第55話 リザードマンへのおもてなし(女神暦1567年4月29日/『四葉の御旗』ギルドハウス)

 森の中で行き倒れていた蜥蜴人族リザードマンをアルトの村に連れ帰った私とフローラは、ギルドハウスの庭先に台車を停車させた。

 空腹を訴えて再び意識を失った蜥蜴人族は、運送中も僅かな呻き声を上げたり、少し凹んだお腹に無意識の内に手を添える挙動を見せてはいたが、こちらが試しに声を掛けても毛髪のない頭を軽く揺らしたりする程度の鈍い反応しか返ってこなかった。

 う~ん、これは早めにご飯を食べさせた方がいいのかもしれない。


「フローラ、蜥蜴人族さんお腹空いてるみたいだし、とりあえず家の中に入ってもらおう。セレスが作り置きしてくれたご飯やフローラのフルーツも中にあるし」


「そうねえ、この蜥蜴人族にご馳走するのは別にいいんだけれど、一つ問題があるでしょ?」


「えっ? 何、問題って?」


「蜥蜴人族の体中にくっついてる渇いた泥と藻をどうにかしないと、家の中が色々悲惨なことになるでしょ」


「あっ」


 チラリと蜥蜴人族の汚れた体に視線を這わせると、確かに台車から少し離れた位置に立つ自分達の鼻腔にも鼻を突き刺すような異臭が漂って来る。

 大森林の中で台車を曳き続けている間もこの強烈な匂いは何度も猛威を振るっていたが、確かにこの匂いを引っ提げたまま家の中に入れば、家全体にこの匂いが充満するのは確実だ。

 それに、家の中ではシャーロットとニーナが遊んでいる筈だし、突然見た事のない蜥蜴人族と対面させれば動揺もさせてしまうかもしれない。

 だけど、お腹を空かせきった人をこのまま屋外に放置するのも胸が痛むし……。



「何してんだ、お前ら?」



 突然背中に浴びせられた声に背筋をビクッと伸ばし、声のした方へ振り替える。

 ギルドハウスの庭に勝手知ったる様子で足を踏み入れ、思案げに神妙な顔つきで立ち尽くすこちらに怪訝そうな視線を向けていたのは、テンガロンハットを被った馴染みの男性だった。


「なんだ、マーカスか。驚かさないでよ」


「別に驚かすつもりはなかったんだが、お前ら二人が庭先で途方に暮れたように突っ立てるのが見えたからな」


「貴方、今日はお仕事休みなの?」


「ああ、溜まっていた有給を使ってダラダラと過ごそうと思ってな。図書館も随分と盛況なようだし、のんびり読書三昧の文学的な時間を楽しもうと思って来てみて、その前に少し挨拶でもしていくかとこうして顔を出したんだが……うおっ!? 蜥蜴人族じゃねえか!?」


 ギョッと大きく目を見開き、台車の上で力なく横たわる蜥蜴人族に物珍しげな視線を向けるマーカスの目には純粋な驚嘆だけが映っていて、ホッと胸をなで下ろす。

 良かった、マーカスは蜥蜴人族に対する偏見や差別意識は持っていないみたい。

 蜥蜴人族に限った事ではないが、動物や魔物の身体的特徴を持った獣人や亜人に対して軽蔑や侮蔑を向ける人種は想像以上に多い。

 自分達とは異なる獣の耳や尻尾、頭蓋や肋骨を容易にへし折るだろう強固な皮膚や鱗に覆われた拳や脚等、自分達に存在していない肉体や器官が純粋に気持ち悪いと思う人間もいるし、ゴブリン族といった一部の野蛮な亜人種等のイメージが亜人や獣人の全体的な印象を作り上げてしまい、それが真実だと誤解している者もいる。

 しかしながら、獣の耳や尻尾とずば抜けた身体能力を持ちながらも、基本的にはエルザのように人間とそれほど見た目が乖離していない獣人の中でも、蜥蜴人族に対する世間からの風当たりは厳しい。

 水かきの付いた手や、全身の皮膚を覆う鱗、爬虫類じみた瞳や長い舌等、人間とはかけ離れたその出で立ちから、古くから世界各地で迫害の憂き目に遭う者達も多くいるらしい。

 武勇を轟かせる程屈強な戦士であれば、実力至上主義の戦場で活躍する傭兵家業や地方貴族のお抱え部隊で生計を立てて人間社会でも生活自体は出来るが、周囲からの奇異や嫌悪の視線に耐えられずに故郷に泣く泣く出戻りする者も少なくない。

 私の場合は旅に出る前までいた場所がかなり特殊な場所で、人種差別や種族の違いによる差別意識というものが芽生える事もなく過ごしてきた事と、私に魔法と教養を教えてくれた二人の先生から授業を通して、他種族の知識と自分達と姿形が異なるからといって、その人達を差別する事は非常に愚かで心が貧しい者が行う所業だと教わった。

 先生達の教えを受けた自分は今まで亜人や獣人に対して差別的な視線を向けた事はないが、諸国を渡り歩く間に、私のような人間はそれほど多くはいない事を悟った。

 不当な迫害を受けて人里離れた山奥で怯えて暮らす亜人や、村の中で肩身が狭そうに縮こまって暮らす獣人の老夫婦にも出会った事がある。

 そのため、この蜥蜴人族に対して他の人がどんな反応をするのか懸念を抱いていたのだけど、どうやらそれは杞憂に終わったみたい。


「この蜥蜴人族、一体どうしたんだ?」


「北の大森林で薪拾いしていた時に空腹で行き倒れてたの助けてきたのよ。家の中に入れようにも体の汚れが酷過ぎて駄目だし、裏庭の井戸で軽く水浴びでもしてもらった方がいいかしら?」


「その方がいいかもな。フローラのフルーツもまだまだ採り切れない程実っているし、多少ご馳走する分にはニーナの店に卸す品数に支障は出ないだろ?」


「ええ、ニーナから受注したフルーツの納品分は既に確保してあるし、果樹園にはまだまだ未収穫の物も多いからね。それじゃあ悪いけれど、その台車使っていいからこの蜥蜴人族を井戸まで連れて行ってあげてくれない? 私達は蜥蜴人族に食べてもらうためのフルーツと料理を用意するから」


「おう、お安い御用だ」


 私達のお願いを快諾してくれたマーカスは袖を捲り上げ、まずは載せていた薪を入れた木籠を地面に下ろした後、それなりに体重のある蜥蜴人族を乗せた台車を軽々と曳いて井戸のある裏庭の方へ歩いていった。


「それじゃあ、カレン。私達はお昼ご飯の支度をしましょう。ニーナやシャーロットにも事情を説明しないといけないし」


「そうだね。凝った料理は出せないけれど、セレスの作り置きもあるし、きっと大丈夫だよ」


 蜥蜴人族は雑食なので、基本的には何でも食べると以前教わった事がある。

 私も長旅である程度の調理技術も培ってきたので、それなりに料理の心得もあるから、まあ何とかなるでしょう。

 私とフローラは地面に置かれた木籠を背負い、ギルドハウスへと足を向けた。







「いやぁ、行き倒れていたところを助けて頂いた上、昼餉までご馳走になってしまい、誠にありがとうございます」


「いえいえ、お粗末様でした」


 フローラが趣味で育ている色鮮やかな花々が咲き乱れているギルドハウスの庭では、食事を終えて完全に意識を覚醒させた蜥蜴人族が恐縮した様子で私達に頭を下げていた。

 ギルドハウスの庭に置かれたオーク材のガーデンテーブルには大量の皿が積み上げられていて、そこに載せられていた料理は全て健啖な蜥蜴人族の腹の中に消えてしまった。

 マーカスに井戸水で全身を綺麗に清めてもらった後に意識を取り戻した蜥蜴人族は、突然見知らぬ場所で人間の男に水浴びをさせてもらっている状況にかなり狼狽した様子だったが、私達が事の経緯を説明し終わる頃には、迷惑をお掛けしてしまい申し訳ないとしきりに頭を下げ続けていた。

 昼食を用意したので食べていきませんかと誘った時は、ゾランと名乗った蜥蜴人族は「そこまでお世話になる訳にはいきませぬ」と申し出を辞退しようとしたが、ニーナとシャーロットが庭に運んできた料理や瑞々しいフルーツの盛り合わせを目にした瞬間、ギュルルルルル~、という腹の音が鳴り響き、軽く赤面しながら「……ご相伴にあずからせて頂きます」と席に着いた。

 それからは見ているこちらが惚れ惚れするような見事な食べっぷりで、セレスの作り置きしてくれた料理も私がありあわせの材料で調理したサンドイッチ等の軽食もみるみるうちに減っていった。

 大量に用意した食事も全て綺麗に平らげたゾランは、先程まではほっそりとしていたお腹をポッコリと膨らませ、大満足といった面持ちで同じテーブルに同席している私達に柔和な笑みを向けた。


「この度は皆様に大変なご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」


「そんなに気にしないで。困った時はお互い様っていうし、森の中に一人で残していく訳にもいかなかったから」


「そう言って頂けると気が楽になって、助かります」


「そういや、アンタは何で森の中で空腹でぶっ倒れてたんだ?」


 先程まで給仕の手伝いをしてくれていたマーカスが当然の疑問を口にする。

 私とフローラもそれが一番気になっていたので、ゾランに興味深げな視線を自然と向けてしまう。

 すると、気恥ずかしそうに頬を指先で掻きながら、答えるべきかどうか逡巡するような素振りを見せるが、ゾランは意を決したように口を開いた。


「情けない話なのですが、大森林で仲間と狩りをしている際に逃げる獲物を深追いしてしまいまして、見知らぬ場所にまで足を踏み入れてしまい、二日程森の中を彷徨っていたのです」


「ふ、二日も!? で、でも森の中には木の実もあるし、動物だっている筈なのに、どうして意識を失うまでお腹を空かせていたの?」


「実は森の中を歩き回っている間に麻痺と下痢を引き起こすキノコを誤って口にしてしまい、狩りも木登りも出来ない状態になってしまったのです。食べてもすぐに体の外に出してしまうので食事をするのを最小限にしてしまった事が間違いでした。気が付いた時には空腹で目が回ってしまい、いつの間にか意識も失ってしまったのです」


 成程、北の大森林でほとんど気絶状態だったのはそういう事だったのね。

 毒性のキノコに当たってしまったのは同情するけど、死に至るような猛毒を宿した種類を口にしなかったのは僥倖とも言える。

 見たところキノコの毒はもう抜けたようで、呂律もしっかりと回っているし気怠そうな雰囲気でもない。

 先程の食事で十分にお腹も十分に膨れたようだし、次の話題に移ってもいいかもしれない。


「ねえ、ゾランさん」


「はい、何でしょうか? 貴女様は確かカレン様でしたな」


「ええ、少し訊きたい事があるんだけど質問しても大丈夫?」


「勿論です。皆様は私の命の恩人ですからな。私に答えられるものでよければ喜んで」


「それなら早速質問させてもらうけど、ゾランさんはどこから来たの? 私はこの村に来てから数ヶ月程度しか経っていないけれど、あの森に蜥蜴人族の集落があるなんて聞いた事がないんだけど……」


 北の大森林へは炊事や風呂釜のお湯を温めるために使用する薪や、カザンの町民から時折季節の山菜の収穫依頼を受ける事があるのでちょくちょく足を運ぶ機会が多いが、今日まで蜥蜴人族に遭遇した事はなかった。

 この村の出身であるゼルダも蜥蜴人族については言及していなかったので、多分森の中で生活する蜥蜴人族の存在は知らなかったのかもしれない。


「ああ、それはですな……」



「みんニャ―、フローラの果樹園で今朝採れたオレンジで作ったオレンジジュースニャ! 食後の休憩のお供にいかがかニャ?」

「ニーナと一緒に絞ったの」



 陽気な声音でそう言いながら、私達の分のオレンジジュースの入った木製のジョッキを載せたお盆を器用に両手に載せたニーナと、小さな手で一つのジョッキを運ぶシャーロット(頭の上には最近のマイブームの花冠作りで作った白い花弁の花で作った花冠がチョコンと鎮座していた)がこちらに歩み寄って来た。

 話の腰を折られる形になったが、ゾランはこちらに軽く手を振って、気にしないでくれと伝えて来てくれたので、少し一安心。


「ゾランさんは、オレンジジュースとか飲めるのかニャ?」


 私達の前にジョッキを置きながらニーナが尋ねると、


「ええ、飲めますよ。私の暮らす村ではオレンジは自生していないので楽しみですなあ」


「そうなのかニャ。蜥蜴人族の人とはアップルトン商会の本店で下働きしていた頃に集落に配達で何回か行った時に会った事はあるニャけど、食生活までは知らなかったから少し不安だったニャ。けれど、大丈夫なら良かったニャ」


「お気遣いありがとうございます」


 そう言って丁寧に頭を下げるゾランの前に、ジョッキを持ったシャーロットがそっと立つ。

 この村の中では最年少のこの少女は、生来の性格なのかは分からないが感情表現に乏しいため初対面の人に無愛想な印象を抱かせてしまうのではないかという不安があったが、ゾランは目の前に立つ少女の目線に合わせようと腰を屈め、


「ありがとう、お嬢さん。このジュースはお嬢さんが絞ったのかい?」


「うん。ニーナに手伝ってもらいながらだけど」


「そうかそうか。その頭の上に載せている花冠もお嬢さんが作ったのかい?」


「うん。最初はフローラに手伝ってもらったけど、もう私一人で作れるの」


「それは凄いじゃないか。こちらの方々とのお話が終わった後で構わないから、オジサンにも作り方を教えてくれないかね?」


「うん、いいよ」


 まるで孫娘を溺愛するおじいちゃんのように柔和な笑みを浮かべて花冠を褒めるゾランと、心なしか口元を緩めて嬉しそうにしているシャーロットの姿に胸が暖かくなってくる。

 シャーロットがあんな風に初対面の人の前で嬉しそうにしている姿なんて初めて見るけれど、やっぱりこうして笑っている姿を目にすると安心する。

 魔導人形オートマタに改造される前の彼女がどういった女の子だったのかは知らないけれど、少なくともこの村にいる間は幸せに笑顔で過ごして欲しい。

 彼女の親代わりになっているアレンとゼルダもこの場にいれば、今の私と同じような顔になっていたと思う。

 そんな事を思いながら、ジョッキに入れられたオレンジジュースの柑橘類特有の酸味と濃厚な甘みを堪能しつつ、



「ニャア、カレン。蜥蜴人族の鱗は防具の材料として高く売れるんニャけど、ゾランさんからほんのちょっとだけ分けてもらえニャいか商談の手伝いをして欲し……」



 揉み手をしながらにじり寄って来る守銭奴猫耳少女の額に「えいっ」と軽くチョップをして自重させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る