第67話 迷子の聖女様(女神暦1567年5月7日/ロクレール市街)

「はあ、あんな凄い物を見た後じゃあ、アレンさんに私の貧相な体を見せる勇気なんてないよ」


 潮風のしょっぱい匂いが鼻腔を通り抜けるロクレールの町の通りをドロシーは、更衣室で目にしたゼルダの双丘のインパクトを引きずりながらトボトボと肩を落として歩いていた。

 辺りには数多くの商店や酒場が軒を連ねて、仕事の合間か仕事をサボって来たのか大勢の漁夫達が真昼間から酒盛りをしながら陽気で調子っぱずれな歌声を通りに響かせている。

 子供達もお小遣いとして貰った硬貨をギュッと握り締めて目当ての物がある店に楽しそうに駆け抜けて行く。

 周囲の賑やかな喧騒を他所に、悄然とした面持ちで雑踏に紛れて歩く自分が惨めになって来た。


「……海でも見に行こうかな」


 プールに入らず支部内をあてどなく彷徨っていたところ、通りかかったロクレール支部の騎士達が元気のない私を気遣ってくれ、ロクレールの町には綺麗な海岸や美味い食事もあるから気分転換に行ってみてはどうかとアドバイスしてくれた。

 アレンさん達には騎士の人達が事情を説明して置くと言ってくれたので、お言葉に甘えることにし日没までには帰って来ることを約束して支部から出てきたものの、最初は物珍しい町の景色や食べ物に目を奪われていたけれど、生憎土地勘がない為、観光スポットの場所も分からない。

 狭く入り組んだ路地に入り込む勇気もなく、特に行くあてもなかった為、衝動的に支部を抜け出して来たのは浅慮だったかもしれないと思い始めていた。


「だけど、折角港町に来たんだし、海を眺めに行くのは悪くないよね?」


 ルスキア法国にも海はあるが、厳しい寒さに覆われた北大陸の海は寒々としていて、眺めていても鈍色の曇天から降りしきる雪の白さと何もかもを海中に引きずりこんでしまうような黒々とした海洋の色には寂寥感や寒々しさを感じてばかりいた。

 熱帯性気候の土地が多い南大陸のような南国の海ではないが、異国の海を見てみるのも一興に違いない。

 そう決意してからは早かった。

 なるべく大通りや広い路地を通り抜け、建物に間から時折覗く海面と潮風が吹いてくる方向を頼りに歩き続けると20分程度で砂浜に辿り着いた。


「うわあ~、やっぱりルスキア法国の凍り付くような海とは違う。風が暖かい」


 見渡す限り広がる大海原の上には航海中の船舶の影が幾つも見受けられ、キラキラと太陽の光を反射して輝く海面がとても美しい。

 眼下に広がっている砂浜には桜色の貝殻や流れ着いた流木や異国風の漂流物等、面白そうな物が数多く転がっていた。

 私が町を通り抜けて抜け出てきたのは整備された港湾部ではなく、町の外れに位置する入江で、人の気配も全然なかった。


「これは所謂穴場というやつなのかも……」


 元来それほど人付き合いの得意な方ではないドロシーは、逆に人がいない方がのびのびと過ごせるかもとポジティブに考えると、


「よし、エルザやシャーロット達にお土産用の綺麗な貝殻でも探そうかな」


 特にシャーロットは喜びそうな気がする。

 ドロシーがどこから砂浜に降りようかと、手近な所に足場がないか探そうと視線を泳がせようとした刹那、



「うわ~ん、喫茶店でお洒落なティータイムを満喫しようと歩いていたのに、どうして海の方に出ちゃうんですか~!?」



 背後から響いていた悲痛な叫び声にビクッと肩を震わせ、思わず振り返る。


「……シスターさん?」


 修道服に身を包んだ女性だった。

 ゆったりとした丈の足首まで伸びる修道服は一般的な黒い服ではなく、銀色の修道服だ。

 首からは白銀の十字架のロザリオを下げており、銀細工のように美しい銀髪と相まって銀色一色の出で立ちに目を白黒としてしまった。

 だけど一番目を引いたのはそこではない。


「綺麗な人……」


 カレンさんやゼルダさんも凄い美人だけど、この人も凄く綺麗だ。

 手に握った地図をウルウルと涙目で握り締めて棒立ちになっているのが悲壮感を誘うが、おっとりした印象を与える優しそうな目や口元、胸元の生地をグッと押し上げている大きな胸が母性的というか、何故か見ず知らずの自分でもホッと安心するような雰囲気を自然と身に纏っているような女性だ。

 年齢は20代前半のような感じで、サラサラとした髪が海風になびく姿は名画に描かれるような神聖さを感じさせるほど神々しさを発している。

 天使や女神を描いた絵画からスポンッと抜け出してきたような、どこか俗世とは隔絶したような美しさを持った女性は、何度も地図をひっくり返しては、「あれ~、さっきはここのお店を通り過ぎた後にこっちの路地に入ったからギルドに帰れる筈なのにどうして~!?」、となにやら悲痛そうな面持ちで地図とにらめっこを繰り返していた。


「困ってるみたいだし、声を掛けた方がいいかな」


 向こうはこちらに気付いていない様子なので、そっと何事もなくこの場を離れることも出来るが、見るからにも途方にくれた様子で地図を見つめ続ける人を置き去りにしていくのは良心の呵責に耐えられそうにない。

 状況から察するに道に迷って、ここに迷い込んでしまった様子なので、一緒に地図を見させてもらって目的地が分かれば良いし、もし分からなかったとしても市街地に戻って土地勘のある人に道を尋ねるまでの手伝いくらいはできると思う。

 特に行きたい場所もなく彷徨っていた訳だし、この人が無事に目的地に辿り着けるように協力する時間もある。


「あ、あの~、何かお困りですか?」


「えっ? あ、こんな所にも私以外にも人がいらっしゃったんですね! もしかして貴女も迷える子羊なのでしょうか?」


「い、いえ、私は迷子ではなくて、適当にぶらついていただけでして……」


「あら、そうだったのですね。これはとんだ失礼なことを」


「いえ、お気になさらないで下さい。何かお困りのようだったので、声をかけさせて頂いたんですけれど……」


「ええ、ええ、そうなのです。実は港に停泊しているとある船まで戻りたいのですが、地図を見てもてんで見当違いの方向に歩いているようでして……お恥ずかしい限りです」


「私も現地人ではないので道に詳しい訳ではないのですけど、一度地図を見せて頂いてもよろしいですか?」


「ええ、勿論です! 是非お願い致します!」








「ありがとうございます! ありがとうございます! そして、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした!」


「いえ、無事に辿り着けて良かったです。それにしても……」


 ロクレールの町の港。

 水揚げされた魚介類と氷がたんまり詰め込まれた木箱や、香辛料の詰まった麻袋が煉瓦敷きの地面に山積みにされており、筋骨隆々な漁夫達が腕まくりした丸太のような腕で荷揚げや貨物の運搬に精を出している。

 数多く停泊している船舶の数々は、舳先に女神像や動物を模した像を取り付けた船等、それぞれの地域の侵攻や船乗り達の趣味が反映されたデザインの船が連なるようにして停泊している。

 そして、その中でも最も異彩を放つ船があった。

 純白の木材で建造された船体は、海軍の旗艦クラスの巨大さで、船の側面には数多くの砲門が造られていて有事の際にはそれで応戦することが伺い知れた。

 舳先には十字架を胸元に抱いた聖母様の像が取り付けられていて、航海の無事を祈り続けているのかと思うととても神々しい物だと感じる(マストの上に掲げられた旗には翼を背に生やした聖母像を模したシンボルマークが描かれていた)。

 船の甲板や船の周囲で荷物の積み込みや様々な作業に精を出している人達は修道服を着てはいなかったけれど、皆共通しているのは十字のラインの入った銀色の衣装に身を包んでいることだった。

 どうやら、この船に乗っているのは漁業で身を立てる漁師達の乗る漁船でも積み荷を目的地まで届ける貨物船でもないみたい。

 そんな船の中にこっそりと忍び込むようにして乗船した私とシスターさんは、船内の奥まった位置にある船倉にいた。

 部屋の中には端から端まで薬品棚が置かれ、中には明らかに関係者以外が触ってはいけないような医薬品の入った瓶や、乾燥させた薬草やら中型の蟲の遺骸等が棚にびっしりと収納されており、薬師の工房を想起させるような光景だった。


「あの、勝手に入っちゃっていいんでしょうか?」


「大丈夫ですよ。私はこの船の関係者なので、ここにある物は自由に使えますので」


「はあ。そ、それでどうして私まで船の中に?」


「ドロシーさんのおかげで、こうして無事にに帰ってこれたのですから、是非お礼をと思いまして。ここにしまってあるとある石を使えば、きっと貴女様に喜んで頂けるのではないかと思ったのです」


「石ですか? それを使って一体何を……」


「ドロシーさん、貴女は魔力の錬成回路に先天的に異常がありますね」


 背筋が冷える感覚が走る。

 私は一言も生まれつき錬成回路が断裂していて、魔力錬成がままならない体のことは話していないのに……。

 明らかに狼狽している私に気付き、アワアワとシスターさんは手を振って、


「ああっ、ごめんなさい、ごめんなさい。ドロシーさんを不安にさせるつもりはなかったです。私、他人の魔力の流れとかが分かるを持っておりまして、初めてお会いした時に心臓の辺りに魔力回路の断裂があることに気付いたのです。

 それも日頃から魔力を錬成しようと練習されているかのように、回路の端々に魔力を錬成した後特有の微弱な魔力の残滓を感じましたので」


 シスターさんの言葉に私は息を飲むしかなかった。

 図星だった。

 アレンさんやゼルダさん達に守ってばかりではなくて、自分も皆を守る側に立ちたいと夜中や図書館業務の合間に魔力を錬成する特訓をするようになった。

 結果は散々なもので、僅かに魔力の光が掌に灯る程度で、何かしらの魔法を発動するにも安定性に欠けていて発動する訳もないような状態だった。

 それをこの人はたった一目見ただけで見抜いたのだ。


「あ、貴女は一体……」


「あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね」


 銀色の修道服に身を包んだ不思議な女性は居住まいを正して、私の目を慈愛に満ちた温かな目で見詰めて深々と頭を下げた。




「世界中の正規ギルドの頂点に君臨する12のギルドの存在はご存知でしょうか?

 闇ギルドの頂点たる12の闇ギルド『十二冥神ラグナレク』があるように、正規ギルドにも『十二聖座アーセナル』と呼ばれる12の大ギルドがあるのです。

 私はその一角である『銀翼の天使団』のギルドマスター、アイリス=ゼルフォードと申します」


「『銀翼の天使団』……」


 そういえば聞いたことがあるような気がする。

 北大陸の南西部の半島と、半島の南に位置する小大陸を領土に擁する医療大国が存在する。

 パナケイア聖印国。

 医療技術や治癒魔術においては他国を遥かに凌駕する力を持ち、世界中から難病を抱えた者達が訪れるという国だ。

 そしてその国には、世界中を放浪して病人を癒して回り続ける大ギルドがあると。 

 世界樹連合加盟国だけでなく未加盟国にも船で出向き、現地の病める人々を癒し続けるという聖女に率いられたそのギルドの名前が確かそのような名だった筈だ。

 病人がいる限り、連合未加盟国の民であっても世界樹連合からの圧力にも屈せずに癒し続け、身分の隔てなく治療を行うギルドの長は、私の手を握り、


「ドロシーさん、私であれば貴女が魔法を使えるように施術を行うことができます。いかがでしょうか?」


 彼女の善意に満ちた言葉に胸の中が熱くなる。

 最初は守りたいものなんてなかった。

 魔導士の名家に生まれた癖に、魔法もろくに使えない出来損ない。

 学園での苦痛に溢れたいじめの日々。

 奴隷に堕ち、金持ちの道具として生き続けるしかないだろう未来。

 だけど、それを壊してくれた人達がいる。

 希望を。

 光を。

 私に初めて見せてくれた人達がいる。

 そして、何よりも。




『これは俺の勝手な持論だけど、大切な人を悲しませたくない、泣いて欲しくないと願って、自分の身が引き裂かれそうな痛みに歯を食いしばって必死に耐えられる人間が弱いなんて、少なくとも俺は思わない』




 私の好きな人がいる。

 私の大好きなあの人がいる。

 守りたい。

 私もあの大切な人を守りたい。

 誰よりも皆を守ろうと必死で、辛いこともグッと心に押し込んでしまう心優しいあの人を。

 私は守りたいの。

 大切な人を。

 大切な私の居場所を。

 自分の手で。

 守りたいんだ。

 だからこそ、私の答えなんて決まり切っている。

 そっと、手を伸ばす。

 私に新しい光を灯してくれる女神様の手を握り、



「お願いします。私に大切な人達を守る為の力をください」


「ええ、最善を尽くします」



 私は深々と頭を下げた。

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