第9話 ゼルダ(女神暦1567年4月21日/コントラルト平原旧街道)
カザンに向かって走り出した馬車の荷台部分。
前方の御者台からは、変わり映えもしない景色が続いても楽しそうに笑い声を漏らすカレンと、「あんまりはしゃぐと落っこちるぞ」と欠伸混じりに気の抜けた警告をするマーカスの声が漏れ聞こえてくる。
馬車の運転も荒くなく、時折道に転がる石や灌木の根の上を車輪が通過する度に、お尻が少し浮き上がる程度の揺れに遭遇することもあったが、初めての馬車の旅は順調に進んでいた。
「ではまず、私達が暮らす国のことから話し始めるとしようか」
「お願いします、先生」
「先生か……そう言われると中々面映ゆいものがあるな」
──先生扱いされて恥ずかしそうに俯きがちになるゼルダ先生マジ可愛い。
「それでは講義を始めよう。アレン、準備は大丈夫かな?」
「はい、お願いします」
まだ若干頬の赤みが残りながらも、コホンと咳払いをして授業モードに移行したゼルダに
「まず私達が暮らす国家についてだが、国名を『アリーシャ騎士団領』と言って、奴隷制を敷いていた旧王権勢力が支配していたペルテ国という国家を軍事クーデターで崩壊させた後に建国された国だ」
奴隷制に軍事クーデターか……。序盤から中々ヘビーな話になりそうだな。
奴隷という言葉を聞いてもファンタジー系のゲームや小説の設定の一部や、世界史の授業で習った奴隷制存続を巡って争ったアメリカの南北戦争辺りの知識程度しかパッと思い浮かばない。
軍事クーデターに関しても、テレビのニュースなどで遠く離れた異国の地で内戦地の映像や写真を目にする機会があったぐらいで、正直なところあまり現実感を感じなかった。
だが、この世界ではそういったものは自分達の生活に大きく密接しているのかもしれない。
俺もこの世界で生きる以上は、決して他人事だと思うことはやめよう。
「旧王権崩壊が半年ほど前のことで、アリーシャ騎士団領は誕生して間もない新興国だ」
「卵から孵った雛の状態みたいなもんか」
「ふふっ、雛か。中々可愛らしい例えをするんだな君は。その認識で間違いはないよ」
クスクスと口元を綻ばせて鈴が転がるような耳障りの良い小さな笑い声を零したゼルダは、近くに置かれた木籠から比較的小ぶりな林檎を取り出すと、そっと優しく両手で愛しそうに包み込んだ。
「西大陸の南東部に位置する騎士団領は、北を神王を信仰するマルトリア神王国、西を人間離れした弓術と豊富な魔力量を有するため魔法を得意とするエルフ達が暮らすオーベロン神樹国と国境を接している。海を隔てた先の南大陸の西部には世界屈指の軍事大国であるゼルガトス帝国が版図を広げている。どの国家も一騎当千の列強ばかりだ。仮にそのうちのどこかの国から大規模な侵攻を受ければ、この国はろくな抵抗もできずに瞬く間に国土を蹂躙されるだろう」
「国境線の防衛とかはどうなってるんだ? 一応それなりの兵力が詰めて警戒はしてるんじゃないのか?」
「軍事クーデター時にペルテ軍と全面衝突した結果、現政権の残存兵力は大きく削り取られてしまったんだ。国境警備の任に就いている士卒の数も練度も大したものではないのが現状だな」
「そ、そうなのか。それじゃあ、他国と戦争なんて事態になったらかなりヤバいんだな」
「幸いなことに、国境を接しているマルトリア神王国の伯爵領を治めるグレゴール伯爵は土地や労働力の奪い合いには全く関心を持っていないからありがたい。オーベロン神樹国に関しても、彼らの暮らす樹海に手を出しさえしなければ敵対行動を取られることもないから、ここもひとまずは安心していいと思う」
「もう1つのゼルガトス帝国って国はどうなんだ? 艦隊を率いて海を渡って遠征なんてして来たらたまったもんじゃないだろ?」
俺は頭に思い浮かんだ懸念をストレートにぶつけてみた。
軍事国家と聞くと、世界征服とか目論んで次々と周辺の国々を制圧していくイメージが強いんだが……。
衝動的に口を開いて飛び出した疑問だったが、的外れな質問をしてしまったかもと内心で少し後悔しそうになるが、ゼルダは「その懸念は尤もだ」と優しい声音で肯定してくれた。
「確かにアレンが感じた心配は私やこの国の国民も感じていることだ。だが、その点についても安心材料がある」
「大国が攻め込んでこないような、確固たる理由でもあるのか?」
「
「成程なあ。それじゃあ、今のアリーシャ騎士団領はクーデターで疲弊した国力を回復させようと躍起になってるってところか」
「まさしくそんな感じだ。クーデターが終結してから半年ほどの時が流れたが、今も国内各地に戦争の傷痕は残っている。これから向かうカザンも、ペルテ軍とクーデターの中核を担ったアリーシャ騎士団との交戦があった都市だ。今でも復旧工事が進んでいるが、土建屋や作業員も人員不足で遅れ気味だがな」
痛ましげな声を漏らすゼルダ。
カザンはアルトの村から馬車に揺られて30分ほど掛かるが、最寄りの都市ということもあって、他人事のようには思えないのだろう。
彼女が国の惨状に心を痛めているのはよく理解したが、俺も新たな疑問を投入する。
「さっきの話に出てきたアリーシャ騎士団っていう組織が、この国の政治の実権を握ってるのか? というか、凄く前提的な質問なんだけど、アリーシャ騎士団はペルテ国時代にはどういった立ち位置の組織だったんだ?」
「まず1つ目の質問だが、現在この国を治めているのは騎士団の団長を務めていたアリーシャ様だ。彼女を筆頭に、騎士団の5人の幹部騎士の内、4人が国内の主要都市の騎士団支部の長として国内の治安維持を行っている。そして、2つ目の質問だが……」
そこでゼルダは口をつぐみ、少し言い淀むような仕草を見せる。
だが、どこか気遅れしたような表情を見せながらも、再び口を開いた。
「騎士団のペルテ国時代の通称はペルテ軍第7騎士団、主な任務は国内の暴動鎮圧と不穏分子の排除だった。ペルテ国王の直系であるアリーシャ様が率い、後に逆賊となって王の首を刎ねた騎士達の集まりだ。そして……私が副団長を務めていた古巣でもある」
「えっ!? ゼルダって元軍人だったのか!?」
思いがけない情報に意表を突かれ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
だが、上半身を守る白銀の鎧と腰に
それも副団長ともなれば、かなり上の役職なのではないか。
目を白黒させて二の句が継げずにいる俺の姿に苦笑いしながらも、
「当時私は、奴隷の身分に落とされた人々が家畜のような扱いを受けながら死んでいく光景が町のどこかしこにも当たり前の日常として広がっているのが、どうしても許し難かった」
「そんなの普通の人間だったら、当然の気持ちだろ。ゼルダは間違ってなんかないさ」
「ありがとう。私にそんな言葉を掛けてきたのも、君と同じ真っすぐな目をしたアリーシャ様だった。そして、奴隷制を推し進める父の蛮行を再三諫めようとした彼女も、彼女を目障りに感じた父の放った刺客を返り討ちにして以降、奴隷解放を志す騎士団の同士達を中核とした反乱軍を組織し、私も副団長として前線に加わった」
「……それは、かなり厳しい戦いだったのか?」
「最初は押され気味だったが、国内各地の奴隷達も一斉蜂起したことで戦局はこちらに傾いた。戦争である以上戦死者も多く出たが、いくつも砦を陥落させて敵軍の戦力と士気を削ったことで、戦況は反乱軍に軍配が上がっていたと思う」
「……そうか。皆必死で頑張り抜いたんだな」
「ああ、皆必死だった。だが、そのおかげで反乱軍は王が座す王都近辺にまで進軍し、その喉元を掻き切る寸前まで追い込むことに成功した。しかし、連中は王都が落ちる前に1つの策を実行した」
その次の言葉は、酷く
「いつも前線で騎士や奴隷達を指揮し、鼓舞し続ける邪魔な副団長の生まれ故郷の村の村民を見せしめに虐殺したんだ」
「っ!?」
肩を震わせ、目元にじんわりと透明な雫を滲ませた自分と同じ年頃の少女の今にも壊れそうな儚い表情に息を飲む。
「王都攻略戦の最中にその計画を知った私は、アリーシャ様や仲間の幹部騎士達に背中を押され、今走っているこの道を必死に馬で駆けた。『どうか生きていてくれ、無事でいてくれ』と何度も頭の中で念じながら。あの日ほど、神とやらに祈った日はなかったよ。結果はあの村で過ごした君なら言わずもがなだろ?」
「……」
「父は軍の兵士と争い相討ちになったのか、喉を刺し貫かれて絶命したペルテ軍の兵士の側で事切れていた。母は畑で腹を剣で横に大きく裂かれて横たわっていた。子供の頃によく遊んでいた友人は、頭と顔を何度も殴打されて元の顔も分からなくなっていた。騎士団に入団する私のために村を挙げての送別会を催してくれた村長は、火あぶりにされて真っ黒な炭の塊になり果てていた」
「……」
「私は喉が裂けるほどの叫び声を上げながら、ペルテ軍の粛清部隊を皆殺しにした。王都を陥落させた友軍の増援が到着した時は、ギョッとされたよ。無数の屍の前で呆然と立ち尽くす全身血塗れの女が、人目を憚らずに無様に泣き続けていたんだからな」
「……」
「その後私は、村民の遺体を彼らに手伝ってもらいながら埋葬した後、新政権誕生でてんてこ舞い状態だった騎士団を辞した。要職に就いてほしいという打診や、アリーシャ様を含めた馴染みの騎士達から何度も残ってほしいと引き留められたが、私はそれを振り払い、仲間を置いて戦場から逃げ出した後ろめたさに苛まれながら、誰もいなくなったあの村に1人戻った。大義も正義も信念もなく、ただの復讐心で多くの命を殺した私には、誰かを導き守る立場に立つ資格なんてないと思った。血に塗れた私の手は誰か助けることなんてできな……」
「でも俺は、ゼルダのその手に救われたよ」
血と悲しみの連鎖で赤く彩られた過去を吐露するうちに、もう隠しようがないほど溢れ出した塩辛い雫が床にポツポツと染みを落としていくのを見詰めながら情けない己の醜さを曝け出していた私は、思いがけない声にハッと顔を上げる。
そして、声の主である異世界からたった1人でやって来た不思議な男の子を見遣り、目を見張る。
泣いていた。
私の弱さに溢れた言葉を遮らぬよう、声を漏らさないよう唇を噛み締めてながら、彼は泣いていた。
泣いてくれていた。
「ど……うし……て……泣いているんだ?」
思わずそんな言葉を漏らしていた。
彼は、そんな私の不可解な気持ちを含んだその言葉に慈愛に満ちた声音で答えを紡いだ。
「わかんねえ。だけど、ゼルダの悲しみとか苦しさとかが心の中に流れ込んでくる感じだった」
「だけど、君には関係のないことだろう?」
「直接的な関係はないよ。俺が知っているのは、見ず知らずの人間の世話を焼いてくれて、いつも元気一杯な同居人の友人を温かく見守っていて、大人っぽく振る舞っているけど偶に花が咲くような笑顔で笑う、そんな優しい女の子のことだけさ」
「そんな、私は優しくなど……」
「あの魔法陣の部屋で訳も分からずにいた俺に差し伸ばされた手は、血に汚れてなんていなかった。大切な人達と過ごした場所を守ろうと、大切な人達を守ろうと、誰かを守るために一生懸命な温かい手だったよ」
そう言って彼は、剣の鍛錬や瓦礫の撤去で皮膚が硬くなった女らしさを全く感じない私の手にそっと自分の手を重ねた。
「この手はゼルダが大切なものを、かけがえのない場所を守り抜くために必死に頑張り続けた立派な手だ。俺はこの手に手を引かれて、温かい場所に連れ出してもらえたんだぜ。だからさ……」
彼は重ねた手を、まるでガラスに触るように
数多くの人間を斬り捨ててきた女の手と、異界からやって来た黒髪の男の手が重なり合う。
「ありがとう、俺に温かい場所をくれて。俺も一緒に頑張るから、ゼルダの背負っているものを少しでも背負わせてもらえるように。ゼルダを支えられるように」
「……ありがとう」
ああ。
心の中に広がるこのポカポカとした気持ちはなんだろう。
分からない。こんな不思議な感覚は初めてだ。
目頭が熱くなる。
だけど、その雫は後悔や罪悪感等の様々な感情がゴチャゴチャと入り混じったものなのか、私を優しく包んでくれている男の子の真っすぐで眩しい言葉で照らし出されて流れているものなのかも不明瞭だ。
しかし、彼の
その痛みが、何故かどうにも心地良い。
「アレン」
「うん」
「ありがとう」
「おう」
胸に灯ったこの気持ちの正体は分からないが、この少年と過ごす時間はとても幸せなものになりそうだ。
「……」
「……おい」
「……なに?」
「ハンカチ、要るか」
「……もう遅い」
俺の隣には自分の服の袖でゴシゴシと目元をこすり、泣き腫らした目でこちらを恨みがましそうに見遣る赤髪の少女がいた。
先程まで背後の二人に気付かれないよう、声を押し殺してポタポタ涙を流していた少女に差し出したハンカチはグイっと腕ごと押し返され、俺は「さいですか」とそれをズボンのポケットに押し込み、フリーになった手を片手で握っていた手綱に添え直す。
「お前はあの村に来た頃に、さっきの話は聞いてるんだろ? なのに、なんでそんな風になってんだよ」
後ろに乗り込んだ二人の会話は、御者台の位置からは聞こえ辛い。
しかし、経年劣化や走行中に街道の傍に生えている灌木の枝葉で引っ掛けて所々が破れた幌の張り直しを面倒臭がって放りっぱなしだったのが
会話の序盤は全然聞き取れなかった話し声も、無意識だったのだろうが言葉の端々に強烈な感情を帯びるようになった後半部分が、裂けた布部分から微かに漏れ聞こえるようになってきたのだ。
涙混じりのそれが自然と耳に流れ込んでくるうちに、この隣人はご覧の有り様になっていった。
「……私はアレンみたいに、気の利いた言葉なんて掛けられなかった。ただ黙って、ゼルダを抱き締めるぐらいしかできなかった」
「上等じゃねえか」
「……本当に?」
「自分のことを受け入れてくれる、そっと側に寄り添ってくれる人間がいるってのは、当たり前のようだが、とんでもなく幸福なことなのさ」
「……」
「人間生きてりゃ馬鹿でかい傷も負うし、大切なもんを取りこぼしちまうことなんてしょっちゅうよ。そして、人間てのは辛さとか悲しみとか、そういうクソ重い荷物を自分一人で抱え込めるほど頑丈には出来てねえもんさ。一緒にそいつを背負ってくれる人間が2人も側で一緒に歩き続けてくれてるんだ、ゼルダは幸せ者だよ」
「……」
「それが分かったら、カザンに着くまでにさっさとそのみっともない顔をどうにかしろ」
「なっ!? せっかく少しマーカスを見直してたところだったのに、今ので全部台無しになったからね!」
「お前の俺への好感度が地面を
「もう! そんなんだから、ずっと独身なのよ!」
隣でギャーギャーと
……まだ微かに
しかし、泣き腫らした目元だけは今も健在だろう。
……今日はのんびりと行くか。
手綱を握る手に力を込め、先頭を走る愛馬達を繋いでいるそれを軽く手前に引いて減速を促す。
真っすぐで優しい心を持ったこの3人の若者達の涙が、少しでも渇く時間を生み出すために。
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