第41話 逃亡者(女神暦1567年5月1日/東の山脈)

 草木もまばらな荒涼とした岩場を息を切らしながら進む一団がいた。

 陽も傾き始め、オレンジ色の陽光が渇いた山脈を照らし出しているが、夜になれば肌を刺すような寒気が襲ってくるだろう。

 それでも集団は休む事なく行軍を続けていた。

 背後から迫る脅威から一歩でも遠く離れるために。

 隊列の8割を占めるのは世代もバラバラな女性達で、その隊列の先頭に立って全体指揮を執っていた黒髪短髪の和装の少女、姫島綴ひめじまつづりは隊列の後方から駆け寄ってきた信徒の少女達の報告に耳を傾ける。


「首領、後続に遅れが出始めています。もう少しペースを落とすか、一時休息を挟まないと脱落者が出るかと」


「首領、『ゴブリン・キングダム』の軍列がここから3km程東に迫っていると偵察役から報告が」


「ゴブリン兵の方々が仕掛けたトラップも一定の足止め効果は果たしてはいますが、もう罠を仕掛けるための材料も枯渇してきていて、これ以上の妨害工作は厳しいかと」


 どれも思わず目を覆いたくなるような凶報ばかりで、自然と嘆息してしまった。

 すると、悩ましげに顔を俯かせたウチの落胆した姿に動揺したのか、少女達の瞳が憂いでかげる。

 はっ!? アカンアカン。首領であるウチが情けない姿を見せたら、他の娘 らが不安がってまう。

 彼女達は自分達の仕事をしっかりと抜かりなく遂行している。

 彼女達が携えてきた情報を元に逃亡計画の微調整や、自分がここからでは視認できない後続の人々の体調や疲労の変化等を考慮した行軍の速度計算、恐怖や不安で押し潰さそうになっている女性達のメンタルケアも行うのは、魔女の隠れ里のリーダーであるウチの仕事や。

 リーダーが頼りなければ、その不安や懸念が隊列全体の雰囲気を暗くしてしまう。

 空元気でもええから、気張らんと!


「全体の行軍ペースも落ちてきとるし、もう少し進んだ岩場で五分だけ休憩するって皆に伝えて。偵察役はそのまま『ゴブリン・キングダム』の監視を続行。迂闊に手を出す真似はせんよう、念押ししておいて。罠はもう作らんでええ。その代わり、ゴブリンさんらと協力して隊列が過ぎた後の道を岩とかで塞いでおいて。幸い、岩ならそこらじゅうに転がっとるしな」


「「「はい、首領!!!」」」


 指示を受けた少女達が一斉に隊の後方に下がり、伝達した命令を他の者達とも共有した後、まだ比較的体力に余力がある者達を伴って隊列から離脱していった。

 伝令役の少女は軽い身のこなしで岩の間をすり抜け、すぐさまその背中は見えなくなった。

 彼女達が自分が命じた命令を忠実にこなしてくれていることに安堵と嬉しさを感じながらも、心の中は暗雲に覆われたままだ。

 『ゴブリン・キングダム』の襲撃。

 彼らに捕まった後に待っているのは、女としての機能しか見ていない汚らしい連中の慰み者としての一生だ。

 想像しただけで、怖気が全身を走る。

 

「冗談やないわ。里の皆は誰一人欠けることなく逃がしきる。それがこんな小娘に付いてきてくれた皆に対しての、せめても恩返しや」


 そう勢い込んで拳を握ると、頭をクシャクシャと大木のように太くたくましい手で撫でられ、「うひゃぁああああああああ!」と悲鳴を上げてしまった。

 すると、硬い皮膚をした大きな手が慌てて引っ込み、押さえられていた黒髪がふわっと定位置に戻る。


「……すまない。元気づけようとしたのだが、余計な真似をしてしまったようだ」


 山中にどっしりと腰を下ろしている大岩のように固く、それでいて芯の通った声の主の方へ首を向けると、背中にどデカい大剣を背負った大男のゴブリンが行き場のなくなった左手を宙で浮かせたままだった。


「な、なんやダガン将軍やったんか。ビックリしたわ」


「すまない。随分と心労が溜まっているようだったのでな。人間は頭を撫でられると安心感を覚えると昔小耳に挟んだので実践してみたが、考えてみれば親しい者以外に突然頭を触られても不快なだけか……」


「いやいやいや、唐突やったから驚いただけやから、謝らんでええよ」


「そうか、ならばいいのだが。……我が兵達も存分に使ってくれて構わん。皆、其方達を逃がしきる覚悟でここまで来た。俺も含めて捨て駒として使ってくれても……」


 バシッ。

 考えるよりも早く反射的に、鋼のように硬い将軍のお腹を叩いてしまい、その予想以上の硬さに悶絶した。

 掌全体にじんわりと熱を帯びた痛みが広がり、「おおぉぉおおおお……」と思わずその場で膝を突く。

 アカン、情けない姿は見せんと決意してすぐにこんな醜態を公開してしまった。

 後ろの娘達、見てないよね。見ないでね。お願いします。


「? 何をしているのだ、綴殿」


「ふ~ふ~、将軍がアホなことぬかすから瞬間的に手が出たんや!」


「アホな事? そのような事を言った心当たりはないのだが」


「なら余計タチが悪いわ。ええか」


 ピンク色に染まった掌に息を吹きかけた後、ゆっくりと立ち上がり、首を大きく上に向けた先で厳めしい顔を怪訝そうに歪める大男にはっきりと告げる。


「捨て駒にするつもりの連中なんて、ここには一人たりともおらへん。その枠組みにはアンタもその部下も全員セットで入っとる。

 だから、捨て駒になるとかそんなアホ臭いこと言う暇があるなら、少しでも皆を逃がしきるための名案でも頭の中で捻りだすための時間に充てた方が有意義や」


「しかし、我々はギルドを抜けたとはいえ、砦の者達を殺害した事は変わらん。砦から逃がした者達は我らを許す事はないだろう」


「まあ、それはそうかもしれんけど、罪滅ぼしのつもりで自滅覚悟の特攻なんてされる方が後味悪いわ。償いたいんやと思うなら、アンタが背中にぶら下げとる剣で殺してきた人間の数を余裕で越えるぐらい多くの命を救っていく方がよっぽど良いと思うで」


「……二十年も生きておらん人間の娘に説教を受ける日が来るとはな。無駄に年を重ねてきた俺よりも、綴殿の方が余程強いらしい」


「ウチが強い? そんなことあらへんよ。将軍が変なタキシード姿の男の子と一緒に、人払いの結界を張って防御しとる里のど真ん中に突然現れた時は肝が冷えたけど、将軍が逃がしてくれた砦の人達の情報と将軍が里の位置が『ゴブリン・キングダム』の連中に看破された事を教えてくれたおかげで、すぐにグレゴール伯爵に救援要請を送って里の住民の避難も早く出来た。

 でも、肝心のリーダーのウチは信者の人達や里の人達に助けてもらってばっかで、こうして避難民の誘導だけで手一杯やわ」


「……その信者とやらは一体どういう者達なのだ? 我々は放棄してきたあの隠れ里で暮らしていた魔女達や綴殿達については無知でな。綴殿の指示で動いている者達の多くが身に付けたり、手にしているあれらのことも気になっているのだが……」


 将軍が指差す方へ視線を向けると、隊列に乱れが生じないように声掛けに回っている少女や恰幅の良いふくよかな中年女性の姿があった。

 だが、彼が注視しているのは彼女達自身ではないだろう。

 前者が大事そうに手にしているのは台所にある釜の木蓋で、後者に至ってはファンシーな絵柄の幼い子供向けの手鏡だ。

 隊列の護衛として同行しているゴブリン達も、様々な日用品の類や玩具等を肌身離さず大事そうに携帯している女性や数少ない男性達に奇異の視線を向けていて、尋ねてもいいものか逡巡しているようだった。

 もう少し歩けば、大きな岩が密集した見通しの悪い岩場に到着する。

 周囲への警戒は怠る事はできないが、ほんの少しの間は肩の力を抜いて休める。

 そこに到着するまでにはある程度の説明はできるだろう。

 それに、自分達の居場所をかなぐり捨ててまで助けに来てくれたこの人達には隠し事をするのは、どうにも嫌というかフェアではない気がした。

 

「あんまり愉快な話じゃないけど、それでもええなら話してもええよ」


「構わない。結界の存在に気付いたギアンや、執拗にこちらを追い回しているガロンの部隊がこちらに肉薄するにしても、まだまだ時間はかかる。君達の事を教えてくれないか」


「……そっか。なら話すで。ウチらは……」


 

 






「東大陸中央部の南西部にある武蔵国むさしのくにの山岳地帯で生活していた独自の宗教体系を派生させた山の民。

 魔法大国であるルスキア法国に生まれながらも、魔力の錬成回路や身体的・精神的に何らかの異常をきたした事で魔法の発動が非常に困難になった者達。

 それが、魔女の隠れ里に定住している女性達の正体だ」


 砂糖瓶に手を伸ばし、三つの角砂糖を溶かした紅茶を啜りながら、グレゴール伯爵が語り始めた。


「武蔵国は、隠形術や暗殺術に長けた『忍』と呼ばれる者達が治める国だが、忍として生きる道を選ばない者もいる。それ自体は別段咎められることではないが、彼女達の思想を気に食わないと感じたとある忍の里の襲撃を受け、彼女達は長年隠遁するように暮らしていた集落を脱出した後に諸国を放浪し、そして流れ着いたのがこのマルトリア神王国であり、私の治める伯爵領だったのだ」


「彼女達の思想っていうのはどういうものなんですか?」


 セレスの淹れてくれた紅茶をちびりと舐めながら、俺は挙手した。

 この世界の宗教観には詳しくないが、里を襲撃される程忌み嫌われるような宗派が存在しているのだろうか。

 中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせるような話を聞いて、つい口を挟んでしまった。


「この世の万物には等しく神が宿っており、私達の周りには何万という神々がおられるという思想だったな。多神教の国家や地域もあるが、そこまでの神々が下界、それも私達が暮らす普通の町や家に何万もいるという宗教観は、武蔵国だけでなく他の国家でも相容れないだろうな」


「では、私が今飲んでいるこの紅茶やそれが注がれているこのカップにも、神が宿っているということになるのだろうか?」


「彼女達の思想に準ずるなら、そういうことになるな」


 興味深げに伯爵の話を聞くゼルダは、自分の見識にない独自の宗教意識に感銘を受けた様子で、別段差別意識があるようではなかった。

 アリーシャ騎士団領には奉じている特定の神がいるのかは分からないが、彼女は宗教関係の話題に関しては忌避感などはないらしい。

 俺も彼女達の思想には何ら思うところはない。

 なんせ、八百万の神々がおわす国で生まれ育った身だ。

 俺にとっては取り立てて騒ぐような事でもないと思うのだが、この世界は八百万の神々のような宗教観は異質な扱いを受けているらしい。

 彼女達が迫害を受けて武蔵国に居場所がなくなり、安住の地を求めて彷徨の旅路を続けていた事から、周囲からの奇異の目を受けない場所を探すのに随分と苦労があった事が察せられる。


「次にルスキア法国の魔女達についてだが、の国は魔法技術の発展が目覚ましい大国ではあるが、魔法を操る技術や才能がない者、生成可能な魔力が極端に少ない者は差別の対象になる事も多い弊害を抱えている。現女王はそのような者達にも分け隔てなく愛情を注いでおるようだが、閉鎖気味な地域の小村や一部の魔導士エリートの一族等ではそういった傾向は色濃く残っておる」


 ……ドロシーの事がどうしても頭の中をちらつくな。

 彼女もルスキア法国出身だ。それも、国家の中でも三本の指に入る魔導士の名門の家柄の出だ。

 そういった意識が強く根ざした国で生き続け、心をズタズタに引き裂かれるような陰惨な思い出も沢山抱え込んでしまい、かなり内向的な性格になっていた。

 彼女の他にも、そうした境遇を送っていた人達が多くいたという事実に、先程まで美味しいと感じてた紅茶の風味に、苦いものが広がっていくような錯覚に陥る。


「彼女達も祖国で不当な差別や迫害を受け、逃げるように国を捨てた者達だ。彼女達が乗っていた船舶が嵐で山脈側の海岸で座礁していたところを、哨戒中の東の国境警備隊が保護し、私も彼女達の受け入れを許可した。事情を聞いた私は彼女達に山脈の一画に隠れ里を設け、もし行き先に当てがないのならそこで生活をするよう促した。

 数ヶ月後に流れて来た武蔵国の者達は、自衛の手段としての武力も有していたので里の警備や里のまとめ役を頼んで、里のリーダー役も彼女達の宗教の指導者的な役割を担っていた少女に一任した」


「伯爵は翼竜ワイバーンが回復次第、その里のリーダーである人物と接触して、避難を促すつもりだったんですか?」


「彼女達には緊急時に私への救援要請を送るための特殊な魔道具を持たせている。それは彼女達の細かな現在地も逐一更新して教えてくれる優れものでな、君の言う通り最初は避難を促す予定だったが、これを見て方針を変更する事とした」


 伯爵がそう言って懐から取り出したのは、折り畳まれた茶色の紙だ。

 卓上に広げられた紙には峻険な山々を描いた地図になっていて、そこを複数の赤い点が縦の隊列となって移動していた。


「どうやら彼女達は、何らかの方法で『ゴブリン・キングダム』襲来の情報を入手したのだろう。彼女達は独自に避難行動に移り、彼女達が現在向かっている先には山脈を北に抜けるための秘密の廃坑道がある。そこから、この山脈を脱しようと考えているのだろう」


「彼女達は伯爵が救援に向かっている事は知っているんですか?」


「生憎この魔道具は、相互通信はできんので向こう側はこちらの動きに関しては全く分かっておらんだろう。だが救援信号が来た以上、私の助力を待っているのは確かだろう。

 廃坑道を一応の目的地に設定しているのだろうが、翼竜に乗せて内地に運んでもらいたいという願望は持っておるだろうな。

 そろそろ夕暮れ時になる。暗闇に閉ざされた山中での強行軍がどれだけ身体的にも精神的にも過酷かは、彼女達も知っておるだろうしな」


 伯爵の話を解釈すれば、魔女達は来るかどうかも分からない救援を待ち望みながら、険しい山中を必死に逃亡している真っ最中ということらしい。

 隠れ里に座して『ゴブリン・キングダム』の襲撃を迎え撃とうとせず、拠点を放棄して逃げに徹しているのは、彼らに対抗できるだけの戦力を有していないからだろう。

 つまり、追いつかれれば敗北する可能性がかなり高い。

 『ゴブリン・キングダム』ももぬけの殻になった隠れ里の存在に気付いていてもおかしくない頃合いだし、追撃を開始している筈だ。

 早く救援に向かわねば、取り返しのつかない事になる。

 

「伯爵、俺達も魔女達の救援に参加させてくれませんか?」


「……その申し出はありがたいが、君達にはこのピゾナの町を救ってもらっただけでも大きな借りがある。これ以上巻き込む訳にはいかん」


「我々が向かう先には、この町を襲撃したゴブリンの軍勢を大きく超える兵力を引き連れた『ゴブリン・キングダム』の本隊がいます。ご助力はありがたいのですが、死ぬ可能性も高いのですよ?」


 俺達にこれ以上の負担を掛ける訳にはいかないと首を横に振る伯爵とアニス。

 しかし、ここで折れる訳にはいかない。

 ここにいる手勢で向かったとしても、魔女達を全員救出出来るだけの時間を作る事が可能なのかは不安が残る。

 『ゴブリン・キングダム』を足止めして、翼竜達の背中に彼女達を乗せるだけの時間を稼ぐ囮役が必要となるだろう。

 俺とゼルダは、事前にその役目を果たすことになんら異存はない事を互いに確認済みだ。

 ピゾナの惨劇を二度と繰り返さないために、俺達も力を貸したい。

 その旨を何度も伯爵に訴えた結果、伯爵とアニスは最後までこちらを気遣いながらも参加を承認してくれた。

 ただ、決して無茶はせず、身の危険を感じればすぐに後退する事を条件として課されたが。

 伯爵が紅茶の最後の一滴をグイっと飲み干すと、大きく咳払いし息を整えた。


「彼女達は魔法は使えんが、体内に有している魔力は非常に強大だ。タンクの中に水はたっぷりと詰まっているのに、魔力の錬成回路の不具合といった様々な要因で水の出入り口に蓋がされておるだけだ。

 彼女達の力を継承した子供達は強大な魔力を秘めておるだろうし、そこを『ゴブリン・キングダム』を狙っておるのだろう。

 私も一般兵達にも情報を伏せ、他国からの亡命者を温情で密かに匿っていたため、神都におわす神王陛下に増援を要請することも出来ない。かなり厳しい戦いになるだろう」


 そこで一呼吸置き、グレゴール伯爵は声高に大広間に響き渡る声を張り上げる。


「これより、魔女達の救援に向かう! 敵は闇ギルド『ゴブリン・キングダム』! この町を血に染めた奴らを駆逐し、魔女達を全員無事に救い出す。私とアニスが率いる翼竜隊は魔女達の回収、エリーゼ隊と

四葉の御旗フォルトゥーナ』の面々は『ゴブリン・キングダム』の迎撃に当たる。総員、出撃だ!」


「「「「「はっ!!」」」」


 集会所の建物全体を揺さぶるような返答を行った兵士達と共に俺とゼルダ、『隷属者チェイン』達も建物を後にした。

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