第32話 竜舎見学(女神暦1567年5月1日/グレゴール伯爵領南方国境警備隊基地)

 エリーゼの指示で砦の中に招き入れてもらった俺達は、別室で更に事情を説明し、『ゴブリン・キングダム』襲来の危険性を説明した。

 真剣な表情で相槌を打ちながら手元の書類に俺達が話す内容を速記したエリーゼは、書き上げた書類の末尾に自身の署名をサラサラと書き込み捺印をすると、部屋の隅で待機していた兵士にそれを手渡した。


「グレゴール伯爵にこれを大至急届けてちょうだい」


「はっ! かしこまりました!」


「今の時間だと第五竜舎の子達が休憩でくつろいでる頃だから、その中から一番速い子を選んで向かってください」


「かしこまりました。伯爵様から新たな指示を頂き次第、帰還致します」


「お願いするわ。この内容の限りだと十中八九、伯爵の居城にこの方達をお連れすることになるとは思うけど、一応お伺いだけは立てておかないとね」


 エリーゼからの書状を受け取った兵士は上司と情報提供者である俺達に恭しく頭を下げると、弾かれたように部屋を足早に立ち去り、床を踏み鳴らす足音が猛烈な勢いで遠ざかっていた。


「ふう、ひとまずはこれで返答が帰ってくるまでは待機って感じかしらね」


「私達の情報が役立つと良いが……」


「できることなら役立たないに越したことはないけれどね。ゴブリンの軍勢が伯爵領の女性達を攫おうとしているなんて、考えただけでもゾッとする」


「先程出て行った兵士が、伯爵の元まで書状を届けに行くんだろう? 伯爵の居城に到着するまでどれだけの時間が掛かるんだ?」


「徒歩で向かえば往復だけで一日がかりになるけれど、この砦に配備されている翼竜ワイバーンに乗っていけば往復で二時間ってところかな」


「ほう、それが噂に名高いグレゴール伯爵の翼竜隊なのか?」


「あら、よくご存知ですね。伯爵の翼竜好きは騎士団領にも轟いてしまっているのかしら?」


「諸国を漫遊する遍歴商人からの又聞き程度の知識で、生憎ながらそこまで詳しい訳ではないんだ」


 何やら翼竜談義に花を咲かせているエリーゼとゼルダ。

 だが、グレゴール伯爵に関してはほとんど事前知識を持ち合わせていない俺は、自然と会話からフェードアウトしてしまう。

 くっ、二人が悪い訳じゃないけど、なんか疎外感を感じるぞ。

 翼竜とは言えば、『ブレイブ・クロニクル』にも登場したポピュラーなモンスターだった。

 ドラゴンよりも体躯は小柄で翼も同様。

 ドラゴンの取り巻きみたいな感じで、図体のデカい巨竜の周囲を旋回しながら近づくプレイヤ―に集団攻撃を加えてくるような小型ドラゴンとして実装されていた。

 弓兵や遠距離魔法を覚えた魔導士が戦場で大活躍し、彼らが撃墜した翼竜に最後のトドメと素材の剥ぎ取りを行うために群がる戦士職達の血走った眼が印象に残っている。

 俺が『魔装化ユニゾン・タクト』して翼竜を地上に落として、瀕死のそいつらから根こそぎドロップアイテムを刈り取りまくってたリースを思い出す。

 その後、リースの要望で大量ドロップした翼竜の肉で黙々と唐揚げを揚げ続けるマシーンにされたのは今でも苦い思い出だ。

 ほとんど、アイツに食い尽くされたからな……。

 

「あっ、そうだ。君達、もし興味があったら翼竜の竜舎見学でもしていかない?」


「それは中々面白そうだ。だが、部外者にそのような施設を見せても問題はないのか?」


「別に軍事機密っていう程の設備でもないし、この砦の責任者である私がOKすれば問題なしよ」


「だそうだが、アレンはどうする?」


「是非、見学させてほしいな。飼育されている翼竜なんて見たことないし、凄く興味がある」


 『ブレイブ・クロニクル』に実装されていた翼竜達は全て気性が荒く、竜騎士職といった竜騎乗スキル持ちの専門職以外には一切懐かない気難しいモンスターだった。

 一度だけ興味本位で『隷属者チェイン』にできないか試してみたことがあったが、頭を丸齧りにされてリースに爆笑されただけで終わったので、個人的には良い思い出のない生き物ではある。

 だが、異世界で生息している翼竜の生態や個体ごとの差異などに関しては、中々興味をそそられるものがある。

 実際に触らせてもらえるかは分からないが、一度でもいいからあの背中に乗ってみたい。

 アールタの魔法の絨毯も良いが、竜に乗って大空を翔るというのはファンタジー好きとしては是非とも一度は体験してみたいものだ。


「それじゃあ、竜舎の方へ移りましょうか。奴隷にされていた子は今は身元や住所の確認を別の兵士がやっている最中だから無理として、客間で待機してもらっている他のお二人とも合流して一緒に行きましょう」


 エリーゼの提案に首肯し、俺達は取り調べ室を後にする。

 客間でお茶請けの焼き菓子とミルクをたっぷり入れた紅茶に舌鼓を打っていたエルザとアールタも回収し、俺達は一路砦の敷地内に立つ竜舎に向かう。

 竜舎は体育館程の大きさの煉瓦造りの建物で、伯爵領側の尾根の端の方に建てられていて、切り立った断崖絶壁の上に半ばはみ出すような形で建造されていた。


「うわあ、あの先っちょの部分崖の下に落ちたりしないのかな?」


「腕利きの設計士がバランスを考えて設計しているから、崖下に崩落してペッちゃんこになる心配はないから安心してくださいね。少なくとも、私がこの砦に着任してからは異常は何も見つかってませんから」


 エリーゼはそう笑いながらエルザに心配は無用だと告げると、ポケットから取り出した鍵で分厚い鋼鉄製の扉を押し開け、俺達を中に通してくれた。

 竜舎の中に入ると、意外と糞尿等の鼻を突くような臭気が少ないことに気が付く。

 竜舎の構造は二階部分をぶち抜いた吹き抜けになっており、俺達が入った正面入り口から縦に伸びる給餌を行う職員や騎士達が通る通路になっており、その通路の左右に頑丈な鉄柵で区切られた翼竜の居住スペースが七つ程設けられており、この竜舎では計十四頭の翼竜を飼育していることが分かった。

 一つだけ空になっているスペースがあったが、そこにいた翼竜は伯爵の元に向かう兵士が連れて行ったのだろう。

 居住スペースでは退屈そうに欠伸を漏らしながら体を丸める個体や、巨大なフォークのような長い柄付きの道具でベッド代わりの干し草をほぐしながら空気を含ませてフカフカとした感触を作り出そうと苦心している兵士の頬をペロリとざらついた舌で舐め回そうとしている個体等、自由気ままに過ごす翼竜達がいた。

そして彼らの居住スペースの奥にはハッチのような扉があり、その片隅には翼竜の体格に合わせたくらや騎乗用具が所狭しと置かれていた。


「あのハッチから翼竜に跨った兵士が山岳警備を行うために飛び出していくんです」


「それじゃあ、書状を携えた兵士もあのハッチから?」


「ええ、私達グレゴール伯爵領の国境警備隊は翼竜に騎乗する竜騎士が主力なんです。民間だと翼竜の機動力を活かして郵便配達業も盛んね。悪天候でなければ、郵便物を出した翌日には宛先に届きます」


「へえ、それはかなり便利ですね。元々この辺りは翼竜が多く生息してるんですか?」


「いえ、伯爵領で飼育している翼竜は伯爵がラシュティア教国というマルトリア神王国から見て北東に位置する大国から譲り受けたものなんです。翼竜は山岳地帯が主な生息地で、教国は国土の大半が峻険な高山地帯ですから、翼竜の一大生息地としても有名なんですよ」


「ほう、グレゴール伯爵はラシュティア教国ともパイプを築かれておられるのか?」


「パイプと呼べる程の強固な繋がりではないかもしれませんが、伯爵が教国に学生時代留学されていた頃に知り合った方から特別に譲って頂いたそうです。伯爵は前線で活躍されるような勇猛果敢な勇士というイメージからはかけ離れた御仁ではありますが、翼竜を繁殖させてそれを領内警衛や物資の運搬等に充てて、この伯爵領の民衆の生活を守るための一助にされようと考えておられるようです」


「立派な方なんですね」


「私のような平民出身の子供でも、翼竜の操り方や竜騎士としての資質を考慮して身分問わずに取り立ててくださるので、平等な方ではありますね。そのおかげで、私のような年齢でも一つの砦を任される大役も任せて頂けるので、私としては非常にありがたいです」


 そう言ってにこやかにほほ笑むエリーゼの言葉には、隠し切れない程の謝意の気持ちが込められていた。

 俺がいた世界なら高校に通って部活に恋にがむしゃらになっているような年頃のの少女が、右も左も絶壁だらけの空の孤島のような場所で二十四時間過ごしながら、自分よりも年上の部下を統率しているのだから、俺とは育ってきた環境が丸っきり異なっている。

 だが、エリーゼはその環境に適応して、こうして砦の責任者を務めあげているのだから本当に大したものだ。

 その後は飼い葉を一心不乱に食む翼竜の頬を優しく撫でているエルザや、「……丸焼きか揚げ物か」と何やら不穏なワードを呟いて飼育員をハラハラさせているアールタを時折見遣りながら、翼竜の背中に乗せてもらったり、餌やり体験等もエリーゼと竜舎勤務の騎士や飼育員達が懇切丁寧に教えてくれたおかげで、時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 俺が翼竜の顎先を軽く撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らしてじゃれついてくる翼竜に口元を綻ばせていると、二階のテラスで望遠鏡のような物を覗き込んでいた兵士が、「伯爵の元へ出立していた兵士が戻ってきました」という報告を階下にいるエリーゼに伝えたところで、皆の意識がハッチの方へ向かう。

 兵士が壁際に備え付けられていたワイヤーの滑車を激しく回し始めて響き出した、ギギギギ、というワイヤーが巻き取られる音が耳に刺さる。

 ワイヤーが巻き取られる毎にハッチの一つが左右に割れて開いていき、大空に浮かぶ白雲を突き抜けるようにして戻って来た翼竜とそれに騎乗する兵士は徐々に速度を緩め、慣れた様子でハッチを潜って帰還した。

 耳当ての付いた革のヘルメットと直射日光除けのゴーグルを着用した兵士は、手早くそれらを脱ぐと上官の元へ素早く駆け寄った。


「グレゴール伯爵からの返答を賜って参りました!」


「ご苦労様。伯爵様は何と?」


「情報提供者である『四葉の御旗フォルトゥーナ』の方々とお連れの皆様を居城にまでエリーゼ隊長が護送し、奴隷にされていた少女は両親が迎えに来るまでの間城で預かるとのことです」


「了解しました。貴方の午後からの業務は免除にしますので、今日はゆっくりと居室で休んでください」


「はっ! かしこまりました! それから、少し気になったのですが、東の砦からの定期連絡用の翼竜を本日は未だ確認しておりません。本来ならば、もうそろそろ到着してもいい時間帯なのですが……」


「そういえば、いつも定期連絡に訪れる兵士がまだ来ていませんね。普段なら時間に遅れることはないのですけれど……。それについては、もう一時間程待っても到着しないようであれば、一度東の砦の様子を確認しに行ってくれませんか?」


「かしこまりました! それでは自分はこれで失礼致します」


 仰々しくお辞儀をした兵士は俺達にも軽く会釈をして竜舎を後にした。

 彼の背中を見送ったエリーゼは俺達に向き直り、


「それでは、皆さん。これから私と数人の部下が皆さんを翼竜の背中に乗せて、伯爵様の居城へとお連れ致します。翼竜に騎乗されるのは初めてだと思いますので、休憩を小刻みに挟みながら向かいます。早速で申し訳ありませんが、皆さん準備をお願いします」


「翼竜の背中に乗って空を飛ぶのか……。中々緊張するな」


 だが、夢にまで見た翼竜との大空の旅だ。

 乗り手の兵士の腰元にギュッと腕を回して、専用の安全器具や金具のような物で体を固定すれば地上に真っ逆さまということもないだろう。

 こまめに休憩時間を設けてもらえるみたいだし、快適な空の旅が楽しめるかもしれない。

 そう俺が一人胸を躍らせる中、


「僕の絨毯があることを忘れているんじゃないのかな、君達は」


 といじけた声を声を漏らすアールタがいたが、急加速の前科があるため今回は翼竜での旅を選択させてもらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る