちゃダメ!! 

 でも私の声は、楽しいそうな二人には届かない。


 私のお父さんは大学教授だ。大学で歴史の講義をしている。専門は北海道や東北地方に残るアイヌの歴史です。アイヌには文字が無かったため、伝承の裏付けには実地調査が不可欠になるのです。そのため、休みごとにフィールドワークと称して遺跡を探しては、野山を歩き回っているのです。そういう訳で、小さいころから私はほとんど構ってもらったことが無かった。

 だから、私は一〇歳になる誕生日のプレゼントは、お父さんが一日中私と一緒にいることをねだったのです。快く承諾したお父さんだったのに……。

 突然の予定変更に、私は癇癪を起し不貞腐れ宥めるお父さんやお母さんの手に負えなくなってしまった。困り切ったお父さんが遂に折れて、私を連れて行くことにしたんだけど……。そこで中止になっていれば、あんなことには……。

 

 私とお父さんが出かける先は勿来(なこそ)の関。大昔にアイヌと大和朝廷が戦をして、大和朝廷が勝利を治め、大和は本州を平定し、アイヌは北海道へと押しやられた、アイヌの大酋長アテルイと坂上田村麻呂とが戦った蝦夷征討の激戦地になった最前線の砦があった場所です。

 北緯三七度線に沿って、勿来、念珠(ねす)、白川と三つの関があり、大和とアイヌの勢力図の境目。その中で「人拒みの関」と呼ばれ、壮絶な戦いがあった場所と言われた勿来の関、文字通り「来る勿かれ」の関は、一応福島県いわき市に在ったことになっていますが、そこは遺構も出土品もない観光上の名所で、実在したかどうかさえ疑われている幻の関と言われている。


その関が福島県の阿武隈山地のとある場所にあると、昨日学会で知り合ったアイヌの婦人から、自分の祖母から聞いた話としてお父さんに教えたらしい。

 今では伝説になりつつある勿来の関、その砦跡の場所の手掛かりを掴んだんです。お父さんがいきり立つのも分かります。もし発見でもされれば、お父さんは学会でも注目を浴び、出世も出来るかも知れません。

 善は急げと言う訳で、今、私とお父さんは、阿武隈山地の北緯三七度線上にある狗哭岳(くこくだけ)の登山道から外れた険しい山道を、尾根に沿って歩いているのです。

 車から降りてすでに2時間は経っています。ハイキングというには険しすぎる道のりですが、久しぶりにお父さんと外出、心はウキウキ、お父さんにじゃれながら、そして時には引っ張ってもらいながら楽しい時間は過ぎていきます。

 そして、ついに石碑らしいむき出しの岩が、私たちの目の前に現れました。

 その岩には、アルファベットをより複雑にしたような文字が刻まれています。お父さんは興奮してその石碑を写真に撮りまくっています。

「これは、オホークス海からアラル海にまたがる地域で使われていた古い文字に似ているぞ。アイヌはあの辺りと交流が在ったはずだ。なになに「ここからは大和国に在らず。入らんとすれば、たちどころにアイヌの山神によって死が訪れるだろう」か」

 風化して、損傷が激しいにも関わらず禍々しい彫り跡、無機物にも関わらず威圧感たっぷりの邪気に当てられ私の足はすくんでしまう。私にはこの警告が現在でも続いているように感じられたのです。

「お父さん、何か怖い! もう引き返そうよ」

「大丈夫だよ。アイヌの山神っていうのはキムンカムイ、蝦夷グマのことなんだ。ちゃんとクマよけに、ラジオを鳴らしているし、いざとなったら熊撃退スプレーだってあるんだ」

 だめだ。お父さんはこの発見に有頂天になっている。とても、催涙スプレーで何とかなるとは思えないぐらい私を恐怖に落とし入れているのに。

「でも、お父さん、入るなって書かれているんでしょ?」

「大丈夫だよ。敵対する大和の兵士に入るなと警告しているんだよ。こりゃあ本当に砦があるかも? そうなると世紀の大発見だ」

 お父さんは、いやな予感がして躊躇している私を無理やり連れて、この警告を無視して先を急ぎだした。


 そして、しばらく行くと、巨大な巨石を積み上げたところどころが崩れている壁が目の前に出現した。崩れた裂け目を通って壁の中に入れば、岩山の斜面を利用して、矢を撃つ矢倉を備えた砦が築かれている。その先はまるで映画で見たことがある秘宝の入り口のような洞窟だってある。

「在った? 本当に在ったんだ……」

 お父さんは、放心したままフラフラと砦に向かって歩いていく。しかし、その洞窟に近づくことを拒むように辺り一面が、突然、濃い霧に包まれた。

「お父さん。もう無理だよ! 早く帰ろ、お願いだから!!」

「うーん。そうだな。これ以上は無理だな。視界も悪いし安全性だって確保できないかも。今度は仲間と装備を整えてから本格的な調査に来るか」

 お父さんも霧で輪郭さえぼやけ出した洞窟を見ながら、これ以上の調査を断念して、私の方に戻ってきた。

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