第七章 〜クラーケン〜
精霊喰いの事件から三年の月日が経った。
私はあの日の反省として、日々魔法の訓練をしている。
『そしてシルキーさんはお嬢様の生活を支えていた』
心臓が跳ね上がった。
「いたんですか」
後ろを振り返るとシルキーさんが立っていた。
『あれからまだ三日しか経っていませんよ』
そう。冒頭のアレは薔薇苺を変化剤で甘くしようとしている中、私の現実逃避である。
つまり、妄想を聞かれていたのだ。
『私の活躍があるかと思って聞いていましたのに』
やめて。私のライフはもうゼロよ。
妄想を聞かれていたなんて、恥ずかしすぎる。
穴があったら入りたい。
薔薇苺を食べられる程のものにしたいと思って取り組んでいるのにこの仕打ち。
悲しいかな。
『研究の進捗はいかがでしょうか』
進捗状況を聞くなんてどこの編集者ですか。
「進歩なしです」
日本人なら「手付かずかよ」ってツッコめるボケなのだが、異世界に漢字は無い。
翻訳がどうされるのかわからない。
甘くしようと、結晶化した蜂蜜を使っているのだが……。
『様々な薔薇苺が置いてありますが』
机には変化した薔薇苺がズラリと並んでいる。
「これはまだマシかな」
数ある中の一つを手に取ってシルキーさんへ渡す。
「食べてみてください」
シルキーさんはそれを囓るって飲み込んだ。
構造として飲み込んでから味覚がわかるので、反応があるまで時間がかかる。
『甘いですね』
そう。甘いのだ。
しかし、これは失敗作。
まず、見た目が苺ではなく、蜂の形になっている。
そして味だ。
甘いのは良いのだけれど、味が蜂蜜の味だ。
「苺の甘酸っぱさとか欲しているのに、この味は無いかな」
不味くは無いのが救いだ。
『それはどうですか?』
シルキーさんが指差したのは綺麗に光沢のある薔薇苺だ。
「これは観賞用には良いのですが、味は最悪でした」
美しい見た目の反面、味は蜂だった。
蜂蜜ではなく、蜂の成虫を口に入れたような苦さ。
クソ不味いことこの上ない。
変化剤の変化がランダムなのが一番辛い。
ランダムと言っても、一度作った変化剤は何回やっても同じ結果となる。
そのため、少量作っては実験している。
『しかし、お嬢様は凄いですね。変化剤の調合を失敗させないなんて』
結果的に失敗しているのだけれど。
シルキーさん曰く、変化剤の効果が出ないという失敗が普通はあるそうなのだ。
ポーションでもあるらしく、失敗作は飲んでも回復しないらしい。
私は様々なポーションを作ってはいるけど、そんな失敗はなかったはず。
『お嬢様。差し支えなければ、レベルを教えていただけませんか』
レベルか。
レベル……。あれ?レベルは無かった気がする。
「私のレベルはnull。無かった気がします」
レベルが無いって何やねん。って思った記憶がある。
その時は名前も無かったけど。
『お嬢様。流石に露骨な嘘は辞めていただけると……。私も傷つきます』
いやいやいや。待って。本当よ。本当なのよ。
私本当の事言ってますよ。
「本当ですからね」
私嘘つかない。
『魔力あるモノは必ずレベルがあるんですよ』
いや、そんな「当たり前でしょ」みたいな事言われましても。初耳だし、私レベル無いし。
「本当なので、ちょっと確かめますよ」
私はシルキーさんを連れて、水晶のある部屋へとやってきた。
すかさず魔力を水晶へ流す。
【名前】クルス
【レベル】null
となっている。
相変わらずにレベルはnullだ。
名前は更新されている。
「ほら、見て下さいよ」
私の潔白証明です。
『本当に……ないのですね』
シルキーさんは疑ぐり深いのう。
まぁ、そういう所が良いのだけれど。
「レベルが無いと何か影響があったりします?」
レベルが無いことで悪影響があったりしたら嫌なのだけれど。
『そう、ですね。レベルは経験を積んで上がり、レベルという条件によってスキルや魔法が使えるようになります』
ふむ。よくあるゲームシステムと同じだ。
レベルアップで技を覚える感じか。
『レベルが無いならば、今後何も会得出来ないか、レベルという条件が無視されるかのどちらかになると思います』
そうか。
けれど、私ってば新しく魔法とかスキルを覚えたなぁ。
って事は、レベルの条件無視が有力かなぁ。
「あっ。新しいまたスキルと魔法が増えてる」
『スキル』☆タックル
『魔法』☆精霊魔法
うん。スキルは今後使うかなぁ。微妙。
シルキーさんは目を見開いた。
『レベル条件無視ですか。となると、上級魔法を簡単に覚えられるって事になります』
私は本来レベルが上の方にならないと覚えられないものが、その条件無しで覚えられてしまうらしい。
うーん。私としたら、上級より下級の魔法が欲しいのだけれど。
それにしてもタックルかぁ。
童女のタックルって、田舎に帰った孫みたいなイメージしかない。
親しい親戚に向かってボフってやる感じ。
ほのぼのしちゃう。
それにしても、何でタックル?精霊魔法はシルキーさんと主従契約したからかな。
敵にタックルした覚えはないしなぁ。
あっ!一角兎を食べたからか!
【悪食】のスキルがそうさせているのだろうか。
マタンゴの時も食べたら魔法が増えたわけだし。
「ま、これで私の潔白が証明されたわけです」
ドヤ顔で私はそう言った。
『すみません。あまりにもレアケースすぎまして』
常識を超えた存在か。
私としたら常識に収まってても良かったのだけれど。
製作者様が「ぼくがかんがえたさいきょーのほむんくるす」をつくってしまった為に常識から逸脱してしまった。
ついでにシルキーさんに私のスキルや魔法を開示する。
『お嬢様は【死の暴風刃】も使えるのですね』
魔法欄にそんなのがあったか。
中二病丸出しの名前だなぁ。
そういえばシルキーさんは風の精霊だったか。
「風の精霊としてこの魔法はどうなんでしょう」
つおいの?
もう「死」ってついてる時点で嫌なんだけれども。
『魔法【エアカッター】の上位魔法です。アダマンタイト以上の硬度の相手でも微塵切りに出来ます』
ほら。微塵切りだ。
消し炭。粉々。微塵切り。
そういうのは間に合ってますんで。
「魔法を誰かに渡せるならシルキーさんに渡したいくらいです」
シルキーさんは『すごい事ですよ』と言ってはくれるが、私はもう少し使いやすい方が良い。
「シルキーさんもせっかくだから、ステータスを見てみてはいかがでしょうか?」
精霊だった頃と実体のある今じゃ違うだろうし。
ま、これってば、魔力を思った以上に吸われるけどね。
『では、いきます』
シルキーさんから魔力が流れ出ているのがわかる。
『これ結構疲れますね』
そう言うと文字盤にステータスが浮かび上がる。
【ステータス】
『名前』シルキー
『種族』精霊(デュアル)
『性別』null
『年齢』null
『レベル』三十八
『スキル』魔力吸収、魔力操作、風操作、風干渉、風圧無効、☆耐熱、☆耐寒、☆食事、☆手料理、☆解体、☆共存、☆下級家事、☆威圧の邪眼
『魔法』下級風魔法、中級風魔法、下級契約魔法、ブリーズ、中級契約魔法、ウィンドバレット、ウィンドウォール、竜巻、突風、砂嵐、狂乱の風、☆螺旋壁、☆エアーハンマー、
スキルは実体持ってからか増えてるなぁ。
それにしても気になるのが下級◯◯魔法の存在。
「下級◯◯魔法とかでエアカッターとかつかえないんですか?」
まぁ使えたら意味ないのだけれど。
『使えますよ』
使えるんかーい!
『けれど、魔力消費やサイズ、強度や持続時間は劣ります』
半分も出力出来ないでしょうと言う。
『下級や中級などの魔法があって、次の魔法を会得出来ます。言わば準備段階となります』
ん?んん?待って。私その準備となる魔法が無いのだけれど。
『お嬢様は異常ですね』
異常。エラー。異端な感じ。
絶対に製作者様は入れたい魔法から入れていったヤツや。
ばーか。ばーか。
くそぅ。
『しかし、汎用性はあるものの、専用魔法には遠く及ばない器用貧乏な魔法となります』
器用貧乏か。私にピッタリなんだけどなぁ。
下級魔法とかは、食べて手に入れるしかないかなぁ。
『私の種族がデュアルになってますね』
本当だ。
デュアルって事は重なっているのか。
「風の精霊と家事の精霊が合わさっているんですかねぇ」
シルフィーとシルキーが合わさってのデュアル。
まぁ、やっちまったから仕方ない。開き直ろう。
『私は概念体でしたので、年齢は表記されませんでしたが、お嬢様も表記されませんでしたね』
あぁ。身体と精神の年齢がめちゃくちゃだからだと、自分の中で思ってる。
「目覚めて三ヶ月ぐらいしか経ってませんからね」
ハハハと笑っていると、シルキーさんは額に拳を当てている。
『お嬢様は生まれ三ヶ月なのに、何故そのような知識があるのでしょうか』
私はギクリとして笑った表情のまま固まる。
異世界転生したからとか言えないし、言っても良いけど「頭おかしくなったんか?」みたいな目で見られたくはない。
「私はホムンクルスなので、造られた記憶が入っているのですよ」
実際、「私が転生した」というより、この身体に「俺の記憶と性格」が移植されたという仮説も成り立つ。
仮説なので嘘は言っていない。
シルキーさんは少し悩むそぶりをしてから納得したようだった。
『しかし、クルスお嬢様の従者となった訳ですし、そろそろ「シルキーさん」ではなく、「シルキー」とお呼び下さい』
「そうですねぇ。考えておきます」
無理。無理。無理。無理。
自分で付けたとはいえ、女性をファーストネームで呼べるわけないじゃん。
陰キャな私にそんなコミュニケーション能力あったら物語の主人公になれますって。
私には名前呼びなんてハードル高い。
陰キャが異世界でモテモテとか夢物語よ。
そういえば名前で思い出したが、契約魔法で名前をつける必要はあったのだろうか。
人間で主従関係になっても名前をつける行為なんてほとんどない。
「最初は名誉として授かる名前のようなものかと思ったが、精霊独特な習慣かもしれない。名前なんて精霊のように概念みたいなものだ。だから名前をつける事で認識される事が強まるわけか」
ふむふむ。仮説としてはアリか。
「『名前』なんて呼ばれて存在するものだし」
私も最初は名前無しだったわけで。
『クルスお嬢様』
「どうしました?」
シルキーさんの肩がワナワナと震えている。
『お嬢様はもう少し頭が弱い方が可愛げがありますよ』
そんな事を急に言われた。
えー。そう言われましても。
『お嬢様が言っていた通りです。これは概念である精霊の知恵となります』
あれ?口に出ていた?
しかも聞いてはいけなさそうなものを言い当てたっぽい。
やらかした。もしかしたら地雷だったかもしれない。
誤魔化しついでにシルキーさんが淹れてくれたコーヒーを飲む。
シルキーのコーヒーにはたっぷり魔力を注ぐ。
このコーヒー、タンポポコーヒーであり、この世界に来て季節の目印となった植物である。
まぁ、正確には「タンポポのようなもの」に当たる。
姿、形はタンポポだが、魔力が通っている分「のようなもの」としか言えない。
根を使ってタンポポコーヒーにしたけれど、美味である。
当然、豆のコーヒーと味は違う。コーヒーの代用品である。
「はぁ、薔薇苺は上手くいかないし、現実逃避したい」
一服中の愚痴である。
『なら、魚を釣りに行きませんか』
シルキーさんから提案とは珍しい。
『しーちきんの話を前に聞いて気になって』
確かに。前にシーチキンの話をした。
けれどシーチキンは無理だなぁ。
沖に出ないと釣れないわ。
もし「シーチキン」という魔物が存在するなら、沖に行かなくても大丈夫かもしれないけれど。
まぁ、今なら兎肉の残りがあるので、魚が釣れなくてもなんとかなる。
釣り針は裁縫のものを使おう。
釣り針のようにカエシは付いていないが、錆びで少しは抜けにくいだろう。
餌は畑の変な異世界虫を使えばいいか。
「道具も用意出来そうですし、行きますか」
とりあえず、シルキーさんには釣竿になりそうな木を持ってきてもらった。
私はそれに魔糸を繋げて釣り糸代わりにしておく。
針を曲げて、釣り糸に繋げて完成。
一番の心配は針が錆びているので、針が折れないことぐらいか。
一本釣り形式だけれど、リールのような物も作れたら作ろう。
疑似餌として、魔糸をグルグルと巻いたものも作っておく。
家の裏は崖っぷちなので、少し遠回りになるが、回り込んで海に出る事にした。
私は変な異世界虫でやってみて、シルキーさんには疑似餌を渡す。
『これはなんでしょうか?』
シルキーさんは疑似餌を逆さにして人差し指でつついている。
「生きてる餌の代わりです。生き餌じゃなくても似たモノであれば釣れますよ」
まぁ、私のテキトーに作った糸の餌なので釣れる保証はない。
シルキーさんにはとりあえず疑似餌でやって貰って、釣れなければ生き餌を付けてやってもらおう。
「生き餌が良ければ、こっちも使って下さい」
異世界の変な虫〜。
それに似た虫だ。足が沢山生えている多足類に分類されるだろう。
しかし、異世界ならではの虫なようで、
だが、捕まえた時は地中や石の下にいた。
飛ぶのかは不明。夜行性なのだろうか。
考察は後にし、瓶の中にうじゃうじゃと入ったそれを釣針に刺す。
『私はこちらにしますね』
と、そそくさと海の方へ向かって行った。
シルキーさんはこの手の虫がそんなに得意では無いらしい。
蚰蜒は益虫でも不快害虫に入るからなぁ。
ちなみに不快害虫とは、人間や作物などを害するものではないが、形の気味悪さや大発生などで嫌がられる虫のこと。
しかも瓶いっぱいに入っていると
まぁ、
毒があっても、私には効かないのだけれど。
シルキーさんに一通り釣り方を教える。
岩場に腰掛け、餌を取り付ける。
「釣れるといいなぁ」
釣れれば久しぶりの魚類だ。
桶を二つ持ってきたが、どうだろうか。
桶が足りなくなったらどうしよう。
なんて妄想してみる。
そんな事にはならないだろうけれど、夢見るだけなら
『お嬢様、引いてます!』
おっと!早速ですか。
私の釣竿の糸が張っている。
ある程度泳がせて一気に引く。
普通なら無理だろうが、筋力のあるこの身体なら力技でいけるだろう。
針よ。保ってくれ。
あ!
一本釣りなのに、それがないとか致命的だ。
海面に影が出たので、岩場まで飛ぶぐらいまで引っ張る。
おお!
釣れた。
これは、カンパチだろうか。
海の生物はそんなに詳しくはない。
けれども、カンパチのような魚だと判断は出来る。
目の上に斜めに走る暗褐色の線が八の字に見える。
いや、見えすぎる。しかも全体的に青みが濃い。
普通のカンパチだと思っていたが、異世界カンパチかもしてない。
元々海の生物を専門としていないから、日本にいる種かもわからない。
出世魚など、大きさによって名前が変わるから覚えきれない。
カンパチも出世魚だったっけ?出世魚なら、これは小さいからカンパチじゃないかもしれない。
わからないから生物学名一つでいいよ。
『お嬢様、素晴らしいです』
目を輝かせてカンパチを見ている。
私を見ないのかよ。
『風の精霊は海の中に入れないから、海の生き物には興味あります』
海の中には入れないのか。
『海中には風がありませんから』
そうだな。空気もない。(厳密に言えば空気はあるのだけれど、それを言うべきではないだろう)
風が無い場所には入れないか。
海出禁ってことか。
まぁ今なら人形だし、入れ……浮くから無理か。
今は釣りで我慢してもらおう。
とりあえずカンパチを海水を張った桶に入れる。
夕食ゲットだぜ。
いや、カンパチさん活きが良すぎて桶から出そう。蓋をしておくかな。
シルキーさんが釣れる前にタモを作るか。
私だから一本釣り出来たけど、前世だったら無理だわ。
腕が死にそうになる。
「シルキーさん。釣れそうだったら呼んで下さい。手伝います」
『承知しました』
手を振って後の釣りは任せる。
出来るだけ網が出来上がってから釣れて欲しい。
魔糸で網を編んで、棒切れに網を固定すれば「無いよりは良い」ぐらいの網が出来る。
本当なら補強として、網の縁に竹の様な
それは無いので、蔦を入れて終わり。
強度を試すべく、海の中を掬う。
おや、何か入ったな。
タモを掬い上げると柑橘類の実が入っていた。
海に落ちて流れたのだろう。
しかし、皮がブヨブヨとしていないから落ちて間もない事がわかる。
使えるな。
『お嬢様!釣れ__』
完成した瞬間に釣れるとは。
シルキーさんと魚は今のところ互角。
魚が逃げ切れるか、シルキーさんが勝つか。
「私が来た!」
シルキーさんの魚にタモを近ずけようとした瞬間にシルキーさんが引っ張られた。
『急に重くなりました』
シルキーさんは必死に抵抗しているが、竿の方がミシミシと音をたてている。
釣れた瞬間にその魚を違う獲物が捕食でもしたのだろうか。
ならば大物だ。
タモどころではない。
釣り糸である魔糸に自分が出した魔糸を絡めて竿無しで引っ張った。
もう「釣り」と言うより魚の背負い投げに近い。
海から大きく飛び出した獲物は陸地に投げられた。
私は宙を舞う獲物と目が合った。
合ってしまった。
魚類なら横向きでしか合わないはずの目が、正面から捉えた。
そして地面に叩きつけられた時に獲物の目は死んだ魚のようになった。
『お嬢様……これは』
人魚である。
よく竿が折れなかったと思うぐらいの大きさだ。
身長は一七〇センチメートルはあるだろう。
筋肉質で顔は美形である。
そう。雄の個体だ。
人魚って言ったら女性だろうよ。
何で男なん?
イケメンなのがムカつくぜ。
美女人魚と出会いたいぜ。
『お嬢様。何を考えているのですか?』
シルキーさんが何か恐い。あれ?
「人魚の心臓を食べると不老不死になると聞いた事がありまして」
私は咄嗟に誤魔化した。
何故誤魔化したかは、自分でもわかっていないが、誤魔化さないといけない気がした。
『なら、お嬢様に心臓を食べていただきましょう』
シルキーさんがそう言った瞬間に人魚は動き出した。
「あかん。ワイは全然美味しくあらへん。命だけは許して欲しい」
イケメン人魚が喋ったと思ったらエセっぽそうな関西弁だ。
もしくはネット住民。電脳世界という海を泳いでいるとか言ったら殴っておこう。
あれか。英語にも訛りがあるように、こっちの世界での訛りが反映されているのか。
違和感が半端ないのだけれど。
「ホンマにこの通り!頼みます」
そう言って私の靴を舐めようとする。
うわっ。キモいなぁ。
「流石に食べませんよ」
上半身はモロ人間な上に、意思疎通が出来るので食べる気にはならない。
上半身がなければ……う~ん、迷うかな。
しかし、最初に出会った『ヒト』は人魚か。
概念体でも魔物でも野生動物でもない。ヒト。
『お嬢様は海の生物はあまり食べないのですか?』
シルキーさんは人魚を見ながら私に話しかけてくる。
人魚は海の食べ物扱いですか。
「別に食べない事はありませんよ。鯨とか食べますし」
鯨は哺乳類のクジラ目、あるいは
鮫は
海の哺乳類と考えたら人魚も同じかもしれない。
「鯨さえも食べるのか」
人魚としてはショックなのか、呆然とこちらを見ている。
人魚は食べませんって。
不味そうだし。
「ホンマに食べまへんよね?」
私は首を振って否定する。
『お嬢様。此奴は私の獲物を横取りしたと推測いたします。よって死罪にしようかと』
重いなぁ。
確かに「急に重くなった」と言っていたから横取りの可能性は高いなぁ。
けど死罪は重いわ。
食べ物の恨みは恐ろしいとは言うけれど。
「すんまへん。釣りだと知らへんかったんや。てか、こんな元魔王領に人がおるなんて思ってもみなかった」
え!?ここ元魔王領なの?
え〜。初耳〜。
家に地図はあるけれど、現在地がどこだかわからなかった。
地図がある意味が今までなかったけれど、ここは元魔王領だったか。
ちなみに魔王は、一千年前に討伐されたらしい。
しかし、魔物を率いていた者が消えたため、残党の魔物は統率無く暴れ回ったとか。
魔王が討伐された後の方が被害が大きかったとか。製作者様の本に書いてあった。
今ではヒト側が魔王を欲しているらしい。
皮肉なものだ。
人魚国も魔王と対立していたとか書いてあったかな。
そうだ。
人魚に国があるなら貿易でもしてみたいなぁ。
貿易というか、交易かな。
私お金持ってない。
「ワイの名前はパーディンや。商人やっとります」
自己紹介のタイミングが完全に見失っていたので人魚のパーディンが切り出した。
「私はホムンクルスのクルス。職業は自称生物学者と自称錬金術師」
自称なので職業でもなんでもない。自給自足の生活なのでニートとは違う……と思う。
「ホムンクルス!?なら、術者がおるんか?」
あー。またその話ですか。
異世界転生以外を一通り説明する。
けれど、出会った人々にいちいち説明するのは面倒だなぁ。
これからはホムンクルスっていうのを伏せた方が良いかなぁ。
『私は風の精霊シルキー。クルスお嬢様の従者です』
シルキーさんは何故か最後の文を強調した言い方だったけれど、私はそんなに凄い人間ではない。
そもそも人間でもないか。
「そうや!夕飯を横取りしたお詫びに何かご馳走するわ」
せやなー。そうじゃないとシルキーさんに命を捧げないといけなくなるからなー。
「シルキーさんは何かリクエストありますか」
シルキーさんはこちらを見て手に顎を乗せている。
『しーちきんが欲しいです』
少し悩んだ後にそう口を開いた。
シーチキンかぁ。難しそうだ。
「何やそれ?魚か?そんな魚は聞ぃたこと無いわ。海の生き物か?」
私は人魚にマグロ又はカツオの特徴を詳しく伝える。
「テュンヌとスキジャクのことか?」
マグロは「テュンヌ」でカツオは「スキジャク」と呼んでいるのか。
マグロはラテン語の「トゥンヌス」からかそれとも英語の「ツナ」から来ているのだろうか。
そうなると、カツオも何かありそうだが……。まぁ、私の記憶媒体からの翻訳なので、そう聞こえるだけで本当にそう言っているわけでは無いのだろう。
気にすることはないか。
しかし、獲れるのだろうか。獲れても私が水煮か油漬けにしなきゃだなぁ。
「テュンヌは獲れへんなぁ。スキジャクなら大丈夫や」
人魚だからってマグロはやっぱり無理だよなぁ。カツオなら頑張ればいけるのか。
「やけど、一、二ヶ月は待って欲しい」
一、二ヶ月?そうか!戻りガツオか!
異世界にもあるのか。戻りガツオ。
日本だから「戻りガツオ」だけど、異世界だとどうなるのだろうか。一方通行かもしれない。
というか、時季として日本と被ってるのだけれど、どうなのだろうか。
『お嬢様宜しいでしょうか』
シルキーさんは私の顔を見て許可を仰ぐ。
「シルキーさんが満足するなら大丈夫です」
私自身はそんなにシーチキンに拘りがあるわけではないし。
「けど、別件で取引をしたい事はあるかな」
人魚と物々交換をしたいなぁ。
「人魚は寄生虫の心配とかないのです?」
魚にとっては寄生虫は正しく
大体はアニサキスが多いだろうが、人魚も海で生活しているのでそこら辺の悩みはあるはずだ。
「そうやな。あるにはあるんやけど、赤い海藻を食べたりして虫を排出しとるな。しかし、赤い海藻にも限度はあるし、それに代わるなにかがあるわけでもない状態やな」
赤い海藻か。
マクリだろうか。
マクリ。別名カイニンソウ。カイニン酸によって回虫の駆除薬として使用される。
まぁ、異世界マクリの駆虫薬だけど、どうなのだろうか。
マクリではなく異世界紅草の一種かもしれないし、それがアニサキスにガツンと効く。みたいなやつかもしれない。
気になるけれど、数が足りないらしいので無闇に手は出さない。
それよりも、こちらは陸の産物で手助けしてあげよう。
ブナ科の木を乾留したものとハマビシ科の植物を合わせるとラッパのマークの薬の素が出来る。
まぁ、それが出来なくてもセンダンを見つけているので駆虫薬としては何とかなるだろう。
しかし、植物の分布がめちゃくちゃだ。
異世界なのだから仕方ないのだろうが、日本やアジアの物から欧米の方にあるものまで入り混じって生えている。
春に香草を摘んでおいて良かったと思っている。
冬に転生していたら死んでいたかもしれない。
「駆虫薬を定期的に提供するので、何か定期的にいただきたい」
交渉開始。
ラッパのマークのあの薬が出来たら強い。
動画提供サイトでその効果は見ている。
工程で
それまでは
栴檀の樹皮は駆虫薬として使われる。
紫色の花で、アゲハ蝶類が寄ってくる。
「駆虫薬と交換ならこちらとしては嬉しいんやけど 、こちらが提供できるものはそないにないねん」
こちらも大した物は用意出来ないのだけれど、欲しいものはある。
「とりあえず、今は海藻が欲しいかな」
海藻。それは様々な用途に使用される。
私が作ろうとしているのは石鹸。
動物の油から作ったりと様々な方法で作られる石鹸。
石鹸は海藻灰からも作られる。
たまにライトノベルで石鹸を作って儲けるシーンとかあるが、こちらの世界では普通に普及しているらしい。
家に在庫があったのだが、少なくなってきたのでそろそろ作ろうかと思っている。
石鹸は簡単に作れる。
ライトノベルとか読んでて「そんな簡単なの?」と思って調べた事がある。
石鹸で儲けようとするライトノベルは、基本的にオリーブ油などの普及が無いと見ている。
動物性の油でも出来るには出来る。
動物性の油は……臭いさえどうにか出来れば良いとは思う。
私の家に植物性だと思われる油がある。
しかし、古そうなので口に入れて良いものか迷っている。だからいっそ石鹸にしてしまおうと思っている。
酸化した油で料理なんてしたくない。
機械油だったら「超巨大ロボットがある」というロマン溢れる話になるのだけれど、こういう異世界で巨大ロボットっていうのもどうかと思う。
だったら巨大ロボット同士で戦う世界じゃないと面白くない。
まぁ、今のところ機械の「機」の字も見てないのが救いだろうか。
「海藻なら何でもええのか?」
パーディンは少し考えているようだ。
メリット、デメリットがあるだろう。
「何でも構いませんよ」
燃やすだけですし。
食べられる海藻があるなら食べたいぐらい。
「ホンマか」
ワタシ ウソ ツカナイ。
「けれどシルキーさんのリクエストには応えてあげてください」
シーチキンプロジェクトに。
「わかったわ。そういえばここは元魔王領やけど、どこに住んどるん?」
カツオが獲れた時に連絡出来ないのは不便すぎるか。
『ここの崖の上に家があります』
「そうなんか」
パーディンは崖の上を見上げている。
「パーディンさんは陸に上がれませんけど、どうやって連絡するつもりで?」
家を知っても人魚じゃ連絡出来ないのでは?
尾鰭を引きずって来るわけにもいかないだろう。
「あー。ちょっと待ってや」
そう言ってパーディンは海に浸かって何かの錠剤を飲んだ。
「これやると次の日に風邪をひきやすくなるから、あまりやりたくないんやけど」
そう言って五分ぐらい経ってから陸に上がってきた。
下半身が人のようになっている。
下半身は何も履いていない。
そしてナニがナニして……。
「「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」」
思わずパーディンの股間を蹴り上げた。
そのままパーディンは
「変っ態だぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「こぉーれはアカンって」
などと露出犯は供述しており、現在ナニは隠れている模様。
私が言った「変態」は生物学的な意味合いである。
ポケットサイズになるモンスターが変異する時「進化」と言っているが、生物学的には「変態」である。
変態とは幼虫が蛹になり、蝶になるような形態が変わる事だ。
パーディンは下半身が変態するのか。
因みに魔物が「超的変異」とするのは変態だけでなく、変異もするからだ。
オークがオークキングとなるように見た目が変化するのではなく、違う役割となる場合があるから「超的変異」としている。
パーディンが浸かっていた海を見るとパーディンの鱗が浮いていた。
「脱皮!?」
人魚が人型に変態する時は脱皮もするのか!?
「ちゃう。それは……服や」
痛みに悶えながらも説明してくれる。
服?
「陸に上がった時に脱げたんやろ」
手に取ってみると確かに鱗が筒状に編み込まれている。
「鮫や鯨に鱗は無いやろ。人魚にもあらへん。せやけど服として鱗を着てんねん」
そう言われたらそういうものだと納得してしまう。
まぁ、鮫には歯と同じエナメル質の
そうか。人魚に鱗は無いのか。
なんだかファンタジーという幻想が壊れたな。
まあ、西洋風な顔で流暢な関西弁の人魚に出会った時点で察するべきだったか。
手に持っている服をパーディンの尻に被せる。
『お嬢様。手を洗うべきです』
「汚くないわっ!」
パーディンはツッコミをいれられるほどは回復してきたようだ。
「早く着て下さいよ。シルキーさんは私とあっち向いてましょう」
見たくないものは見ない。
前世が男だったから余計に見たくもないわ。
そういえば人魚の下半身で合わせた服ならば、今の状態では履けないのではないか。
もし履けても動けないだろう。
「履けたで」
振り返ると鱗のサロンスカートのような鱗を履いたパーディンの姿があった。
服飾関係は専門外なのでわからないが、元が筒状の状態だからやりやすいのか。
元の服を縦に切って別物に変わっている。
また裏地が綺麗だなぁ。
「すごいな。人魚」
西洋風イケメンだからかスカート状のものでも似合っている。
前世の私が履いていたら職質か通報ものだな。
『お嬢様。私も頑張ります』
なぜかシルキーさんが何かに対抗するようだ。
まぁ、わからないけど頑張ってほしい。
さて、とりあえず家に招待しましょうか。
シルキーさんがカンパチを持ってくれるので、その他の道具を籠に入れて背負う。
本当はシルキーさんが全部持つと言っていたが、流石にそれは主人として看過できない。
カンパチはどうやって食べようか。などと考えていると、前を歩くシルキーさんが立ち止まった。
『お嬢様。この花は知っています。ヒトが好きな花ですよ』
そう言って指し示す先には白い花が咲いていた。
「ポピーーーーーーーーーー!!!!」
決してギャグ漫画で殴られた時の叫びを発したわけではない。
シルキーさんが指差した先の花がポピーだからだ。
しかもポピーはポピーでもソムニフェルム種と言われるものだ。
日本名で言うならば
戦争の主役にもなってしまった麻薬。
医学で使うならコデインやモルヒネ。裏で出回るならヘロインやアヘンと言うべきか。
種子はあんぱんや七味唐辛子にも入ったりしているなど、様々な分野で使われる芥子。
『お嬢様どうされました?』
いきなり奇声をあげたのだ。そりゃあ驚くわな。
「いえ、シルキーさんが知っていたのに驚きまして」
驚くよ。日本で見つけたら警察に言わないといけないのだもの。
しかし、芥子は意外と育ってしまう。有名人やアイドルやらが知らずに水をあげたりしてしまうほどに育ってしまう。
『私もお嬢様の助手としてお手伝い出来ればと』
ちょっとドヤってるシルキーさんが可愛い。
けれど、この植物は人間の手に余るものだ。
そういえばライトノベルでよくある世界では、娯楽が少ない場合が多い。
ならカジノでも開いて、裏で阿片でも流すとか……。
そうして私はギャングスタに憧れるようになってしまうのか!
『お嬢様。胸元を開けるなんてはしたないですよ』
「すみません」
怒られた。
けれど、どうしてもこのポーズがしたかったのだ。後悔はしていない。
カジノ開いて裏でヤクの取引とか思っている時点で私は主人公に向かないのだ。
物語の主人公なら、芥子ではなくファンタジーなレア果実を手に入れて、それで可愛いヒロインの身内を助けるのだ。
もうね。存在が全然違うわけですよ。
誰かに「異世界で芥子を見つけたのだが、如何したらいいのだろう」とか「異世界から始める阿片生活」とかライトノベルを書いて欲しいくらいです。
さて、私は
『お嬢様もその花が好きなのですね』
無邪気な笑顔を向けてくるシルキーさんに罪悪感を抱きながらニコリと微笑む。
ノーコメントで。
別に日本で阿片をやっていたわけじゃない。ましてや阿片を流して金儲けするなんて事もない。
モルヒネとして「最期の時」を苦しませない為に使うのだ。
日本でやったら罪だけれど、異世界なら合法だ。違法かもしれないが……大丈夫でしょう。
良い子は絶対に真似をしてはいけない。
「行きましょうか」
ちょっとしたイベントがあったが、家へと向かう。
『着きました』
シルキーさんが家のドアを開ける。
「パーディンさんは先に入ってて下さい」
私は籠に入っている白い花を畑に植え替える。
『お魚はどうしましょう』
シルキーさんは海水の張った桶を見せてくる。
「後で
シルキーさんは魚を捌く事は初めてだという。
私もこっちへ来るまでに捌く回数なんて殆ど無かった。
捌き方は動画提供サイトとかで見ながらやっていた。
異世界転移したら知っておいた方が良い知識だ。
「捌くまでパーディンさんにコーヒーでも淹れてあげて下さい」
私は先に花や木に水をあげておく。
マンドラゴラももうすぐ花が咲きそうだ。
夏だな。
さて、私も合流しますか。
「遅ればせながら、ようこそ。ここが私達が住んでいる家です」
椅子に座っているパーディンにお辞儀をする。
「ご招待いただき、ありがとうございます」
パーディンは立ち上がって例を述べる。
「さて、とりあえずですが、駆虫薬は二種を考えています」
センダンやハナヤナギなどの簡易的なものと、クレオソートという乾留という面倒な工程を加えるものと伝える。
「二種って言うけど、こちらからしたらそれは三種やな」
人魚はカイニンソウだけで何とかしているらしい。
カイニンソウを養殖して薬師として働く人魚もいるというが、それでもストックは無いに等しいという。
「駆虫薬なら何個あってもかまわんのや」
もしも「異世界で怖いものは?」と聞かれたら。魔王?ドラゴン?
いいえ。寄生虫と病原菌です。
ライトノベルでは中世ヨーロッパ風な世界が多いが、病気や寄生虫の感染が怖い。
日本では一九五八年から義務化した
今では義務では無くなってしまったが、義務となるまで身近にいたわけだ。
現在の日本になってようやく解放されたわけだから中世ヨーロッパ風の世界でなんて恐ろしすぎる。
病原菌にしてもそうだ。
一九二八年になるまで抗生物質が無かったという。ある漫画で読んだ。
中世系異世界で回復系の魔法がなければ詰む。
私の場合は自己回復と耐性があるので大丈夫なはず。
なので、もしもの時のために、駆虫薬の作り方や傷薬などに使用する植物は覚えていた方が良い。
私が目覚めて、知らない知識が埋め込まれていたが、そのおかげで異世界の回復ポーションが作れている。
ポーション作りが日課というべきか、性癖というべきかわからないが、毎日作り続けている。
自分で使わないので、溜まるばかりだが。
「回復ポーションもあるので欲しければ譲りますよ」
シルキーさんが怪我をしても生身じゃないから効くかは怪しいものだ。
「ホンマか!?有難いわ」
作り溜めていたポーションを出す。
一本あたりは少ないものの、百本近くあるな。
『けれど、海の中に持って行ったら、使えないのでは?』
確かに。
水中なので霧散するという言葉が合っているかわからないが、海水と混じってしまうだろう。
「少し
そう言って鍋にポーションを入れて火にかける、スカートから黄色い粉を出して鍋に入れる。
ヤバイ粉じゃないよね?
芥子を見かけたから、そういう思考になっている。
少し煮立ったら火から下ろして冷ましている。
熱いまま瓶に入れたら割れるからなぁ。
「少し待ってや」
なら、その間にシルキーさんに魚の捌き方を教えますか。
「んじゃ、シルキーさんと料理してますね」
一匹だからそんなに時間はかからないだろう。
とりあえずシルキーさんと三枚におろす。
後は、どうやって食べるか。
『今度釣れたら私もやってみたいです』
シルキーさんの初挑戦か。
もし失敗せたら、
とりあえず、今は綺麗にできたから刺身かカルパッチョにでもするか。
先日偶然にも柑橘類が手に入ったし、カルパッチョにしよう。
刺身は醤油が欲しくなる。
シルキーさんの隣で適当に切り分ける。
お酢と柑橘で酸味がキツすぎない程度に混ぜて浸す。
氷を出して少し冷やしてから食べよう。
「お待たせしました」
「おっ。こっちも良い感じや」
パーディンも鍋を見てそう返した。
鍋を見ると液体だったポーションが固まっている。
「寒天か」
寒天はゼラチンと同じで液体を固める性質がある。
沸騰させていたので、ゼラチンではないのだろう。
固める工程はゼラチンと真逆なので注意が必要だ。
「お嬢はこれを知ってるんか」
驚いたように聞くが、コンビニで牛乳寒天が売っている世の中だったしなぁ。
牛乳寒は美味いよ。うん。
「凝固剤は錬金術でも使いますから」
嘘は言っていない。
「これも元々は海藻なんやけど、必要か?」
「是非!」
やったぜ。
寒天は様々な用途で使える。
食用でも使えるのだが、肥料や菌の栽培にも使える。
「あぁ、このコーヒーも寒天で固めて持っていきます?」
コーヒー寒天。コーヒーゼリーみたいに食べればいけるかもしれない。
「それええな」
甘味と牛乳がないのが悲しいけれど。
「けど、次会う時に物々交換でお願いするわ」
手持ちの寒天が少ないそうだ。
「では、こちらはタンポポコーヒーと駆虫薬を」
「ワイの方は海藻類詰め合わせと後々にスキジャクを」
交渉成立。
『お嬢様。カルパッチョが冷えました』
そこに私が魔力を注ぐ。
「パーディンさんも如何です?」
社交辞令として勧めてみる。
シルキーさんの眼が恐い。
「ワイは遠慮しとくわ」
パーディンもシルキーさんの強烈な眼差しを察したのだろう。
「さっき食ってしもうたからな」
そうだな。丸々一匹食ってたな。
「そういえば、脚の生える薬を飲んだ時に風邪をひきやすくなるって言ってましたよね」
薬で免疫力が低下するのか。
それとも身体の変化に追いついていないのか。
「あれ飲むと風邪ひきやすくなるんや」
んじゃ難しく考えずに、知恵を捧げよう。
「キノコのソテーでも食べてって下さい」
キノコには免疫力を上げる力があるらしい。
キノコをサッと炒めて、出す。
「キノコは風邪に良いんですよ」
シルキーさんの皿には魔力を加えて出す。
「おおきに」
「『いただきます』」
「海の神に深い感謝と祈りを捧げる」
パーディンは祈り形式か。
カルパッチョは酸味が良い感じだ。
『これが魚ですか。美味しいです』
魚の旨味に感激しているようだ。
キノコのソテーは何か物足りないけど仕方ない。胡椒とかがあれば変わるのだろう。
「『ご馳走さま』」
魚一匹だったけれど、中々満足した。
「今日はありがとうな」
パーディンは帰って海藻を集めたりするそうだ。
これから仕事って感じか。
そんなに急がなくてもいいのに。なんて言ったらシルキーさんが嫌がりそう。
あんまりパーディンとシルキーさんは仲がそんなによろしくないようだ。
食い物の恨みは怖いって言うからなぁ。
とりあえず次に会うまでハナヤナギから駆虫薬を抽出しておくか。
乾留は試験管やビーカーがあるから試行錯誤してみよう。
「私は薔薇苺の研究してから寝ますね」
『わかりました。おやすみなさい』
シルキーさんは睡眠不要らしいので、製作者様の本を読んでいるらしい。
暇だろうなぁ。私だったら研究し続けるかもしれない。
「おやすみなさい」
◆
あれから一週間経たず。
「やった!」
薔薇苺の品種改良というか遺伝子組み換えが出来た。
と言っても、「とても不味い」から「食べられなくない」程度の変化だ。
日本で食べていた苺の方が遥かに美味しい。
試作回数は二百を越える。
甘すぎて
異世界の技術で変化させたものだが、日本などでは「遺伝子組み換えしたもの」になると思う。
健康面に影響があるかわからないので、販売停止ものだろう。
しかし、異世界で個人的に作ったものなら個人で楽しむには良いだろう。
【毒無効】持ちの私が遺伝子組み換え製品に健康的影響が出るかわからないし。
「大変や」
パーディンが血相変えてやって来た。
『如何なさいました?』
シルキーさんがドアを開けて対応する。
その間に私は、完成した薔薇苺の種に培養液をかけて苗にする。
魔法技術って便利だなぁ。
『お嬢様。大変です』
ノックの後にシルキーさんから声がかかる。
「今行きます」
珍しく緊急事態のようだ。
ある程度片付けてリビングへ行く。
「お嬢。大変や」
パーディンが勢いよく椅子から立ちあがる。
「クラーケンが出たんや!」
クラーケン。それは伝説に出てくる大きな
クラーケンは異世界でなければ、ダイオウイカという種類のイカとして結論付けられていた。
最も大きな個体は体長十八メートルを超えると言われる。
前世の私の身長が十倍になっても届かない。
異世界のクラーケンはどれほどの大きさなのかはわからないが、急に大きな生物が現れたとなれば大騒ぎだ。
『しーちきんの住処が荒らされているそうです』
シルキーさんはそう付け加えた。
しーちきんでも、住処でもないのだろうが、言いいたい事はわかった。
どうもクラーケンは漁に邪魔な場所にいるらしい。
「せやから、物々交換の件に影響が出るかもしれん」
正直それは困る。
「人魚たちで対処出来るんですか?」
パーディンは苦い顔をする。
なかなか難しいようだ。
人魚がクラーケンをどうにか出来ないならば私がやろう。
私がどうにか出来るかはわからないのだけれど、手助けくらいは出来るはずだ。
「お嬢の作ったポーションで回復しては攻撃を繰り返してる状態や」
ある程度ポーション渡しておいて良かった。
あと、ポーションがちゃんと機能して良かった。
ポーションとして渡して、いざ使ってみたら回復しなかっただなんて笑えない。
交易するにしても双方に
私には回復ポーションがあまり必要でない事がわかったし、シルキーさんも人形なので効くかわからないのでここで試せて良かった。
「ちゃんと効いて良かったです」
前もってラットで検証してはいたけれど、不安といえば不安なのだ。
「お嬢のポーションは効きが良くて正直助かったわ」
『流石はお嬢様です』
シルキーさんの「さすおじょ」いただきました。
「なら、ポーションを持って行きましょう」
パーディンに鍋とポーションを渡して、寒天で固めててもらおう。
その間に私達は準備をする。
シルキーさんには念のため矢を用意し、私は小刀を
そして水着に着替える。
諸君。サービスカットだぞ。
今日はイカ料理になりそうだ。
また柑橘類があればイカと柑橘類で食べるのもアリだ。
パーディンと私達の準備が出来たので、クラーケンのいる場所へ向かう。
「しかし、ええんか?こっちとしては助かるけどお嬢にも危険が及ぶかもしれんで」
パーディンは私が行く事に反対らしい。
シルキーさんとしては「
……従者ですよね?普通反対する立場なのでは?
まぁ、私としては動きやすくて良いのですけれど。
パーディンと最初に出会った場所から沖へ三十分進むそうだ。
ん?どうやって?
泳ぐ?
シルキーさんは泳げなさそうだけど。
うーん。どうするか。
「お嬢達はこれを噛まずに口に含んでや」
パーディンからマリモのように丸い海藻を渡される。
『これは何ですか?』
「これは呼吸草や。口に含むと水の中で呼吸出来るで」
マジか!?
ファンタジー海藻か!
理屈とか知りたいけれど、今は止めておこう。
「ワイがロープで引っ張るからそれで行くで。ちょっと息苦しいけど、堪忍してや」
ロープを渡されたので、身体に括りつける。
パーディン、私、シルキーさんの順番で縦にロープで繋がっている。
シルキーさんは後ろを警戒し、何かあればロープを引っ張る。
私の力でパーディンを引っ張れば簡単にブレーキがかかるので、この並びとなった。
「行くで」
海に入って一つ誤算があった。
シルキーさんは人形なので浮いてしまう。
めっちゃ浮く。
なので私が引っ張られるが、私も出来る限り泳いでシルキーさんを浮かせないように頑張ってみる。
シルキーさんが真ん中じゃなく良かった。
シルキーさんが浮いてしまうので、スピードが出にくいはずなのにパーディンは泳ぐのが速い。
人魚だからなのだろうけれど、下半身の魚部分はほぼ筋肉なのだろう。
海流と筋肉を使って泳いでいる感じがする。
時速四十キロは出ているはずだ。
これで三十分となると遠いな。
しかし目まぐるしく変わる景色と、シルキーさんをサポートするのに集中していたので、さほど気にならずに到着した。
遠目にクラーケンと人魚が戦っている光景が見える。
すげぇ。
大物を狩りをしている迫力。とでも言うのだろうか、大きなクラーケンに対して人魚がヒットアンドアウェイでダメージを蓄積しているのがわかる。
人魚側としたら一撃でも喰らえば瀕死だろう。
クラーケンもあれだけやられているのだから撤退すれば良いとは思うのだけれど、なかなか奮闘している。
「お嬢達はここで待機や。ワイはポーションを配給してくるで」
そう言ってパーディンは戦いの中に向かって行った。
さて、どうするか。
陸上戦じゃなく、海中戦だからシルキーさんの弓矢は使えそうにない。
この場合は私の魔法かな。
しかし、私の魔法は下手したら人魚達も殲滅しかねない。
なんとしてでも安全な魔法を選ばなければ。
「シルキーさん。私の魔法で比較的安全なものってあります?」
一度海面から顔を出し、プカプカと浮かぶシルキーさんに訊いてみる。
魔法は私よりシルキーさんの方がよく知ってるはず。
『そうですね。【下級氷魔法】や【風神の奮迅】、【豪鬼の剛力】などは如何でしょう』
【下級氷魔法】は小さな氷を出す魔法だ。
また、相手に触れながら発動すると多少は凍らせる事が出来る。
【風神の奮迅】は速度を大幅に上げる強化魔法らしい。
【豪鬼の剛力】も腕力強化だそうだ。
普通に私の身体能力が高いので、強化魔法は日常では使用しなかった。
韻をふんでる感じがムカつくし。
しかし、人魚達に強化魔法をかけられるなら良さそうだ。
では、行ってき__
「お嬢のポーション配ってきたで」
タイミング悪いな。
「パーディンさん。これから人魚さん達に強化魔法かけてきます」
「え?お嬢!?」
私は人魚の戦っている方へと泳ぎ出す。
後ろでパーディンが煩いけれど、気にせずに進んでいく。
さて、後ろから近づいて強化をして回るか。
その前に自分に【風神の奮迅】をかける。
ふと、クラーケンの方を見る。
するとクラーケンの触腕に何かがくっついているのがわかった。
触腕に
異世界のイカには鱗がはえるのかと思ったが、そうじゃない事がすぐにわかった。
「ウロコムシだ」
触腕にウロコムシがくっ付いている。
ウロコムシとは、背中に対の鱗を並べる地球上に存在する生き物だ。
しかし、本来なら大きくて五センチメートルほどの小さな生き物だ。
今目の前にいるのは明らかに大きすぎる。
海のダンゴムシみたいなオオグソクムシでもここまでは大きくならない。
本来の大きさの百倍はある。
その大きさのウロコムシを振り回して盾の役割をしているようだ。
その為か人魚の攻撃が通らないようだ。
なら__
◆
「お嬢を一人で行かせて良かったんか?」
パーディンが私の方へと泳ぎきると、そう尋ねてきた。
私はこの男があまり好きではない。
私が釣った魚を食べたという出会いが最悪だったのもあるが、私が積み上げてきたお嬢様との関係を直ぐに追い越しそうというのが好きになれない理由だ。
それに__男である。
『良いんですよ。お嬢様は誰よりも強いですから』
本当に。
「姐さん従者なんやろ?従者よりも強いんか?」
私は首を縦に振るが、海に浮かんでいるせいか上手くいかない。
――いや、それは違いますね。
私は「従者である」という質問に上手く答えられていないのですね。
契約してはいるが、どうしても自信がない。
『お嬢様なら、クラーケンを一撃で
事実。私がお嬢様のステータスを見た時に恐怖さえ覚えたほどだ。
「そんなん……嘘やろ?」
パーディンは冗談のように笑ったが、私が首を横に振ると真面目な顔で考え込んだ。
そもそも私はパーディンと冗談を交わすほどに至ってない。
それを知らずしてか、ズカズカと気軽に話しかけてくる性格に苛つきと妬ましさを覚える。
私もそのような性格ならば、お嬢様と親密になれたのではないかと。
「お嬢は、魔王にでもなって世界を征服とか考えないんか?」
生存の危惧だろうか、そんな事を訊いてきた。
『私もそれに近い事を訊いた事はあります。力があるなら国でも建てたら良いかと』
ヒトは皆そうする。だから提案のような形で話してみた。
そしたら「蟻や蜂は女王の存在がいて、女王が絶対的存在なんですよ。けれど、女王は本能で女王をやっているのか?やりたくてやっているのか?」と聞いてきました。
『蟻や蜂なら本能じゃありませんか?』
そう私は答えた。
そう答えてしまった。
本来ならお嬢様なら知っているであろう答えにただ答えてしまった。
何とも愚かで浅はかな答えだと今では思う。
「なら、私は本能でない限りは為政者になんて、なりませんよ」
と笑ってくれたが、私の答えはお嬢様の求めてる答えには程遠いものだったに違いない。
「そんなに悲観的にならんでもエエんちゃうか」
そうは言うが、私自身がそれを許さないのだ。
「せやけど、そんな力あるなら従者の必要性が……あっ!……すまんな」
この人魚は三枚おろされたいのでしょうか。
私が一番気にしている所を
『それは__私のワガママなんですよ』
従者なんて必要ない。お嬢様は一人で生きていける。
いや、自惚れるにも甚だしい。実際「一人で生きていた」のだ。
そこに私が
『一人で生きていけないのは私の方で、それを援助してくださっているのです』
嗚呼、何でこんな事をこの男に話しているのだろうか。
今は自分が
それを痛感して、自分に通告しているのか。
「まあ……アレや。クラーケン騒動が終わったら話し合ってみた方がエエで」
自分の口から出た言葉が空気を重くした気まずさが波を伝う。
快晴なのに空気が重く感じる。
「あっ。お嬢がクラーケンの方へ向かったで」
そう言ってパーディンは海底を指差す。
私はお嬢様の無事を祈りながら自分の不甲斐なさを呪った。
◆
大きなウロコムシが触腕に張り付いているか。
なら、あの触腕を引きちぎれば人魚の攻撃が当たるのでは?
そう考えてクラーケンの方へと寄ってみる。
【下級氷魔法】で触腕を凍らせるにはしがみつくしかない。
けれど、触腕を振り回されたらヤバいなぁ。
良くて気絶。攻撃されたら死にそう。死なないだろうけれど。
人魚の中にも攻撃されて瀕死の状態のヒトがいた。
どうするか。
ふと、頭に疑問が浮かんだ。
人魚にかけた強化魔法【風神の奮迅】と【豪鬼の剛力】はどういう仕組みなのかが気になった。
もし、【下級氷魔法】で氷の塊を作り、私の腕に【豪鬼の剛力】をかけて、氷自体に【風神の奮迅】をかけたら豪速球が投げられるのではないか?
それなら接近しなくても良いかもしれない。
検証開始。
【下級氷魔法】で氷の塊を作る。
しかし、海の中なので溶けが早い。
なので、いくつもの塊を作ってつなぎ合わせる。
それを槍状に整えて、溶けない程度に分厚くしていく。
腕しか使わないので、腕だけに【豪鬼の剛力】をかける。
氷に【風神の奮迅】をかける。
これが作用するのか、どうなのかわからない。
シルキーさんは「速度を上げる強化魔法」と言われたのだけれど、物体にも効くのだろうか。
「さて、実験開始」
◆
お嬢様が身の丈ほどの氷塊を作り、繋げて槍のようにしているのが見える。
先にいるクラーケンは人魚と戦っているので気がついてはいない。
「お嬢は【アイスランス】使えるんか。それにしても時間かかっとるな。お嬢は魔法操作が下手なんか?」
私は首を振って否定する。
下手だなんて、とんでもない。
『お嬢様は【アイスランス】を修得しておりませんし、【中級氷魔法】すら使えません』
なのであれは【下級氷魔法】でやっているか、【凍炎魔法】で作った槍なのでしょう。
【凍炎魔法】の場合では海に燃え移ってしまう可能性があるので、【下級氷魔法】で作っているのでしょう。
「【下級魔法】で【中級魔法】を再現出来るわけないやろ」
パーディンはそう言っているが、あれは
私が首を軽く横に降ると「アカンやろ」と言ってパーディンは海中でどこから取り出したのか笛を吹く。
音という音は聞こえないが、人魚の目線が一斉にこちらへ向いたのがわかった。
戦っている者は軽くいなす程度に抑えているようだ。
パーディンが手を大きく振り、何かしらの合図を送る。
「一時撤退令を発動したわ。お嬢の巻き添いは食らいたくないわ」
あの氷塊がただの【下級氷魔法】なら御の字でしょう。
御の字としての使い方は違いますね。逆御の字とでも言うべきでしょうか。
氷塊が安全なものであれば良いのですが。
◆
人魚が散っていった。
私が何かしようとしたから気を使わせてしまったのかもしれない。
確かにこの氷の槍が人魚に当たったりでもしたら大変だしなぁ。
私は氷の槍を持ち上げる。
狙いはウロコムシ、またはその大元の触腕。
思いっきり氷の槍を投げ飛ばした。
__それは一瞬の出来事だった。
クラーケンが吹き飛び、海が墨で黒くなったと思ったら衝撃による水流で辺りが大荒れとなった。
私は勿論、撤退し始めていた人魚は水流に巻き込まれて吹き飛ばさ手れいた。
気持ち悪い。
二転三転しながら吹き飛ばされたので、酔った。
私はあの一瞬の出来事を見てしまった。
氷の槍が超スピードで「えんぺら」というヒレ部分を貫通し、その先にあったウロコムシに当たって双方共に砕け散った。
そして砕けた衝撃波が海を荒れさせ、クラーケンが墨を吐いたか魔法を使ったかしたようだ。
シルキーさんは遠かったから無事だと思う。
とりあえず流される前の位置に戻らねば。
◆
「お嬢様!」
お嬢様が何かやらかしたようです。
クラーケンに多少のダメージが入った瞬間に海の中にいるお嬢様や人魚が吹き飛ばされたのが見えた。
その後海面にいる私達の所も海が荒れ、大きくユラユラと揺られています。
「しょっぱい」
口から入った海水が消化されて味覚に反応する。
揺れがおさまってきた時にパーディンが近くにいるのを確認する。
「貴方にお願いがあります」
あまりこの男に借りを作りたく無いが、沈めない身体ではどうしようも出来ない。
「お嬢様をお願いします」
パーディンに託す。
それ以外の方法が見つからない。
お嬢様がどんなに規格外で異常だとしても、あんなにも飛ばされてしまったらどうなるかわからない。
即死もあり得る。
「わかった」
__行ってくる。と言う瞬間にパーディンは息を飲んだ。
「クラーケンや!」
お嬢様が強大な一撃を与えてしまった相手がこちらに来ているのが見えた。
今まで役に立つどころか、足を引っ張っているという私の苛立ちと、お嬢様が危険かもしれない状況の焦燥感が混じって物凄く腹立たしくなった。
クラーケンが海面から顔を出す。
正確には顔では無いのかもしれないが、お嬢様ではないので名称は存じない。
ふと、パーディンがポーションを固めている時、お嬢様との話を思い出した。
「念のためシルキーさんにイカの生き〆を教えておきましょう」
そう言って「あおりいか」という種類の簡単な〆方を教えていただいた。
私は最初「しめる」という事が分かっていなかった。
__いや、今でも分かってはいない。
しかし、「美味しく食べる方法」と聞いたので、やり方だけでも教わった。
お嬢様は「正確には不味くならない方法」と言い直していたが、違いがわからない。
『イカは刻むより先に〆る』
クラーケンが出た所に【竜巻】を当てて海面から出す。
宙へ舞ったクラーケンの足の付け根に【エアーハンマー】を何発か当てる。
お嬢様の攻撃で弱り果てていたのか、抵抗も少なくクラーケンが一気に白くなった。
『これが〆るでしょうか』
白くなったクラーケンは動かず、そのまま海へと落ちた。
「シルキーの姉さんやるな」
パーディンは驚いて唖然としていたが、自分の役割を思い出して海中へ消えていった。
◆
あっ!パーディンだ。
シルキーさんと一緒にいたはずのパーディンが見えた。
「お嬢、無事か?シルキーの姉さんが心配しとったで」
嗚呼。
心配かけました。
まさかあんな事になるとは思っていなかった。
まぁ、思っていたらやらなかった。
急いでシルキーさんのいる場所へ戻ろう。
クラーケンはまだ生きているはず。
私はパーディンと共にシルキーさんの元へと向かった。
結果クラーケンは生きてはいなかった。
『お嬢様。クラーケンを上手く〆られました』
シルキーさんと合流した時の第一声がソレだった。
確かにクラーケンは真っ白になっていた。
燃え尽きたジョーのように。
この大きさのイカを〆るとなると結構な圧力が必要となるはず……
『【エアーハンマー】でやったら出来ました』
そう言われて納得した。
周りには私の圧が原因で、魚が浮いている。
これ、ニュースで見るヤツだよ。「本日未明、大量の魚が謎の死因により、波打ち際に打ち上げられました」ってヤツ。
そんな事を思っていると、人魚達が集まってきた。
多分、巻き添え食らって飛ばされた人魚も戻ってきたはず。
「本っ当に申し訳ありませんでしたー」
身体は海中なので土下座は出来ないが、する勢いで謝まる。
私が一番近くにいたから私より被害が大きくないはずだけど、最低でも二メートルぐらいは飛ばされたかもしれない。
私は肋骨やら内臓が一回死んでると思う。
すぐ治ったけれど。
内臓の出血した血液はどこへ消えたのやら。
『とても心配しました。後でお説教です』
えー。俺TUEEEEやって説教ですか。
ぐぬぬ。
「わかりました」
今回は私が悪いです。反省します。
「ところでパーディンさん。クラーケンに毒はありますか?」
毒持ちだったら食べられない。
シルキーさんが。
『ないで。味は……保証出来へんけど』
何その間は。
「シルキーさん食べてみます?」
シルキーさんは今回のMVPである。
私は……ただ迷惑をかけただけだった。
『よろしいのでしょうか』
上手く〆たのはシルキーさんだ。先に食べる権利はある。
クラーケンを小さく切り分け、一度【下級氷魔法】で凍らせる。
シルキーさんにアニサキスを食べさせるわけにはいかない。
『いただきます』
解凍されたクラーケンを口へと運ぶ。
咀嚼している間は『嚙みごたえがあって良いですね』と言っていたが、味はまだ分かっていないようだ。
シルキーさんは飲み込んでから味がわかる。
『これは!』
飲み込み終わったシルキーさんから驚きの声が発せられる。
「どうです?」
味が気になる。
『とても不味いです』
口を抑えながら、嫌そうな声で応えた。
不味い?嘘!?
私も同じように食べてみる。
あっ!塩っぱい!
しかも噛んでゆくうちに何か臭みを感じる。
なんだっけこれ。
クラーケンの味……ダイオウイカ!
私は思い出した。ダイオウイカは「不味いらしい」という事を。
ダイオウイカは深海へ潜る事があるらしく、深海の生き物には大体アンモニアが含まれている。
アンモニアは動物の尿にも含まれており、臭いの元となる。
そりゃ不味いわ。
「ワイ等もクラーケンは食べへん。魚の餌にしたり、骨や嘴は武器や防具にするぐらいや」
それを聞いてシルキーさんはパーディンを『それをはやく言いなさい』とばかりに睨んだ。
クラーケンも異世界なんだからアンモニアに変わるもので代用しなさいよ。
代用イカなんつって。
すみませんでした。
しかし、こんなにも不味いとなると夕飯はイカ以外か。
「パーディンさんクラーケンの素材はいらないので、そこらに浮かんでいる魚を少し分けて下さい」
プカプカと浮かぶ魚はここにいる人魚全員で食べても行き渡るぐらいにいる。
「それはええけど。お嬢が全部持って行ってもエエんやで』
私とシルキーさんが倒したからと言ってくれたが、こんなに貰っても正直言っていらない。
「私とシルキーさんの分あれば十分です。クラーケンのお詫びも兼ねて皆さんで食べて下さい」
そう言うと周りから歓声の声があげられた。
クラーケンの肉も少し貰っていこうかな。
アンモニアが抽出できればソルベー法でガラスが作れたりするのだけれど、今回は普通に肥料かな。
アンモニア単体で取れるはずもないし、水に溶けやすいアンモニアの事だから陸に上がってからどれだけ取れるかわからない。
肥料として撒いて完成した薔薇苺を楽しみたい。
「魚を選ぶのはシルキーさんに任せます」
捌くのは基本的には同じ要領だし、シルキーさんの好奇心も満たされよう。
エゲツない紫色したヤツとかは毒持ってそうだからやめて欲しいですけど。
『かしこまりました』
魚を集めていパーディンが大きな魚を抱えてやって来た。
「お嬢!テュンヌがおった!」
その魚をかかげる。
マグロだ。キハダマグロかな。
大物だ。
『お嬢様。これにします。これで「しーちきん」が出来ます』
そうだねー。捌いて油漬けをせにゃアカンけどねー。
マグロを解体とかやったことねー。
出刃包丁みたいのでいける?
いけない?
どうするかなー。
小さめのカツオとかならまだしも、マグロかー。それ四〇キログラム以上ありそうなんだけれど。
困ったなー。断れない雰囲気だわ。
身がボロボロになってもいいか!シーチキンだし!
「わかりました。それだけ持って帰って一部を油漬けにしましょう」
マグロ一匹食べられるなんて夢のようだよ。チクショー。
「これだけでエエんか?」
そんなに食べられませんて。
「こんなにあれば十分です」
三日は食べ続けられる。
飽きるけど。
◆
そんなこんなで、帰って来たらシルキーさんの為にシーチキンを作りました。
缶詰ではないシーチキン。
先ずはまぐろの全体に塩を振り、20分放置。その後、水分を拭き取る。
次に鍋にマグロ、潰した異世界にんにく、香草を入れ、ひたひたのオリーブオイルを投入するのだけれど、オリーブオイルがないので、異世界植物のオイルを使用。
中火で火にかけ、グツグツしてきたら弱火で20分間煮る。
火を止めて冷めるまで放置し、冷めたら油ごと容器に入れて【下級氷魔法】で冷やせば出来上がり。
日本でやろうと思えば作れる。
もし異世界転移したら保存食を作らないといけないと思って覚えていたレシピだ。
私に【下級氷魔法】が使えてよかったぁ。
そしてシーチキンを作り終えた私はシルキーさんに説教を受けてます。
正座もさせられ、怒られています。
シルキーさんがこちらを睨んだ。
正座させていただいてます。……ハイ。
俺TUEEEEしたらライトノベルだとチヤホヤされるんじゃなかったかなぁ。
めっちゃ怒られてるんですけど。
あっ。すみません。反省してます。
あれは、えーと……好奇心に負けまして。
私でもああなるとは思って無かったんです。ハイ。
異世界は私に対してそんなに優しくない。
クラーケンは不味いし。
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