第26話 幼き頃の思い出

「一先ず今日はここで休もう。ちょうどよく隠れる場所があるからな」


 グレイルが木の麓に腰をおろし、焚き火の準備を始めた。一刻も早く村に帰りたい所だが、人間達全員が敵であるとわかった以上、闇雲に進むべきではない。下手に急いで、一人でも人間に見つかってしまえば終わりだ。銀色の狼がこの周辺にいるという情報が瞬く間に伝わり、人間共は一斉に自分達を標的にするだろう。

 暖をとれるだけの小さな焚き火を組み、大木に隠れるように二人で座る。夜食はグレイルが近場で狩った野ウサギを捌いて食べた。本当は大型の獣を狩って腹を満たしたかったが、グレイルはなるべくレティリエの側を離れたくなかった。


 夜も更け、辺りは静寂が支配していた。たまにパチッと焚き火のはぜる音がするのみだ。グレイルは大木にもたれかかれるように座り、レティリエは焚き火から少し離れた場所で膝を抱えて眠っていた。グレイルは小さくなった焚き火に乾いた木枝を放り込み、何とはなしに木の棒でつついていた。


「眠れないの?」


 顔をあげると、レティリエが膝を抱えたまま、こちらを向いていた。


「あ、あぁ……まぁ、そうだな。お前は寝ていてもいいぞ」

「ううん、だってグレイルが起きてるのって私の為でしょう?」


 レティリエは立ち上がると、グレイルの隣に腰をおろした。


「今は人間達の気配もしないし、グレイルも少し休んで。私が言えたことじゃないかもしれないけれど……」

「いや、俺は大丈夫だ。それに、いつ襲われるかわからない以上、見張りはいた方がいいと思うしな」

「でも……」

「お前は気にしすぎだ。いいから寝ろ」


 素っ気なく言うグレイルの声色はとても優しい。レティリエはそっとグレイルの横顔を見る。二人の命を背中に背負ってる彼の横顔は険しく、全神経を集中させて周囲を警戒しているのがわかる。


「……ごめんなさい、こういう時に何も役に立てなくて」

「お前と俺の役割が違うだけだ。俺だって、お前に助けられただろ」


 それでも、レティリエは悔しかった。弱い自分を仲間と呼んでくれる彼の為にも、もっと自分に強さが欲しいと思う。

 うつむいて焚き火を見つめるレティリエを見て、グレイルは少し逡巡した後、大きく息を吐いた。


「いや、すまん……これは俺の問題なんだ。黙っていて悪かった」


 そう言ってレティリエの方に向き直る。


「……俺は、人間が怖いんだ。奴等は、純粋な本能だけで生きる野生の獣とは全く違う。悪意や支配欲があり、他種族の誇りを踏みにじることに躊躇がない。もし次に捕まれば……俺は確実に殺されるだろうが、お前はもしかしたら死ぬより辛い目に逢うかもしれない。俺は、それが怖い」


 野生の世界には本能しかない。だが、人間達には悪意がある。私利私欲にまみれた悪意によってレティリエが傷つけられるのは見たくなかった。


「眠れないのは、俺の弱さのせいだ。お前には関係ない」


 違う、あなたは弱くないわ。レティリエは心の中で呟く。自分だって人間は得たいが知れなくてとても怖い。グレイルも同じだろう。

 それでも、戦わねばならない時がくれば、きっと彼は前線に立つのだ。二人分の命を背負って。その覚悟を持っている彼が弱いはずなんてない。


「グレイル」


 彼の名前を呼び、そっと近づく。自ら彼との距離を詰めるなんて、以前の自分なら考えられなかったことだ。グレイルの方に身を寄せると、お互いの肩と肩が触れあった。 

 グレイルが驚いてレティリエを見つめる。


「こうしていたら、もしあなたか私に何かあった時に気付けると思うの……だから、今日はここで寝てもいい?」

「あ、ああ。その方がいいな」


 体が触れあうことで、少しだけ不安が消えていく。隣に誰かがいるというのは大きな安心感をもたらしてくれるのだ。

 隣に座るグレイルがふっと微かに笑った。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない……昔を思い出しただけだ」

「昔? いつの話かしら……」


 レティリエの疑問に、グレイルは笑って答えなかった。







 あれから数刻経った。レティリエはグレイルの右肩にもたれかかれるようにして眠っている。彼女の体の温かさが、今はとても心地良い。

 彼女が身を寄せてきた時に、グレイルは孤児院に初めて来た時のことを思い出していた。あれはまだ自分が年端もいかない頃の出来事だ。



 いつもの通り仲間と狩りに出掛けた両親が、ある日突然死んだ。

 彼らが崖から落ちたと群れの仲間から聞いて以降、グレイルはその後の記憶がない。気がつけば、その日のうちに孤児院へ連れていかれていた。

 マザーは、突然孤児になった自分にとてもよくしてくれた。美味しいご飯を作ってくれ、孤児院の子供達と一緒に食べた。寂しさを紛らわそうとしてくれたマザーの厚意だったが、グレイルは食卓についた途端、激しい悲しみに襲われた。

 今朝までは三人揃って仲良く朝御飯を食べていたはずなのに……もう両親と食卓を囲むことは二度とないのだ。グレイルはうつむいたまま、食事に手をつけることができなかった。

 

 食事の後は孤児院の近くの森に行き、一人で何時間も座っていた。自分の帰るべき場所は孤児院じゃなくて自分の家だ。そう思ってわざと自宅に戻ってみたが、誰もいない家を見て激しく後悔した。狼の集落はとても小さい。どこもかしこも両親との思い出だらけで、グレイルはどこにも行かれなくなってしまった。

 太い丸太に座って呆然と虚空を眺めていると、背後からカサッと枯れ葉を踏む音がした。後ろを振り返ってみると、この村では珍しい、銀色の毛並みをした女の子がいた。この子は確か自分と一番年かさが近かったはずだ。女の子が恐る恐るグレイルに近づき、隣に腰をおろした。


「あの、お腹空いてない? キイチゴのパイを持ってきたんだけど……」

「いらない」


 ぶっきらぼうに言うと、女の子はちょっとだけ悲しそうな顔をしたが、何も言わずに去っていった。


 けれども、その女の子は毎日やってきた。グレイルが一人でいると、近くに腰をおろしてそのままじっと座っている。孤児院にいると、嫌でも他の子達の話は耳にするものだ。この女の子がレティリエという名前で、狼になれないことで、親に捨てられて赤子の頃から孤児院にいることはグレイルも知っていた。


「お前さ、毎日何しに来てるんだよ。目障りなんだよ」


 わざとキツイ言い方をして突き放す。どのみち、相手を慮ってやる余裕がグレイルにはなかった。レティリエは少し戸惑いつつも、口を開いた。


「だってとっても辛そうだから……心配になって」


 この言葉にグレイルはカッとなった。


「親が死んだんだぞ! 辛いに決まってるだろうが! 親がいないお前に俺の気持ちがわかるかよ!」


 自分と同じように相手の心も傷つけたくて、言ってはいけないことを言ってしまった。

 吐き捨てた後、ハッとなって口をつぐむ。泣きわめきながら酷い、と言われるかと思ったが、レティリエは悲しそうに微笑んだだけだった。


「うん、私はお父さんもお母さんも知らないから……グレイルのお父さんとお母さんは、とっても素敵な人達だったんだね」


 孤児院の子達は、楽しそうに日々を過ごしているが、たまに自分の両親を思い出して泣き出す子も多々いた。けれども、彼女は思い出す両親がいない。そういう意味でも彼女は孤独だった。一人ぼっちなのは、自分だけではなかった。


「ごめん……言い過ぎた」


 ボソッと呟くように謝ると、レティリエは優しく微笑んだ。


「ねえ、良かったら、お父さんとお母さんってどういう人達なのか聞いてもいい? 親ってどういうものか、知りたいの」


 レティリエの言葉を聞いて、グレイルはポツポツと話し始めた。一人で両親のことを思い出すと、胸が張り裂けそうな程痛くなるが、誰かに話しているのは不思議と辛くなかった。


「…そんでさ、父さんに連れられて初めて狩りをしに行ったら、俺、こんなに大きい野うさぎを捕ったんだぜ! 父さんは狩りがとってもうまかったんだ!」

「そうなんだ! お父さん、とっても格好良かったのね」


 レティリエは、意気揚々と話すグレイルの姿を嬉しそうに眺めていた。


「ねえ、良かったらこれ食べる? 私が作ったの」

「ん? なんだそれ」


 不思議そうに聞き返すグレイルに、レティリエは持っていた包みを渡した。包みを剥がすと、中からヤマモモのサンドイッチが出てくる。


「わっ! 俺、ヤマモモ好きなんだよ」

「良かったあ。いっぱい食べていいわよ」


 レティリエが渡すサンドイッチにかぶりつく。甘酢っぱいヤマモモの酸味の中に、ほのかに別の甘さが口の中に広がった。


「あ……これ……」

「あのね、これ、ちょっとお砂糖を振りかけてあるの。ヤマモモって酸っぱいから、私はいつもこうしてるのよ」


 レティリエが優しく教えてくれる。グレイルは茫然とサンドイッチを見つめた。


「これ……母さんの味だ……」


 ぽつりと呟く。優しく笑った懐かしい母の顔が脳裏に浮かんだ。


「いつもヤマモモを使う時はこの味だったんた……母さんが、お前は甘い方が好きでしょうって……言ってくれて……」


 話す声に嗚咽が混ざり始める。レティリエは優しい目でグレイルを見つめていた。


「父さん……母さん……俺、一人は嫌だよ……」

「うん、そうだね」


 ボロボロと大粒の涙を流して泣きじゃくるグレイルに優しく声をかけ、レティリエが側に寄る。肩と肩をくっ付けあって、レティリエがグレイルの肩にちょんと頭をのせた。


「私もね、一人は嫌なの。だから一緒にいてもいい?」


 そうやって、日が傾くまで二人でずっと座っていた。







 グレイルは懐かしい記憶を思い出して微笑んだ。

 心が弱っている時に、誰かの温もりに触れることは何よりの特効薬だ。彼女の温かくて優しい温もりはあの頃と全く変わらない。グレイルは目線を下に落とし、スウスウと微かな寝息を立てて眠る幼馴染みの姿をじっと見つめた。

 それでも変わったことはある。あの頃は、並んで座ると頭と頭がちょうど同じ位置にあった。目線も同じで、二人で同じものを見ていた。けれども、いつの間にか彼女の頭は随分と下の方にいってしまった。話すときも、彼女はいつも自分を見上げるようにして話すようになった。

 

 幼き日々に出会った男の子と女の子は、いつの間にか男と女になっていた。


 グレイルはレティリエの腰に手を沿え、起こさないようにそっと優しく引き寄せる。そしてそのまま、彼女の髪に鼻を埋めた。

 花のように甘い香りが鼻腔をくすぐる。彼女は狩りには行かず、森で果物や木の実の採取をしているからか、髪にもその香りが染み付いているのだ。

 彼女の香りは、故郷を思い出させた。

 そうやって、二人は長い間ずっと肩を寄せあっていた。



 あの日の思い出のように。

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